第三十九話 神の空間 5/5
先頭を歩いていたエイルはアプリリアージェを振り返ると、今度はニヤリと笑って見せた。
「勿論、『らしい』という話なんやけど、たぶん間違いないやろ。少なくともあそこはエアやったし、奴が空間を解放した後はちゃんとルーンが効いた。情報の出所は同じや。信憑性は高いで」
「それ程までの力を持っているのですか、「三聖」ともなると」
「ああ。でも奴は神やない。神の空間にも絶対に弱点はある。敵としていきなり出てこられてたらあそこですべてが終わってたやろうけど、無傷で一度体験させてもらえたのはホンマに幸運やな。対策は俺が絶対考えて見せる」
「あなたは……」
「ん?」
「いえ」
「三聖」と渡り合うつもりなのか?と問いかけてアプリリアージェはその言葉をまた抑えた。
そして先刻のエイルの表情の変化を心の中で追いかけてみた。
……いきなり現れた際の戸惑いと驚きの表情。
虚を突く【蒼穹の台】の出現にまずエイルは先手を完全にとられ、焦燥感を持った。警戒したエイルはおそらくすぐさまいくつかの防御ルーンを唱えてみたが、全く発動しない。
そこで彼は軽い恐慌状態に陥った。だがそれも一瞬の事。エイルはすぐさま我を取り戻し、今度は敵の分析を始めた。
相手の姿形と今起こった現象を手がかりに、それを記憶と知識に照らし合わせたエイルは、瞬きを数回する程度のごく短い時間で正解を導き出す事に成功した。会ったこともない人間を記憶の海に沈む名簿に照らし合わせて特定して見せたのだ。
アプリリアージェは、改めてエイル・エイミイという賢者がただ者ではないということを認識しなおした。驚くべきはそのルーンの力の強弱ばかりではない。むしろあの状況で精神状態制御ができる強靱で冷静な意志と分析力の高さに舌を巻いた。
そしてその後、つまり、相手が特定が出来た後の対処については、運がある程度支配した結果とは言え、それを呼び込む為の行動が伴っていたことは否定のしようがなく、やはり見事というしかないと感じていた。
とっさにアプリリアージェ達の行動を抑制できたのは、状況を俯瞰できるまでに動揺を収束させていたからであるし、その時にはすでに次の手を考えはじめてもいたのだろう。
おそらく彼には【蒼穹の台】に関するそれなりの情報がすでにあった。だから彼の言動を認識し、それどころか巧妙に自分の思う方向へ導く事もできたのかもしれない。
賢者エイミイが口にした言葉の数は【蒼穹の台】に比べるとかなり少ない。相手にしゃべらせて、その方向を制御するためにもっとも効果的な言葉を選んだ。そして最後にはエイル・エイミイが主張する事が出来る権利を、相手の口からしゃべらせる事にまで成功したのだ。
幻の存在とまで言われるマーリン正教会の真の頂(いただき)である「三聖」を相手に、そこまでの対応が出来るとは……。しかもとっさに、である。
さらに今回、アプリリアージェ達には一つ明らかになったことがある。先日出会った賢者、【二藍の旋律】よりも、彼は賢者として「上位」だと言う事実である。
賢者どころか、マーリン正教会内での席次は絶対だという事はアプリリアージェ達のような士官以上の人間にとっては言わば常識のようなものである。なぜなら、それは軍における階級と同義であるからだ。
だが、それは同時に賢者エイミイに関する新たな謎を浮上させた。
上席ではあるが、その名は名乗らない。
たとえ「三聖」に請われても堅く口を閉ざす。
明かすのは現名のエイル・エイミイという名前だけ。
賢者にとって現名などは意味がないと言う。それなのになぜ賢者同士で名乗らないのだろう?知られてはまずい名前なのか、あるいはお尋ね者か?
いや……。
アプリリアージェは心の中で首を横に振った。
賢者の掟に触れる事はしていないとエイルは言ったのだ。それは嘘ではないだろう。【蒼穹の台】もそう思っていたから追求はしなかった。
一つ謎が解けると、違う一つの謎が生まれてくる。
――それにしても可笑しいのは……。
アプリリアージェはそこまで考えて、ある事に思い至ると笑みが大きくなってしまうのを押さえられなかった。
もともとその役はエイルが行う事で作戦は決まっていた。そしてそれは彼の言葉を借りれば「完璧に行えるもの」だという。つまり自分がやるはずの手間を【蒼穹の台】に押しつけたのだ。
話の流れから察するに、エイルはあの時【蒼穹の台】に対してもっと「本当に役に立つ」事を依頼することが出来たはずだ。【蒼穹の台】が与えることが出来る事柄はおそらく想像するまでもなく多岐にわたるに違いない。それを全く顧みもしないで、まさに「雑用係」を言いつけて見せた。
理由は、「あとでザマアミロと言いたかったから」。
あの場合、おそらくは他の賢者仲間であったら喉から手が出るほど知りたい呪法などを無心したことだろう。だが、エイルはそれらには一切興味を示さなかった。
本当にただニヤリとしてみたかっただけなのだろう。
(本当に子供と変わらない)
だが、その子供っぽいところのある少年は上位の賢者であると言う。
少なくとも【二藍の旋律】ラウ・ラ=レイよりも上位であるのは彼自身が【蒼穹の台】に告げたことだ。
「今回の件でつくづく思いました」
長い沈黙の後でアプリリアージェがいきなりそう声をかけたので、エイルは思わず振り返った。
「あなたを敵に回さないでよかった」
そう言うと、満面の笑みを浮かべて小さく首をかしげて見せた。
エルデはアプリリアージェがそのとろけるような笑顔と共に口にした、くすぐったい言葉に思わず赤面して、慌てて顔を前方に戻した。
「あ、当たり前や。俺を敵に回す奴はこの世に生を受けたことを後悔するにきまってるんやからな」
「あ、勘違いしないで下さい」
「え?」
やや紅潮した顔が戻らないままでまたもやエルデはアプリリアージェを振り返ることになった。
「今のは自分を褒めたんですよ」
「自分を褒めた?」
「ええ。さすがは私。なんて的確な判断をしたんだろうってね」
「くっ」
「あら、赤い顔のエイル君も可愛いですねえ」
そう言われたエイルの顔がさらに赤くなった。
ただし、今度は怒りで。
【こ、このオバハンっ!】
『よせ。っていうか、もういい加減認めるんだ。オレ達ではこの人には絶対かなわないって』
【くそっ!そんなもん認めてたまるかっ!】
『いやいやいや。無理。静まれって』
【あああああ、なんかむっちゃ悔しいっ!】
「ああやってるのを見ると……」
「ああ」
アトラックの問いかけにファルケンハインは思わず言葉に出してうなずいた。
「ただの子供だな」
「まったくですね。ただの子供のくせにとんでもない奴」
小声でそう呟くと、アトラックは優しい眼差しで先頭を行くエイルの後ろ姿を見やった。そしてハタと気づいたように後ろを振り向いた。
そこには、小柄な、もう一人のとんでもない子供が黒い仮面をつけてうつむきがちに歩いていた。
アトラックは優しい眼差しを崩さずに少年の視線を探った。アトラックが振り返っているのに気づいたテンリーゼンは少し顔を上げたが、二人の視線が交錯するとアトラックは目を伏せて小さく黙礼し、視線を前方に移した。
(やれやれ。本当にとんでもない子供ばっかりだな。俺の周りは)
心の中でそう呟くアトラックの顔には先ほどよりもずっと優しい微笑が浮かんでいた。だが、それに気づく者はいなかった。
アトラックは前を行く頼もしいルーナーの背中を見て、ふとあることを思い出した。
「あのさ、エイル」
「ん?」
エルデはアトラックのかけた声に振り返った。そこにはニヤリと笑う顔があった。
「あの結界さ」
「結界?」
「うん。大ルーナーのエイル・エイミイが作った結界は確か、『破れる奴はこの世にいない~』じゃなかったっけ?」
大きな危機を今し方脱したばかりだというのに、アトラックはすでにエイルをからかうネタを思いついたらしかった。
それこそがアトラックの良いところなのだろうが、もちろんエルデは苦虫を噛み潰したような顔をすると、そっぽを向いた。
「俺はウソは言うてへん」
「ほおー」
「そんな『人間』はいてへん」
「え?」
アトラックはまだ何か言いかけたが、エルデは歩く速度をあげて、アトラックから距離を取っていた。
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