第三十話:『玄関に居たナメクジに振りかけた塩のビン』

『おや、料理中ですか』

「なんだか角煮を食べたくなりまして」

『角煮ですか、脂身は柔らかいですが時折肉の箇所も食べたくなりますよね』

「そうですね、そういった意味ではばら肉がちょうどいいバランスだと思うのですが、一口味見してみますか」

『いただきましょう』

「はい、あーん」

『あーん』

「おっと発作中だった」

『バレてしまっては仕方がない。でも取り敢えず食べさせてください』

「人恋しさより食欲が勝るあたりは女神様らしい。しかしどうしたものか」

『あーんさせておいて放置は人として許せませんよ』

「仕方ない、あーん」

『あーん、もぐもぐ、美味しいですね。そしてついでに腕を捕獲』

「マジックアームです」 

『マジックアームで菜箸を使える技術に驚きですね。ちょっと拝借して……できませんね』

「発作時の女神様って好奇心も増加していますよね」

『その辺はさほど変わっているつもりはないのですが。さて、本題に移るとしましょう』

「手をワキワキさせてにじり寄られているのが嬉しさと恐怖の二重奏。取り敢えず以前使った抱き枕を」

『それ以前正気に戻った私が消滅させた気がするのですが、予備がありましたか。ですが今の私にはその程度、まやかしでしかありません』

「くっ、内側に暖房機能を付けておくべきだったか」

『人肌の温度なら確かに危なかったかもしれませんね。今度私の型以外で用意してもらいましょう。さあ捕まえましたよ。……はっ、これはぬいぐるみ』

「残念ながら変わり身の術です」

『そんな隙は与えなかったのに。ならばもう一度』

「そしてそちらが分身の術です」

『ぬいぐるみの中にいましたか』

「流石に1フレームで掴まれるのは回避できませんからね」

『ならそのまま捕まえておけば良かったですね。ですがもう逃がしませんよ』

「残念ながら異世界転生のお時間です」

『そんな、あと一時間あったはずなのに』

「発作対策に普段からずらしておいたのです。断腸の思いで」

『そこまで辛そうな顔をするなら素直に抱きしめられるくらい受け入れれば良いのに』

「普段の女神様が嫌がることはできませんから」

『普段の私を散々からかって処されているのは誰でしたっけ』

「取り敢えず抱き枕を渡しておきますので我慢しておいてください」

『私の抱き枕なら正気に戻った際に粉微塵ですが』

「では俺の抱き枕もセットで」

『それはそれで粉微塵だと思いますが。取り敢えずこちらを抱いておきましょう』

「気を取り直して目安箱、この危機的状況で引けるのは中々新鮮。では――危なっ」

『ちっ』

「一瞬で女神様と目安箱が入れ替わるとは恐ろしい。やはり事前に引いておいたのを使いますか」

『それ不正じゃないですかね』

「問題ありません、最初に開いたお題が採用されるので。地雷酒さんより『玄関に居たナメクジに振りかけた塩のビン』」

『中々出番の薄そうなお題ですね』

「そもそもナメクジに塩を振りかけるのは分かりますけど、別にナメクジ用に塩のビンを特注するわけでもないですからね」

『よっぽど頻繁に発生しているのであれば対策用として安価な塩を準備しておくといった家庭もありそうですけどね』

「俺はナメクジには熱湯派です」

※実際熱湯が有効です。

『この空間に現れたら消滅させるので特に用意するものはありませんね』

「実際後処理を考えるとそれが早そうですね。うーん、これは少し捻った設定を探してみるかな……お、これならいけるかな」

『端末よりも私に触れて欲しいのですがね』

「正気の時とは違った意味で怖くなる。中間くらいになってくれれば望ましいところなんですが」

『中間ですか……抱きしめなければ脊髄を生きたまま抜き取りますよ』

「想像できるのが辛いホラー。うーん、正気が強いですかね」

『そうですね、普段の私なら良く言っていますからね』

「さて、設定も十分だし行ってきますね」

『せめて頭だけでも撫でてもらえませんか』

「これ以上は胃に穴が空くので、それでは」



『正気に戻った私の手により私の抱き枕は灰燼に、彼の抱き枕は何度か使用後ボロボロにされて辛うじて残っていますが……もう使い物になりませんね』

「ただいま戻りました。おおう、マイ分身がバラバラに」

『スペアが来ましたか』

「代えがきかない本体です。やはり発作中でしたか」

『抱きしめられるなら何でも良いです、さあさあ』

「その抱き枕の惨状が今後の未来だと思うと逃げざるを得ない。取り敢えず抱き枕補充するので報告させてください」

『むう、報告は聞きたいので妥協しましょう』

「チョキチョキっと。はいどうぞ、中にホッカイロを忍ばせてあります」

『推定体温60度近い抱き枕ですね。ぎゅぎゅっと』

※ホッカイロは最高温度60~70度、平均50~55度です。

「あ、早速首がもげてる。まあ良いや報告しましょう」

『玄関に居たナメクジに振りかけた塩のビンでしたか』

「はい、舞台はファンタジー世界。魔王を倒し世界を平和に導いた勇者の実家の道場がスタートです」

『おや、既に倒されていましたか』

「勇者の名はレッシェ、正義感の強い子供好きな真面目系勇者です。レッシェは魔王を倒した後も道場を開いて戦士を目指す子供達に剣術や魔法を教えたりしていました」

※フレッシュな感じでレッシェ

『世界が平和になったと言っても戦闘技術が完全に腐るというわけではありませんからね』

「世界を救った勇者に鍛えてもらえる、宣伝効果バッチリで多くの門下生が道場に集いレッシェにとっては喜ばしいことでした。しかし集まる人物が多いと面倒な相手が寄ってくるのも世の常です」

『万人が善人と言うわけではありませんからね』

「その中の筆頭が魔王リニータです」

『魔王が当然のように、倒されたのではなかったのですか』

「倒したには倒したのですが、世界征服を阻止できた時点で勇者は魔王を見逃してあげたのです。と言うのもロリ系魔王を手に掛ける覚悟がレッシェには無かったのです」

『なるほど、子供好きな勇者にとってロリ系魔王にトドメを刺せと言うのは酷な話ですね』

「しかし実年齢は百年近く生きているので魔物としては幼いですが勇者よりは遥かに年上です」

『異種族の年齢差と言うのは複雑ですからね』

「そしてリニータはレッシェに惚れており、道場に姿を現したのです」

『ちょろい系魔王ですか、いえ命を見逃された関係ですし安易にちょろいと言うのは早計でしょうね』

「復讐しようとして道場を覗いていたら井戸で汗を流しているレッシェを見て惚れたらしいです」

『ちょろい』

「しかしレッシェとしては穏やかな人生を送りたい身、リニータを追い払おうと塩を撒きます」

『もしかしてその魔王』

「はい、ナメクジ系魔王です」

※Meghimatium bil・i・n・e・a・t・umより。ナメクジの英名です。

『性格ナメクジですか』

「ナメクジ系の魔物です。人型ロリなので可愛かったですよ」

『そうですか』

「ただロリ系とあってスタイルは女神様の方が断然良いですが」

『応援するとしましょう』

「弱者に優しい女神様。リニータは何度も姿を現すのですがレッシェは耳を貸そうとしません。姿を見せるたびに塩を振りかけて追い払います」

『好意を持たれているわりに勇者は意固地なようですね』

「レッシェとしては勇者と魔王が仲良くしていては魔王に怯えていた者達が不安になると思っていたのです」

『全くと言っていい程に脅威がなさそうな魔王ですがね』

「先代の勇者と魔王の戦いがあった時は世界に大きな被害があったそうですよ。先代魔王の娘であったリニータは先代の部下達に担ぎ上げられて魔王となったそうです」

『世襲制の魔王ですか、影響力はあれども実力は当人次第といったところでしょうか』

「結局人間に害をなそうとしていた魔族やらはレッシェが軒並み退治しちゃいましたからね。リニータにはその気を感じられずに放置といった感じです」

『そうなるとなおさら勇者への想いは募りそうですね』

「はい、何度も追い払われてもリニータは道場に姿を現します。しかしレッシェに取り付く島はありません。ある日レッシェの留守中、道場の玄関前で落ち込んでいるとリニータは俺を発見します」

『塩のビンでしたね』

「はい、リニータからすればいつも塩を振りかけられているので鬱憤の溜まっている相手というわけです」

『相手とは思っていないでしょうが、憎い物でしょうね』

「なのでリニータは憂さ晴らしと言わんばかりに俺をツンツンしてきます」

『無駄に可愛い』

「うっかり壊したらレッシェに怒られますからね」

『小心者ですね』

「罵倒され、つんつんされるのは良いとしてもいつまでも人の傍で落ち込まれていてはいい迷惑です」

『普通は罵倒されつんつんされることは良いとみなせないのですがね』

「今の女神様もダメですか」

『つんつんよりは撫でて欲しいですから』

「なるほど、今の会話中に距離が微妙に近くなっている。迂闊な発言は控えよう。それで俺はリニータに声を掛けることにしました」

『塩のビンがですか』

「塩のビンがです。流石に驚きましたね」

『でしょうね』

「レッシェの声真似もしていましたから」

『分かっていてその行動は感心できませんね』

「堅物のレッシェと共に行動するよりはリニータと行動した方が目の保養にもなりますし色々行動しやすいと思った俺はリニータに回収してもらうことになります」

『素直な報告ですね』

「瞬きしたら女神様が5センチ近づいていた。さて俺はリニータの気持ちを知り、どうにかレッシェと仲良くなれないものかと画策することにしました」

『今回はキューピッド役といったところですか。塩のビンに恋愛相談をするナメクジ魔王というのも斬新ですね』

「塩のビンだからといってしょっぱい結末にするつもりはありませんよ。レッシェが意固地なのは魔王のイメージが世間一般にとってよろしくないのが原因です。なので先ずはそのイメージを払拭させることにしました」

『貴方にしてはとても現実的な行動ですね』

「まずはリニータをアイドル魔王としてデビューさせます」

『そうでも無かった』

「そりゃあガッチガチに平和を訴える魔王として活動させるのも大事ですけどね。リニータの場合、魔王としての素質も殆どありませんでしたから。寧ろ開き直った方が戦略的効果を得られると判断したのです。別にリニータの魔王としてのイメージが下がったところで彼女には支障もありませんしね」

『適当に考えたように思えて冷静に分析していたのですね』

「最初は人前で歌い踊るアイドル業に抵抗を示していたリニータですがそこは俺の熟練の腕でカバーします」

『ビ・ン・腕・マネージャーですか』

「……えっ、あっ、はい。そうですそうです」

『その気の使い方は許せませんね』

「しまった、距離が10センチ狭まった。堅苦しい魔王のイメージから突如アイドルとして活躍を見せるリニータ、世間の目は容易く変わっていきます」

『過去に遺恨を残した魔王のイメージをそう簡単に払拭できるものですかね』

「魔王として行動すれば当然そのイメージが離れませんが初手に『なんだこいつ』と思わせ驚かせることができれば魔王である事実なんて麻痺しますからね」

『確かにファンタジー世界で魔王が歌い出して巡業し始めれば驚くしかないですからね』

「他にもこっそり俺が酒場等に紛れ込み、リニータのイメージ改善を行いましたからね」

『塩のビンなら紛れ込み放題ですね』

「先代に続く驚異的な魔王のイメージから『魔王も色々あるんだな』と認識させるまでそう時間は掛かりませんでした」

『世間の寛容性も中々だとは思いますが、きっと貴方の暗躍スキルの影響でしょうね。催眠魔法とか使っていそうです』

「催眠魔法は少ししか使っていませんよ」

『使っているじゃないですか』

「塩のビンが喋っていることに気づいた相手を黙らせる際に少々」

『隠蔽工作でしたか。物理的に黙らせなかった点は褒めるべきでしょうね』

「世間の印象を塗り替えることが出来たリニータはいよいよレッシェにアタックを仕掛けます。しかし新たな問題が発生します」

『貴方の上手く行った報告の後には常に問題が発生していませんかね』

「レッシェは硬派なのでアイドルと言った感じの子と付き合うのに抵抗があったのです」

『道場師範ですしね』

「いやもうどうし・お・うって感じですよ」

『……』

「無言で肩の触れる距離までにじり寄られた。ですが実は大した問題では無かったのです。いざとなればリニータはアイドル魔王を辞めれば良いだけですからね」

『確かに普通の女の子に戻れば弊害は無くなりますね』

「ただそれを望まない世間の声」

『世間に打ち解ける程度には人気がありますからね』

「ですがリニータにとってはもう気兼ねなくアタックし続ければ良いだけですからね。以前よりも強気でアタックし続けましたよ」

『魔王であるからと追い払われる理由は無くなりましたからね』

「俺を振ってレッシェに塩を掛けるくらいには強気でしたね」

『強きが過ぎる。根に持っていたようですね』

「レッシェも流石に驚きましたよ」

『ナメクジ系魔王から塩を掛けられる勇者は珍しいですからね』

「いえ、リニータの持っていた俺(塩のビン)が彼の所有物だったので」

『そう言えば元は勇者の雑貨品でしたね』

「盗難扱いされ話がこじれるのも面倒だった俺は先手必勝と言わんばかりにレッシェに挨拶します」

『事情を先に話してしまえば確かに盗難云々の話はどうでもよくなりますからね』

「見事な右ストレートがレッシェの顎を打ち抜きます」

『先手で挨拶代わりの一撃を入れましたか。そして腕が生えた』

「そりゃもうにゅっと」

『にゅっとですか。それにしても容赦ありませんね』

「そりゃレッシェにも言いたいことは多くありましたからね。自分の行為が原因で心を奪われたリニータが魔王という立場をアイドルにまで変化させてまで頑張って迫っているのに、抵抗感があるからと突っぱねるのはどうなんだと」

『塩のビンから言われるとは思わなかったでしょうね』

「まあ一撃でノックアウトしてしまったので俺の文句は聞き流されましたがね」

『勇者を一撃で倒す塩のビン、まあいつも通りですね』

「俺に殴り倒されたことでレッシェは深く衝撃を受けます。役職や立場を気にして意固地になったところで所詮は塩のビンに殴り倒される程度の体裁しか保てなかったのだと」

『塩のビンに殴り倒された程度と思えば確かに滑稽ですね。その塩のビンに勝てる存在はその世界にいなさそうですが』

「今回はレベル低かったですよ、リニータを複数回倒した程度ですし」

『塩を掛けて撃退した際に経験値入ってましたか』

「あとはアイドル活動中に何となく、涙目のリニータを見たくなった時とかに」

『なるほど』

「息が掛かる程もの凄く近い、これは終わったと同時に掴まれるかな。ええとそれでレッシェは反省し、とりあえずリニータの想いを素直に受け止めてみることにしました。試しに付き合うことになったわけですね」

『勇者も真面目ですから、魔王の気持ちを汲み取ることは難しくなさそうですね』

「ええ、俺の最期の時まで初々しくやっていましたよ」

『それで貴方の最期はどう言ったものなのですか』

「中に入っていた塩が尽きました」

『補充すれば良いのに』

「いえ、もうナメクジに塩を振る必要がなくなりましたから。俺の役目は終わったのです」

『それとは別に補充すれば良いのでは、普通に塩は使うでしょうに』

「レッシェは既に新しい塩のビンを購入していたので」

『盗難に遭いましたからね』

「十分だなと思った俺は二人に挨拶をして世界を去る事にしました。リニータは深々と頭を下げてお礼を言ってくれました。『しつこく玉砕するだけでロクな結果も出せなかった自分に変われる機会を与えてくれて、そしてこんなに素敵なハッピーエンドを迎えさせてくれてありがとう』と」

『文字通りナメクジのような人生にならずに良かったですね』

「俺は言います、『これはハッピーエンドじゃない。これからがお前のハッピーストーリーの始まりなんだ。俺はお前に塩を送っただけに過ぎない、敵じゃないけどな』と」

『勇者の塩のビンですからある意味塩を送るという意味であっているかと』

「レッシェは最後に一撃気合を入れて欲しいと言ったので顎を右ストレートで打ち抜いておきました」

『体育会系ですね』

「こうして俺は僅かに涙目なリニータと白目なレッシェに見送られて帰ってきたのです」

『気絶していましたか。報告は終わりでしょうか』

「もう少し手を伸ばすのをお待ちくださいな、お土産が残っています」

『もう貴方がお土産で良いですよ。……はっ、これは抱き枕。中身も……ホッカイロ』

「お土産は同じ型の塩のビンとリニータのアイドルポスター、DVDです。何とか回避に成功しましたね」

『転生先の体だったら正気に戻った時に処分されそうですが、良い形ですね。こちらは後程鑑賞するとして……はっ、逃げられました』

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