穹-アオ-のグロリア

紙川浅葱

 昔から、イヤホンをつけて音楽を聴きながら景色を眺めるのが好きだった。外の音をシャットアウトしている間は自分の世界だけに浸っていられたからだ。


 電車の車窓から見える、後ろへと流れていく灰色の街並みを見つめながら自分が“普通”だったらと空想をする。最近重いローテーションで聞き続ける速いテンポのアニソンの曲調が、さらにそんな空想を加速させた。


 今、奥に見えるビルに体勢を整えて水平に着地すると、足に力を込め蹴り出す。自分を吹き飛ばした敵に対して、そのフードの男に対して自分の能力をぶつける。それは炎でも氷でもいい。今の自分にないものであれば。


 男はそれを紙一重で躱した。後ろへ回った奴を振り返ると、その右手に赤黒い光が集まる。街を破壊した奴の能力、それを相殺しようと、自分の右手に自身の能力を纏う。次の一撃で決める、お互いの瞳にはその色が……



 そこで電車が大きく揺れた。少し恥ずかしがりながら我に返ると、コートのポケットでスマホが振動していることに気づいた。スマホを取り出すと画面は上司からの着信を知らせる。


 嫌な予感がした。自分の直感がそう告げた。だいたい今日は非番だ。翠もいる。電話に出る義理はない。そう結論を下すとスマホをポケットに滑り込ませる。しばらくすると呼び出すそいつも静かになった。この間に二番のサビまで進んでしまった曲を先頭まで巻き戻しながら、また視線を外に戻した。車窓には背が高いマンションやオフィスビルがさらに増えていた。


『……おい電話出ろ穹。』


 ふいに頭の中に女性の声がした。しまったという顔をしたのが自分でもわかる。このあたりから雨野さんの送受信圏内であったのを忘れていたからだ。


『……てれぱすでわりこまないでください。だいたいきょうはひばんです』


 頭を集中させて、送られてきたチャンネルに合わせてテレパシーを返す。


『お前相変らず下手だなこれ』


『もともとグロリアしかてきせいがなかったのに、あんたがむりやりおぼえさせたんでしょうが』


 頑張って返信する。そろそろ集中力が切れてきた。


『はっはっは、だったら電話に出ることだな』


 テレパシーの奥で彼女は笑う。このやろうと思うとテレパシーに流れてしまうので、なるべくそう思わないようにした。警視庁特異能力課、雨野刑事課長。テレパシーに数種類のグロリアと雷のバーストを使いこなす万能のサイキッカー。折れない正義感と高い戦闘能力を持ち尊敬すべき上司だとは思う。……思う。


『秋葉原で能力者反応。波形的に例のパイロだ。翠だけだと相性が悪い。彼女もサポートで行かせるが、穹、行ってくれるか』


『きゅうじつてあては』


『出る』


『はいはい、いきます』


 そう飛ばして通信を切った。やっぱりテレパシーは合わない。

 電光掲示板が次の停車駅を告げた。穹は黒いコートの襟を正すとめ電車を降りた。


土曜日の電気街は人が多くいる。二次元と、アニメやマンガとある意味一番近いこの街は人々の空想や夢が集まり、形として異能力を生みだす。度を越えた空想は時には現実をも歪めてしまう。そしてそうして実った異能力は弱い心を黒く塗りつぶす。


「穹せんぱい」


 駅前の広場に小柄な少女が立っていた。線が細い彼女はメガネの奥で優しく微笑む。


「お疲れ、翠」


「お休みのところ申し訳ありません」


「あんにゃろだよほんと」


「ふふっ、ですね」


 穹は彼女が背負う大きな荷物に目をやった。


「何丁持ってきてる? 今日は」


「四丁です。どこからでも援護しますよ」


「ああ、よろしくな」


 能力者による犯罪には同じ能力者をあてるべきだという考えのもと、六年前に設立された警視庁特異能力課。三年前に穹が配属された第六支部は先ほどの雨野刑事課長と、この遠山翠、あとは今第四支部にヘルプにまわっている桜庭さんからなる。山手線の東側が管轄にあたるが、街の性質上、秋葉原にいることが多かった。


 翠と別れ、人が溢れる大通りを歩く。追っている男の顔は割れていなかったが、刑事課にいた頃から不審な人間を見つけることは苦手ではなかった。程なくしてリュックを背負った若い男を見つける。格好が浮いているわけではないが、先ほどから街ゆく人の顔しか見ていない。何より上着袖がほんの少しだけ焦げていた。穹は少し後ろから、あえて気付かれる距離で尾行を始めた。



 通りを見渡せるビルの屋上。そこで翠は背負っていた大きな荷物を降ろす。ジッパーを開けると黒にオレンジのラインが入った、アニメのロボットが持つようなライフルが顔を覗かせた。


「いっておいで」


 翠がそう言うと、その瞳にピンクに近い赤の色が一瞬宿る。物体に直接干渉する異能力、バーストの赤い光を受けて、彼女のライフルたちはふわっと浮かび上がった。自身の手元に四丁のうちひとつを残して、三つをそれぞれ別のビルまで飛ばす。


 ライフルをそれそれ空中で固定すると、彼女の右の瞳が次に緑を帯びる。眼を中心として天球儀のように黄色いリングが何重にも現れる。異能力の波形を捉える翠のもう一つの、エフィストと分類される補助異能力。それを発現させて集中すると彼女は穹の姿をすぐに捕捉する。


『こちらはオッケーです、先輩』


『りょかい』


 ほんとにテレパスだけは締まらないなぁ、先輩。

 翠はそう思いながら穹の合図を待った。



「僕の後をつけてくるなぁぁぁァァ!!」


 人通りのない路地に入った途端、男は急に叫び声をあげた。


「僕には力があるんだ……。僕は選ばれた人間なんだ……!」


 男がそう言うと両目にオレンジの光が宿る。


――オレンジに近いバースト。パイロキネシスの光。


雨野さんが例のパイロと呼んだ男。一週間前に発現したその能力で学生時代いじめを受けていたかつての同級生を殺し、さらに職質をかけた警察官をも手にかけていた。


「貴様も能力者なんだろ……! 殺してやるよ! 僕が一番強いんだよ!!」


 心に傷を負った人間が過ぎた能力を手にすると力に呑まれてしまう。心が壊れ、人を殺す事に何も感じなくなる。そんな人間を、穹は何度も見てきた。


 男は背中のリュックから片方の先が曲がった鉄パイプを抜く。それを杖のように振るうと男の周りで炎が踊った。


「……ひとつだけいいか」


 男を見ながら穹は訊ねた。


「警官まで殺したのは何故だ」


「それが僕にもわからなくてね……!」


 その質問を聞いて男がにやっと笑う。黄色い歯を見せて穹を睨み付ける。


「ただすっごく気持ちよかったのは覚えているよ……! そうか僕は選ばれたんだとね……!」


「……そうか」


 答えを聞くと穹は唱えた。


「グロリア……!」


 赤の光でも緑の光でもない異能力、グロリア。身体能力を爆発的に高める青い光が穹の瞳に宿った。


 振り下ろされた鉄パイプから延びる炎を躱す。それが再び振りかぶられるよりも遥かに速く、穹は男に蹴りを入れる。


 速力強化と攻撃強化。ゲームで言えば積み技のような、デバフのような能力。


 穹が持っていたのは"それ"だけだった。


「くそっ! くそっ!!」


 男が放つ直線状の炎を穹は正面から全て目で追えないほどの速さで躱す。


「くそがぁあぁぁァァァ!!」


 男は全力をもって炎を打ち出す。しかし穹はそれすらもわずかな所作で躱す。


 やがて炎の波が止むと、穹は男へ向かって突撃する。


『みどりっ!』


『はいっ』


 ビルの上にいる翠にテレパスを送る。ほぼ同時に、四丁のライフルのうちどれかひとつが火を吹く。サイコキネシスで引き金を引くことによる、ブレを極限まで減らした精密射撃。狙い澄ました銃弾が男の右腕を貫いた。


「がっ!?」


 男は撃たれた右腕を反射的に左手で抑えた。あたりに鉄パイプが地面を転がる音が響く。この隙で穹は間合いを詰める。


 さっきよりもグロリアの出力を上げて、瞳からこぼれる青い光が、残像を残しながら流れていく。


 穹には、マンガのようなバースト能力が備わっていなかった。燃え上がる炎も、地を這うような氷も操ることができなかった。持っていたのは青色のグロリアだけ。身体を強化してただただ、ぶん殴るということだけ。だからこそわからなかった。ヒーローのような力を持ちながら、心を壊すことが。笑いなら平気で人を殺す事が。


「はぁぁぁぁぁ!!」


 握り込めた右手を伸ばす。男の左頬を捉えるとそのまま振り抜かれる。それは決着をつける一撃になる。


 吹き飛び、物が何かにぶつかった音が轟いた。程なく、路地は静寂に包まれる。


 気絶した男を見下しながら穹は肩で息をする。遠くからはサイレンの音が聞こえていた。



 昔から、イヤホンをつけて音楽を聴きながら景色を眺めるのが好きだった。それはある意味慰めなのかも知れない。空想の世界に身を置くことで、自分が“普通の能力者”だったらと思いを馳せることができるから。


「何聴いているんですか先輩」


 言うのとほぼ同時、読書に飽きた翠が穹のイヤホンを外した。


「おいこら」


 片方のイヤホンで翠は曲に耳を傾ける。その曲は二番のサビに入ったところだ。


「これ雨野さんも好きな曲ですよね」


「そうそう」


「前から先輩も聴いていたんですか?」


「いや、こないだのカラオケで聞いて気になって」


「へぇー?」


 翠が意味ありげな視線を送る。穹はそれを無視してイヤホンを取り返す。


 度を越えた空想は時には現実をも歪めてしまう。そう誰かが言った。だから俺はあの人の真似をしながら、背伸びをしながら思いを馳せる。


 それは追いつきたいからだ。マンガのように全てを備えたヒーローに。俺を救ってくれたあの人に。


(続く)

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