第10話 剣の舞
衛兵の一人は、目の前の光景に息を呑む。
彼らはフォーリスの警備と周辺地域の獣や野盗への警戒が主な任務だ。しかし、現在は平和なご時世であり、大きな戦乱は無く、彼らは兵士の出番は限りなく少ない。別の視点から言えば、兵士たちも平和ボケしているのだ。それでも、万が一ために訓練は怠らず、日々精進してきた者もいる。
この若者も、その一人だ。
怠慢な先輩衛兵の嘲笑を無視し、後ろ指を差されようとも前を向き、自分の育ってきたこの街を守るために努力してきた。
そして今、その鍛錬の成果を発揮するべき時が来たのだ。
しかし、駄目だった。
三種の獣が混ざったかのような異形の生物が街に襲撃し、多くの兵士や商人たちの命が散って行った。人間たちを爪で手頃な大きさに切り裂き、生きたまま貪り食う様など地獄の光景だった。
衛兵は、初めての実戦に、恐怖を前に、身体が竦み動けなかった。あんなに努力したのに、一生懸命鍛錬したのに、自分は何て無力なのだ。
街を守る外壁と鉄扉が破られたとき、若き衛兵はフォーリスが陥ちたと諦めていた。あんな化物に敵うわけがない。自分も逃げ出したいのだが、なぜだか脚が動かない。腰が引けているというのに、身体が逃がすことを許さなかった。
そんなとき、一人の少女が前へ進み出た。
その服装を知っている。この街にある学校の制服だ。
カッターシャツに赤いリボン。その上にやけにボタンが多い紺色ブレザーを着ている。年頃らしい短めのスカートに、膝下まである白いソックス。そして、女子としては珍しい武骨な黒いブーツ。跳ねた灰色の髪は風に揺られ、前髪の奥には垂れた瞳が見える。そして、この物々しい門前広場だというのに笑顔が貼りついてる。
なぜこんなところに女学生が?
そんな疑問が沸き上がるのは当然だが、その疑問よりも前に彼女に逃げろと伝えようとする。しかし、なぜか少女は剣を拾い、やけに似合っている
そして鉄扉は破られ、もう駄目だと諦めたほんの刹那。
血の雨が、門前広場に降っていた。
そして、その光景に息を呑む。
あの女学生が、紙一重で魔物の一閃を回避し、軽やかな動きで顔面を切り裂いたと思えば、次の瞬間には鋭い突きで心臓を抉っていたのである。
あの女の子は何者だ? なんだあの動きは? 強い。怖くないのか?
様々な感情が込み上げるが、しかしそれらを覆す事実が衛兵の思考を占めていた。
あの魔物は無敵じゃない。殺せるんだ。
自分たちと同じ、生物なんだ。大きく、異形ではあるが、死なないわけではないのだ。絶対に負けるわけではない。あの少女のように勝てるかもしれない。
それを、自分よりも年下の女の子が証明した。
「ああああああああああああああああああああああっ!!」
自らを鼓舞するために天に吠え、衛兵は剣を強く握る。
敵を睨み、そして駆ける。
あの少女が自分に勇気を与えてくれた。
ならば、立ち向かわなくてはならない。
この育ってきたフォーリスの街を守るために。
◆ ◆ ◆
この街は、こんなにも危機意識が低かったのか。
いざ避難誘導を始めたミントは、その脆弱性に舌を打つ。
この数百年に大きな争いがないことが、人々の牙を抜き、戦いに対する姿勢を失わせていたのだ。外壁から必死に逃げてきた衛兵たちの姿を見ても、町民たちは自分には関係のないことだろうと、ただ興味なさげに見ているだけだ。
ミントはその町民たちの髪を引っ張り、耳元で「逃げろ!」と大きく叫び……たい欲求に駆られるが、それでも彼らは動かないだろうと諦めている。
「……脅してでも逃げろと言いたいところだけど、現実性がない」
「お姉ちゃん。ひとまず、私たちも門へ行きませんか? ソディアさんがそこにいるならば、私もそこに行くべきだと思います」
それに。と、シュガーは淡泊な表情のまま続ける。
「正直、こんな有象無象よりもソディアさんの方が大事です。逃げろと言って逃げないのであれば、それはもう自己責任でしょう」
そのドライな思考にミントは驚くが、しかし概ね同感なのは否定できない。見捨てることになり兼ねない非情な判断ともいえるが、たしかにソディアの方が大事だ。
「行こう。衛兵たちが逃げているのだから、何かしらの問題が起きているの確かだ。きっとそこにソディアはいる」
ミントの言葉にシュガーは頷くと、衛兵たちの流れに逆らって門へと向かう。時折、危機を知らせようとした親切な衛兵が二人を呼び留めるが、それを無視して進む。
そして門前広場の前へ続く大通りへと出たとき、シュガーはその光景に一度足を止めた。ミントもそれを責めることはできない。なぜならば、彼女自身も思考を止めていたからだ。
目に飛び込んで来たのは、その魔物たちの異形の姿だ。想像よりも遥かに大きく、そして遥かに嫌悪感を抱かせ、自身の常識が音を立てて崩れ去るのを感じる。
「な、なるほど……あれが、魔物ですか」
「獅子の頭に山羊の胴体、そして蛇の尾……この特徴からしてキマイラだ。神話上でも割と出て来るメジャーな魔物だ」
ミントがそう語り終えた瞬間に、二人は同時に一人の少女の姿を見つける。
あの後ろ姿を見間違えるわけがない。血に濡れ、血に塗れ、血飛沫の中で踊っているように見えるが、その姿はソディアだ。
シュガーは走り出し、その途中でミントは彼女の腕の中から飛び降りる。いざ戦闘となれば、自分が足手纏いであることを自覚しているのだ。そのため、
ミントが飛び降りたことで、シュガーを抑えていた枷が無くなった。
彼女は小柄で軽いとはいえ、人を一人抱える負担は大きい。自由に、自分の好きなように動けるというのは、実に心地が良いものだ。
「よーい……ドン!」
全力で大通りを駆け抜け、瞬く間に門前広場へとシュガーは突入する。
すでに何体かのキマイラが絶命しているが、それ以上に倒れている衛兵の数は多い。未だに両脚で立っている衛兵は五人。その内の三人は傷を負っているらしく防戦一方であり、もう二人は壮健だがやはり攻めあぐねている。
そして、ソディアは笑っていた。
あの時と同じように、心の底から愉しそうに笑いながら、全身を血で濡らしてキマイラの猛攻を避けていた。その哄笑は止まらず、気でも触れたかのような印象だ。
現在、門前広場で暴れているキマイラは三体だ。一体を衛兵たちが請け負い、囲むようにして隙を窺っている。そして、残り二体をソディアが相手をしている。二体の鋭い爪、蛇の奇襲、山羊の蹄を難なく躱し、その皮を切り裂いている。
シュガーは戦場の状況を把握し、駆け出す前に頭の中を整理する。
自分がすべきことはなんだ? ソディアさんを助けることだ。
そのために何をすればいい? この魔物たちをぶっ殺す。
どうやってぶっ殺す?
シュガーはキマイラの巨大な体躯を観察する。瞬間的には目立った弱点は無い。すでに絶命している個体を見れば、胸元に深々と剣が突き立てられている。要するに、生物的には殺せるということはわかった。
では、普通に殺せばいい。
まあ、今まで殺したことはないですが、とにかく頭か心臓を斬ればいいんですよね。
了解です、ソディアさん。
シュガーは、走りつつ広場に転がっている剣を拾い上げ、それをソディアが相手をしているキマイラの一体に投擲する。回転しつつ空を切り裂く刃は、獅子の頭部を掠めて飛んで行った。皮が切り裂かれたことに気付いたキマイラは、シュガーを視認し低く唸る。
それに構わず、シュガーは別の剣を拾う。その動きは止まることなく、前後左右に俊敏に動き続ける。それでいて、剣を投擲することで攻撃も断続的に行っている。息を突く暇もなく怒涛の攻撃だ。狙いは全て頭部であり、一定のリズムでその速度もすべて同じだ。
キマイラもその攻撃をただ受けるだけではない。ときには鋭い爪で弾き、ときには意外にも俊敏な動きを見せて剣を躱す。そして、目障りな動きを繰り返すシュガーを狙ってその両手を振り回すのだが、彼女の身軽な動きに掠りさえもしない。
「ふむ。では、行きますか」
シュガーは剣の一本を、宙に投げる。それはキマイラの頭部を狙ってはいるが、先までの投擲に比べて緩やかで山なりな軌跡を描いている。回避することは容易すく見えるが、なぜかキマイラの動きは固まっていた。
今まで一定のリズム、一定の速度で剣を投げていた。
しかし、この一刀は違う。遅く、緩慢で、リズムも速度も違う。
そのリズムに慣らされていたキマイラは、遅い攻撃へのタイミングが狂ってしまっていた。故に、その回避行動はどこかぎこちなく、隙が大きい。
シュガーは飛び上がり、未だに宙を舞っているその剣を握る。そして、そのまま全体重で剣を振り下ろし、獅子の頭を両断した。頭蓋が砕け、脳漿と血が飛び散る。初めて見る生物の内面に、シュガーは「おお」と軽く驚くだけだった。
シュガーが地面に着地すると、キマイラの死体が前のめりに倒れて来る。それを回避しようと横に逸れた瞬間に、キマイラの尾である毒蛇の撓るような口撃が襲ってきた。シュガーは戦闘が終わったと勘違いし、すでに脱力していた。そのために、その蛇への対処が遅れ、鋭い歯牙が彼女の腕へと迫る。
「っ……!?」
しかし、それを寸前で止める者がいた。先までのシュガーのように剣を投擲し、蛇の牙が彼女に届く前に首を切断したのだ。蛇は魂が抜けたように脱力し、地面へとその頭が転がった。
シュガーが剣が飛んできた方を見れば、そこにはソディアがいた。すでに彼女が戦っていたキマイラは血に伏し、夥しい量の血だまりが石畳に広がっている。
ソディアはあまり似合わない挑発的な笑みを浮かべ、こちらを値踏みするように見ている。しかし、シュガーはその視線を気にする様子はなく、ソディアに助けられたことを喜んでいた。
「ありがとうございます! ソディアさんっ!」
その無垢ともいえる返事に、ソディアは今度は毒気が抜けたような笑みを見せた。そして、近くの剣を拾うと、刀身についた血を払いながらシュガーに言う。
「そいつらの心臓はひとつだけど、頭はふたつある。片一方を潰してもしばらくは動くから注意した方が良いよ」
「は、はい……。わかりました」
「ほら、次が来るよ」
ソディアの言葉に破られた鉄扉を見れば、その奥には数十体のキマイラが控えているのが見える。彼らは獣の眼光をこちらに光らせ、唸り声を挙げている。しかし、一向に門前広場へと進入する気配はなく、むしろこちらの出方を窺っているような様子だ。
「どういう、ことですか?」
「さあ? さっさとあの壁を壊して一気に来ればいいのに、さっきから一度に数体だけしか入って来ないんだよね。まだ、あちらも様子見ってことなのかもしれない。だけど、それはこっちには好都合。あんな数を相手してられないよ」
シュガーは外壁を見る。すでに亀裂が走り、巨大な衝撃で無残に崩れ落ちそうなほどに脆くなっている。この外壁が壊された瞬間に、あのキマイラの群れが街に雪崩れ込む。そして、それを抑えることができる戦力はこの街にはない。
「手早く、数体ずつ処理していかないといけませんね」
「そういうこと。シュガーちゃんはそこの五人よりも使えるね。期待してる」
自分たちのことを認識していた事実に気付き、衛兵たちは顔を見合わせる。そして力不足であることを指摘されるが、自覚しているために言い返すことはしない。むしろ、彼女たちに敗けてる場合ではない、とより闘志を燃やし始めた。
シュガーは隣に立つソディアの姿を見る。全身に返り血を浴び、灰色の髪はすでに真紅に染まっている。大きな怪我は無いようだが、制服が所々切れ、生身の肌には擦過傷がいくつか見える。
先ほどまでの戦闘を思い出す限り、口調はソディアのようだが、語気に妙な威圧感がある。そもそも、話す内容が彼女とは大きく乖離して気味が悪い。今は落ち着いている様子だが、先ほどまで見たソディアは笑い狂っていた。
戦いが始まれば、今のように落ち着いた話は出来なくなる。
そう考えたシュガーは、剣の血を払いつつ彼女に話しかける。
「あなたは、本当にソディアさんですか?」
「ひどいなあ。シュガーちゃんってば、私の顔忘れちゃったの?」
「いえ。ソディアさんにしては、好戦的だと思いまして。先ほども、随分と愉しそうに戦ってましたから」
「あ、そういうこと? いやあ、ちょっとテンション上がっちゃってね。こんなに楽しいの、久しぶりだからさ」
楽しい? 命のやり取りが? 命を奪うことが?
シュガーは初めて食事以外の目的で生命を殺めたが、不快感しかない。襲われている身であるためにキマイラたちに同情はしないが、可哀想だとは感じていたのだ。
しかし、シュガーの前にいるその女は、それを愉しいと語る。
「あなたは……
ミントから聞いた話を、そのままソディアへと投げかける。
彼女はきょとん、と首を傾げると「へ?」と間が抜けた表情を見せた。
「レオって……あの獅子座の由来になった英雄のこと? なんでいきなりそんな話になったのかわからないけど……私は、私だよ」
「私が知るソディアさんは、こんなにも殺し合いに慣れていませんが?」
「別に慣れてるわけじゃないよ。私も不思議なんだけど、あいつらとどこかで戦ったような気がするんだよね。だからなんとなく動きとかわかるんだ」
ソディアはそう言って、剣を構える。
昨日、ジャンジーに箒を打ち払ったときと同じように、両手で柄を持ち、真正面の敵を見据える。それは、一介の学生とは思えない戦士の姿であり、シュガーはそれについ見惚れてしまっていた。
「来るよ。シュガーちゃん」
「あ、は、はいっ!」
門を見れば、三体のキマイラが壊れた鉄扉から入り込んでいた。地面を震わせる怒涛の勢いで押し迫り、その一体が二人を一気に払うかのように爪を振り上げる。
「そっちお願い」
「了解です」
ソディアの指示を察したシュガーは、キマイラの爪を跳ねることで躱す。ソディアは、軽く走ったかと思えばスライディングの要領で剛腕の下を潜り抜けていた。二人は互いに別方向に飛び出し、未だに次の行動に移せないキマイラの足元へと刃を滑り込ませる。
「ふっ!」
「でえぃっ!」
ソディアが右足を。シュガーが左足をすれ違いざまに斬り抜く。
山羊の屈強な脚の筋肉を断ち切り、その切断面から血が噴き出す。キマイラはその苦痛に空へと咆哮し、自重を支えきれずに前のめりに倒れる。それは、まるで死刑台に自らの首を差し出すかのような姿だった。
ソディアは、前のめりになったキマイラの肉体を駆けあがる。それに対し、シュガーは左足を斬り抜いた勢いのまま、尾へと向かう。互いの意思を確認しないままに、二人はそれぞれの急所を狙う。
「はあっ!」
「ぜえぃっ!」
ソディアは刑死者のように獅子の首を落とし、シュガーは先ほどの不覚に対する意趣返しのように、蛇の首を二度斬る。肉体へと指令を送るふたつの頭が落とされ、キマイラはゆっくりとその身を倒し、完全に沈黙した。
先ほどまで二人を喰らおうとしていた屍の脇に、二人の少女は立つ。そして、その死体を一瞥した後に互いに視線を交差させると、何も言わずに残りの二体に向かって駆け出した。
星剣士は夜空に輝く(仮) 真空 @masora
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