クリス 上
今日もまた、雑務ばかりか……
「クリス少尉、この書類の処理も頼むぞ」
「分かりました」
最近は実戦から離れてばかり。ここ最近の実戦は何日前だったかな?
私はクリス・アルベルト。
皇国軍の少尉として部隊を率いるはずだったが、女という理由だけで隊を預けてもらえず、結果、軍の書類仕事を押し付けられている。
少尉にまでなれたのは、さる中将のおかげで戦場に出る機会に恵まれ、結果を残したからだ。
しかし、中将はたった一度の作戦無視(仲間を救うため、確実に必要であった)で貴族の怒りを買って左遷されてしまい、私の実戦機会は激減した。
「ん?これは……」
「ああ、それね。昨日の小遠征での発見報告。なんでも、この周辺にはいない『デスホーン』が現れたみたい。今はどこの隊が対応するのか協議中みたいよ」
「『デスホーン』が……」
『デスホーン』――文字通り「角」を持つ、体長2mの牡鹿のことだ。
ただし、ただの角ではない。人だけでなく、頑丈な鱗を持つ魔物ですらその「角」で刺し殺すことからこの名が付いた。僅かではあるが、尖端に熱を持っているそうだ。
そんな角が四本。横に伸びる太く頑丈で四方向に枝分かれした二本の長い角と、眉間から前に向かって生える二本の捻じれた鋭く短い角。
どんなに頑丈な鎧を着ていようと、その一刺しで簡単に貫かれるため、魔法士をメインにした部隊でないと歯が立たない。私の出番ではないな……
「今は全ての魔法士部隊がフル稼働してて、後回しにされてる事が多いのよ」
「魔法士がフル稼働?」
「こっちに回されたのは最近だから知らなくてもしょうがないか。最近ね、やたらと魔物の目撃報告が上がってくるの。それは軍の見回りだけじゃなくて、冒険者だったり、商人だったり、あとは旅人かな。とにかく、最近は尋常じゃないくらい報告が来てて、私達もてんてこまいなのよ。正直、少尉が来てくれて私達は感謝してるの」
私としては実戦に出られないから素直には喜べないけど、人に頼られるのは悪くない。
「ちなみに、どれくらい溜まってるの?」
「えーっと……あったあった。今現在で20件くらい。これでも少ない方かな。前は50件くらい溜まったこともあるから。いやー、あのときは大変だったな」
50件!?とてもじゃないけど、軍だけじゃ手が足りないじゃない!
そういえば、以前にやたらと魔物討伐の仕事を押し付けられた覚えが………
「あのときはとにかく、手の空いた兵士の方々にどんどん回してましたね。それでも足りなかったので、一部は冒険者にも回してましたっけ。
あれはこういった事情があったから起きた、今までにないことだったのか……
私がいる皇国は、大陸中央から西側にかけて領土を持つ王国の北側にある。
王国と反対の東側には共和国がある。大陸の南は帝国が治めている。
領土の大きさは順番に、王国、帝国、共和国、皇国の順である。
領土の大きさでは他に劣るものの、軍の質は負けていない。今は大陸中の国々が魔物の対処に追われているため、戦争は休戦状態だが、再開されても負けるつもりはない。
「それで、今日は他に何をすれば?」
「今残ってる仕事は会計関係なので、今日はもう上がって頂いて構いませんよ」
「そう。なら、ありがたく早退させてもらうわね。お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした」
さて、思わぬ形で時間が出来てしまった。
特に何かすることもないから、訓練場で軽く汗でも流して行きますか。
「――クリス少尉か。どうした、今日も書類仕事に追われているのかと思っていたのだがな」
「私の出来ることが無くなったのでお役御免となったのですよ、ジャン准将」
ジャン准将は皇国軍の中で革新派と呼ばれる、伝統を重んじつつも時代に合わせて規則を変えていこう、という柔軟な発想を持つ派閥に属している。
私も同じ派閥に属しているのでよく話す、気さくな方だ。
「なら、久しぶりに戦ってみないか?鈍って仕方がないだろう?」
「ぜひ! 最近はまともに模擬戦も出来ていなかったのでありがたい申し出です」
准将なので、剣と魔法の腕も一流。
一兵卒から叩き上げで准将まで上り詰めた実力主義の人で、貴族を嫌っているとの噂が……。准将なだけあって指揮に関しても優秀で、人望があります。
「そうか。剣でよかったよな?魔法はどうする?」
「今日は使わないということで」
「了解した。いつでもこい」
「では、いざ――!」
一息で間合いを詰めて上段からの袈裟斬り――を仕掛けますが簡単に受け止められてしまいました。
まあ、そう簡単にはいきませんよ、ねっ!
「久しぶりに貴方と剣を交えますね」
「そうだな。二週間ぶりか?ずっと事務仕事だから鈍っているのかと心配したが、無用だったようだな。相変わらずの剣の冴えだ」
こちらは少なからず本気を出しながら戦っているというのにこの人は……一体どれくらいの時間磨き上げればここまで無駄のない動きが出来るのだろうか。
「御褒めに与り光栄です。普段から研鑽は怠らないので失望させずに済んでよかったです。――それで、御用件は何でしょうか?」
「なんのことだか――と誤魔化す必要はないか。貴殿に前線での指揮を任せようかと思ってな」
「良いのですか?」
前線へ。つまり、部隊を率いて魔物と戦えということ。
でも、准将が独断で決めていいことではない。
大将ないし中将クラスの裁量がなければならないはずだが……
「大将からは許可をもらっている。ただ……」
「ただ?」
「率いるのは荒くれ者の集まり。愚連隊だ」
愚連隊。皇国軍の暗部で、罪人もしくは私兵のことを指す。
正規の仕事であれば騎士団が派遣されるが、非正規――つまり、汚れ仕事をする場合に、軍と関係のない者を指揮出来る者が率いてこなす。
ということは―――
「作戦内容は?」
「……三日後、彼の国の王が近くを通って帝国へ向かうらしく、その妨害及び殺害とのことだ。これは……貴族どもの命令だ。拒否権はない」
「何故……大将はこの作戦を容認されたのですか?」
「……行けば分かる、としか伝えられていない」
「意味が分からないのですが?」
「おそらくだが……失敗することを前提に、貴族どもの足を掬おうとしているのではないだろうか?そして、必敗の部隊を率いるのはそれなりに優秀で、向上心のある若者であるのが相応しい。愚者ではないが、天秤を量り間違えるくらいには目先の成果を追いそうな者を、と考えているのではないかと俺は思っている」
なるほど、少尉に上り詰めたはいいものの、それからはなかなか昇格できておらず、焦っているだろう私に目を付けたと。
「少尉の地位に燻っている私こそがその役に相応しいと?」
「あくまで俺の私見だがな。どうする?」
「一つ質問が。どちらですか?」
「……私兵だ。つまり、監視役兼指揮官は軍人だが、実際に行動をするのは貴族お抱えの者達。死んだところで貴族の持ち駒が減るくらいで、何か問題になるわけでもない。彼らは盗賊か野盗だった、ということにして済ませるつもりだろう」
正規の軍人ではないからもみ消すことは簡単だということだろう。
「どうする?」
「これが私の出世に繋がるとは思えませんが……」
「なら、止め――」
「やりましょう。所詮負け戦でしょう?実戦の勘を取り戻す踏み台くらいには役立てさせてもらいます」
「そうか、大将には俺から伝えておく。戻れば実戦部隊に復帰だ」
「わかりました。それと、久しぶりの模擬戦、ありがとうございました」
「こちらもいい運動になった。やはりお前はこんなところで腐る人間ではないな。頑張れよ」
汚れ仕事なんてしたくはありませんが、これも出世のため。今掴まずいつこの好機を掴むというのか。
准将の厚意、無駄にしないためにも、しっかりと役目を果たさないと。
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