第19話 記憶の中の呼称
旅程三日目も好天で、藍里達一行は、順調に森の中の細い街道を進んでいた。
ちゃんとした集落や町の中ならともかく、移動中の旅人は大抵朝夕の一日二食で、彼女達も例外無くそうしていたが、日が最も高くなった所で簡単なお茶にすべく、街道横の開けた場所に馬車を停めて休憩する事になった。
ちゃんとしたテーブルや椅子は無いが、魔術でポットや薄焼き菓子を乗せた皿、果ては各人の身体を支えてさながら空気椅子の状態で、のんびりと円形に座った姿勢で、五人がお茶を味わい始める。
「今日も良いお天気で良かったですね」
「本当。こういう緑一般の景色って、和むわ~」
「全く……、神経が図太い人間が羨ましいぞ」
セレナと藍里がのんびりと会話を交わしていると、不愉快そうなルーカスの声が割り込む。それに藍里はムッとしながら言い返した。
「朝から何ツンツンしてるのよ?」
「お前に対して怒っているわけじゃない!」
「ああ、昨日のあれ? ガセネタと世迷い言って分かってるんだから、聞き流しなさいよ」
「そうは言ってもだな!」
昨晩、食堂で散々言われた内容について、一晩経っても怒りが治まらなかったルーカスに、藍里が半ば呆れながら宥めると、ジークとウィルも彼を宥めにかかる。
「殿下、落ち着いて下さい。あそこの者達との会話で、幾つか情報を仕入れる事ができましたし」
「少なくとも魔獣騒ぎが狂言では無い事と、近日中にアメーリア様がこちらの地方にいらっしゃる事は分かりましたから」
「あんな嘘吐き女に対して、敬語を使うな!」
未だに相当頭に血を上らせているらしいルーカスを見て、藍里は溜め息を吐いた。
(これは駄目だわ。全く面倒な……。無理にでも話題を変えるか。でも、何を話そう?)
そして少し考えてみた藍里は、ちょっとした事を思い出した。
「そうだ。この間なし崩しにズルズル来ちゃってたけど、ジークさんって本当に昔、うちで一緒に暮らしていたのよね?」
「……はぁ」
何故かその話になると、相手が及び腰になるのは分かっていたが、この機会にちゃんと聞いておこうと藍里は話を続けた。
「別に、どうして界琉と仲悪そうなのかとか、音信不通だったのかは聞かないから。聞いても答えないって分かったし」
「申し訳ありません」
「その口調!」
「え?」
いきなりビシィッと指差され、ジークは本気で面食らった。その戸惑いを無視して、藍里が追及を続ける。
「前に一緒に生活していた時も、敬語で『藍里様』って呼んでいたわけじゃ無いわよね?」
それにジークは真顔で頷く。
「そうですね。当時は『藍里』と呼び捨てにしていましたが」
「じゃあ、私はジークさんの事をなんて呼んでたの?」
そんな素朴な疑問を藍里が口にした瞬間、ジークの顔が盛大に引き攣った。
「……どうしてそんな事を、お聞きになるんですか?」
その反応に、彼以外の全員が不審な顔になり、藍里が注意深く質問を続ける。
「何故かジークさんの記憶が全然無いし、当時の呼び方で名前を呼んだら、少しは思い出すかなって思ったんだけど」
「いえ、別に思い出して頂かなくて結構です」
「そのままのジークロイド? それともジークお兄ちゃんとか。でもこれだと長いか。小さい頃だから、やっぱりジークだけかなぁ?」
探る様な視線で、尚も尋ねてきた藍里から微妙に視線を逸らしながら、ジークは答えた。
「……ええ、ジークと呼ばれていたかと」
「嘘よね。さっさと白状したら? 別に隠す様な事じゃないわよね?」
「…………」
しかし誤魔化そうとしたのをあっさりと藍里に看破され、ジークは無言になる。そんな彼に、ルーカスは怪訝な顔で声をかけた。
「おい、ジーク?」
それを聞いて観念したのか、ジークはいつもより若干低い声で説明を始めた。
「その……、万里様が『これから一緒に暮らす、ジークロイドお兄ちゃんよ』と私を紹介したので、それを聞いた藍里様は私の事を、『ジークロイドお兄ちゃん』を短縮して、『ジーちゃん』と呼んでおられました」
それを聞いた藍里は、何度か瞬きして恐る恐る確認を入れる。
「……はい? ええと、それって冗談?」
「………………」
しかし無言の肯定が返って来た為、藍里は勢い良く立ち上がった。そして素早く腰の高さで浮いているポットや皿を避けて回り込み、ジークの正面で地面に両膝を付いて土下座する。
「たっ、大変、申し訳ありませんでした!!」
「いや、別に大した事では」
「え? あの、アイリ様」
「いきなり何をやってるんだ?」
「アイリ嬢……。うん?」
(今一瞬、変な気配が……)
困惑するジークに、驚きと呆れが半々の表情になったセレナとルーカス。ウィルも何事かと呆気に取られたが、次の瞬間周囲の気配に異常を察知し、素早く他の人間には分からない様に警戒度を上げた。
「すみません、ごめんなさい、小さい頃の事とは言え」
「あの、本当に昔の事ですし、全然気にしてはいませんから」
「しかも、そんな風に呼んでいた事自体、綺麗さっぱり忘れてるってあり得ないし」
「無理ありません。アイリ様はまだ幼かったですから」
「だけどひた隠しにしているそれを、無理強いして聞き出すって……。もう、二重三重の意味で申し訳ありません!!」
「その……、ひた隠しにしていた訳では……」
地面とキスしそうなくらい頭を下げたまま、ひたすらジークに詫びている藍里を眺めて、ルーカスは当事者に説明を求めた。
「ジーク? どういう事だ?」
その問いかけに、ジークは溜め息を吐いて解説する。
「言語変換魔術での自動翻訳では、微妙なニュアンスまでは伝わらないみたいですね」
「と言うと?」
「日本語で『祖父』の事を『おじいさん』とか『おじいちゃん』と言いますが、それらは同時に、年配者の男性に対する呼称としても使います」
「そうか。それで?」
「『おじいちゃん』のくだけた言い方だと『じいちゃん』になりまして……。日本語的な発音ですと、殆ど差が無くて、ですね……」
「…………」
そこでジークが言葉を途切れさせたが、他の三人にも十分言わんとする所が伝わった為、それ以上の説明を求める者は無く、気まずい沈黙がその場を支配した。しかしすぐに、顔を見合わせつつジークに声をかける。
「……あ、ああ。うん、分かった」
「そうかそうか。小さい頃から苦労したんだなぁ『ジーちゃん』?」
「ウィル……、殴るぞ?」
横から苦笑されながら、ポンとウィルに肩を叩かれたジークは凄んだが、セレナも真顔でウィルを窘めた。
「そうです。失礼よ、ウィル。『ジーちゃん』と言う呼称の響きは、それなりに可愛いと思うわ」
「……セレナ。フォローになっていない気がするのは、俺だけか?」
がっくり肩を落としたジークを見て、再度笑いそうになりながらも、ここでウィルが警告を発した。
「ところで話は変わるが、恥ずかしがりなお客様がいらっしゃるみたいなんだ」
その台詞に、途端にジークは鋭い視線を彼に向ける。
「気が付かなかった。どこだ?」
「ジークの背後の方向、約三十メートル? あ、アイリ嬢。向こうに気付かれるから凝視しないで下さい」
「了解」
相変わらず地面に座りながら、慌てて頭を上げた藍里にウィルが言い聞かせ、藍里もさり気なくジークを見るふりをしながら立ち上がった。そして自分が座っていた位置に戻ると、ウィルが詳細を告げる。
「休憩に入った直後から、消音防壁を展開しているからこちらの話を聞かれてはいないが、アイリ嬢がいきなり立ち上がって自分達の正面に回り込んだと思ったら変な事をし始めたので、何か新手の攻撃法かと邪推でもしたのか、一瞬動揺して消していた気配を察知できたらしい」
「何が幸いするか分からないな……」
「さて、どうする?」
呆れ気味に溜め息を吐いたルーカスに苦笑して、ウィルは同行者達に意見を求めた。それにほぼ同一の意見が返って来る。
「襲う気なら、人気の無いここでさっさと襲ってるだろう?」
「こちらの身元を疑っているのか、襲うだけの戦力が無くて見張っているだけなのかもしれませんね」
「どちらにしても、わざわざこちらから仕掛ける事は無いな」
そう意見が纏まり、眺めていたければ勝手に眺めていろという方針の下、五人は再びお茶を飲み始めた。
そんな中考え込んでいた藍里が、問いを発する。
「ウィルさん、向こうからは私達をしっかり観察しているのよね?」
「ええ、その通りです」
「分かったわ。ありがとう」
その問いに不思議そうに答えたウィルだったが、余計な事は言わずにそのままお茶を飲み終えた。
それから茶器や皿を纏めてしまい込んだ一行は、出発しようとして藍里が奇妙な事をしているのに気が付いた。
「それでは、そろそろ出発します。……アイリ様、何をされているんですか?」
密かに腕に装着している紅蓮から、いつの間にか取り出した布袋を手にした藍里が、その中身を取り出して街道の左右に一個ずつ放り投げていた。当然怪訝に思ったセレナが問いかけたが、藍里は笑って空いている右手を振る。
「うん? ちょっとしたおまじないだから、気にしないで」
しかし流石にルーカスは、訝しげな視線を送る。
「『おまじない』って……、それは白虹だろう?」
「そうよ? でもたくさん有るから良いのよ」
「何なんだ、一体」
しかし素知らぬ顔で藍里が馬車に乗り込んだ為、これ以上聞いても答える筈も無いと、あっさり割り切って自分の愛馬へと向かった。
そんな一行が立ち去った後に、二人組の男が馬を引きながら慎重にやって来た。そして一人が地面から何かを拾い上げた為、もう一人が顔を顰める。
「おい、何をやっている?」
「いや、あの女が、さっきわざと落としていったんだが……」
そして男がつまみ上げた、中でキラキラ光るビー玉を相棒に見せると、彼は心底嫌そうな表情になった。
「何か変なものだったらどうする?」
「しかし、手に持っても何ともないし……。ガゥ、ターメルド、ジェスバ」
説明しながら呪文を唱え、道の反対側に転がっていた同じビー玉に、ごく小さな衝撃波をお見舞いすると、それは呆気なく割れて粉々になった。
「ほら。簡単に壊れるぞ?」
それを見た相方も、怪訝な表情になる。
「何だ? 武器の類じゃないのか?」
「何かの連絡手段の媒介って事もありえる。一つ持ち帰って、伯爵かアメーリア様に見て貰った方が良くはないか?」
「そうだな……。大した危険性は無さそうだし、そうするか」
そう話は纏まり、白虹の一つを懐に入れた男は、相棒と一緒に連れていた馬に跨がり、密かに藍里達の後を追った。
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