第四十六話 鳶色の瞳のシェリル 6/8
(しまった!)
一瞬でルーンを発動させてしまう特異なルーナーはやっかいだと言うことは解っていたが、こういう形で身をもってそれを確認することになるとは思っていなかった。
臍を噛むとはまさにこのことだと思った。しかし動きようがない状態では噛みようもない。アプリリアージェは心の中で自嘲するしかなかった。
「かんにんや。ほんのちょっとだけ、そこでそうしといてくれるか」
振り向いたエルデはアプリリアージェが完全に動きを止めたことを確認すると、無表情な顔でシェリルの側まで歩き、すぐ横で膝を突いた。
そして側にいたベックの顔を見上げると、声をかけた。
「今から、少し複雑なルーンをシェリルにかける。俺が『もうええで』って言うまでおとなしくしといてくれるか?約束してくれたら何もせえへん。自信がない言うんやったらリリア姉さんみたいにルーンで空間座標に縫い付けたる」
ベックはなんと答えていいのかわからなかった。シェリルにルーンをかけると言われてもそれがどういうものなのかわからない。治療ならいい。でもエルデの様子が少しおかしいとはベックも感じていた。
「いろいろ考えたんやけど、シェリルを助けるにはもうこれしかないんや。できたら仲間を拘束したない。解ってくれ」
「本当だな? シェリルを助けてくれるんだな」
ベックは少し考えて、それだけ言った。結果だけを求める言葉だった。
エルデはベックの目をまっすぐに見つめると、ゆっくりうなずいた。
「わかった」
ベックの返事を受けてエルデはすぐさまシェリルの猿ぐつわをほどくと、精杖を持たない左手を額に当て、何事か唱えた。するとシェリルはすぐに目を覚ました。
「シェリー」
エルデはシェリルの顔をのぞき込むと、そう呼びかけた。
「はい」
「俺が誰かわかるか?」
「ルル……デ?」
「そうだな」
「ルル!」
「そうだ。いつものように抱きしめてくれ」
エルデがそういうと、シェリルは何のためらいもなく両手を伸ばして、エルデを抱きしめた。
「どうだ。暖かいだろ?」
「うん。暖かい」
「よく眠っていたな」
「うん。変な夢をたくさん見たわ」
「嫌な夢?」
「いろいろ。でも最後はあの花畑にいたの」
「花畑?」
「嫌ねえ、リリエデールの花畑よ。丘が全部夕焼け色に染まるくらい、リリエデールが咲き誇っていた、あの花畑よ」
シェリルの言葉に、エルデの目が大きく見開かれた。だがそれは誰にも知られることはなく、すぐに目を閉じると、エルデはシェリルを抱く腕に力を入れた。
「ああ……覚えてるさ」
「ルル、あなたは私がリリエデールが大好きだって知ってたから、わざわざあんな丘を見つけて来てくれたのよね」
「ああ」
「あの丘を見た時、それだけでも涙が出るくらい嬉しかったわ。でもその後、ルルは私をもっと泣かせた……」
「そうだったかな」
「髪留めを差し出された時には何が起こったのかわからなかったわ。ううん、ルルが私の為にリリエデールの花を彫ってくれていた事を知って、髪留めをもらったことよりもそっちの方が嬉しかった」
「そうか……」
「髪留めを女の子に贈るのは求婚の意味だって……そんな事、バカバカしいなんて言ってたくせに、なんでそんなものをくれるのよ、って思ったわ」
「リリエデール……」
「え?」
「目を閉じて、シェリル。そうすれば今でもきっとその丘が見えるよ。俺も目を閉じる。一緒に眺めよう」
エルデの言葉に、シェリルは素直に頷くと、目を閉じた。
「見える?」
「ええ。見えるわ。ルル、あなたが顔を赤くしてそっぽを向きながらこっちに髪留めを突き出してるわ」
「照れ隠しだ」
「うん、わかってる」
「俺、その後何か言ったっけ?」
「言って欲しかったのに、何にも言わなかったじゃない」
「そうか。ごめん。じゃあ、せっかく花畑に来たんだ。あの時をやり直そう」
「やり直す?」
「うん。あの時に戻るおまじないを教えてやる」
「おまじない?」
「うん。俺が言う通りに言ってみて。それだけでいいから」
「わかったわ」
エルデは抱きしめたシェリルの耳元に口を寄せると、ゆっくりとささやいた。
「『私は私のあるべき場所へ』」
「私は私のあるべき場所へ」
シェリルは言われたとおりエルデの言葉を繰り返した。それが平文で唱えるルーンだとは知らずに。
「『あなたはあなたのあるべき場所へ』」
「あなたはあなたのあるべき場所へ」
「『夢は夢へ、闇は闇へ』」
「夢は夢へ、闇は闇へ」
「『過去は過去へ、今は明日へ』」
「過去は過去へ、今は明日へ」
「『悲しみと苦しみと痛みはすべて私の夢』」
「悲しみと苦しみと痛みはすべて私の夢」
「『夢は夢へ』」
「夢は夢へ」
「『夢は私の夢』」
「夢は私の夢」
「『そして、私は私のあるべき場所へ』」
「そして、私は私のあるべき場所へ」
極めて特殊な詠唱が終わった。ルーナーと被術者が平文を繰り返して完成させる不思議なルーンだった。
「ルル?」
沈黙が長く続いた為、シェリルは少し不安になってエルデに声をかけた。
「おまじないは終わり?」
「うん。終わりだ」
そういうとエルデは抱きついているシェリルを自分の体から引き離した。二人は見つめ合う。
「あれ? ルルってば、なぜ泣いてるの?」
シェリルの目に、声を上げずに涙を流しているエルデ……いや、入れ替わったエイルの顔が映った。
「ねえ、ルル?」
「さよなら……シェリー」
「え?」
エイルはそれだけ言うと、今度は心の中でエルデに声をかけた。
【別れは済んだか?】
『ああ。後は頼む』
【うん】
エルデは心の中でエイルにうなずくと、再び体の支配権を全て受け取った。そして右手に持った精杖ノルンの頭頂部を不思議そうな顔をしたシェリルの頭上にかざし、一連のルーンを完成させる最後の認証文をゆっくりと詠唱した。
「ファルデルエ・スレア・デュナミス」
すぐにシェリルの動きが止まった。エルデはそれを確認すると、エイルの時に流した涙を袖口で拭ってから、シェリルの右耳の上にあるリリエデールの髪飾りをそっと外した。その間もシェリルは全く無反応だった。
エルデは手に取った髪飾りをじっと見つめた後で懐に入れると、今度はベックに顔を向けた。
ベックと言えば、一連の行為をただぼうっと見つめていただけだった。
そんなベックにエルデは少し強い調子で声をかけた。
「しゃんとせえ、調達屋。この先はお前が頼りなんやで」
「え?」
「シェリルはしばらくこの状態やと思う」
「この状態って?」
「シェリルは今、再起動中や」
「え? 再起動? なんだそれ?」
「エイルが言うにはこういう状態をフォウではそう呼ぶらしい」
「だからこれはどういう状態なんだ?」
「たぶん、我ながらうまくいったと思う。エイルの要求は複雑すぎて緻密な設計はせなあかんし百個以上のルーンを使わなあかんし、ルーンとルーンの間に時間を空けなあかんしで、前準備からいろいろと大変やったわ」
「お前、なめてんのか。俺の質問に答えろ。シェリルは大丈夫なのか?」
「それは何とも言えんな」
「なんだと? さっきお前は」
エルデにくってかかろうとしたベックの鼻先にエルデはノルンの頭頂部を突きつけてそれを制した。
「お前さん次第やっちゅう事や」
「え?」
「今更こんなこと聞くのも何やけど、ベック、お前、シェリルに同情してるんやろ?」
「同情って……いや……まあそりゃしてるさ」
「そうか。ほんならもう少し突っ込んで聞くけど、その同情がもう少し強い思いになる可能性はあるんか?」
「どういう意味だ?何がいいたいんだ?」
「あんまりはっきり言うたら身も蓋もないし、人によって言葉のとらえ方は様々や。そやから曖昧な聞き方をしてる。言葉は言葉だけの意味や。結論を聞いてるんやない。それに質問してんのはこっちやで。サクサク答えーや」
ベックはシェリルに目を落とした。
「まあ、そりゃ……。いや、もちろん同情以上になりかけていないこともなかったり……いや、もう既に単に同情とかいうんじゃ……」
「はい、そこまで」
「は?」
「それを聞けたらもうええわ」
「いや、さっきから意味がわからないぞ、お前」
「シェリルが『再起動』するまで、手を取ってやってくれ」
「え?」
「早よう」
ベックは言われるままに、エルデから差し出されたシェリルの力のない手を握った。
「目が覚めたら、とりあえず名前を呼んでしっかり抱きしめてやり。そうしたらシェリルは元気になる」
「はあ?」
「と言うことや。シェリルの事は頼んだで。俺はちょっと後始末してくるさかい。あ、くれぐれも自然に目が覚めるまで声かけたり揺すったりしたらあかんで。死ぬから」
「えええええ?」
「そういうことで」
「待て待て待て!」
ベックは批難の声を上げたが、シェリルを残してさっさとその場を去るエルデを追うわけにも行かず、両者を見比べた後、覚悟を決めてシェリルの前にあぐらをかいて座り込んだ。
シェリルはその間も瞬き一つせず、そのままの格好でベックに手を預けるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます