第23話 懊悩
その日の夜営場所を決め、各自夕飯の支度や寝る準備をしていた藍里達の様子を、少し離れた木の陰から慎重に窺っている男達の姿があった。そして声を上げずに手振りで意思疎通を図った彼らは、ある者は剣を抜き、ある者は矢をつがえながら、呪文を唱え始める。
「リュー、ゲル、ディ」
しかし彼が藍里達を狙う為の呪文を唱え終える前に、音もなく彼らの頭上の枝から降り立ったウィルが、問答無用で目の前の男のこめかみを、短剣の柄で殴りつける。
「遅い」
「ぐあっ!?」
急所を強打されて崩れ落ちる様に倒れた男には目もくれず、ウィルはそのまま短剣を斜め後ろの男に向かって放ち、それが引き絞られた弓の弦を切り裂いた。
「なっ!? うわっ!」
その男は弦を断ち切られた事に動揺すると同時に、一斉に全身に絡み付いてきた蔦に仰天したが、瞬く間に全身に巻き付かれて、身動きできなくなる。
「しまった! 周り込みやがったな!?」
その時点で、漸く木立の向こうの人数が少なくなっている事に気付いた男達だったが、それを認識した瞬間、一人は手首を切りつけられ、もう一人は大きな狩猟用の網を全身に被せられて、地面に転がった。
「げえっ!」
「ぐわっ! な、何だ?」
そしてウィルと遅れて参戦したルーカスとで、4人の男をしっかり縛り上げた上で、五月蝿くしない様に魔術で眠らせると、木立の間を抜けて藍里が二人を呼びに来た。
「食事ができたわよ~。あ、一丁上がり? チョロ過ぎるわね~」
「全くだ。肩慣らしにもならないな。殺さない様に加減する位が、丁度良い位だ」
「余裕ね~。頼りにしてるわ」
「心にも無い事を言うな」
互いに憎まれ口を叩きながら、藍里とルーカスは馬車を止めた所まで戻ったが、ウィルは苦笑いするのみで後に続いた。
それから何事も無かったかの様に夕食を食べ始めたが、藍里はウィルの表情を窺いながら声をかけた。
「ねぇ、ウィルさん。この間、襲撃者に手荒な真似をしてないのは、私がそうしてくれって、言ったからだけでは無いわよね?」
その指摘に、ウィルはあっさりと頷く。
「そうですね。実家が絡んでいるとなると、動いているのは領民の可能性もありますし、なるべく死傷者は出したくないと言うのが本音ですね」
苦笑気味のその台詞を聞いて、ジークが呆れ気味に口を挟んでくる。
「お前……、そんな悠長な事を言っていられるのも、今のうちかもしれないぞ? 明日には、デスナール子爵領に入るんだからな」
「分かってるさ。まあ、あんまりボケボケしてたら、殴り倒して気合いを入れてくれたら助かる」
「そこまで面倒を見られるか。勝手にくたばれ」
「酷いなぁ、『ジーちゃん』」
「……その口、針で縫い止められたいか?」
ウィルが哀れっぽく口にした内容に、何日か前のやり取りを思い出した面々は手で口元を押さえ、ジークが鋭い視線を向ける。そんな中、ウィルは真顔になって話題を変えてきた。
「さっきジークが言った様に、明日にはデスナール子爵領に入るので、アイリ嬢とルーカス殿下に不快な思いをさせる可能性があるので、一応実家の事情を軽く説明しておきます」
「デスナール子爵家の事情と言っても……。確かに公式行事でお前と兄の子爵は顔を合わせる事はあっても、なかなか領地に帰らない理由か?」
困惑気味に口にしたルーカスに、ウィルが溜め息を吐いて続ける。
「アイリ嬢にも分かる様に説明すると、現子爵の兄は同母兄で、俺達は正妻から生まれていますが、その間に異母兄が三人います。他にも姉妹が何人かいますが」
「あぁ~、なるほど。貴族の場合、正妻の他に愛人を持つのも認められているんだっけ。じゃあ子爵のお兄さんにも、何人か愛人がいるの?」
何気なく尋ねた藍里だったが、途端にウィルは言いにくそうに答えた。
「……いえ、正妻の義姉上が一人だけです」
それを聞いた藍里が、驚いた様に瞬きする。
「へえ? 意外。だけど愛妻家なのね。ちょっと見直しちゃった」
「ですが、結婚して八年になる兄夫婦に、未だに子供がいないんです」
「それって……」
さすがに重々しい口調で言われた内容の、意味が分からない藍里では無く、微妙な顔になって口を閉ざした。
「俺達の母とその実家は、自分達の血統でデスナール子爵家を保とうと、兄に愛人を持つか、俺に爵位を譲る様に迫って兄と険悪になり、義姉上の実家は義姉上と兄を離縁させて俺と再婚させた上で、俺に子爵位を継がせようと画策し、異母兄達は自分や息子を兄と養子縁組させて後継者になろうと、しのぎを削っている状態で……」
憂鬱そうに語ったウィルを見て、藍里は素朴な疑問を呈した。
「そのお兄さん夫婦って、アルデインで不妊治療とかしたわけ?」
その問いに、ウィルは意外そうに言葉を返す。
「……どうでしょうか? あまり体面に関わる事は、しないかもしれません」
その自信なさげな口調に、藍里は呆れ返って言い返した。
「はぁ? 体面? 何それ? お兄さん夫婦って、子供欲しがってないの?」
「欲しがっているとは思いますが……」
「だってれっきとした貴族の当主夫妻なのよ? アルデインへは申請すれば、比較的楽に行き来できるんでしょ!? 他の一般の人とは比べ物にならない医療を受けられるのよ? 体面が悪いなんて馬鹿な事を言う奴らなんて蹴散らして、できる事は何でもしてみなきゃ駄目でしょうが!」
「それはそうだが、それぞれの家庭の事情だってあるだろうし」
控え目にルーカスが宥めようと声をかけたが、藍里の勢いは止まらなかった。
「大体、ウィルさんも悪い!」
「え?」
「その話しぶりだと巻き込まれたくなくて、ずっと領地に帰って無かったみたいだけど、ぐだぐだつまんない事を言う異母兄やら親戚やら、お兄さんの代わりにぶっ飛ばさなくてどうするのよ。お兄さんに疎まれて殺されるかもなんて、ウジウジしてる場合じゃ無いんじゃないの?」
「……その通り、ですね」
藍里の糾弾を受けて、困った様に笑いながら軽く頭を掻いたウィルに、藍里は更に畳み掛けた。
「いっそのこと、お兄さんに子供が生まれなかったら、自分がちゃんと結婚して跡を継ぎますって言えば、取り敢えずお母さんとその実家筋は納得すると思うけど。あ、ついでに結婚相手をお義姉さんの実家関係の人にすれば、そっちの方も黙るんじゃない?」
「はぁ……、そうですね」
しかし今度は先程の笑みを消し、暗い表情になったウィルに、藍里は首を捻った。ここでジークが話を纏める。
「取り敢えず、明日以降はより警戒を強めて行動を。屋敷内で大っぴらに事を起こす様な真似はしないと思うが」
「そうですね。アイリ様。中途半端な手加減は無用ですから」
「分かってるわ」
それから話題は他の事に移ったが、それきり黙り込んで何やら考え込んでいるウィルを横目で見ながら、藍里も密かに考えを巡らせていた。
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