第四十六話 鳶色の瞳のシェリル 3/8
エイル達一行の旅も通算するともうそこそこの日数になっていた。そうなるといきおい、それぞれの役割のようなものが確定してくる。
基本的に一行の旅の食事は携行食主体の簡素なものだったが、それでも朝食には火を使った暖かいスープやあぶったベーコンが添えられるなど、その日一日の始まりにあたってささやかな、そしてそれでも気分が多少なりとも贅沢になる一品が用意されるのが普通だった。もちろんそれはアトラックの気配りであった。
アトラックはそれを全く嫌がらず、むしろそれこそが自分に与えられた天職かのように機嫌良く当たり前のようにその役目をこなしていた。
火を熾すのはエルデがルーンを使って一瞬で済ませていたので、アトラックの仕事の何分の一かは軽減されているのは間違いないが、毎回皿代わりの大笹にパンを切って並べたり、その上に切り取ったベーコンをナイフにさしてあぶり、それをまた各自のパンの上にきれいに並べたり、場所によっては手に入る木苺やスグリなど自然の恵みをパンに添えたりするのはすべて早起きのアトラックが一人でこなしていた。
聞けばル=キリアでも彼がいつもその担当だったというからエイルは彼のまめまめしさに頭が下がる思いだった。
あまりに感心したので、エイルはその件についてアトラックと話をしたことがあった。
「仕方ないだろ。俺のいる小隊の異常な構成を見ろよ。俺以外は中将と少将と中佐だぜ?佐官とはいえ一番下っ端の俺がやらなくちゃならないのさ」
そういうアトラックの口調はしかしやらされているという義務感が漂っていない。
「それに、なんというか俺はこういうのが嫌いじゃないんだよ」
そう言って目を細める。
「司令……じゃなくてリリアさんがおいしいと言って笑ってくれたり、ファルさんが無言でがっついてくれたりするとなんかこう、ものすごくうれしくなるんだよな。それに、リーゼが俺の出したもの全部食べてくれると『よし、やった』って気分になる」
「そういうものなのか?」
「ああ、俺はそういう細々とした日常仕事をするのが好きなのかも知れないな」
「たしか、アトルって貴族の出とか言ってたよな?」
「ああ、俺も軍に入るまでは全部やってもらってた方だ」
「天啓を受けたってやつ?」
「さすがにそれは大げさだな。俺がやっているのは簡単な食事の準備をするだけだ。料理人じゃないんだからちゃんとした調理ができる訳じゃないさ」
「でも、部隊に無くてはならない人間、だろ?」
「まあ、俺がいないと単純に三食冷たい携帯食料になるだけで、困ることはないだろう」
「いや、それはきっとものすごく味気ない食事だって。みんなアトルには感謝してると思う」
「感謝されるとかそういうのはどうでもいいけど、一つだけ自慢できることはある」
「何だ?」
「シルフィードの将校は数多居るが、佐官で俺よりベーコンを薄く切れる奴は居ない」
「はあ?」
「お前のベーコンは薄すぎる」
話し込んでいたエイルとアトラックの後ろをたまたま通りかかったファルケンハインが、アトラックのその言葉を聞いていたのだろう。通り過ぎざまにそう一言つぶやいて去っていった。
アトラックはファルケンハインの後ろ姿を見ると肩をすくめて愚痴を言った。
「ティアナにもそれとなく同じ嫌みを言われたな。まあ、メッダあたりの人間はベーコンは厚ければ厚いほどいいと思ってるんだよ。俺に言わせるとわかっちゃ居ないね。サラマンダのベーコンは塩が強目で熟成期間が長いのが多いから薄めにしてさっと炙って食う方が風味を味わえて一番うまいんだぜ」
【どうでもええ】
『ベーコンの薄さの事はともかく、アトルが妙に細かいところにうるさいって言うことはわかったな』
【いや。俺たちには風味というか、味とか関係あらへんし……】
『思い出して落ち込むから、そういうことを言うな』
【はあ〜】
当初はそんなアトラックをシェリルが手伝おうとしたが、ゲリラ組織に居たとはいえ、シェリルの腕前は基本的にそれなりの調理器具やちゃんと皿の形をした食器などがある環境で発揮される正統派のそれである。皿もなく普通の鍋もなく何もかもが特殊な状況を前にして、初日から途方に暮れるシェリルの様子を見かねたアトラックは一計を案じた。すなわちシェリルを紅茶専門の料理番に任命したのである。
アトラックから小さな鍋をお茶専用品として与えられ、うまい紅茶を淹れる事を命じられたシェリルは、困難な状況の中にあっても喜んで与えられた使命に正面から格闘し、すぐにその課題を克服してみせた。
それは一行の隊長的な立場であり、かつ紅茶の味には一家言を持つアプリリアージェをして「すばらしいわ」と恍惚の表情を浮かべさせるほどのできばえであった。
そしてその朝、いつも通りの簡単な食事が済んだ後に、珍しく二杯目の紅茶をアプリリアージェにすすめに来たシェリルだった。
「まあ、うれしい。二杯目がいただけるなんて、なんていい朝でしょう」
アプリリアージェは本当にうれしそうにそういうと、目を細めて手に持っていたカップをシェリルに差し出した。重ねて収納できる携行用の簡易なカップだが、そのカップのおかげでお茶を楽しむという少しだけ優雅な時間を持つことができる、極めて大事な装備品と言えた。これもアトラックが揃えたものだった。
「あっ」
シェリルは差し出されたカップに紅茶を注ごうとして、手元を狂わせた。そのため少し紅茶が地面にこぼれたが、幸いに熱い液体がアプリリアージェの体にかかることはなかった。
「ご、ごめんなさい」
「いえいえ。気にしないでください」
シェリルは動揺したのか、手元を震わせながらも今度は慎重にカップに注ぎ終わると、ペコンと小さく礼をして、半ば駆けだすかのように急いでその場を去って行った。
その様子を見たアプリリアージェが不審そうな顔をしたのもムリはなかった。シェリルはアプリリアージェのすぐ近くに座っていたエイルとティアナにはお茶をすすめるでもなく、まるで敢えて無視するように視線も交わそうとせずに素通りをしていったからだ。手ぶらのティアナはともかく、エイルは空のカップを所在なげにぶら下げていたにもかかわらず。
シェリルが手に持っていたポットの中にはたっぷり四人分程度のお茶が入っていたであろう事を注がれるポットの角度でアプリリアージェは確認していたからだ。
アプリリアージェはそっとカップに顔を近づけるとその香りを深く嗅ぎ、目を伏せて何かを吟味するように数秒の間じっとしていたが、顔を上げるとカップには口をつけず、立ち去ったシェリルの後ろ姿を目で追った。
エイルも今の不自然なやりとりを怪訝に思っていた。アプリリアージェを見上げると、視線を感じたのかダーク・アルヴもエイルに顔を向けた。
当然目があった。だが、その時のアプリリアージェの表情はいつもの穏やかな微笑みとは少し違っていた。眉間に皺を寄せて、少し困っているような、もしくは悲しんでいるように、エイルには見えた。
アプリリアージェはエイルに何かを言おうとして口を少しだけ動かしたが、開きかけた唇はしかしすぐに閉じられた。それを見てエイルが声をかけようと息を吸った時にはアプリリアージェはエイルから視線を逸らして、手に紅茶が入ったカップを持ったままでアトラックとシェリルが後片付けをしている方に向かってゆっくり歩いて行った。
『おい』
【ああ、ちょっと様子が変やな】
『リリアさんのあんな顔、見たことがない』
【エイル……】
『うん』
エイルは立ち上がるとリリアの後を追った。ティアナもその後を追った。
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