駄文2018/01/21
・疲労がたまってきた
前日の無理がたたって体調優れず、日課の進捗が悪い。それでも何もしないよりはいいと思って作業にあたる。
調子が悪いと、途端に暗い気持ちが襲ってくる。どうして自分だけが、これほど何もできない人間なのだろうか。と思うのは、その原因究明に挑もうという意思などではなく、不平不満を何かにぶつけたいという苛立ちに過ぎない。
大病もしていないのに、元は半日と起き上がっていられない人間だったので、どのように生きるとしてもおそらくオーバーワークは避けられない。すると問題はいかに持続可能な活動を定義するかということになる。
最低限これはというもの5つを「日課」とし、残りを努力目標である「準日課」としたことで、一応の自尊心を保つことは回避できるようになったけれど、それは物理的な作業量の低下そのものを食い止めるものではない。
するとバケツに穴が開いているみたいに、心の底から流れ落ちていくものがある。おそらくそれが気力というやつで、やがて全てが流れ切ってしまうと、文字通り何もできなくなってしまう。そうならないようにするには、穴が開いているからこそ、なおさらに上から汲み入れていくしかない。
だが一度休息すると、そのことで数日分の気力を失ってしまう。今、この時間を使ってこれだけのことができた。同じ無駄でも自分の好きな無駄を増やすことができたはずだった。などという考えばかりが頭を巡る時点で、既に休んだほうがいいというのも一理ある。しかし休むと何もできないので、さらに何もしたくなくなる。
休むというのは「何もしない」をすることであるのだから、それでいいと思われるかもしれないが、それは一般的であること、社会的であることが、前提としてある場合に限った話である。他者との関わりを拒み、何ら価値を創出しないことを誓った人間にとっては、安息を担保するものがない。雨が降っても屋根のないものは、雨の無い方角へ走らなければならない。
そういう人間が、それでも休むことができる方法があるとしたら、それは「完全にダメ。何もかもがどうでもいいからもう無理」と倒れることである。ここには理屈の魔手が及ばない明るい平野がある。良くて3日、悪くて2ヶ月の「仮死」である。
そもそも休むということに対して怒りがある。何も「しない」ということは、好きなことを「する」ということに相反するからだ。その怒りがゆえに「肉体め、そんなに『休み』が必要なら、お前がもう二度と立ち上がれないほどの『休み』をお見舞いしてやろうじゃねえか」というあてこすりのような気持ちが強く、やがて肉体が「精神よ、参った。これではかえって具合が悪くなるばかりだ。一刻も早く『休み』を止めてくれ」と音を上げるまで、昏睡は続いていた。
最近はそれほど両者の軋轢はなく、「そろそろ、どうですかね…?」「まあ、いいでしょうな…」という感じで大規模な体調不良は起こさないようになってきた。丸くなったものである。
・余計なことをせずにいられない
かといって、快活な世の人たちを妬んでいてもしょうがないので、自分の場合は具体的にどうしたらいいかということを考えていく。夜中に前の職場に出向く作業は、今月いっぱいで終わるので良しとして、今後も単発の予定が入って時間が制限されたとしても、気力を損なわず体力を回復する手段があるとしたらどんなものだろうか。
極端な例えを使ってみる。自分がやりたいことを全てやり尽くしたとしても、一日5分あれば十分で、それ以外の時間は何をしてもいいのであればどうだろう。・・・残りの時間を使ってさらに余計なことをし始めて、また「時間がない」「休んでいる場合では無い」などと言い出すような気がする。
逆に今がその状態だとしたら、正解は「やることを減らす」である。しかし、それでは毎日日記とイラスト1点に駄文を作るだけで、成り立つ生活があるとでも言うのか?さらに言えば、生活が成り立ちさえすればそれでいいのか?それなら去年までのように社会への参画を再開するべきである。それが破綻したから、つまり余計なことを一人でやらずにはいられないから、こんな七面倒なことを延々考える羽目になったのではなかったか?
・優先順位と消耗度
おそらく調子が悪い時に何かを考えてたところで、良い答えは見つからないだろう。そこでこの議論については結論を出そうとしないで、もうすこし枝葉を伸ばしておくにとどめようと思う。
気力の消耗については、以下の4つの状況を考えてみよう。
Aやりたいことが、うまくいかない時
Bやりたくないことが、しかもうまくいかない時
Cやりたいことが、うまくいく時
Dやりたくないことが、うまくいく時
すると、これらを気力の消耗が激しい順番に並べると
B>A>D>C
となり、「やりたいことがうまくいかない(A)くらいなら、やりたくないことがうまくいくほう(D)がマシ」ということになるはずである。しかし自分の場合は、「うまくいこうがいくまいが、やりたいことだけをやりたい」という立場をとるために、このAとDの優先順位が逆転する。
優先順位が変わっても、消耗度が変わるわけではない。したがって、やりたいことを優先するという立場は、そうでない立場に比べて、消耗が大きいということが言えまいか。すると消耗と休息ということは、少なくとも自分にとっては避けがたい問題である。
・落ち着いてきた
ただ、こういうことを考えられるようになったということは、恵まれていることでもある。なんだかんだ言って好き勝手なことをして、また一人で勝手に悩み苦しんだり楽しんだりしているのだから、世話が無い。
それに、くだらない文章でも書き殴っているうちに(実際はキーを叩きつけているうちに)、気分が多少晴れてくるのが分かる。思考が肉体を経由して、具体的客観的な所作として表出するだけで、なにか荷の降りたような気さえする。精神の言わんとしていることを、その肉体が傾聴しているようにも思われるので、やはり両者には仲良くやっていってもらいたい。
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