第四十六話 鳶色の瞳のシェリル 5/8

「だって」

「騒ぐな、ネスティ。リリア姉さんは死んでへん。そやから今は冷静になれ」

 エルデは今にも泣き叫びそうなネスティの機先を制して怒鳴ると、その目をじっと見つめた。ネスティは声が出そうな自分の口を両手で塞ぎ、あふれようとする涙をこらえるように目を大きく開けて、エイルにうなずいてみせた。

「よし、ええ子や。ファル、そっちは?」

 ネスティが混乱を自制できたのを確認すると、エルデはファルケンハインに顔を向けた

「舌を噛まれるとマズいと思ったので失神させただけだ。怪我はしていない」

 ファルケンハインはエルデが望む答えを的確に伝えた。

「こんな事はやりたないけど、念のために猿ぐつわを噛ましとこか」

「仕方がないだろうな」

 

『おい、エルデ……』

【シェリルが舌噛んで自殺してもええんか?】

『いや……それよりシェリルがリリアさんに毒を……って言うことなんだよな?』

【この状況で他に何が考えられる? 我々の中で真っ先にそれを理解して冷静に動いたのはファルや。さすがやな】

『なぜ……』

【それはこれからわかる。それより】

『大丈夫なのか?』

【飲んだ量にもよるけど、ここまで高濃度やとゲルデの毒でも少量服用すれば、普通に死ねる】

『死ぬって……おい』

 

 エルデはエイルとの会話をそこで打ち切った。そしてすぐに精杖ノルンを取り出すと、矢継ぎ早にいくつかのルーンを唱えた。ルーンとルーンの合間には額と頬、そして腋に手を当てルーンの効果を確認しながら次の詠唱に入った。

 何度目かの詠唱の後、同じように額に手を当てているエルデに、アトラックが声をかけた。彼は倒れたシェリルを抱きかかえ、エルネスティーネを促してティアナやハロウィン達が居た少し離れたところへ連れて行っての帰りだった。

「様子はどうだ?」

 エルデはアトラックをチラっと見やった。

 隣にはハロウィン・リューヴアークが険しい表情で立っていた。

「こんな事はいいたないんやけど」

「どうした。はっきり言ってくれ」

「えろう落ち着いてるんやな、お前さん達」

 エルデの嫌みともとれる言葉に、アトラックはバツが悪そうに応えた。

「ゲルデの毒なら、大丈夫だと思う」

「え?」

 思いがけないアトラックの言葉に、エルデは思わず精杖を持つ右手を下ろした。

 ハロウィンはエルデのそばにしゃがみ込むとアプリリアージェの左手をとり、その手首で脈を診ながらアトラックの言葉を引き継いだ。

「俺達には耐性がある」

 その言葉を聞いたエルデは安堵のため息をついた。

「なるほど、そうか」

 その「なるほど」にはいろいろな意味があった。

 ファルケンハインやアトラックがそもそも予想以上に落ち着き払っていたこと。介抱をエイルに任せて、すぐに上官のそばにつくという行為に及ばなかった事。それよりも自分たちが今できる仕事を優先させたこと。そもそもあの様子だとはじめから紅茶に毒が入っているのをわかっていたにも関わらず、ためらうことなくアプリリアージェが飲み干したこと。

 解毒の為のルーンが不思議とニブい反応しかしないこと、等々。

「それで、お前の見立てとして、実際の様子はどうなんだ?」

 それでもやはり心配は心配なのだろう。アトラックは神妙な顔でエルデを見た。

「一般的な解毒用ルーンがあんまり効かへんさかい、ちょっと強力なルーンを使おうかと思てたとこや。その話を聞いたら納得できた。容態自体は脈と呼吸の低下にともなう体温低下が少しあるくらいで、落ち着いてる」

「そうか」

 アトラックは良かったという風にうなずいて見せた。

「そういうことなら解毒やのうて、やることは別の事やな。ルネ・ルーを呼んでくれへんか?」

「ルネを?」

「あの子やったらできるやろ。ちょっと水のフェアリーの力を借りたいんや」

「ハイレーン一人ではできない事、なのか?」

「もちろん俺一人でもできるんやけど、こっちも体力に限りがあるしな。できたら楽して効果を上げたい」

「わかった」

 

『それって、かなり力を使うルーンなのか?』

【というより、ルネを触媒にしてルーンをぶち込んだ方が効率よさそうやしな】

 

 おそるおそるやってきたルネはエイルの要求を聞くと黙ってうなずいた。そしてすぐにアプリリアージェに覆い被さり、そのまま優しく体全体を抱きかかえるようにした。

 やがてルネの体がぼうっとした鈍い光で包まれ始めると、精杖ノルンを手にしたエルデがいつものように短くルーンを唱えた。

 一同にはいったい何が行われているのかはわからなかったが、エルデが短い詠唱をした後、数秒でその効果が現れた。アプリリアージェが目を覚ましたのだ。

「ルネ・ルー?」

 自分の名を呼ぶ声に、ルネは顔を上げた。

「あ、起キた」

「ええ、大丈夫です。これは?」

「もう大丈夫ヤね」

 そういうとルネ・ルーはすぐに体を起こし、そっと立ち上がった。途中でルネの体を覆っていた鈍い光が消えていくのをアプリリアージェはじっと見ていた。

「シェリルは?」

 直前の記憶を取り戻したアプリリアージェは、おもむろに上半身を起こすと周りを見渡した。

 そこでようやくエイルとハロウィン、それにアトラックの存在を認識した。

「そっちも大丈夫や。ベックがついてる」

 エイルの言葉を聞くと、アプリリアージェにようやくいつもの微笑が戻ってきた。

「そうですか。少し酷な事をしてしまいました」

 そういうと正面で自分を見つめているルネに声をかけた。

「あなたが治癒を?」

 ルネは首を振った。

「治したのはエイル……えっと、そやなイな。エルデのルーンや。ウチはリリアの体の中にある水分の流れをよくしただけヤ」

「そうでしたか。気を失うなんて、想像以上に毒の濃度が高かったんですね。油断しました。格好を付けて飲み干さずに一口二口くらいにしておくべきでしたね」

 

『いや、そういう問題じゃ……』

【そういう問題なんやろな、この人にとっては】

『そうなのかな。それより、エルデ』

【わかってる。ある意味、覚悟を決めさせてくれたのはシェリル自身やな】

『そうだな』

 

「取り込み中のようだが……もし私に出来ることがあれば何でも遠慮なく言って欲しいのだが」

 ふと気づくと、アキラが心配そうに傍らに立っていた。夕べの事はエルデのルーンで全く覚えておらず、今朝は普通にいつもの屈託のない笑顔とともに起きていたのだ。

「ああ、ちょっとリリア姉さんが腹こわしたからハロウ先生が治療を」

「いや、とても腹をこわした程度には見えなかったんだが……」

「細かいことは気にせんといて。これは俺らの問題や。アモウルさんには迷惑はかけへん」

「う、うむ」

「ただ、仲良うなったとこで悪いんやけど、シェリルと、あとひょっとしたら二、三人ヤボ用が出来たんでここでお別れかも、や」

「え?」

「大丈夫や。それでも十分な戦力は残る」

「いや、それは別にいいのだが、やけに突然だな?」

「まだ決まってないけど、たぶんもうすぐ突然決まると思う」

「何だって?」

 エルデはそれだけ言うと、それっきりアキラを見もせずに立ち上がった。

「さて、と。シェリルにお別れしに行くとするかな」

 エルデの独り言を聞いたアプリリアージェが、エルデの背中に声をかけた。

「何をするつもりです?」

 エルデは振り返るとニヤリと笑った。だが、アプリリアージェにはエルデの笑いがいつもの不敵なそれではなく、妙に寂しそうに曇っていたのが気になった。

「うーん。簡単に言うと《二藍の旋律》のマネ、かな」

「何ですって?」

 珍しく……いや、エイルは初めてアプリリアージェの怒気を含んだ声を聞いたと思った。

「もう、終わりにしよ」

 歩みを止めず、振り返りもせずにそう告げるエルデをアプリリアージェは立ち上がって追いかけてきた。

「お待ちなさいっ」

 だが、アプリリアージェがそう動くのは想定していたのだろう。

「パラス!」

 エルデは振り向きもせずにさっと精杖を掲げると、はっきりとした声で一瞬の詠唱によるルーンを唱えた。その詠唱とともにアプリリアージェの体全体がその場の空間に縫い付けられたように全く動きを止めた。

 アプリリアージェは声を出そうとしたが、それも出来なかった。

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