駄文2018/02/04

・演奏終了


2日間3回の全演奏の行程が終了し、あとは一泊して帰るのみである。個人的に反省というか悔やまれるというか悔やんでもしょうがないというか、まあ、目を覆いたくなるような失敗もあった。



もっと積極的に、ということを、他の人とやると言われてしまうけれど、これ以上積極的になると、他人が自分の目の前にいること自体がダメになる。したがって、誰もいないところで、一人で何かをすることが、最も積極的であることになる。



単にできることが少ないから、前に出ていきようがないということもある。これは何も楽器に限らず、イラストでも文章でも、そして社会全体に対しても共通した傾向ではある。



ただずっと一人で何かをしていて、それがそのうち周りの人にも喜ばれる水準になっていたらいいなという、「一人ガラパゴス計画」みたいなものに則って生活しており、今回その一定の成果もあったようだけど、肝心の姿勢というか、性質みたいなものについては、これはちょっとすぐにどうこうできるものではない。



もうしばらく人前で演奏するのはいいかなと思いつつ、来週には地元で演奏が一件入ったので、それが済んだら、もうしばらく人前で演奏するのはいいかなと思う。



・故障かなと思った頃には


週次の振り返りを済ませたら、また明日から平常運転で生活する。鑑賞に耐えうる外観をしていないくせに、ちょっと姿を晒し過ぎたので、しばらく最低限にしか他人に関わりたくない。一息入れて前職場の月次作業、演奏、家族会2回、あとは自分の世界に没入すること。



つくづく真剣に物事ができない。大きな用事が終わった後も、虚無感が強い。自分には何もできない。何をしても何の意味もない。と痛感するけれど、それでも「死んだほうがいい」人間だったにしては、ずいぶんな出世だと思う。



意味は他者だけが見出しうるものなので、自分の内側には何も無い。それでいいのだと思う。成長もせず、ただ時間の経過と劣化がある。持続可能なほど必要とされず、それゆえ病的な怠惰を咎められることもなく、咎められようにも他者を避けており、それでいて不在の囚人として、赦しを乞うばかりで何の足しにもならない。



そうやって生きていくことを暫定的に決めた時点で、どこかのネジが飛んでしまったのだろう。それならそれで、理性のある人たちにはできないことをすればいい。もちろん、そこに見出される価値を期待することはできない。



・お前は何を言っているんだ


その一方で、まともになることを望んでいたり、治癒されることを待ち望んでいるのかというと、別にそういうわけでもなく、何とかおかしなまま、他者の権利をおびやかすことなく、生きていくことができまいかと思う。



それを実現させている先達は、いるにはいるのだけれど、彼らは総じてものすごい努力をしているか、ものすごい幸運に恵まれている。そのどちらも持たない人間に出会うことが無いというのは、これは生存者バイアスだろうか。幸運を持たず、しなければいけないことができない人間は、全員死ぬしかないのか?



全員死ぬのでなければ、「しなければいけないこと」は成り立たない(その強制力を維持できない)ということは言えるかもしれない。「しなければいけないことをしなければしななければいけない」のだとして、では、それはどこまでのことを指すのだろうか。



呼吸や食事はそれでいいとして、他人に会ったり、仕事をしたりすることは果たしてそこに該当するのか?それも、精神的・身体的な制限を持たずに、ただ単に、他者に関わって働くということが耐え難いという人間は、しななければいけないのか?



一時的にそのような状態に陥った人が、その回復を待って社会に復帰するということは、大いにある。しかし、年を追うごとに厭世観が強くなってくる種類の人間は、一時的な精神の不調ということでそれを説明できない。



そして、隠遁に近いかたちの生活を持続可能にするためには、そのための費用が必要になる。公的扶助を受けるには客観的に就労不能であるということを証明せねばならず、おそらくそれは叶わない。くだけた言い方をすれば「働けるけど働きたくない」のであって、その切実さは一笑に付されて終わるだろうし、何だかそれはそれで妥当だとも思う。



・元気がないのが元気


今はただ、無理のしすぎで相当参っているだけかもしれない。ゆっくり休めば、また何かしら手を出し始めるのだろうけど、それも一人で完結させること以外はありえない。



もう考えるのも面倒になってきて、一人でホテルの部屋で「もうそれでいいよ、もうそれでいい」と連呼しながら過ごしている。もうそれでいいのだ。救いがないのが救い。何者にもなれないという者そのもの。虚無放擲の自由。それを謳歌しているのだから多少の宿酔もやむをえまい。



またこういう時は、かえって元気が無くてよかったのかもしれない。やり場のない力が暴発することなく、膿のように滴れる程度で済んでいるのは、ひとえに元気の無さの賜物である。極端な行動や八つ当たりをしない(できない)ということが、結果として自分と周りの人々を守ってくれている。

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