第3話 兄の来訪

「しかしそれは!」

「あら、ルーカス殿下。何か御不審な点でもおありですか? ダニエルの話では公爵閣下から辞令が出て、それに従って部下の方達も『そういう事情ならお引き止めできません』と快く了承して下さったとの事だったのですが、どこか事実と異なる所があるのでしょうか?」

「いや、確かに違わないが……」

 万里が若干強い口調で確認を入れると、何故かルーカスが気まずげに黙り込んだ。それを受けて、再度万里が楽しそうに話し出す。


「本当に公爵様は、クラリーサ様が可愛くて仕方が無いのね。彼女の夫になる界琉への反感を防ぐ為に、抜かりなく手を打って来るし。それに急にダニエルが辞めても支障が無いように、後任者の育成もしてきたのでしょうし」

「なるほど。界琉に悪意が向けられると、クラリーサさんにも害意を持つ人間が出るかもしれないものね。かといって界琉の方を冷遇したら、クラリーサさんが肩身の狭い思いをさせるかもしれないから、お父さんに詰め腹切らせたってわけか。流石だわ」

「おい! 詰め腹って!!」

 しみじみと藍里が口にした内容を耳にして、ルーカスが声を荒げたが、彼女は彼に向き直って、何でも無い事の様に弁解した。


「あ、この場合、良い意味で使ってるんだから、誤解しないでね? お父さんは前々から『堅苦しい仕事は嫌だ』って、以前から辞めたがっていたし。界琉じゃなくて、お父さんが辞める方が道理に適っているわ」

 しかしそれを聞いたルーカスは、益々愕然とした顔付きになった。


「……辞めたがっていた?」

「そうよ? それがどうかした?」

「勿論、仕事中にそんなやる気の無さを示す様な、ダニエルじゃありませんけどね」

「…………」

 来住家では当然の認識だった内容を聞いたルーカスは、何とも言えない表情で黙り込んだが、そこでドアの方から皮肉気な声がかけられた。


「言葉にすると『そんな要職を投げ出したいと思うなど、理解できない』とでも言った顔付きですね、殿下」

 その声に弾かれた様にルーカスが顔を向けると、たった今話に出ていた人間の一人が佇んでいるのを認めて、僅かに顔を強張らせた。


「お前……」

「界琉?」

「あら、いつ来たの?」

 不思議そうに声をかけてきた母と妹に界琉は笑いかけ、ルーカスには単なる伝達事項の様に付け足す。


「たった今。昼休憩に併せて、仕事を一つこなしに来たんだ。藍里、食べ終わったら話があるから、リビングに来い。先に行って茶を飲んでいるから。それと殿下にも話がありますので」

「……うん、分かった」

「了解した」

 そう言って流しでさっさと自分の茶を淹れて、カップ片手に界琉がリビングに向かうのを見送ってから、藍里はルーカスに問いかけた。


「何か聞いてる?」

「いや、何も……」

 本気で当惑している相手の顔を見て、藍里は(ろくでもない予感しかしないわね)と渋面になりながら食べ進め、そんな二人を面白そうに観察しながら、万里も黙って食事を再開した。

 そして後片付けを引き受けた万里を台所に残し、食後にリビングに出向いた二人を、界琉は落ち着き払った表情で出迎えた。


「界琉、何の用なの?」

「まあ、そこに座れ」

 そう促してから、界琉は一応ルーカスに断りを入れる。

「殿下。先にプライベートの話を、先に済ませてしまって宜しいですか?」

「ああ、構わない」

 そこで界琉は遠慮なく、何事かと訝しんでいる藍里に向かって用件を切り出した。


「藍里、再来週から夏休みだろう。休みに入ったら、すぐにアルデインに来い」

 唐突な話に加えての命令口調に、さすがに藍里はムッとして言い返した。


「何なのよ、いきなり。ディル位を取った後は、比較的平穏だったのに」

「実兄の結婚式位、出るだろうな?」

 ここで当然の如く言われた内容に、藍里はすぐに納得して頷き、次いで盛大に愚痴を零す。


「あのね……、そう言う事なら、もったいぶらずに早く言ってよ。了解、当然行くわ。でもそれっていつなの? 何も休みに入った直後に行かなくても、良いんじゃない?」

「予定は半月後だからな」

 出席に関しては了承した藍里だったが、その日程を聞いた途端、驚愕と非難の叫び声を上げた。


「界琉、ちょっと待って! それなら本当に、夏休みに入ってすぐじゃない! どうしてこの時期まで、教えてくれないのよ!? こっちの準備だってあるのよ!」

 しかしその抗議を受けた界琉は、視線を妹からルーカスへと移しながら、含みのある口調で問いかけた。


「ほう? そうなるとルーカス殿下は、閣下直々かクラリーサから、挙式の日程について聞いていなかったと?」

 その問いかけに、ルーカスは思わず弁解する様に答える。


「いや……、確かに先月のうちに聞いてはいたが、アイリもお前やマリーから聞いているものとばかり……」

「あら、仮にもルーカス殿下は藍里の婚約者ですから、てっきりプライベートな話を色々しているものかと。今後二重の意味で親戚になるわけですし」

 片付けを済ませた万里がにこやかにリビングに現れると同時に、一見邪気の無い笑顔で口を挟んできた為、ルーカスは僅かに顔を引き攣らせ、藍里が彼を指差しながら盛大に噛み付いた。


「お母さん! ここで不愉快な話題を出さないで! 私は一秒だって、こいつを婚約者なんて認めた事はありませんからね!!」

「藍里。人を指差したりするのは止めなさい」

「分ったわよ……」

 真顔で注意してきた母親に、藍里がおもしろく無さそうに口を閉ざすと、万里が界琉と並んでソファーに座りながら、先程と同様の笑顔を浮かべながら謝罪した。


「本当に、礼儀知らずな娘で申し訳ありません、殿下」

「分かっている。気にしていない」

 溜め息を吐いて応じたルーカスに、藍里が内心で腹を立てていると、界琉が冷静に話を続けた。


「藍里、準備に関しては大丈夫だ。お前や悠理が式や披露宴で身に付ける衣装や小物は、向こうで全てミラ伯母さんが準備してくれている。あいつも色々忙しくて、身一つで行くから心配するな」

「そうなの? 助かったわ」

「藍里。リスベラントに出向いたら、ミラ義姉さんに良くお礼を言っておいてね?」

「勿論そうするけど、言っておいてねって……。お母さんは言わないわけ?」

 次兄も同様に全く準備せずにリスベラントに出向く事を聞いてホッとしたのも束の間、万里の台詞に引っかかる物を感じた藍里が問い返すと、万里が事も無げにその理由を口にした。


「だって五日後にクルーズ船が出航するんだもの。当然船にアルデインに繋がる扉なんか無いし、必然的に結婚式やそれに付随する諸々の行事に、参加するのは無理でしょう? 帰ってきたらお土産持参で、お礼とお詫び方々挨拶に行くわ。お義兄さん達にもきちんとその旨を伝えてあるし」

「はあ? マリー、まさかダニエルも出ないのか!?」

 万里の話にルーカスは愕然として慌てて会話に割り込んだが、対する彼女は軽く笑っただけだった。


「ええ。だって界琉は伯父であるヒルシュ子爵のサムエル殿とミラさんの養子になって、子爵家の後継者になっているんですもの。今回の挙式と披露宴も、ヒルシュ子爵夫妻の名前で招待状を出して執り行いますから、なんの権限も無い実の両親が不参加でも、支障はありませんから」

「普通は出席するだろうが!」

 若干叱りつける感じのルーカスの叫びを聞いて、藍里も(それはそうよね)と密かに思ったが、今度は界琉が聞き分けの無い子供をあやす様に、落ち着き払って言い聞かせてきた。


「我が家は、普通の家とは違うのですよ。私としては先延ばしにし過ぎた新婚旅行を、両親に心行くまで楽しんで貰いたいので、プライベートな事でそれを邪魔をしたくはありません」

 それを聞いて、先程は少し否定的な事を考えた藍里も、あっさりとその意見を覆した。


「そうよね。お父さん達って放任主義で、昔から界琉も悠理も好き勝手にどこかに出かけてたし。新郎側の両親が伯父さん達で揃ってるんだから、界琉が良いって言うなら別に問題は無いか」

「そうなのよ。相手がクラリーサ殿下だから、微塵も心配する事なんかないしね」

「いや、姉さんも二人には」

 それに対して何かルーカスが言いかけたが、力強い藍里の台詞がそれを打ち消す。


「そうだよね~。それに舅と姑が二組も揃ってたら、クラリーサさんだって居心地悪いわよ。だってクラリーサさんのお母さんは既に亡くなってるって話だし、親として出席するのはお父さんの公爵様だけなんでしょう?」

「それもあるのよね。分かってるじゃない、藍里」

「これ位の空気は読めるわよ。あんまり馬鹿にしないでよね」

「そういう問題じゃなくてだな! 所謂常識とか体面とか」

 茶化す様に言った万里に、藍里が多少拗ねたように言い返す。そこでルーカスが苦言を呈しようとしたが、界琉がそれを無視しながらあっさりと話題を変えた。

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