第六十七話 式典の朝 4/6
「そこまで。勝者、アキラ・アモウル」
勝者を告げるラシフの声が心なしか震えていた。
彼女はアキラが行ったことを、格下の相手をもてあそぶ行為だと取ったのだ。
つまり「全力で戦う」というアプリリアージェとの約束がなされなかった事に対する怒りを感じていたのである。
ダーク・アルヴにとってそれは屈辱的な事で、アキラが闘いながら円を描いた事は皮肉にしかとれなかった。
勝者が宣言された後も、会場は静寂に包まれていた。観衆もラシフと同じ気持ちの者が多かったのは間違いがない。
観衆の注目の中、族長であるラシフは言うべき事を言わねばならないと思い、立ち上がった。彼女の非難の目はまずアプリリアージェに向けられた。圧倒的な力で蹂躙される方が敗者の傷にならない。同じダーク・アルヴの血を受け継ぐ者同士、その事は重く捉えてくれている。そう考えての批難だった。
だが、緊迫したその場の空気を変えたのはその敗者であるヒノリだった。
彼はもちろんラシフと、そして観衆の思いがわかっていた。だから当事者として釈明をしなければならないと考えていた。それがこの試合の敗者のつとめだとも。
ヒノリは肩で息をしながらアキラの前に歩み寄ると、片膝を着いた。次に左手を右手の肘に当て、アキラに深く一礼をした。それはジャミールの兵士における最上級の礼だった。
「完敗、いえ、感服いたしました。あなたを我が剣の師として目標にすることをお許しいただきたい」
その一言で観衆はどよめいた。それもまたダーク・アルヴの気質なのである。
すなわち、負けた本人が屈辱を感じていないということは、つまりはそういうことなのだと了解したのである。
アキラ・アモウル・エウテルペは、後世、天才軍師という肩書きと共に語られる名前である。要するに策士である彼がこの場でダーク・アルヴの神経をあえて逆なでするような事は考えにくい。従ってその試合についても彼は彼なりの計算で相手の技量を受け止めた上で、彼なりの美学を付加した戦略を織り込んでいたのかもしれない。
アキラはヒノリの言葉を受け、同じように片膝を突いた。そして左手を右手の肘に当て、ヒノリと同様のジャミール式最敬礼をした上で言葉をかけた。
これは期せずして「片膝をつき、剣を持った方の肘を持たない方の手で掴み、深く一礼する」というジャミールの本来の形をとっていた。剣を持つ手を拘束し、礼をするという型なのだ。
ヒノリは空手でこれを行っていた。言わば略式である。もちろん彼の剣がアキラの手にあったからである。
対するアキラはジャミールの最敬礼の型など知らずに、ヒノリの型を真似る事で正式な最敬礼をとることになった。
アキラのこの行為は里人達の心証を大いによくしたのは言うまでもない。
アキラはヒノリに語りかけた。
「最初の一太刀であなたはすでに負けを悟っていた。だがそこであきらめず、次の攻撃ですぐに太刀筋を変えてきた。その後も一度として同じ太刀筋の切り込みはなかったのは見事だ。創意工夫にあふれるよい剣だった。この後、励めばより高みにいける事を我が剣に賭けて保証しよう。再び見(まみ)えんことを楽しみにしていますよ」
そしてゆっくりと右手に持ったヒノリの剣を差し出した。
「族長様」
剣を返したアキラは、そのままの姿勢で立ち上がったままじっと二人の様子を見つめていたラシフに呼びかけた。
「申せ」
アキラは一礼すると申し出た。
「剣も笛も、私はまだ修行の身。弟子は取らない主義です」
「ふむ」
「しかし、一人の剣士として才能ある剣士に師と呼ばれるのは名誉なことです。しかもそれが誇り高きジャミールの兵士であればなおのこと。族長様にお許しいただけるならば、我が剣と我が名を彼に与えとうございますが」
アキラの言葉に、ヒノリは顔を輝かせた。
この場合『名を与える』とはつまり一門に加えるという意味である。あまつさえ剣までもとなるとそれは「お前は我が一番弟子である」という意味であった。
「私からもお願い申し上げます。ひょっとすると皆は誤解しているかもしれませんが、アモウル師は最初から最後まで我が剣を全霊で受け止めてくださいました。まるで鏡に自分の未熟な剣が映し出されたかのような、今まで感じたこともない夢のような試合でございました。なにとぞ、我が願いをお聞き入れください」
ヒノリはそういうと、深々とラシフに頭を下げた。観衆は息を呑んでラシフの裁量を待った。
ラシフはチラリとアプリリアージェの変わらぬ微笑みを見た後で、アキラに向かい、こう言った。
「将来ある我らが兵士に送るその名と剣。それは我らにもこの上ない餞(はなむけ)となろう。族長ラシフ・ジャミールの名において申し出を心より感謝する」
歓声とどよめきが会場を揺るがした。それはまるでヒノリが試合に勝ったかのような盛り上がり方であった。
「しかと受け取るがよい、ヒノリよ」
アキラは歓声の中、腰の剣を鞘ごと差し出した。ヒノリはそれを両手で恭しく受け取り、ラシフと、そして次に観衆にかざすとアキラにもう一度礼をした。
おそらくアキラは相手の兵士の心・技をはじめの一太刀で理解したのであろう。一定の高みにある人間にはそう言った特殊な能力があると言われている。ヒノリが自分の意図を汲める相手だと判断した上であのような稽古まがいの試合を構成したと考えていいのかもしれない。
【いや、長い鍔迫り合いはええとしても、あの円は蛇足やろ? というか、みんな騙されてるって!】
『あれは多分、それなりの腕前の人に多い、常人には理解不能なこだわりというか美意識なんじゃないか?』
【それ、変人ってことやな?】
『否定はしない。変わった人だよな』
大歓声の中、あっという間に成立した族長公認の師弟が肩を並べて退場した後、いつの間にか会場の中央に立っていたのはジャミール族の兵士長であるメリドと、ル=キリアでもっとも存在感のないテンリーゼンだった。
「一切の手加減無用、持てる力を全て出して倒すように言ってあります。『一応』ですが」
いつの間にかラシフの横にアプリリアージェがやってきて、そう告げた。
「子供ではないか。もし我らが誇る兵士長をからかっているのなら今度こそ文句を言わせてもらうぞ?」
「私は『メリドにはそちらで一番の剣士をあてがえ』というラシフ様の命令に素直に従っただけですよ」
「この狸め。言っておくが、メリドはそちらが思っているよりは強いぞ」
「リーゼも多分、観客の皆さんが思っているよりは強いですよ」
「ふん。そちは相変わらずじゃの」
「ラシフ様こそ」
二人のやりとりを隣で聞いていたエルネスティーネは思わずクスクスと笑いを漏らした。
「そちは知っておるだろう?あの人形のような小童はリリア殿の言うように強いのか?」
ラシフから質問が飛んでくるとは思っていなかったエルネスティーネは慌てて作り笑いをすると、大きく頭を横に振った。
「いえ、私も知りません。でも」
「でも?」
「族長様とルーチェには申し訳ありませんが、きっとリーゼが勝ちます」
「その根拠不明の自信、とくと見せてもらおう」
テンリーゼンとメリドの戦いは、微妙な雰囲気の中で執り行われた。要するに顔を入れ墨だらけにして、その上に黒い面を被った物言わぬ不気味な子供が、自分たちが擁する一番の使い手の試合相手であることがどうしても不満だったのだ。
だが審判席の族長を見ると、落ち着き払って成り行きを見守っているだけで隣の客人に不満の一つをいう風でもない。ここは一つ試合を見るしかないか、と周りの者と互いに了解を取り合っているようなざわめきがいつまでも収まらなかった。
その試合はその日もっとも短く、そしてもっとも不思議な戦いだった。
メリドはダーク・アルヴとしては珍しく両手剣を。そしてテンリーゼンは左右の手に一振りずつ短剣を握っていた。
「双剣使いか」
テンリーゼンの姿を、二人の人間が食い入るように見つめていた。エイルと、そしてもちろん噂の「ル=キリアのドール」の実力をこの目で見て判断したいと思っていたアキラだった。
エイルは風のフェアリーとしての力が封じられた状態でのスカルモールド戦でその姿をチラリと見ただけだった。だから完全な状態のテンリーゼンの「実力」に並々ならぬ興味を持っていた。アプリリアージェから壮行試合の話が持ちかけられた時、エイルが最初に思ったのは「リーゼの試合が見られる」という事だった。
そのテンリーゼンが、今目の前でジャミールの兵士長と向かい合っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます