駄文2017/12/23

・性と創作


文章を書いたり絵を描いていると、ほぼ全てのしがらみや悩みがどうでもよくなるので、頭の中は寝ている時に近い。死んでしまったり、この世から居なくなるような、大掛かりなことはせずとも、望ましい状態になることができる。



娯楽やカフェイン・アルコールもあるけれど、どうもコストがかさむので、程々にしかできない。そういう節約傾向は、年を追うごとに強くなっていくのかもしれない。逆に自給自足していられるのが、今のうち、若いうちなのかもしれない。



今日に至るまで、何かを作った時に、どうしてそれを自分のPCに留め置かないで、ネットの海に放り投げるのかというと、誰かと作品を通して関わりを持ちたいからであり、それは直接的に他者と関わることを放棄しようとしているからだと、そろそろ正直に言っておかなければならない気がする。



そして、どのような形であっても、自分が持つ「他者との関わりを感じたい(あるいは幻視したい)」という欲求は、肉体的なものに依らない性欲とでも呼ぶべきもので、愛にしてはあまりに下卑ていて、承認欲求ほどは限定されていない。



ホドロフスキーが100人座禅会で語ったという一節に「私の性的活力は、もっと創造したいと思っています。創るということは与えるということです。」というのがあって、それを読んだ時は「性的な欲求と創作に対する欲求は、重なることはあっても、そこまで直結していないのでは?」と思ったけれど、性的なものを大きく捉えるか、性的なものを含むもっと大きな何らかの欲求を想定すれば、その言葉も腑に落ちる。



・「みんな」がつらい


一方で、では性的なコンテンツを作らないのかというと、これは単に好みの問題で、伝統的な音楽や格式高い文章のように、自分がやることの意義を感じない。もっと情熱をも通り越して、その力に呪われた人たちにこそお願いしたいし、そういう人たちに何をどうしたって敵わない。そういう世界であってほしい。



もう一つの理由としては、自分が好きなものを、あんまり「シェア」したくない、という変な固執が挙げられる。対象が実在でも非実在でも、有機物でも無機物でも、それを「みんなで愛でる」ということに違和感というか、辛さを感じる。



同じようなことを宗教にも感じていて、神様や悟者はとにかくスケールが違うし、その使いの方たちも非常に良いことを言っている。文化としてもインフラとしても素晴らしいと思うのだけど、それを「みんなで信じる」ということが辛い。自分がそこに加わることが、場違いのようで、申し訳ないような思いがする。



こう並べてみると、どうやら何かにつけ「みんな」が苦手であるように思われる。しかしどんなに無頼漢を気取ってみても、現実的に生きていく限りは、何らかの集団に属しなければいけない。あるいは属していると見なされることを回避するためのコストが膨大すぎる。何より関わりを持とうとしている相手がすべからく、何らかの「みんな」のうちの誰かである。



・判断ミス


自分が決して特別な存在ではなく、または特別な存在として他のどの存在とも同様であるということは、重々承知なのだけど、生まれ持ったものや環境を鑑みて、集団から少し外れたところにいるのがいいと、子供の頃に判断したのだったと思う。



その結果、嫌というほど思い知らされるのは「普通ができなきゃつまらない」「面白いだけじゃ面白くない」ということなので、その判断は控えめに言って失敗だった。狂った人は狂えるだけの力を持っていたし、狂っていない人でさえ、その「狂い」が要求されるものと一致しているだけだった。ものごとの表面しか見えていなかった。



それで慌てて普通をやろうとしてもダメで、じゃあ普通じゃなければいいのかと思えばそれもダメで、じゃあもうこうなったら普通とか面白さとかどうでもいいわ、と開き直って現在に至ったので、これもうまくいかずダメかもしれない。しかしダメかどうかの判断が効かない展開なら、あり得るかもしれない。



・眠れる部屋


結局、他人との関わりについても、自分の将来についても、都合の良い幻を見ずにはいられないということである。なんとも救われない魂だけれど、お似合いというか、こんなもんだろうなという気もする。なんだかんだ長い付き合いにもなってしまったし、ぶん投げるほどの気力もない。



ということで、またこうして、昏々と眠る日々を送ることになる。うわ言を吐いたり、呻いたり、宙に指で何かを描いたりして、いたずらに時間が過ぎていく。朝がもう一度、春がもう一度、生まれた年がもう一度訪れるような、そういう妄執を正すことができないまま、半目を剥いて、口を開けて眠っている。



すると誰かがやってきて、枕元に立っている気配がする。哀れむか、蔑むか、懐かしむような視線を感じて、やおら目を覚ましてみると、そこには眠っている自分がいるばかりである。つまり眠っている自分を見下ろしているのである。その視線を感じていたのだと気づき、目を閉じると誰もいなくなる。その部屋には誰もいなくなる。

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