第十三話 宝鍵の守人 1/4
朝食でにぎわう蒸気亭の食堂では、ルドルフ・ノイエとエイル・エイミイがカウンターを挟んで向き合っていた。
話題はルドルフの娘であるカレナドリィの容態についてだった。
「そっか。良かったな」
「おかげさまでな。ただ、体中が擦り傷や青痣でけっこうひどい有様だったはずなんだが、さっき様子を見たら不思議な事に、それがもうきれいさっぱり消えてるんだ」
「へえ」
「顔の痣も取れて腫れもすっかりひいてるしな。まあ、さすがに疲れているのか今朝はまだ目を覚まさないが、夕べの時点ではもうすっかり元気だった」
「ひどい目にあったから体の傷より精神的な傷の方が心配だったんだけど、話を聞く限りだと、安心そうだな」
ルドルフは大きくうなずいた。
「それに関しちゃ大丈夫だ。ああ見えて芯は強い子だ。それから『賢者さま』には改めてお礼を申し上げたいと言っていた」
エイルはあからさまに眉をひそめて見せた。
「おいおい、オッサン。その呼び方はナシって言ったろ」
「おっと、そうだったな。だったらそのオッサンってのもナシで頼むぜ。こう見えても俺は結構若いんだぜ? ルドルフ兄さんと呼んでくれ」
「年頃の娘を持っているくせによく言うぜ」
「なんだと? 俺の娘が気になるのか? まあ無理もない。ちょっと……いや相当お転婆だがお前さんも知ってる通りランダールでも評判の器量良しだからな」
エイルは肩をすくめて見せた。
「あんたがランダールでも評判の親バカだっていうのはよくわかった」
「わっはっは」
ルドルフは豪快に笑うとエイルの肩をバンバンと叩いた。
「痛い痛い、暴力はよせ」
その日の朝、比較的早い時間にエイルは目を覚ますと、身支度もそこそこに食堂に下りた。そしてそこにルドルフを認めると真っ先にカレナドリィの容態を尋ねたのだ。
カレナドリィは術者であるエイルと直接、しかも深く関わっていたので、昨夜施した「忘却の暗珠あんじゅ」という呪法では記憶を失わなかった。もっとも意識に作用する呪法は気を失っている者に対しては効果がない。従ってエイルがルドルフに声をかけたのは口止めの念押しの為ではなく純粋にカレナドリィの容態を心配してのことだった。
ルドルフの話では意識が回復した時にはずいぶんと元気で、むしろドライアドの兵士達に自分で報復ができなくて悔しがっていたというほどの剣幕だったという。
「いや、カレンはああ見えて実は体術の方はかなりのモンなのさ。親の贔屓目じゃなく、その辺の男じゃ太刀打ちできない程だ。昨日はどうにも道端に転がってた死体を見て動揺しちまって油断があったらしくてな。あっさりやられたちまったのがよほど悔しいらしい」
「そりゃまた……」
「ああ。カレンと会って話したんならお前さんも知っていると思うが、普段はおっとりしてて人当たりも柔らかいし、見た目通りの優しい子なんだが、気に入らない事があると俺にも手に負えないくらいのきかん気振りでな。いったい誰に似たんだか」
[誰に似たんか教えてやった方がええんちゃうか?]
『いや、無駄だという気がしてならない』
[そやな]
ルドルフは娘の容態を心配すると言うよりも、むしろ娘の剣幕に呆れて苦笑していた。エイルはその話が額面通りのものとは思わなかったが、それでも少し救われたような気がしていた。
[カレンのケガは心配ないって、言うた通りやったやろ?]
『傷が消えているってのは、お前があの時』
[さあ、何の事やら]
二人がいる食堂の上には回廊があり、それは客室の廊下に続いていた。その回廊の片隅に佇み、エイルとルドルフのやりとりをじっと見つめている小さな影があった。ドールことテンリーゼン・クラルヴァインである。
屋内にもかかわらず、すでにマントを羽織り、布製とおぼしき目の廻りを覆う黒い仮面を付けていた。当時、このような布製の仮面を着用する者はそう珍しくはなかったようである。特にサラマンダでは。
それというのも戦争で目を失ったり顔に大きな傷を負うなりした者が、人前、特に公式な場に出る際には礼儀としてそれを隠す仮面を着用する習慣があった為である。そしてそれは本人にとっても周りの人間にとってもいろいろと都合の良いものだったのである。
当初はエイルの目には奇異に見えたその風習だが、テンリーゼンと出会う頃になると、もうすっかり慣れてしまっていた。
ただし黒い仮面は珍しかった。通常は肌の色に近い、もう少し明るい色のものが多かったからだ。
テンリーゼンがいる場所からはエイル達の会話の内容は聞こえなかったが、エイルの背中越しに見えるルドルフの表情が見て取れた。暫く笑顔を交えてやりとりしていたルドルフの表情が険しいものに変わると、テンリーゼンはそれを見て少しだけ身を乗り出した。もっとも、多少身を乗り出したからと言って声が聞こえる訳ではない事に気付いたのだろう。すぐに元の姿勢に戻ると存在感を消すかのようにその後はピタリと動きを止めた。
「なんだと?」
「今言ったとおりさ。知らないはずはないだろ?」
「ふうむ」
ルドルフは腕を組んで改めてエイルの顔をじっと見た。
黒い髪を無視すれば、デュナンに見える少年だった。年の頃はルドルフには十四歳か十五歳に見えた。
ここまではいい。
だが、問題はルドルフをまっすぐに見つめる濁りのない黒い瞳だった。
黒い瞳の人間はファランドールには存在しない事になっている。もちろん例外はあり、ごくまれにだが、かつて存在した人類の血を引くものから、隔世遺伝で生まれてくることがある程度である。
少なくともルドルフの知識ではそう言う事になっていた。
エイルはその、かつて存在した種、すなわちピクシィという人類の特徴である黒い髪と黒い瞳を両方受け継いでいたのである。
ルドルフはもちろん、当時からさかのぼって三千年も前に絶滅したと言われるピクシィという人類を知らない。だが目の前の黒い瞳の少年はピクシィの末裔に違いないと確信していた。そしてエイルの持つ黒い髪と黒い瞳からは、その線の細い顔の作りとは裏腹に、何か強い力を秘めているような気がしてならなかった。
だが、見た目で変わったところはその程度だった。
瞳髪黒色どうはつこくしきという特徴を除けば、その少年は神々しいとか、ひれ伏すほど美しいとか、およそそういった雰囲気とは縁のない普通の少年であり、昨夜の出来事がなければこの子供が世界に百五人しか存在しない特殊な力を持った異質な存在、マーリン正協会の賢者だとは絶対に信じないに違いなかった。
ルドルフは短い沈黙の後に口を開いた。
「だが、あれは預かり物だ。お前さんのもんじゃない」
「よく思い出してくれよ。預けたヤツはこう言ったはずだ。『必ず受け取りに来る人間がおるから、ウチが来られへん場合はそいつに渡してくれ』ってな。ついでに言うと、今のセリフは一字一句まで正確なはずだ」
「むう。確かにその通りだ。だが」
「あいつは俺と同じ瞳髪黒色。その特徴からもわかるだろ? あいつは俺の大事な友人だ。だが、あいつは都合があって自分で取りに来る事はできなくなった。それで代わりに俺がやってきたんだ。何なら預けた物が何かも言おうか?」
「そうだな。念のために言ってもらおうか」
「ハコノキでできたからくり箱だ。ルーンがかかってるあの箱を開けられるのは預けたあいつと俺だけだ」
「確かにからくり箱だが」
エイルは肩を竦めた。
[予想以上にバカ正直な預かり役やな。つーか、とっつぁん、早よ渡せって]
『立ち寄った用事ってのはそれか?』
[うん。超重要事項や]
『ふーん。で、その預けたヤツっていうのは本当に知り合い?』
[まあそうやな。いわくつきやけどな]
『来られなくなったっていうのは?』
[ま、ご想像にお任せするわ]
『そうか。残念だったな』
[おいおい、勝手にしんみりせんといてんか。調子狂うやんか]
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