魔法も万能ではない
夢を見た。元の世界の夢。朝起きると、八時を過ぎている。慌てて着替えている途中でまた目が覚めると、サバンナの木陰に居た。朝日が目に染みる。
ハロー俺勇者。夕暮れをすっかり過ぎてからガロの村を出たせいで、昨日は野宿だった。テントなし。寝袋なし。魔物に居場所を教えることになるからって言って焚き火も最低限。ユリウスの「虫除け」は使えないんだろうかと思ったらあれは当人が眠ったら無効になるのだそうだ。まあひとりだけ一晩中起きてろってのも酷だよな。「もっと大掛かりな準備ができるなら、それこそ町みたいに大掛かりなことをやれば、永続化もできるんだがな」とはユリウス本人の弁で、微妙に不便なんだな魔法ってのも。
「道具や仕掛けがあれば簡単にできる、何もないなら手を尽くすしか無い。普通だろう」
「木の板と棒で火を起こすようなものだね」
「慣用句か何かか?」
「いや、直喩」
ユリウスはその後、ちょっとずつ喋るようになってきている。地の正確は多分オタク系。基本的にがっつり心閉ざしてるけど喋り始めると長い。間違った認識は正さずにいられない。昨日喋ってみた限りではそういうタイプだと見た。
「よう勇者さん。ちゃんと寝れたか」
「ん、上々」
野宿は生まれて初めてだったが、なんなら宿のベッドよりよく眠れた。疲れていたせいもあるかもしれないが、ゴリラベッドよりは草原の地面の方がまだやわらかいのも事実だ。
「なら良かった。俺は久し振りに野宿なんてしたら体が痛い」
「ベッドと布団の違いみたいな話かな」
「何が?」
「なんでもない」
個人差なのか種族差なのかは知らないけどそれくらいの差はあっておかしくないわな。今更細かいこと気にするのも面倒だし。ああでもパーティーの戦闘力を考えると宿に泊まるほうがいいか。
「メリアは?」
「まだ眠ってる。そろそろ起こすか」
メリアは昨日、最後から二番目の見張り番だった。夜明けの直前まで起きていたはずで、もう明るいとはいえもう少し眠らせてあげたい気もする。
「そういえばユリウス、昨日『腕くらいなら取れても回復できる』って言ってたけど、体力の回復はできない?」
「できる。体力だけならな」
「だけって?」
「眠るのはなにも体力回復だけが目的じゃないだろう。精神的な疲労まではどうにもならん」
なるほど。魔法というのも万能ではない。
結局そこから十分もしないうちにメリアは起きてきて、俺たちは昨日目標としていた町まで半日を駆ける。途中寄った駐屯兵の詰め所でまた軽い質問攻めに遭い、ガロの件を聞いたと言ってはずいぶん褒められた。だから何もしてないんだって俺。
道中でスライムを倒し、ゴキブリを倒し、ムカデやらネズミやらを倒しながらたどり着いた街は大きかった。どうやら首都である城下と周囲の町村をつなぐ交易拠点になっているらしく、人も街も活気にあふれていた。直前に見たガロが閑散としていたためか、同じ国とは思えない。
「すごい」
「でしょ。私も何回かは来たことがあるけど、その度に圧倒されるよ。来る度に様変わりしてるから」
メリアは何故かちょっと得意気な顔をしている。
「様変わりって?」
「季節ごとにいろんな地域から商人が来るからね。そうするとこの町で売るものも変わる、対応も変わる」
へええ。柔軟だ。いや、交易で成り立ってる町なら売り物が変わるのは不思議な事じゃないのか。夏はきゅうりで冬は白菜とかそういうのの亜種か。
「そういう町だから宿も多いしご飯屋さんも多い。珍しい道具が買えることもあるし、胡散臭い商売も多いから捕まらないように気をつけてね。勇者さまはこっちの常識とか持ってないんだから」
メリアが懇切丁寧に説明してくれるので引率されている学生のような気分になる。いや元の世界ではマジで学生なんだけどさ。でもメリアだってアレックスの部下なんだから、たぶん俺より年下なんだよな?
「あの建物は? あの、緑色の宮殿みたいなの」
「うん? あー……あれはー……」
「あれは娼館だ」
急に歯切れが悪くなったメリアの代わりに口を挟んだのはアレックスだった。
「ショウカン?」
「娼館。遊郭。女遊びがしたいんなら連れていくが」
「いえ、遠慮させていただきます」獣姦の趣味はない、というかまあ家系で言うとそうなんだけど俺個人はちょっと御免被る。そもそも初体験から気持ちのないセックスとかイヤ。ゴリラで筆おろしとかもっとイヤ。っていうかメリアが急に黙ったのはそのせいか。女の子だもんな。悪いことしたな。
「赤い屋根は宿、青い屋根は道具屋。緑の漆塗りは娼館の目印だ。勇者さんは子供に見えるからまあそうそう捕まりはしないだろうが」
娼館はともかく漆とかいうジャパニーズワードが出てきてビビる。いやもう日本語で会話が成り立ってるんだからそんなに不思議に思うべきレベルでもないのかもしれないけど漆があるのか? っていうかこっちにもキャッチてきなのがいるのか。はぁいお兄さん遊んでいかなーい? てきな?
「それは国の決まりなの? 屋根の色とかそういうの」
「国の決まりというか、何だろうな、伝統って言うのが近いか。わかりやすいからそうしてるだけだ。パッと見で何の店かわかった方が楽だろ?」
店のデザインそのものが大雑把な看板の役割をするってことだろうか。まあ確かに結構楽ではある。ただ、赤とか青とかの屋根がちらほら並んでいるせいで、町全体がどこか積み木でできているような印象も受ける。トイカメラとかで撮ったら映えそうだ。
「あんた勇者さんかい?」
急に話しかけてきたのは露店のおばちゃんだ。見知らぬ世界にいてさえおばちゃんはおばちゃんだという気がし、どうも警戒する気になれない。
「あんたたち今来たの? いつまでここにいるの?」
「今さっき来たところで、今日はここで泊まって明日の朝には出る予定です」
「あらそうなの? せっかくだから観光でもしていけばいいのに。今度の火曜は旅の劇団さんが来るって話よ」
悠長。うちの親とか伯母もそうだけど、なんでおばちゃんという生き物はこうも逞しいのだろうか。ところで今ちょっと気にかかるワードが挟まってたぞ?
「火曜日?」聞き返す。
「火曜日」相手が頷く。ふむ?
「火曜日って、何日後ですか?」
「今日は木曜日だから、明後日だよ」店員のおばちゃんが答える。木曜日の二日後が火曜日。計算が合わない。
「一週間は七日間?」
「七日間は七日間だよ」
「ええと」これさては翻訳が気を利かせてくれている。「曜日を全部教えて欲しいんだけど」
「月、火、水、木の四つだよ」
よしややこしくなってきた。
つまりゴリラ界、っていうかこの国か。この国の曜日は四つなんだけど俺の中で一週間は七日間だから、俺が「一週間」って言えば向こうには「七日間」と伝わる。おそらく向こうが「一週間」と言えば俺には「四日間」と聞こえる。問題は曜日で、俺の知識には七曜の月火水木金土日しか存在しないから、「木曜の二日後は火曜」とかっていう文章が爆誕するわけだ。うーん。つまりさっきの「漆塗り」も俺がそれ以外に言葉を知らなかったってだけで、漆があるわけではないっぽい?
とにかく二日も滞在する気はなかったのでお礼だけ言って立ち去ろうとしたら果物をもらった。おばちゃんという生き物はなぜ息を吐くように餌付けしようとするのか。その謎を解明すべく我々はアマゾンの奥地へ――
「勇者御一行様ですか」
次に話しかけてきたのは灰色の、ゴリラというよりはサルみたいな、ゴリラ基準で言うと大分痩せた男だった。思考の海へ漕ぎ出しかけていた意識を急いで引っ張り戻して「はい」と答える。
「では」男が首を巡らせる。なんとなく老獪な雰囲気がある。あくまでなんとなくだけど。「そちらの方がユリウス様で?」
瞬間的に誰もが緊張した。アレックスも、メリアも、ユリウスも俺も、近くに居た誰もがその名前に身を強張らせた。
昨日ユリウスが石を投げられた後、俺は結局あれが何だったのかと訊けずにいた。俺も訊けずにいたし、誰も話題に上げなかった。ユリウスはあっという間に傷口を魔法で治してしまって、それっきりだった。
「そうだが」答えたのはユリウスだ。アレックスが割って入ろうとして、ユリウスがそれを止めた。「何か用か?」
「ええ。お待ちしておりました。あなたにぜひお会いしたいと伺っております」
「伺う? 誰にだ?」
「お会いしていただければわかります」
止める間も避ける間も無かった。老人が片手を差し出すと、俺たち四人はあっという間に知らない場所に飛ばされていた。無機質な広間。装飾品どころか家具すらもない場所。そこに一人だけが立っている。
「やあ、はじめまして」
男はそう言って、唇の端を吊り上げた。
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