毎日駄文2000字超

小林俊介

毎日駄文2000字超

駄文2017/12/06

・はじめに


日記や簡単なエッセイは他所で書いているので、こちらに投稿できるものがあるとしたら何だろうと考えた結果、内容をあまり決めずに2000字程度の文章を作る、というのを思いついた。



自分の考えをまとめることと、ブラインドタッチの練習を兼ねて、もしかしたら面白いものになる・・・可能性がゼロではない文章を、延々と作っていこうと思う。



そんなことに意味があるのか、という気もするけれど、自分の人生においては行動の意味というのは、往々にして、数年程度は遅れてやってくるものだった。



はじめから何か価値を見出して、あるいは見込んで行動したことよりも、何だかよくわからんが、つい続けてしまったことのほうが、しばらく後になって我が身を助けてくれることが多く、そういうものをかろうじて乗り継ぐことで、生きてこれた気がする。



むしろ意味があると思って頑張ったことには、ことごとく失敗してきたので、「もうこうなったら、今後は意味のなさそうことだけをやってやろうじゃねえか」とヤケを起こして、来年からはそのように暮らす予定でいる。



・いい歳して何を言ってんだ


具体的には絵を描いて、文章をしたため、楽器の演奏を録音して、そういうことだけをして暮らしていきたい。



ただし、有名になることについては、あくまで生計を立てる手段の一つにはなるかもしれないけれど、インターネットを眺めるに、著名であることは、あまり魅力的なステータスとは感じられない。



なので、世界に30人前後は存在する(存在してほしい)、自分のやることが好きな(おかしな)人たちに向けて、何かをすることで生きていきたい。



こういうことを若い人が言っているのであれば、無謀なりに夢のある話かもしれないけれど、10年の社会人生活を経てドロップアウトする人間が言うと、こう、なんというか、大丈夫か?という感じが拭えない。



それに同じような境遇で、同じようなことをしようとしている人もきっと数多にいるのだろうし、勝算が見込めるような、誰にも負けない強みがあるわけでもない。



だけど、安泰だと思っていた仕事にはついていけず、この人ならと思っていた人に傷つけられ、もう何もかもどうでもいいような気持ちでいる以上、死ぬよりはマシかなというような、冷めた気持ちでやっていこうと思っている。というようなことで、なんとか親族の理解も(条件付きで)得ることができた。



・好きなことをして生きるというか


端からすると、よく言う「好きなことをして生きていく」というのを、地で行こうとしているように見えるかもしれない。



それができたらどんなに素晴らしいかと思うけれど、有名な人たちがそうであるように、彼らは「好きなことをして生きていけるだけの、ものすごい努力と挑戦」をし続けているわけで、



もし自分がそんなことをできる人間だったら、元々勤めていたところを辞める必要もなかったし、何があろうと縁がなかったと割り切って、あるいは資金的な準備の意味でも、来年からの新しい就職先を見つけることも、容易にできたはずだ。



それができないのは、環境のせいというよりは、自身の能力の無さ、特に他人との関わりにおける致命的な欠陥に依るところが大きい。



社会に出るまでは、むしろそういうことが上手な方だと思っていたが、色々な業種を経て、色々な人々に出会って、大きな問題が自分の中にある(自分の中にしかない)ということが、誤魔化しようもなく明らかになってきた。



だから、これからやろうとしているのは、「好きなことをして生きていく」なんて高尚なことではなく、ありていに言えば「遊んで暮らしたい」ということでしかないのだと思う。



・遊んで喜んでもらう


自分が好きなことを好き勝手にやって、それで人に喜ばれたり、対価をいただいてしまったり、という成功体験が多かったことも、ナメたことを言っている理由の一つとしてあるのかもしれない。



そんな風に暮らせたらどんなに良いだろうと思いつつ、真っ当な仕事をせねばと頑張っていたけれど、今日までに仕事において、客観的にも成果と呼べるようなものは一つも無く、「給料泥棒」「穀潰し」などと言われても、何の反論もできない人生を歩んできた。



かといって一発逆転のような、宝くじのようなものを求めているわけでもなく、ただ慎ましく、自分ができる限られたことをして人に喜ばれたい。



ということは、先述の「遊んで暮らしたい」は言葉足らずで、「遊んで(それで喜んでもらって)暮らしたい」と言う方が正確なのかもしれない。



そういえば「遊び」という言葉も、適当という意味よりかは、「やらなくてもいいこと」という表現の方が近い。となると、自分の望みは「余計なことをして暮らしたい」ということになり、これはこれで・・・ますます「何を言ってんだ」感が強くなってきた。



・おわりに


たとえば、こんな文章を作ることは、今のところ何の苦痛もないし、むしろやめろと言われてもやる部類のものではある。言いたいことがなくなったら、言ったことのあることを、今度は違う表現で言えばいいやという開き直りもある。



また、どんな形でもいいからエネルギーを放出しておかないと、鬱憤が溜まって反社会的な行動をとりかねないし、泣きながら床に臥せって一日が終わるよりかは、多少健全でもある。



などと、自分のための文章を、たまたまでも見てくれた誰かが面白がってくれたりしたら、これは「余計なことをして暮らす」という生活の第一歩になるのかもしれない。

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