駄文2018/01/17

・何度も同じことを言う


あまりうまく文章が出てこない時は、固有名詞もプライバシーも気にしない、本当に非公開の文章を作ることから始めるといい。どうせ何かしら考えながら生きているので、言葉が出てこないという時は、言葉が無いのではなくて、それを堰き止める何かが頭の中にあるという場合が多い。



昨日は自分のやりたいことをほぼ全部やってみて、なんとちっぽけなつまらない人間なのだろうという気持ちに襲われた。体を酷使して、お金になることもせずに、こんなことをしていて何の意味があるのだろうか。それはもっともだと思う。



しかし、前日までレシートの打ち込みという、いわば、お金になることをしてみて、これを今後もやり続けるなら死んだほうがマシだと思ったから、翌日から好き勝手に過ごしてみたのだった。同じような気持ちを、前の職場でも、前々の職場でも思ったのではなかったか。どうもそういう事をすぐに忘れてしまう。



単に恐れているのだと思う。自分がやりたいことが、社会に受け入れられないのではないかという恐怖、しかしそんなことは端から期待しないように心がけているので、恐ろしいのはそこよりも、今やるべきことが他にあるのではないか、ということであるようだ。



こういう感覚は一生つきまとうものだと思う。自分がやりたいことを疎かにして日銭を稼いでいた頃の名残が、ずっと拭いきれないという、あまり望ましくない呪いを携えてしまったということだ。



仕組みが分かっていれば、振り回されることはない。ただ、さっきの話のように、すぐ物事を忘れてしまう。同じところを延々と回ってしまうので、せめてその回数を減らすために、軌道を変えやすくするために、自分に向けて同じ言葉を書き残し続ける。



・「自分には生きている価値が無い」

 →それで結構。自分は単なる欲求として生きている。無価値だったり悪人だったりするのだけれど、そこはひたすらにご容赦願いたい。幸運にすがろう。




・「何をしても全てうまくいかない」

 →大いに良し。何をしてもダメなら、何をしたっていい。「うまくいかない」をやり続けるだけで十分に楽しい。楽しいと幸福感は近しい。




・「元気が出ない」

 →寝ろ。あるいはいつもしているよりさらに無駄なことをしろ。ゲームの実況動画を何時間も見続けて、体に悪いお菓子を食べろ。それに飽きたら、今度は逆に体にいいことを無理してやれば、より無駄なことになる。




・「生きていることが恥ずかしい」

 →主語が大きすぎる。人との関わりを断てばいい。存在そのものに善悪も恥もない。行動を制御せよ。




・「死ぬほどイライラする」

 →カフェイン摂りすぎ



パッと思いつくのはこれくらいだけど、落ち込んでいる時の自分も狡猾なもので、これらの論点をうまくすり抜けて塞ぎ込もうとしてくる。そういう時は理屈を抜きにして、全ての課題と予定を放擲して過ごして、後悔すればいい。その状態に陥った時点で、すでに何らかの仕組みが破綻しているのだから、そちらを次の周期に向けて調整すればよろしい。



今現在はカフェインが常用になってしまっていることと、腰痛、そして明日は前の職場に行かないといけなくて心底気が重いこと、この3点が日課の進捗に対する阻害要因になっている。前者2点は温泉にでも行ってから半日寝ればいい。進捗は惜しいけれど、そういえばやっていることの元々が無駄で無意味なのだった。明日の用事を済ませたら、あとはオフにしてしまおうと思う。



そして、あくまで自分ひとりでやっていることに限って言えば、やることの順番は固定しないほうが良さそうだ。習慣化の効果はあるので一応は決めておくけれど、目の前のことが捗らないなら、すぐ他の作業に「脱線」する。すると脳の状態が変化して、したがってほとんど別の人間と化すので、その新しい人(自分)であれば、前の人(自分)よりもできることがあるかもしれない。同じ程度、ダメかもしれない可能性があるけれど、そうしたらまた「交代」する。



・気分良くあれ


ここまで文章を書いてみて、マズいことに気がついた。昨日始めた本の書き写しによって、書いた本の著者に語り口が似てきてしまっている。これは生来の影響されやすさによるもので、N響を見ればバイオリンを弾きたくなったり、棟方志功を見たら版画をやりたくなったりするのだから忙しない。



しかし、こういうことには解決策があって、それは確か竹原ピストルさんが歌で歌っていたことでもあるのだけど、「さらに影響を受ける相手を増やす」ことだ。ということで、今日は別な人の本を書き写す。



そういう一人遊びをして生きていきたい。そうやってであったら生きていける。ただ、どうも、そうやって生きている人たちというのは、あまりにやっていることの水準が高すぎて、とてもじゃないけれど自分にはそこまで出来ないように思われる。



では、そこまで出来ないが、それしか出来ない人間はどうやって生きていけばいいのか?そんな人間のために用意された福祉制度があるはずもなく、自助グループを結成したり参加しようにも他人を忌み嫌っており、今かろうじて生き長らえていても、都合の良い環境が失われるのは時間の問題だ。



その一方で、今、良い気分であることも事実である(腰は痛いけど)。好きな音楽を聴いて、好きなことをしているのだから当然といえば当然で、そしておそらく、不安や恐怖、倦怠も含めて、それらを突破するポイントはこの「気分」にあるのだろうという、直観がずっと消えないでいる。そういえば、どこかの国では、盗みや暴力と並んで「不機嫌」が、人間の大罪として挙げられている、という話を思い出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る