第二十三話 二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)3/3
「おおきに。流石にちょっと血を流しすぎたみたいやな。情けない事にこれ以上立ってられへんわ」
エルデは心配そうに見つめるファルケンハインにエイルの黒い目で目配せをして見せた。
ファルケンハインは首を振った。
「もう喋るな。黙っていろ」
「うん」
エルデはもう目を開けていられないという風に素直に目を閉じると息が上がった苦しそうな声でファルケンハインに言った。
「頼みがあるんや」
「なんだ?」
「悪いんやけど、これからカレンをランダールまで送ってやってくれへんか? ルドルフのおっちゃんがえろう心配してるはずやし」
ファルケンハインはチラとアプリリアージェの方を見たが、彼女が意思表示をするのを待つ前にエルデに尋ねた。
「ある意味、このまま行方知れずにしておく方が良くはないか? 適当な所を探して遺体は俺達で丁重に荼毘にふしてやろう」
「確か火葬はシルフィードの慣習やったな。残念ながらサラマンダやウンディーネはまだ土葬が慣習やで」
「わかった。では適当なところに埋葬してやるとしよう」
「いや、っちゅうか、そうやのうてカレンはまだ死んでへんねん」
その言葉でその場にいた全員が一斉に固まった。
「ラウの……呪法が発動する前に……こっちの呪法でそれを止めた」
「この状態で生きているというのですか? 心臓も止まっていますよ」
カレナドリィの腕をとっているアプリリアージェの問いかけに、エルデは目を閉じたまま辛そうにうなずいた。
「大丈夫。肉体は生きてる。ただ、生きてるって言うても目を覚ますことは二度とあらへんやろうけど」
「え?」
「死んでへんから腐ったりもせえへんけど、目を覚まして動き出すことはもうない。しゃべる事もない。笑うことも、泣くこともできへん」
「どういう、ことなんだ?」
「ラウの呪法にかかった時点でカレンの精神は呪法の発動現力になって消滅してもうて、その魂はここに来た時にはもう跡形も残ってへんかった。さすがに【二藍の旋律】の名を冠する賢者の呪法や。いくら俺でも解除することは不可能やから、術自体を俺の呪法で凍結した。いや、正確に言うと俺のかけた呪法の優先順位を上げた訳や。そやから俺の呪法を解いた瞬間、ラウがかけた呪法が発動してカレンの体は中から崩壊するやろ」
「崩壊?」
エルデは力なくうなずいた。
「あの術はエグい。破裂して脳みそや内蔵が四方八方に飛びだしてどうしようもなくなるやろな」
「そんな」
エルデの言葉にエルネスティーネが口を押さえて言葉を飲み込んだ。大きく見開かれた瞳からは涙があふれた。もう、ずいぶん前からエイルの姿を見て泣いていたのだ。ただ、声をたてずにいただけだった。
危機が去ったと言うことでハロウィンと共に隠れていた一行もエイルの体を囲んでいた。
アトラックと言えばエルデの言葉を聞いて思わずゴクリと唾を飲み込んでいた。思いの外大きな音で、彼はそれがみんなに聞かれたのではないかと思って思わず周りを見渡した。シェリルにいたっては何も言葉が出ないほどショックを受けていた。
「話を総合すると、お前がカレンの中にある時間を呪法で止めたという事か?」
「めっちゃ適切な表現やな。そやから、このままルドルフの元へ。あ、そうやった」
エルデは思い出したように目を開けると、右手を伸ばしてその指先を傍らに横たわるカレナドリィの足下に向けると、何事かを小さく呟いた。すると切り傷だらけでひどい状態だった足の裏や指の傷が淡く光り、みるみる回復していった。
「せめて綺麗にしてやらんとな」
「回復ルーンか」
エルデは力なくうなずくと、目を閉じて伸ばしていた右手をだらんと落とした。
「おっちゃん、悲しむやろうなあ。でも……頼むわ。礼はする、から。あと、ランダールでラウに襲われる心配も……ない。アイツはさっきので多分一週間やそこらは意識がないはずや。……視力はさらに一週間くらい回復せえへんやろ。……あ、そやからルドルフには……」
喘ぎながらなんとかそこまで言ったところでエルデの意識がなくなった。ファルケンハインが顔を上げるよりも速く、いつの間にかエルデのそばに座り込んでいたハロウィンがエイルの手首をとった。
「呪法とは確か、ルーンとは違い、何らかの捧げ物……対価のようなものを発動現力として使うのでしたね?」
手首を終え、首筋から脇に手を挟んで脈を診ているハロウィンに、ファルケンハインは訪ねた。呪法を使ったというエルデの言葉が気になっていたのだ。
「ああ、今の二人の会話から察するにラウという賢者はカレンの精神そのものを対価に使ったということのようだな」
「では、エイルがラウにかけた呪法は何を発動現力に使ったのでしょう?」
だが、ハロウィンはその場ではその質問に答えなかった。
「脈は弱いが規則正しい。たぶん大丈夫だろう。今はできるだけ安静にしておくことが一番だろうな」
ハロウィンは顔を上げた。すると同じようにカレナドリィのそばに来て膝をついているアプリリアージェと目が合い、そう告げた。
脈をとっていた手をそっと戻すと、今度は血まみれで赤黒く染まっている着衣をまくり上げてカレナドリィに刺された傷口を確認した。
すると、傷を見たその目が何か恐ろしい物を見たかのように見開かれた。だが、ハロウィンは何も言わず、懐からとりだした短剣を器用に使い、血で濡れたエイルの着衣を切り裂き肌着だけの姿にすると、アトラックに彼の荷物を持ってくるように言いつけた。
ハロウィンがアトラックから手渡された背嚢から取り出したのは、アルヴスパイアのマントと言われていたもので、つまりは一行が羽織っているものであった。
「これを彼に使ってもいいだろうか?」
「ええ。おやすいご用です。それに、お礼もしないといけませんからね」
「お礼?」
「ある意味で彼は命の恩人かもしれませんしね」
「そうかもしれんな」
そうかもしれない、とアプリリアージェも思った。
【二藍の旋律】という名の賢者がどのような力を持っているのかは知るよしもないが、ひょっとしたらここに横たわっているのは我々の中の誰かであったかもしれないのだ。
おそらく……
アプリリアージェはすでに軍人としての思考を働かせ始めていた。
二藍の旋律という賢者はエイル・エイミイという人物を偽物と決めつけて甘く見すぎていたのではないか。
だからカレナドリィを後追いさせてぶつけるという、およそ「策」ともいえない場当たりの戦術をとった。エイルが手強い相手だとわかっていたら、もっと緻密で確実な手法を選んだろう。失敗した場合に備えて二重三重に……。その場合、狙われるのは我々旅の同行者の中の複数人であろう。
そう考えると自らの想像にぞっとした。
そしてこれから自分達が関わるかもしれない敵の計り知れない強さに軽い恐怖を覚えた。
(カレンには本当に申し訳ないけれど、今私たちが賢者の存在とその力の一端を垣間見たことは幸運だった)
一行が見守る中、ハロウィンはアトラックの予備のマントでエイルの体を器用に包み込むと額に手を当てて体温をみた。
「多分大量の失血で気を失ったんだろう。この出血じゃ今まで持ちこたえていたのが不思議なくらいだよ」
ハロウィンは血みどろの着衣とマントをまとめると、懐から皮の巾着を取り出して中に入っていた黄色い粉を振りかけて、手をかざした。
するとバッという音がして大きな炎が発生し、ゆっくりとエイルの服を灰に変えていった。
痕跡を残さないために焼いたのだ。
「それと、ファル」
ハロウィンは小さな声でファルケンハインに声をかけた。
「なんでしょう?」
「さっきの答えだけどね。呪法のもっとも一般的な発動現力は呪者の血なんだよ」
「なんですって?」
失血死してもおかしくないような状況で、さらに血を使う呪法を行ったというのか?
「そんなことをして、こいつは本当に大丈夫なんですか?」
ファルケンハインがマントに包まれたエイルを抱いたままで尋ねた。
だが、ハロウィンは力強くうなずいた。
「この坊やが本当は何者なのかはわからないが、少なくとも外科医としての能力は私より上のようだ。何をしたのかはわからないが、驚いたことに傷口はもう跡形もなく治っている」
「何ですって?」
「君も見ただろう?今のカレンに対する足の傷の治癒といい、そうとう強力な力を持っているのだろうな、この子は」
アトラックの問いにハロウィンは大きくうなずいた。
「ただ、さすがに賢者殿でも傷口は塞げても血液はすぐには作れないようだな。血圧低下と体温低下はあるが、危機的なほどではない。本当ならもっと冷たくなっているはずなんだが、おそらくそっちの方の対策もやってあるのだろう。まったく驚愕のチビさんだよ」
その言葉を聞くとようやくファルケンハインに安堵の表情が生まれた。そして顔を上げるとアプリリアージェの方を見やった。次の指示を仰ぐためだ。
「で、どうするね?」
ファルケンハインだけでなくその場にいた全員を代表するような格好でハロウィンがそうアプリリアージェに尋ねた。一体何が起こったのかがわからないうちに突然現れた一人の少女と、その少女によって傷ついた旅の仲間の一人がともに横たわっている傍を、数人の少女達が無言で取り囲んでいた。
「まず、ここはエイル君の頼みをききいれましょう」
司令官の言葉を聞いてファルケンハインは安堵した。
「アトル」
「はい」
「あなたはカレンをノイエさんの元へ。いらぬ作り話は無用です。事情は我々が見知った範囲で包み隠さず伝えてください。それがせめてもの誠意というものでしょうから。ただし、賢者【二藍の旋律】の名前、そして姿形は一切伏せて下さい。我々が見たわけではないので嘘にはなりません。その後速やかにこちらに合流してください」
「了解」
「そしてノイエさんに私からの伝言を。『絶対に犯人を捜そうとするな』と。普通の人間に歯が立つ相手ではなさそうです」
「委細了解」
それだけ言うと、アトラックは早くもカレナドリィを抱きかかえて肩に乗せると、強い風に押し出されるように駆けだした。
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