第五十話 エア 3/5

『起きろっ、エルデっ! 』


 無駄だと理解しつつも心の中でそう叫んでエルデに呼びかけたエイルは、同時に三色の精杖ノルンを構えて一番近くのスカルモールドに気合い一閃、飛びかかった。視界の隅に同じく短剣や弓を番えたル=キリア三人の姿を捉えながら。

 

 スカルモールドの発見事例の多くはシルフィード大陸の北部、それも東地域に集中している。少数ではあるが、ウンディーネやドライアドにも被害報告が記述されているが、サラマンダでの正式な発見記録は残っていない。それもあってエルデはエイルにサラマンダでスカルモールドに遭遇することはないと言っていたのであろう。だが、実際にエイル達はル=キリアに出会う前にドライアドの山中でスカルモールドに遭遇していた。

 当然ながらエイルは常に単身でスカルモールドと対峙し、これも当然ながらそれまでその全ての戦いに勝利していた。したがってスカルモールドに遭遇した際の動揺は、ル=キリアよりも相対的には少ないと言えるだろう。要するにエイルは彼なりにスカルモールドとの戦い方を会得していたのである。

 だが、今回はルーンによる強化が一切期待できないという大きな違いがあった。

 それでもエイルは両手で持ったノルンを正眼に構え、狙いをつけた相手の胴体のある一点に向けて躊躇うことなく突きを放った。

 狙い違わず、精杖ノルンの先端がある一点を鋭く打った。しかし胴体に突き刺さるわけではなく、エイルはすぐにスカルモールドから離れた。

 間合いの外にいったん出ると、エイルは続けて次の攻撃を放つ体勢をとった。

 エイルの突きで動きを一瞬止められたスカルモールドは、己の獲物に体を向けようとした。だが、土塊(つちくれ)の化け物がエイルに向かって一歩踏み出そうとした時、その巨体は体勢を崩し、前のめりに倒れ込んだ。そこへエイルはすかさず続けざまにいくつかの打撃を与えた。数回打ち、離れる。そしてまた間合いを見て打撃を与え、次に離れた時には、なんとスカルモールドの二本の脚と四本の腕、そして唯一の頭はすべて土の色をした胴体から分離し、地面に落下していた。その状態でもまだエイルに近づこうと関節をうごめかせてはいたが、当然ながら移動速度は極端に落ちていた。


 これは『魔人』エイル・エイミイを題材にした吟遊詩人の英雄箪のいくつかで謡われている通り、異世界人である彼にはある特殊な才能があったようである。

 長く戦っているファランドールの人間ですらわからないスカルモールドの弱点が彼には見えていたと言うのだ。たった一本の木の精杖で、あっと言う間にスカルモールドを無力化する事が出来る程の。


 エイルは最初の対戦相手であるその一体に見切りを付けると残りの二体……いや仲間の戦況をようやく把握できる状態になると、急いで振り向いた。

  だが、短時間で自らに与えられた仕事を全うしたエイルと違い、エーテルの力をはぎ取られたル=キリアの面々は彼の予想以上に苦戦していた。

 エイルが振り向いた時には、仲間の戦果として地面には二本の腕と一本の脚がうごめいていたが、スカルモールド本体はまだまだ健在で、三人の中で一番動きの鈍いデュナンであるアトラックを次第に追い詰めつつあった。

 アルヴィンとダーク・アルヴ、それにデュナンの構成ではスカルモールドに一度捕まってしまうと、その力に抗って脱出できる腕力のある者はいない。アルヴのファルケンハインやティアナであれば可能性はあるかもしれないが、片腕、あるいは片足を捕まれた時点でトカゲのように片足を切り離して逃げでもしない限り、ほとんどの場合は死が彼らを待っていると言えた。

 したがって今の彼らにできる戦法は、できるだけ手が届きにくい方向から確実な一撃を与えつつ即座に化け物の間合いの外に離脱する事を繰り返しながら、一本ずつ腕や脚を奪っていく事しかないのだ。


 三人は戦闘開始と共にすでにマントを脱ぎ捨てていた。マントの端でも掴まれてしまえばそれで体勢を崩すのは必至であり、マントを捨てるのは当然の戦闘態勢だといえるが、強い引き裂き耐性を持つアルヴスパイアを捨てた代償もまた大きい。鎧などを着ているわけではない平服の彼らの防御はスカルモールドの攻撃力に対しては紙にも等しい。それを証明するかのようにエイルの眼にはアトラックの両脚とアプリリアージェの右腕がすでに赤黒いものによって染まっているのが映った。

 アプリリアージェは当初の緊張が解けたのか、戦闘が始まるといつもの微笑を浮かべてはいたが、その唇が歪んでいるのが見えた。つまりは、かなりの苦痛を伴うケガを負っているのは間違いなかった。

 ウーモスの件でエイルは理解していた。

 アプリリアージェであれば、少々の事は涼しい顔でやり過ごすはずである。だが、今はそれが出来ない程の痛みがあると言う事なのだ。

 そうしている間にも二体のスカルモールドは脚にケガを負ったアトラックに襲いかかっていた。

 懸命に逃げるアトラックを援護するように、背後と側面からそれぞれ一体ずつのスカルモールドに攻撃を仕掛けるアプリリアージェとテンリーゼン。

 アプリリアージェは短剣を利き腕ではない左手で握っている。ただでさえ力のないダーク・アルヴが利き腕でもない手で中途半端に切り込んだ剣が、その文字通り岩のように堅いスカルモールドの体に損傷を与えられる訳がなかった。

 化け物のうち一体はアプリリアージェの攻撃を受けた瞬間に、自分を傷つけた相手に三本残ったうち一本の腕を振り下ろした。

 渾身の攻撃後、すぐさま間合いから離脱しようとしたアプリリアージェだったが、『エア』の為に風のフェアリーとしての速度を得ていない状態では、想定以上に体が重く感じられていた。翼をもぎ取られた鳥にとって、巨体を誇るスカルモールドの制空圏は絶望的に広く、子供の胴体より大きいのではないかと思える大きな掌がアプリリアージェのあまりに小さな肩に無惨に打ち下ろされた。

「ぐっ!」

 その瞬間、声にならない悲鳴を上げたアプリリアージェはそのまま数メートルも飛ばされ、防御の体勢をとる間もなく頭から地面に勢いよく叩きつけられた。土の地面とはいえ、まともに頭から叩きつけられるようにぶつかってはたまらない。アプリリアージェは果たしてそのままピクリとも動かなかった。

 そこへ、目標をアトラックから自分の近くに飛んできた、動かぬ獲物に変更した一体のスカルモールドが、うめき声を上げながら横たわるダーク・アルヴに近づいた。もちろん、食らう為である。

「リリアさんっ」

 エイルはそのスカルモールドの背を追った。

 

『くそっ! 目を覚ましてくれ、エルデっ! ! 』


 エイルはその時、エルデの存在がいかに頼もしいものだったかを心底思い知った。

 エルデのルーンがあれば、あの、ほとんど詠唱時間なしに発動させることができるありとあらゆる『魔法』……エルデはそう言うと絶対に『魔法やのうてルーンや』と訂正するが……それさえあればアプリリアージェの命を救うことができるかもしれなかった。「エア」であろうが何であろうが、エルデならきっと何とかしてくれるはずだ。

 そう思わずにはいられなかった。


 だが……

 風のフェアリーでも兵士でもない、平凡な体力しかないエイルの瞬発力は、当然ながらスカルモールドの速度には追いつかなかった。

 触れることすら躊躇われるほど醜悪なその化け物の背中に、エイルには一点の弱点が見えていた。そこに精杖を使って一撃を入れようと走りもがく目に、しかし絶望的な光景が広がった。

 その光景とはスカルモールドの一本の忌々しい長い手が地面に伸び、それはそこに横たわったまま全く動かなくなってしまった黒い髪をした小さな体の一部……アプリリアージェの傷ついた右腕をわしづかみにして今まさに肩の付け根から無造作にねじ切ろうとしている光景だった。

「やめろお!」 

 エイルはそう叫ぶと、思わず唇を噛んで眼を閉じた。恐ろしくてそれ以上は直視できなかったのだ。だが、たとえ目を閉じていても聴覚がまだ残っている片側の耳には、布が引き裂かれるような湿った鈍い音に続き、何かが地面に落ちる重い音が無情に届いた。

 

 エイルは今度は耳から入ってくる音の恐怖に耐えかね、たまらず目を開けた。

 そこにあったもの……それは、アプリリアージェの体からむごたらしくねじ切られた右腕を喰らうスカルモールドの姿……

 いや、そうではなく、巨大な土塊だった。

 さらにそこにはエイルにとって未知の物体がもう一つあった。

 そこにあったもの。それは巨大な土の塊と、そしてその上にスッと立つエイルの知らないアルヴの少女の姿だった。

 そこにいるのが普通の少女ではない事はエイルでなくとも一目でわかった。

 茶色の長い髪を先端で一つにまとめているその少女はしかし、アルヴの特徴である緑色の目ではなく……。

 そう。

 エイルにはその少女がいったい誰なのかは皆目わからなかったが、何者なのかはすぐにわかった。

 真っ赤な両目。そして額にもうひとつ、同じく真っ赤な第三の眼を持つ存在。その手には濃い青色をしたルーナーの証しである精杖がしっかりと握られていた。

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