第十七話 大市と黒目エンドウ 1/3
『本当にけっこう賑わってるよな』
アプリリアージェに啖呵を切りに行ったものの、体よくあしらわれた格好のエイルは、その後とりあえず大市に顔を出すことにした。
火事騒ぎはあったものの、大市の開催には特に影響もなかったようで、広場は活気のある喧噪に包まれていた。
[せやな。こんな辺鄙な高原地帯にしては街構えもかなりのもんやし、流通の拠点になる街っていうのは額面通りっちゅう事やな。このご時世でこの賑わい……中央からの干渉がないのがホンマに不思議なくらいや]
『それはやっぱり場所が場所だから、か?』
[それ以外には考えられへんな。ワザワザやってくるにしては中央からはかなり遠いし、歴史的に見るとこの辺は昔から独立地帯みたいなもんやしな。加えて街の私設軍みたいなものもしっかりしている。この町に入る時に見たやろ?]
『入り口の哨兵か?』
[そや。歩哨にあたっている連中の武装がちゃんとしたものやった事、その兵装をきっちり着込んで隙がなかったこと、同じく武器がちゃんと手入れされていたこと]
『統率された組織があるってことだな』
[それは規律がちゃんとあるっちゅう事やな。まあ、本物の軍隊が数でかかってきたらかなわへんやろうけど、城塞の町って言うだけあって籠城戦に入ったらかなりネバれると思うで。もちろん双方の司令官の力量差にもよるけどな]
『ふーん。参考までに聞くけど、ランダールの指揮官がエルデ・ヴァイス司令官なら、どのくらい籠城できる?』
[正確な戦力と食料や水、矢なんかの消耗備蓄品の目録があればある程度言えるやろけど、この町にはふんだんに湧き水があるし、つまりは食料が尽きるまでは大丈夫やと思う。問題は]
『問題は?』
[援軍の存在やろな。付近に似たような城塞の町があれば、同盟することでお互いを助けられるんやろうけど……]
『ランダールの近くには確かにたいした街はないよな……どこも一週間くらいかかるんだろ?』
[ああ。補給線を考えるとチト辛いところやな]
『ふーん。まあ、どっちにしろ俺たちには関係ないけどな』
[そやな]
『お!』
[ん、どうした?]
エイルは色とりどりの農作物が並ぶ露天筋に入り込んでいた。店先にはエイルが知っているものもあれば初めて見るものも多かった。野菜、果物、穀物、それらも生だけでなく乾燥させたものや砂糖漬け、発行させたような食品もあった。
その中でエイルが思わず足を止めたのは様々な豆を扱う露天の店先だった。
『これって小豆かな』
そう言ってのぞき込んだ値札には『黒目エンドウ』と書かれていた。
『黒目エンドウねえ』
[アズキって?]
『コレにそっくりな豆だよ。オレが住んでいた地域ではどっちかというと高級豆で、祝い事なんかには欠かせない食品の原料なんだ』
[へえ。でも黒目エンドウっていうのはあまり聞いたことのない豆やな。俺も他の市では見たことないと思う。だいたい黒目って]
『ピクシィの事か?』
[ちゃうちゃう。単純に色合いやろうな。黒というより赤黒い感じやな。色が悪いからあんまり使われへんのかな。豆自体もちっちゃいし]
『なるほど。つまりこっちではあまり一般的な豆じゃないんだな?』
[多分な。少なくとも俺は食べたことないなぁ]
『ふーん、そうか』
その時だった。
「あら、エイル君ってお豆が好きなの?」
背後で聞いたことがある声がした。
澄んでいて明るくて、人なつっこそうな声。
とっさに振り返ると、そこにはたんぽぽ色の髪を大きく三つ編みに結わえて胸に垂らした青い瞳のデュナンの少女が微笑みながら立っていた。
「カレン!」
思わぬ人物から声をかけられたエイルは目を見開いた。
「も、もう大丈夫なのか?」
「見ての通り、平気平気っ」
背後に突然現れたカレン……カレナドリィ・ノイエはそう言ってエヘヘと笑って見せた。
エイルは目の前の少女の顔をまじまじと見つめた。確かに元気そうに見えた。
気を失っている間のことは覚えては居ないだろうが、自分の身に何が起こったのかはルドルフから聞かされて知っているだろうに、この明るさはどうだ? 少なくともエイルが見る限り、出会った時に見せてくれたあの笑顔となんら変わらない翳りのないまぶしい顔がそこにあった。出会った時との違いを敢えて挙げるならば、それは一つだけあった。鼻の上に張られた小さなバンソウコウの存在がそれだが、しかし春の野に力強く花のようなカレナドリィの顔には、それさえも引き立て役に見えた。
[あ、しもたな。あの鼻の傷は見落としてたわ。あんな目立つとこやのに。っちゅーか、鼻なんて見落とすわけないって]
『だよな。オレも鼻のケガなんて気づかなかったぞ』
「そうか。でも、まだ傷が残ってるじゃないか」
「ん?」
「いや、その鼻」
「ああ! これね」
カレナドリィは自分の鼻先を見ようと目玉を極端に下を向かせて努力したが、すぐにあきらめて少し顔を赤くしてえへへと笑って見せた。
「これは、その、ニキビ。今朝起きたら真っ赤になってて……それで」
それだけ言うと、カレナドリィはまた「えへへ」と照れたような笑いをしてみせた。
[なんや、吹き出物かよっ。心配して損した]
『いや、そこはニキビと言ってやれよ』
[吹き出物の面倒までは見ぃひんで]
『はいはい、ニキビニキビ』
エイルはその笑顔が眩しくて、自分でもわからないうちにカレナドリィから目を逸らすと、今まで眺めていた豆の山へと視線を戻した。
「豆のお買い物? あ、ひょっとしてルーンに使う、とか?」
「しっ」
エイルは慌ててカレナドリィを制した。
「それ、あんまり人に言わないで」
「えーっ、そうなの? じゃあ、エイル君が実は正教会の……」
「わああああっ」
エイルは今度は焦って両手を振ってそれ以上言うな、と制して見せた。
「ふふふふ。冗談よ。その事はお父さんにも厳重に口止めされてるから大丈夫。でも、聞いてすごく驚いちゃったわ」
そう言うとカレナドリィはまたもや嬉しそうに満面の笑みを浮かべて見せた。
エイルはというとがっくりと肩を落として心の中で悪態をついていた。
『おいおい、頼むぜ』
[天然なんか、策士なんかわからん子やな]
『天然ものに百エキュ』
[実は性悪女に千エキュや]
『なあ、オレ達二人で賭けをして、誰が儲かるんだ?』
[勝ったらとりあえずヒャッホーって言う気になる]
『まあ、そんなことより』
[うん?]
「とにかく良かった。元気そうでさ」
声に出してそう言うと、エイルは気を取り直して顔を上げた。そして出会った時と同じような、男物の作業ズボンと白いシャツを無造作に着た飾り気の何もない、それでも十分まぶしいカレナドリィの細い肩にポンっと手を置いた。
「で、だ。カレンが元気なのはよくわかったから、オレのことはそっとしといてくれ」
カレナドリィは首をかしげて見せた。
「どこか具合が悪いの?」
「少し頭痛がする」
「それは大変だわ。この町にはいいお医者様もいるのよ。今から呼びに行ってくるからここで待ってて。あ、それよりも一度ウチに帰って横になっていた方がいいわね。そのあと私が」
エイルはカレナドリィの肩に置いた手を頭に置き直した。
「え?」
「オレが悪かった。頭痛というのは嘘だ」
「嘘? なぜ?」
「いや、嘘だというのはちょっと嘘だな」
「ええ? どういう事?」
「つまり、カレンの予想外の元気さに圧倒されている、と言えばわかってもらえるか?」
「うん。よく分からないけど。あははは」
カレナドリィはケロっとそう言ってにっこり笑うと自分の頭に置かれているエイルの手を取った。
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