ホスピタル

水嶋 穂太郎

The Nurse - Ep.01

第1話 小池さん(1)

「いい天気ですね、小池さん」

「ふんっ、儂の身体にゃ風情なんてもん、流れとらんわい」


 看護師である俺は、病院の一室でひとりの爺さんを相手にしている。この爺さん、見た目からしてそうだが、態度やら口走ることやら頑固そのもので、まったく扱いに困る客なのだ。


「小僧よ」

「……なんでしょう?」


 一瞬、誰のことだかわからなかった。

 まあこの爺さんに比べれば、俺なんて『小僧』で充分ってことなんだろうな。


「儂の担当になってどのくらいになる?」

「そろそろ一ヶ月になりますかねえ」

「くっく……この老いぼれの相手をせにゃならんとは、つくづく運のないやつよ」

「もともと運なんてもんには恵まれてないんで慣れっこですからご安心ください」


 小池の爺さんは、にたぁ、っと薄気味悪い笑みを浮かべた。


「あーっはっはっは、気に入ったわい。皮肉も達者ではあるまいか」

「職業がら、割と必要になることが多いので」


 俺は極めて事務的に仕事をこなす。

 爺さんの身体を拭いてやったり、歯を磨いてやったりだな。


「そのままでええ、聞けい」

「なんでもどうぞ」

「儂はな、これでも優秀なビジネスマンだったと自負しておる。小僧どもにゃあ想像できぬやもしれんが、当時じゃあまだ珍しかった海外での仕事も難なくこなしたわ。まあ、綺麗な仕事とは言えんがの……。のしあがってゆくために率先して汚い仕事を選んでいたくらいじゃ」

「牧師でも呼んで懺悔を聞いてもらいますかい?」

「冗談をぬかせ小僧。誰ぞに詫びて状況が好転するようなことなどありはせんわい」

「そうでしょうねえ。釈迦に説法かもしれませんけど、俺はこれまでに助けを求めて助けてもらえたことなんてありませんでしたから、なんとなくわかりますよ」

「あながち世辞で言ったわけでもなさそうではないか。小僧もそこそこ苦労してきたのではないか?」


 そこそこ、ねえ。


「まっ最中ですのでお気遣いなく」

「食えんやつじゃのお。つづきじゃ。昼も夜も朝もなく仕事に仕事、また仕事じゃ。国内にとどまれる時間もわずかでな、家族にしてやれるのは金に不自由させない生活くらいじゃった。息子をつれて妻に逃げられるまでむしろよくもったと、いまにして思えばあやつらを褒めてやりたいくらいじゃ」

「俺も仕事でなければ偏屈な爺さんの話なんて聞かずにすむんですがねえ」

「戯言をぬかすでないわい。最後に残ったのが、この空虚な一室というわけじゃよ。なぐさめになるようなものなどひとっつもない、ただ金にものを言わせた空間なんぞ牢獄にも等しいわい」

「VIPルームが牢獄ですかい?」

「ああ。ここは、儂が最期を迎えるにふさわしい……牢獄じゃな」

「もう知っているんですね」

「儂に家族などおらぬし、知らぬ存ぜぬで通そうとするふぬけた政治屋どもと同類になんぞなりたくはないのでな……まあ、性分よ」


 小池さんは実につまらなそうな顔で笑った。

 達観しているというか、自分の死など、もはやどうでもよさそうに。


 爺さんの余命は、残り三ヶ月が限度といったところだ。

 俺はそれまでの世話をする。それだけの仕事だ。



(つづく)

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