第14話 危うい均衡
披露宴の主役の二人と、新婦の父親であるランドルフを囲んで、ごく親しい者達だけで語らっている所に、先程離れて行ったばかりのルーカスが戻って来た為、その場の者達が不思議そうに声をかけた。
「おや、ルーカス殿下。もうお戻りですか?」
「アイリ嬢を伴っていらした様でもありませんが……」
つい頭に血を上らせて、藍里の所から戻ってきたものの、父親から目線で彼女と親しくしている所を周囲に見せつけるか、ここに連れてきて皆に紹介しろと指示されていた事を思い出したルーカスは、気まずそうに弁解の言葉を口にした。
「その……。彼女はヒルシュ家縁の者達と、久し振りに顔を合わせて、話に花を咲かせているらしく……」
そんな事を口にした息子を、ランドルフは無言で睨み付けたが、ここで場を取りなす様に、界琉が彼に向かって詫びる言葉を口にした。
「そうですね。妹は数年前まで夏期休暇はリスベラントで過ごしていましたが、最近は日本から出る事も無く過ごしていましたので。父方の従兄姉達に会うのも久方ぶりで、昔話で盛り上がっているのでしょう。婚約者を除け者にした形になってしまいましたが、平にご容赦下さい、殿下」
「いや、別に……」
義兄となった男に低姿勢で謝られ、ルーカスは怒りをぶつける事もできずに曖昧に頷いた。すると周囲も二人の様子を見て、訳知り顔で口々に言い合う。
「そうですな。あくまでも、今夜の主役はカイル殿とクラリーサ様なのだから、アイリ嬢と殿下が一緒に居て悪目立ちするのもどうかと思います」
「確かに、却って良いかもしれませんね。殿下と一緒に参加しなければいけない行事などには、きちんと同伴して頂けるのでしょうし」
そう確信しているらしい女性がにこやかに微笑んだが、それを聞いたランドルフとルーカスは僅かに顔を引き攣らせ、クラリーサは不安を隠せない様子になった。その横で、界琉は必死に笑いを堪える。
(さあ、どうかな? あいつの事だから、全力でサボるんじゃないか?)
完全に他人事として、界琉が話の流れを面白がっていると、ここで公爵家の侍従が一人ランドルフに近寄り、恭しく声をかけた。
「閣下。至急の報告です」
「何事だ?」
不愉快そうに振り返ったランドルフだったが、昔からの忠臣の顔色が悪い事を見て取った彼は、控え目な手招きに応じて人の輪から数歩離れた。その彼の耳に、侍従がとんでもない内容を囁く。
「何だと!?」
思わずランドルフが声を荒げた為、先程まで会話に興じていた面々は、揃って怪訝な顔で彼の方に向き直った。
「公爵様? 何かございましたの?」
その問いかけで瞬時に判断力を取り戻したランドルフは、いつも通りの顔で落ち着き払って答えた。
「いえ、大した事では無いのですが、至急、公宮に出向いて確認しなければならない事柄が生じました。暫く席を外します」
「お父様?」
「父上!?」
予想外の事態に、クラリーサとルーカスは動揺したが、ランドルフは目線で二人を黙らせた。
「用事を片付け次第、すぐ戻る。後の事は任せたぞ、カイル」
「はい、お任せ下さい」
落ち着き払って一礼した界琉に僅かに顔をしかめてから、ランドルフは傍目には悠然とヒルシュ子爵邸の大広間から出て行った。しかし彼の姿が見えなくなってから、彼を囲んでいた者達が、不満げに口を開く。
「一体、何事だ? よほどの事が無ければ、わざわざ公爵を呼びつけないだろうに」
「せっかくのクラリーサ様の結婚披露宴ですのに、父親たる公爵様が途中で退席なさるなんて……」
「案外、本当に大した事は無いのかもしれませんよ?」
「カイル殿?」
宥める様に言い出した界琉に、皆の視線が集まったが、彼は悪びれなく冷静に言ってのけた。
「最近、リスベラント公宮内で大幅な昇級人事があったばかりですので、些細な事で担当者が戸惑ったり、事案の解決に時間がかかってしまっている可能性がありますから」
その指摘に、大部分の者が納得した様に頷く。
「ああ、なるほど」
「そういう事情もあったか」
「そう言えば……。私はてっきりダニエル殿の後任にカイル殿が就任すると思っていたら、あなたがアルデイン宰相補佐官のままで驚きました」
年かさの女性の一人が、探るように界琉に話しかけると、彼はとんでもないと言わんばかりに、苦笑しながら反論した。
「リスベラントでの勤務経験の無い私が、いきなりその総内務長官に就任するなど、どう考えても不自然ですし不可能ですよ。能力を買って頂いたのは嬉しいですが、少々突飛なお考えの様に思います」
「あの……、そうすると、当面はリスベラントにいらっしゃる予定は無いと仰るの?」
先程とは別の女性が驚いた様に確認を入れてきた為、クラリーサやルーカスが口を開く前に、界琉は用意していた答えを笑顔で口にした。
「ええ、勿論です。クラリーサもアルデインでの仕事が認められるのはこれからですし、私もまだまだ宰相補佐としても未熟者ですから。こちらに来る事になったとしても、それは遠い先の話ですね」
「はぁ……」
「そうですか」
それからその集団は、一見和やかに語らっている様に見えて、にこやかに微笑んでいるのは界琉一人で、クラリーサとルーカスは動揺しながら話を合わせるのに苦心し、他の者達は微妙な顔を見合わせながら、その場を取り繕っていた。
そしてヒルシュ子爵邸を出るなり馬車を全速力で走らせて、公宮に戻ってきたランドルフは、蒼白な顔の侍従と共に夜間で人気が無い館内を走り抜け、最奥のエリアに達した。
「ガイナス! 扉の現状は!?」
扉の間に到達するや否や、ドアを押し開いて室内に駆け込んだランドルフを見て、つい最近ダニエルから総内務長官の役を引き継いだばかりのガイナスが、真っ青な顔のまま喜色を浮かべるという、器用な事をしながら声を張り上げた。
「相変わらず開きません!」
「最初に異常に気が付いたのはいつだ!?」
「四十二分前に、定期開放時間に合わせて開こうとしましたが、微動だにしないため発覚しました!」
そしてつかつかと扉の前に佇んでいるガイナスに歩み寄ったランドルフは、彼の腕を掴みながら唸るように問いかけた。
「……その時、この場に居合わせた者は?」
「アルデインに向かう予定だった者は全員、別室に待機させております。箝口令を敷いて、口外しない様に」
「甘い!! 記憶操作能力保持者を至急呼び寄せろ! 万が一にも扉の不具合が表沙汰になってみろ。貴族連中は大混乱するぞ!」
「畏まりました! 直ちに呼び寄せます!」
ランドルフの厳しい叱責を受けて、ガイナスが弾かれた様に顔を上げ、一層顔付きを険しくして走り出した。
「動揺した姿で、公宮内を走り回るな! 何も知らない官吏にまで、不審な目で見られる」
「はい、承知致しました!」
再度相手を叱りつけ、ランドルフは最低限の警備兵と室内に取り残されてから、思わず愚痴を零した。
「全く……、ダニエルが相手なら、わざわざこんな事まで指示しなくとも済んだだろうに……」
そして忌々しげに扉を見つめてから、何気なく呟く。
「しかし……、偶然か?」
その呟きを、室内で配置に付いていた警備兵も耳にしていたが、意味が分からなかった上、尋常ならざる非常事態を目の当たりにして、蒼白な顔のまま固まっている事しかできなかった。
そしてリスベラント側と同様に、アルデイン側の扉の間も、少し前から恐慌状態に陥っていたが、アルデインの内政を司っているケインは、部下からの知らせを受けるなり飛んできて、情報の隠蔽と事態の収拾を図っていた。
「ひっ、開きました! 宰相殿!」
そんな彼らの目の前で、突然前触れ無く扉がゆっくり開いた為、係官が仰天して指差した。しかしケインが彼を叱りつける。
「まだ安心できん! 喜ぶのは、きちんとリスベラントと繋がっているかどうかの、確認が済んでからだ!」
「そっ、それはそうですが!」
「では私が様子を見て来ます」
「いや、アルデインを預かる最高位者として、そして最年長でもある私が試すべきだろう」
「そんな! 宰相様にそんな危険な事はさせられません!」
「……ケインか?」
何人かでそんな言い合いをしているうちに、唐突に聞き慣れた声を耳にしたケイン達が慌てて視線を向けると、開いた扉の向こうからゆっくりとランドルフが姿を現した。それを見た全員が、喜色満面で彼に駆け寄る。
「公爵閣下!!」
「どうやら、問題は無くなったな。何度か開けてみたら、自然に繋がったようだから、試しに入ってみたんだが」
「閣下!! 何かあったらどうなさるおつもりですか?」
「少しは自重なさって下さい!」
「寿命が縮みました……」
安堵のあまり、腰が抜けた様なケインを見たランドルフは、険しい顔付きのまま彼に確認を入れた。
「ケイン、へたり込むのは後にしろ。こちらにも扉の前に待機していて、異常を目の当たりにした人間が居るな?」
その問いに、老年の分胆力もそれなりだったケインは、瞬時にいつもの状態を取り戻し、記憶操作に長けた能力者の名前を挙げて報告した。
「別室にて、通信手段の一切を奪って隔離中です。それからソムニー殿を待機させております」
「宜しい。直ちにソムニーに仕事をさせろ。扉は設置以来、全く異常は無い。これが事実だ」
「畏まりました」
真実と事実が異なる事など世の中にごまんとあると認識しているケインは、余計な事は口にせずに、早速事後処理に取りかかった。
そんな彼らの扉の間の出入りと、漏れ聞く会話を確認した一成と継治は、隠れていた廊下の角から出て、音もなく歩き出す。
「随分、顔色が悪かったな」
「そりゃあそうだろう。あれがリスベラントと外界を繋ぐ、唯一の存在なんだから」
「そんな危うい世界に、住みたいとは思わないな」
そこで一成が足を止め、軽く背後を振り返って物憂げに呟く。
「それでも、そこが故郷って人間は居るからな。多くなり過ぎたみたいだが……。帰るぞ」
「ああ」
そして二人は、人知れず暗い闇の中に消えて行った。
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