精霊使いと軌道猟兵《トニトルス》
川口健伍
第1話 召喚
星が三度またたいて、火線が尾を引いて流れた。
遊牧民のテント集落から外れた
彼女の眼前には方陣がある。油で線を引き、火を走らせることで描かれた、焦げ跡の文様。それは、ノーマンズフィールドの家に伝わる、精霊召喚のための文様だ。ふだんは伝統衣装の刺繍にしか見ることができない模様が、いまは意味ある方陣として草原に描かれている。
「ね~、まだぁ?」
嫌味な声がゲルダの背中を叩く。彼女は努めてその言葉を意識から排除する。ただでさえ飽きっぽいのに、野次に邪魔されてまたこんな最初で失敗していたら笑えない。
「止めなよ、ゲルダは真剣なんだから。茶々をいれたらダメだよ」
「そんなこと言ったって、もう……あれ? そろそろ何回目になるんだっけ?」
「もうやめなって、ゲルダの邪魔するの」
ゲルダの額から汗が流れ落ちる。
草原に描かれた方陣を通して、魔力が眼前にうずまいているのを感じる。
しかし――ただうずまいているだけだ。ゲルダの思った通りのかたちにならない。
まとまらないまま、加速度的にその量だけが増えていく。
汗が頬をすべってあごから滴り落ちる。
瞬間、魔力量の多さを抱えきれなくなり、爆発的に霧散する。
方陣をなぞるように光が走り、夜闇を切り裂いて、一瞬あたりが明るくなる。
ぐったりと座り込み、ゲルダは肩を落とす。
「六百……」
「え?」
「大丈夫、ゲルダ?」
うまく聞こえなかったのか、友人たちが聞き返してくる。
「これで通算六百回目……」
ゲルダは見守ってくれていた友人たちに、そう告げた。
「そっか、じゃあそろそろ二年になるね」
と、気まずそうに言ったのがベルだ。同い年の女の子で、ちょうどいまから二年前、彼女が十四歳のときに、
「だから、そんな後追いするようなこと言わなくても」
と、ベルをたしなめたのはリコルだ。彼も同い年で、二年前に
数えで十四の成年に達すると、
ゲルダは、それ以前の問題だった。まともに精霊を召喚できないのだ。初めて挑戦してから今日の失敗でちょうど六百回目だった。
ゲルダの村は精霊使い以外では牧羊を生業としている。村は中央平原の雨季と乾季に従って、牧草地を求めて遊牧をくりかえす。鳥の目で見た時、この二年の軌跡はゲルダの方陣の焼け跡がはっきり教えてくれた――。
涙も出なかった。失敗の原因はわからなかった。でも、正直に言えば、心のどこかではそれでもいいと思っていることも、自覚していた。
別に宮廷に行きたいわけじゃないし――。
「帰ろっか」
ゲルダはふたりに、そう言った。
リコルは困惑し、ベルは憎々しげな表情を返す。どこか晴れ晴れとしたゲルダを訝しんでいる。
「ゲルダ、あなたね!」
「ベル、落ち着いて。ゲルダ、ぼくらは先に行ってるから、ゆっくり戻ってきていいよ」
気を遣われてしまった。
ほら行くよ、とリコルが蜥蜴のかたちをした火精霊を実体化させ、灯火として道行きを照らす。文句が言い足りないと怒っているベルの背中を押して行く。
「はー」
ふたりの背中が夜闇にまぎれるまで待って、ゲルダはため息をつく。
今日で六百回。村の記録にも、そんな回数を重ねて召喚に成功した例はない。薄々気がついてはいた。
それでも今日まで続けて来られたのはふたりがいたからだ。
ゲルダの口から、うなりが漏れる。
村でたったふたりの、家族のように一緒に過ごした幼馴染たちと、これからも同じ道を歩いて行きたかった――。
う~、とうなりゲルダは地団駄を踏み、踏み続ける。
でも、仕方ない。私は村に残り、ふたりは王都に行くのだ――。
ゲルダは少し泣き、顔を上げた。
その時だった。
光が失墜した。
突き上げるように地面が揺れて、ゲルダは仰向けに倒れ込む。
それがよかった。
噴き上がった土砂がゲルダに降りかかり、衝撃波から彼女を守った。もし立ったままであれば遮蔽物のない草原を、どこまでも吹き飛ばさていた。
意識が戻ったときには、身体は半ば土砂に埋まっていた。
不思議なことに、音が聞こえなかった。
強く吹きつけてくる風と、草と何かが混じり合って燃える強い臭いがゲルダの鼻をくすぐった。
土砂を跳ねのけ振り落としながら、ゲルダが立ちあがると、ここ数日分の方陣があった場所が黒々としたクレーターと入れ変わっていた。
その中心に、夜の闇をさらに黒く塗りつぶしたような円筒形の物体が突き刺さっていた。
黒い円筒、その上部が稲妻を発して弾け、切ったようにスライドして地面に落ちる。また、無音だった。
円筒の縁に真っ黒な手がかかり、手の持ち主の上体が引き起こされる。
赤い単眼が周囲を探るように動き、ゲルダを捉え、止まる。
あ、目が合った――。
次の瞬間、黒々とした壁が、眼前に立っていた。
遅れて強い風が、ゲルダを叩く。
それでも目をそらさなかった。
赤い単眼、つるりとした頭部、丸太のように太い両腕、厚い胸板、異様に突き出た膝を支える、四足獣の後ろ脚――放電がのたくる巨躯は、墨をこぼしたような黒一色だった。
ゲルダは意を決して、言った。
「あなた、もしかして――
《――――》
一瞬、まるで逡巡するような間があり、それから巨躯の主は言った。
《我理解。汝我新主》
放電火球がひとつ、またひとつと消えていく。
草原に静かに闇が戻ってくる。
さっきとは別の涙を流しながら地団駄を踏むゲルダの影法師が、夜にとけていった。
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