無職の勇者はクリエイター(かぶれ)

利苗 誓

第1話 無職の勇者はクリエイター



 王国からはずれた辺境地。そんな辺鄙な片田舎に、一軒の家があった。

 周りを豊かな自然に囲まれ、人の気配もわずかなそんなド田舎で、俺はきこきこと椅子を軋ませながら一人懊悩していた。


「困った困った……」


 耳にペンを挟み、腕を組み考える。

 俺は今日もまた、クリエイターであるが故に、悶え、苦しんでいた。





 魔王を、討伐した。

 


 今からそう遠くない昔、俺は勇者としてこの世に生を受けた。


 生まれた時から勇者として一流の戦士になるため調練され、まともな自由も与えられず、ただただ魔王を斃すためだけに身を粉にして頑張って来た。

 その甲斐あってか、魔王もこの世から姿を消し、世界は平和に包まれた。勇者パーティーは解散し、勇者という枷に縛られた俺も、ついに自由の身となった。


 俺は国王から身に余るほどの金銀財産を貰い、辺鄙な片田舎に引っ越し、往年から夢だった物書きという創作活動に打ち込んだ。


 が――


「あぁ~、駄目だわ。これ本当駄目だわ。全然創作の神降りてこないわ~」


 絶賛、スランプに陥っていた。

 スランプはもうどうすることも出来ない。ただ創作の神の許しを得るまで時間をかけるしかない。ということで、俺は漫然と外に出て、珍しい花や草を探していた。


「何か面白い形の草とかないかな~」


 散歩の要領で草地を歩いていると――


「おーーーーーーーい、クロぽーーーーん!」

「…………」


 遠くの方から、人の声が聞こえた気がした。いや、気のせいだろう。変な形の草花探しを続行するとしよう。


「おーーーい、クロぽんってばぁ~」


 声はだんだんと近くなってくる。これは良くない傾向だ。


「ちょっと、返事してよ!」


 だんまりを決め込もうと踵を返した途端、目の前に声の主が現れた。


「クロぽん、久しぶり! 私が来たよ!」

「……」


 元勇者パーティーの魔術師担当のエルザが満面の笑みで、俺の前に立ちふさがった。


「……」

「なあに、そんな魔王のせがれを見つけた、みたいな顔して」

「お前テレポートしてきたな。魔力の無駄遣いクソ女」

「はぁ? 走って来ました~、テレポートしてません~。クロぽんの目が悪いだけです~」


 エルザは肩を聳やかし、柳に風と俺の詰問を受け流す。


「何しに来やがったクソ女」

「ちょっとまずそのクソ女って言うの止めてよ! 仮にも私、勇者パーティーで一番可愛いってもっぱらの噂なんだけど!」

「腐った果実と痛んだ果実しかないならそりゃあどちらかを選ぶしかないわな」

「ちょ、それミルミルにも失礼でしょ!」


 ぺし、とエルザは俺に突っ込みを入れる。


「本当に何しに来やがった! 俺はもう勇者を止めたんだよ! 俺は物書きになったんだよ、クリエイターだ、クリエイター!」

「えぇ~、クロぽんでも別にまだ何もクリエイトしてないじゃん」

「クロぽんは止めろ! ローデック先生と呼べ! 仮にもクリエイターに対する尊敬を忘れるな!」


 はぁ、これだから素人は。


「え、でも今ペンの一つも持ってなくない?」

「うるせぇなあ、今や時代はマジカル。今時ペンなんてなくたって外でも執筆出来るんだよ」

「え、でもあれ……」


 エルザは俺の後方を指さした。

 俺の後方で、俺が執筆した大量の紙が宙を舞っていた。


「あああああああぁぁぁぁぁーーーーー!」


 俺は無我夢中で紙を拾いに行った。


「おい、お前もテレポートしてあの紙を拾ってくれ!」

「ごめん、私さっきテレポート使っちゃったから暫く使えないや」

「やっぱり使ってんじゃねぇかクソが!」


 俺は必死の形相で、風に飛ばされた紙を集めに行った。




「ねえクロぽん、時代はマジカルじゃなかったの? っていうか私もてなしてよ~、元パーティーメンバーじゃ~ん」

「うるせぇ! てめぇに出す茶なんてねえ! 帰れ!」

「でも別に遊んでたんだから良くない?」

「はい萎えたーーー! もうスランプあとちょっとで解消できたのにお前のせいでスランプ脱出できませんでしたー!」


 俺は喉元に手を当て、スランプが喉元まで出かかっていたことを表現し、エルザに難癖をつける。


「でもクロぽん今まで一回も何か創作活動が実を結んだこと無いよね?」

「……」


 今日はいい天気だな。風も強いし、絶好のピクニック日和だ。


「まだクリエイターって言えるようなもんじゃないんじゃない? 無職だよ、無職」

「うるせぇ、素人が! クリエイターにはクリエイターなりの悩みがあるんだよ! 懊悩してんだ、懊悩!」


 そう、今まで何度も書いては止め、書いては止めてを繰り返してきたが、それも仕方のないことだ。


「どうせ素人には分からないだろうなぁ~、この産みの苦しみが。あぁ~、難産。今回は特に難産だわ~。クリエイターとして適当なものを世に出せない意識の高さが今日も俺を苦しめてるわ~」

「はいはい、別に産みの苦しみなんて私には分かりませんよ。ところで、今日はクロードに話があって来たんだけど」

「……何だよ」


 嫌な予感がする。

 勇者の力を借りたい、と胡乱な輩がやって来ることを恐れ、こんな辺境の地に家を貰った。今更になって厄介ごとに巻き込まれたくはない。何より、創作活動の時間が失われる。


「なんか国王の息子が今反抗期で、勇者だったクロぽんの偉大な背中を見せてどうにか息子に、王子としての自覚を持って欲しいって依頼が……」

「断る」

「まだ話の途中なんだけど!」


 やはり、厄介ごとだったか。


「俺はもう勇者は退いてクリエイターに転身したんだ。戦えもしないし、何より、ペンより重い物は持てないね! クリエイターなら剣じゃなくペンで戦って見せる!」

「いや、まだ何も世に作品出してないじゃん」

「……」


 黙殺。


「あ~あ、じゃあもうクロぽん、国王の頼みを断るってことでいいんだね?」

「いいともさ」

「あ~あ、残念だな~」


 エルザはすく、と立ち上がり、伸びをした。


「あ~あ、今回息子の反抗期をどうにかしてくれたら願い事を一つ聞くって国王言ってたんだけどな~」

「……」


 ぴくりと、耳が動く。

 聞き逃せない一言があった気がした。


「願い事を一つ聞くって国王言ってたのにな~」


 エルザは復唱し、ちらりとこちらを一瞥してくる。

 願い事を一つ聞く、ということは俺の書いた作品を本として出版する、ということも可能だろう。

 俺は立ち上がり、エルザの手を取った。


「エルザ、俺はクリエイターとして他人の悩みは放っておけない。是非協力させてくれ」

「あれぇ~、なんか創作活動で忙しいんじゃなかったっけ~?」


 エルザはにやにやと汚らわしい笑みを浮かべる。足元を見やがって。


「クリエイターとして様々な出来事に触れて知見を高めるのは当然のことだ。何、心配するな。元勇者の俺が言うんだから間違いない」

「へぇ~、そうなんだ~。クロ―ドがそこまで言うならじゃあ仕方ないね。手伝わせてあげる」

「俺が手伝ってあげる、な」


 俺とエルザはがっしりと握手を交わした。






「よし、行くぞ! 国王の息子を斃すたびに!」

「いや、息子の反抗期をどうにかして欲しいだけだから! 息子を斃すわけじゃないから!」


 俺はエルザと共に、歩いて王国に向かった。


「ところで、まだテレポート使えないのか? ここから歩いて行くと相当かかるぞ」

「いや、まだまだ時間かかるよ。もうちょっと考えて言ってよ」

「ならもうちょった考えてテレポート使えよ」


 俺はエルザと他愛もない雑談を交わし、クリエイターとして様々な知見に触れる旅に、出た。







 その後暫く歩き続けていたが、エルザのテレポートが使えるほどに恢復してからは、テレポートで送ってもらった。


 勇者を退いてからは俗世を離れ創作活動に打ち込んで来たこの俺が、遂に舞い戻って来た。


「ここが下界か……」

「いや、何千回も来たことあるでしょ」


 俺とエルザは互いに身を隠しながら、繁華街を突き進んでいた。

俺はエルザにフード付きの羽織を貰い、使っていた。勇者一行の顔は既に割れているため、こんなところで俺たちが勇者だとバレてしまっては途端に大騒ぎになってしまう。


「ところでエルザ、主人公が馬車に轢かれて崖から落ちて異世界に転生したと思ったら実はそこは剣も魔法もない異世界で、特別な能力を貰った主人公が魔法と剣を操って無双する、みたいな話どう思うよ?」

「いや、目先の目標に集中してよ」


 すげなく一蹴された。こうして人の多い所に戻って来ると、やはり創作意欲が刺激されるな。帰ったら書き始めよう。


 そのまま誰にもバレないように気配を消しながら、俺たちは王宮へと向かい、ついにその直前まで到着した。


「着いたか……」

「着いたね」


 俺たちは王宮の前で茫然と立ちすくんでいた。


「どなたかな、国王に何か御用でも?」


 鉄扉の前で警護をしていた衛士が、話しかけて来た。

 俺とエルザはフードをめくり、素顔を晒した。


「ゆ……勇者様……! す、すみません、とんだご無礼を! どうぞお入りください!」

「いいよいいよ~」


 エルザは衛士に笑顔を振りまき、先んじて入場した。相変わらず適当な女だ。俺もエルザに続いて、王宮の中に入って行った。




「よく来てくださりました、クロード殿、エルザ殿」

「久しぶり~、国王様~」


 俺たちは衛士に案内をされ、客間で国王と謁見していた。


「特にクロード殿。今回は無理を言ってエルザ殿に連れてきてもらいました。お越しくださり、誠にありがとうございます。このような形での再会をお許しください」

「まあいい、いい。それよりも国王、約束は覚えてるんだろうな?」

「はい、それは勿論」


 国王はすり足で俺に寄った。


「もし今回ワシの息子を改心させて頂いたら、クロード殿の願い事をなんでも一つ叶えようと思っておりますぞ」

「ほう、覚えているのならそれでいい」

「はて、ですがクロード殿なら自分で願い事を叶えれそうなものですが……」


 国王は首を傾げる。


「いや、実は今回息子を改心させることが出来たらだな、俺の創作した作品を本にして出版して欲しい」

「ほう、そんなことでよろしいのですか。勿論喜んでお受けいたします。何なら息子を改心させれなくとも、本の出版程度なら……」

「いや」


 俺は即断した。


「それは、俺の矜持が許さない。クリエイターとして最低限のプライドくらいは持ち合わせてる。俺は国王の息子を改心させ、本を出版してもらう」

「ほうほう、それは……」


 国王もまた、にやりと笑った。

 さすが国王だ。クリエイターとしての俺の気持ちを十分に汲んでいる。


「国王の悩みを解決して本を出版してもらうのはプライドが許すんだ」

「うるさい!」


 エルザが余計な茶々を入れる。


「クリエイターってのはな、人の心を動かす職業だ! 俺はクリエイターの矜持をもってして国王の息子の心に直接訴えかける! それが出来るなら既に一流だ!」

「また大層なことを……」


 やれやれ、とエルザは首を振る。

 ふ、どうせ素人には理解の出来ない高尚な次元にいるのだ、俺は。


「ところで国王、その息子というのは……」

「ああ、そのことですが……」


 国王はちら、と客間の入り口を一瞥した。側仕えが国王の視線に気付き、扉を開ける。


「絶対嫌だね! 俺は絶対国王なんて継がねぇからな、ばーかばーか!」


 途端、扉の向こうからまだ年端もいかない少年が、客間に飛び出し。小さな鉄の棒を持って、客間で暴れ出した。


「これ、やめなさいフレディック! す、すいませんクロード様、エルザ様……」

「大丈夫大丈夫! 私が相手するから! ほらおいで、フレディック君」


 息子を一喝した王妃を押しとどめ、エルザはフレディックを手なずけようと動き出した。


「ほらほら、フレディック君、魔王を斃した勇者パーティーでも一番美人のお姉さんと言われてるエルザさんだよ~」


 媚びるような笑顔と言葉遣いで、エルザは両手を広げてフレディックを確保しに行く。

 フレディックは半歩退くと、


「うっさいこのおばさん! 勇者が魔王を斃したのなんてもう何年も前だろ! お前なんかお姉さんじゃなくておばさんだろ!」


 エルザを指さしてそう言った。


「ぶははははははは! おばさん! おばさんだって! そりゃそうだ! 確かに魔王斃してから数年経ってるし、おばさんだわ!」


 俺は腹を抱えて笑うが、当のエルザおばさんはおば……と虚ろに呟きながらわなわなと震えている。


「コ……コラ! 何を言うんですかフレディック! こっちに来なさい!」

「フレディック! 何を言うんだ、勇者様たちに! こっちに来て謝りなさい!」

「うっせぇババア、ジジイ! 俺は絶対国王の後なんか継がねえからな、べーーー!」


 フレディックは舌を出して反駁し、そのまま客間を出て行った。


「す……すみません、勇者様。あの通りフレディックは今も反抗期で……」


 王妃は腰を低くして謝って来るが、エルザは今も心ここにあらず、虚ろな顔をしている。自分がおばさんだという認識が欠けていたらしいな。


 なんとなく面白くなりそうな予感がする。


「国王、王妃、ここは俺に任してくれ」


 俺はすく、と立ち上がり、そう断言した。


「す……すみません勇者様、あの通り息子は国王を継がないと言っておりまして……」

「任せてくれ、国王。全て俺が何とかしてやる」


 ここはクリエイターたる俺の出番だ。

 俺は未だ精気の戻らないエルザを残して、フレディックを探し始めた。




「おーい、フレディック~。話がしたい、出て来~い」


 俺は客間を出て、この広い屋敷を歩き回っていた。

 暫く歩き続けているはずだが、一向に先の息子に出くわさない。


「おーい、フレディック~、今出て来ないなら勇者の俺の実力を怖がってお漏らしして号泣してたってパパとママに言いつけるぞ~」

「う、うるさいうるさい! 嘘吐くなこの嘘つき勇者!」

「お」


 どうやらすでに俺が元勇者だということを知っているらしい。

 存外、脅しが訊いたようで物陰からフレディックが出て来た。鉄の棒を振り回して俺に向かってくるが、元勇者にこんなちんけな得物で挑むとは無謀な。

 俺はフレディックの手首を掴み、ひっとらえた。


「確保、確保――――!」

「や、止めろ! 離せ馬鹿!」

「じゃあ馬鹿じゃないから離さないわ」

「離せ賢い人!」

「よろしい」


 俺はフレディックを解放した。フレディックは体勢を整え、再度俺と対峙した。


「俺は絶対国王なんて継がないからな! そもそも勇者の姿なんて見たって何にも思わねーよばーかばーか!」

「おいおい、俺は勇者として尊敬されに来たわけじゃないぞ?」

「……?」


 どうにも国王の意図と同じことを思っているようだが、違う。俺は勇者としての偉大な姿を見せることで、フレディックに王子の自覚を持って欲しい訳ではない。あくまでクリエイターとして、一流の人間として頑張る俺の後ろ姿を見て改心してもらうつもりだ。


「俺はな、もう勇者は止めたんだ。今は勇者じゃなくてクリエイターだ、クリエイター!」

「くりえいたー?」


 聞きなれない言葉に食いついたのか、フレディックは小首を傾げ、少しばかり目を輝かせてこっちを見ている。


「そうだ、クリエイターだ。俺はこの手で人々を魅了する話を書き、精魂尽き果てるまでずっと物書きを続けるつもりだ。そのクリエイターとしての意識をフレディックに伝授するために呼ばれたわけだ」

「よ……余を国王にさせるためじゃないのか?」

「ああ、当たり前だ」

「くりえいたーってすごいのか?」

「勿論だ」


 俺の話しに食いつき、ぐいぐいと裾を引っ張って来た。全く、子供は単純だな。


「まぁ、鉄の棒を持って暴れまわってるようなフレディックには分からないと思うが、クリエイターって言うのは人から尊敬される素晴らしい職業だ」

「わ……分かるわ! 余にもくりえいたーの凄さくらい分かるわ!」


 顔を真っ赤にして反駁してくる。


「じゃあフレディックの才能を試しても良いのか?」

「い……良いに決まってるであろう! 余を誰だと思ってる!」


 フレディックは自信満々な面持ちをしながらも、とてとてと俺の後をついて来た。まあ、クリエイターとしての意識を教えたら自然と王子としての自覚も出てくるというものだろう。


「よし、フレディック。じゃあ俺がクリエイターとは何なのか、国王の後を継がせるわけじゃないが、その凄さを知ってもらう。クリエイターのいろはってもんをみっちり教えてやるよ」

「わ……分かった!」


 フレディックは俺の後を付いてき始めた。

 ここからは俺の出番だな。


 俺はフレディックを連れたまま、王宮を練り歩き始めた。


「まず、何事にも一流なクリエイターは、何に対しても審美眼ってものがないと駄目だな。ほら、例えばそこの階段を見てみろ、フレディック」

「階段?」


 フレディックは俺が指さした階段を見た。

 俺は階段に近づき、手すりを指です、と撫でた。俺の指には、ほんの少しの埃も汚れもつかなかった。


「これを見てもろ、フレディック。ここは埃も汚れもない、きちんと掃除が行き届いた場所だろう? さっき通り過ぎた階段の手すりを同じようにやってみろ」

「わ……分かった」


 俺とフレディックは先ほど通り過ぎた階段まで戻り、フレディックはととと、と手すりに近づき、撫でた。


「……わ」


 フレディックは俺の下に戻って来ると、埃で少し汚れた指を見せて来た。


「そう、これが審美眼ってやつだ。一流の使用人が掃除した階段と二流の使用人が掃除した階段の違いだ。フレディックは騙せても、クリエイターである俺の目は誤魔化せなかったな」

「余……余も気付いてたわ! 余だってここがちょっと汚いことくらい気付いてたわ!」


 フレディックに水を向けてみると、顔を赤くして釈明してきた。段々とクリエイターとしての、王子としての自覚が付いてきたじゃないか。


 フレディックの後ろを、うら若い使用人が通り過ぎた。


「あ~、ちょっとそこの」

「……?」


 声をかけてみると、不思議そうな顔をしてこちらに寄って来た。


「君かな、ここの掃除を担当してるのは?」

「は……はあ、そうですが。何かございましたか、勇者様?」

「君はね、まだ使用人として一流には程遠いね。あっちの階段は掃除に余念がなかったみたいだけど、こっちの階段はちょっと汚いね。余念だらけだ」


 使用人は不思議そうな顔をする。図星か。


「え……い、いえ、あちらの階段もこちらの階段も清掃させて頂いてるのは私で、こちらの階段は今から清掃するのですが……」

「あ~、はいはい。いやいや、そういう御託はいいよ。まあね、これから頑張っていけばいいんだよ、君も。クリエイターでも何でも、間違いを認めて成長していくことこそが一流への唯一の足掛かりだからね。今後とも鋭意精進したまえよ」

「は……はあ」


 俺は使用人の肩をぽん、と叩くと、振り返ることもなく通り過ぎた。あばよ。


「か…………かっけぇ!」


 フレディックが後ろから目を燦然と輝かせ、とてとてと付いてきた。

 やはり、クリエイターとして一流の振舞いという物を見せた方が国王の息子としての自覚も出てくるものだ。


「師匠と呼んでもいいか、勇者⁉」

「おいおい、俺は勇者じゃねぇぞ」


 憧憬を目元に滾らせながらこちらを見てくるフレディックの頭に、ぽんと手を置いた。


「俺は……俺たちは、クリエイターだ」

「くりえいたーーーー!」


 フレディックは俺の手を取ると、ぶんぶんと振った。

 俺はこの調子で、フレディックを色々な所に連れていくことにした。

 

 俺とフレディックは王宮の食事を提供しているという厨房へと向かった。


「今日もやってるか、皆の者」

「ゆ……勇者様⁉ も、申し訳ございません、まだ食事のご用意が出来ておりません!」


 厨房に顔を出すと、多くのシェフたちが頭を下げた。

 いやぁ、壮観壮観。


「いやいや、違う違う。この厨房をフレディックにも見せてやりたくて来ただけだ」

「さ……左様でございますか」

「だから俺たちのことは気にしないで料理を続けてくれ」

「は……は、承知いたしました」


 一礼すると、シェフたちは調理を再開しだした。

 所々で「あのフレディック様が懐いている……!」や「フレディック様が物を壊さない……⁉」などという呟きが聞こえてくる。こいつはどれだけ悪事を働いてきたんだ。

 

 俺は近くの調理台に近づき、軽く触れてみた。


「あ~、この台はちょっと油っぽいね」

「ちょっとぬるぬるしてるな」


 フレディックも俺の真似をして、調理台を軽く撫でた。


「は……は?」


 俺の慧眼に驚いたのか、近くで料理をしていたシェフが驚いた声を出した。


「そう驚かなくてもいい、フレディック、そっちの台を触ってみろ」

「分かった!」


 フレディックは傍にあった調理台に触れた。


「こっちは全然脂っぽくないぞ!」

「だろうな」


 やはり、そうだったか。


「きみきみ、料理に専念するのはいいけどね、掃除の方を疎かにしちゃあいけないね。一流っていうのは、周りの環境にも気を遣うものだよ。その証拠に、そっちの台は綺麗だろう」

「は……はあ。お言葉を返す様で恐縮なのですが勇者様、そちらの台は最近新調したものでございまして、やはり料理をするとなると脂で台が汚れてしまうのは仕方がないと言いますか……」

「ああ~、分かった分かった。そう言ってしまう気持ちは分かるよ、非常に」


 俺は額に手を当て、シェフの気持ちを推し量った。


「でもね、一流たるものその道にだけ通じていればいいというものではないのだよ。周りを取り巻く環境すらも留意することこそ、本物の一流、本当のクリエイターと言えるわけだよ」

「は……はあ」


 返す言葉もないのか、ただ茫然自失としている。


「じゃあな、皆の衆。俺はまだまだフレディックと行く場所があるからここらへんでおさらばさせてもらうよ」

「くりえいたーは周りを取り巻く環境も注意してこそ本物の一流と言えるわけだよ」

「は……はあ、承知いたしました」


 フレディックは俺の言葉を復唱し、シェフたちに言い聞かせると、俺の後ろをついてきた。

 

「どうやらこの王宮の中にも一流と二流の違いが明確に出ているらしいな。まあ、フレディックには分からなかっただろうけどな」

「わ……分かるわ! 余にも一流と二流の違い位分かるわ!」

「ほう……じゃあフレディックは一流としての心積もりもあるということか」

「そ……そうだ!」


 フレディックは胸を張った。

 俺はフレディックを連れて、次に庭園へと向かった。


「息災かね、庭師さん」

「誰じゃ、あんたは?」


 植木の剪定をしている庭師に話しかける。


「俺は勇者だ」

「ゆ……勇者様でしたか、これはまた失敬。して、坊ちゃんもいらっしゃいますな?」


 庭師は、俺の裾を掴んだままのフレディックに目を向けた。フレディックは俺の真似をして、庭師に話しかけた。


「息災かね?」

「息災じゃよ、お気遣いありがたいですな、坊ちゃん」


 庭師はフレディックの頭を撫でた。


「ところで庭師よ、何か最近困ったことはないかね?」

「はてさて、困ったこと……ですかな」


 庭師は考えるようにして、顎に手を当てた。


「そうですな……大して大きな問題という物はありませんが、しいて言うなら、この剪定道具……ですかな」


 庭師は長い柄の鋏を取り出した。


「これの何が問題なんだ?」

「そうですな、わしゃあこの剪定鋏を長年使ってましてな、そろそろ経年劣化が激しいんじゃよ。新しい剪定鋏を頂戴したいんじゃが、何分催促するのも気が引けましてな」

「なるほど」


 道具を新調したいと、そういうことか。


「庭師さん、その気持ちはよーく分かる。でもな、クリエイターとして一つ言っておかないといけないことがある」

「なんですかな」

「真の一流たるもの、道具に足を掬われてちゃあいけない。一流ってのは物を選ばないものだ。道具に腕を左右されてちゃいけないな。ちょっと貸してくれないか」

「は……はぁ、ですがこれだけ刃も毀れてますと剪定の微調整に非常に苦労しますぞ」

「ほう……」


 俺は庭師から剪定鋏を受け取り、人のいない場所に向かって、目いっぱい振り抜いた。

 鋏のさきから光の斬撃が放たれ、前方一面の草を見事に刈り取った。俺の膂力と斬撃に耐え切れず剪定鋏はひしゃげ、壊れる。

 そして、何とも見栄えの悪い草地が出来上がった。


「…………」

「…………」

「これは……勇者殿にしか出来ない荒業ですな」


 確かに。


「……」

「……」

「やり直しですな」

「剪定道具を新調するよう、俺が国王に頼んでおこう」


 俺は壊れた剪定鋏を庭師に渡し、そそくさと帰った。


その後も様々な場所に助言をし、面目躍如の大活躍をした。

 

 俺は一流のクリエイターとしての精神をフレディックに叩き込み終えた後、客間に戻って来た。

 エルザははぁ、とため息をつきながら紅茶をすすっていた。


「私はあの王子の相手は出来そうにないな……」

「ぶははははは! おばさんが!」

「まだ二十代の半ばだから! おばさんとかじゃないから!」


 エルザは飲んでいた紅茶を置き、俺に掴みかかって来るが、軽くいなす。


「ところでクロぽん、あの王子に王子としての意識を持たせる、って息巻いてたけど、ちゃんと出来たの?」

「あぁ、そのことね。勿論、フレディックは今やどこの国の王子に出しても恥ずかしくないほどの進化を遂げたな」

「嘘でしょ⁉」

 

 エルザは驚き、立ち上がる。


「まあ、クリエイターっていうのは、人の心を打つのが仕事だからな。王子一人の心を打つくらい、一流のクリエイターたる俺にとっちゃあ造作もないことだったな、あっはっは」

「いや、クロぽんまだ何も代表作ないじゃん」


 客間でエルザとくつろいでいると、使用人が入って来た。


「夕餉の準備が出来ました、勇者様方。ご一緒に召しあがられるように、との国王陛下からの計らいですが、いかがなさいますか?」

「あぁ、行く行く」


 俺とエルザは使用人の後に続き、食事の席に赴いた。



「さてさて皆さま、お集りでしょうか」

「お集りでーす」


 食事の席に着いた俺は国王の言葉に合の手を打つ。

 ほどなくして王子も指定の席に着き、食事が開始された。


「王宮の食事とはいかほどか……クリエイターとして、その味を見極めるため実食しよう」

「いや、普通に食べなよ」


 エルザの突っ込みを黙殺する。

 俺はふと、王子に目がいった。


「……」


 王子は食事に手を付けるより前に、傍にあったナイフとフォークをじっと見つめていた。

 王子は使用人を呼び、ナイフとフォークを手に取った。


「このナイフとフォーク、少しくぼんでるぞ。いつの時代のものだ?」

「え…………それは」


 使用人は戦々恐々とした態度で王子と接している。だが、意を決したのか、口を開いた。


「それは、つい先日新調したものでございます。そのくぼみはレリーフといいまして、ナイフとフォークを美しく見せるためのものでございます」

「そうかそうか……」


 使用人の言葉を聞いた王子は、うんうんと頷いた。


「そうかしこまらなくたっていい。これは昔のナイフとフォークだな! 何、誤魔化して適当なことを言ったのは気にしなくても大丈夫だ。一流というのは、間違いを認められる人間のことだからな!」


 ナイフとフォークをしげしげと見つめながら、王子は使用人に講釈をする。


「それにしても、随分とくぼみのある調度だなあ。とにかく昔のものなんだろう。今までの長い長い時を生きて来た調度というのは、本当に趣深い。歴史を感じるぞ」

「い……いえ、ですからそれはレリーフといいまして、新調したものなのですが……」


 側仕えが釈明するが、王子は分かった分かった、と手でそれを制した。

 隣でスープを飲んでいるエルザが口からスープをぼたぼたとこぼし、あんぐりと口を開けている。


「ちょ、ちょっとクロぽん何教えたの⁉ 前より悪くなってるじゃん! 何あの似非粋人みたいな感想! しかも間違ってるし!」

「王子…………たった一日でこんなに立派になって……」

「なんで泣いてんの⁉」


 エルザが俺の襟を引っ張りながら大喝してくるが、俺はたった一日で王子がここまでめまぐるしく立派になったことに感動し、泣いていた。

 涙を拭う。


「おいそこのおばさん」

「おばさんって私だよね⁉」


 王子が俺たちの方に水を向けた。


「おばさん、食事中に暴れるのは感心しないぞ。師匠に掴みかかるのはよしてくれ」

「師匠おおおぉぉぉ⁉」


 王子の一挙手一投足に、一々エルザは大声で突っ込みを入れる。


「おばさん、食事中に暴れて大声を出すのはマナーに反するね。スープもぼたぼたこぼしてるし」

「いや、これは違うくて、その……」


 エルザは口からこぼれた大量のスープを隠すようにして、テーブルの上に覆いかぶさった。


「おばさん、スープこぼしたり隠そうとして覆いかぶさったり、全く一流としての品格がないね! 師匠と同じ元勇者か疑問に思うよ!」

「ちょっと待って、クソうざいんだけど!」


 顔を赤くしてエルザは王子を睨みつける。


「おばさん、余の言葉をよく覚えておくといいよ。一流って言うのは自分の得意分野以外にも広くけんしきを高めないと駄目だから。おばさんは全然一流じゃないね、くりえいたーの余が言うから間違いないよ。ご飯のマナーくらい覚えておいた方が良いよ」

「なんでそんなこと言われなきゃいけないの、えぇ⁉」


 エルザはぐるりと首をめぐらし、こちらを睨みつけて来た。


「全然前より良くなってないじゃん! しかもクリエイターって言ってるんだけど! ちょっとどうするのクロぽん!」

「もうどこの国の王子になっても恥ずかしくないくらい立派になって……!」

「いや、暴君じゃんあんなの! 全然自分の間違い認めきれてないよ!」


 エルザはそのまま暫く抗弁していた。

 心なしか、国王たちも憮然とした面持ちで、王子の成長に目を見張っているかのような様子だった。

 あ、国王もスープを口からこぼしてる。





 翌日、国王にあてがわれた客室でのんびりと惰眠をむさぼっていると、バン、と勢いよく扉が開けられた。


「クーーーローーーーぽーーーーんーーーー!」

「おいおい、ノックしろよお前」


 眉をひそめたエルザが怖い顔をして、やってきた。


「クロぽん、どうしてくれてるの、あの王子! 全然前よりダメダメになってるじゃん! なんとかしてよ!」

「いやいや、それよりまずノックせずに入って来たことを謝罪するべきだろ。お前、俺がお前の部屋ノックもせずに入って来たらどう思う? 絶対怒ってるだろ? そういう風に人の気持ちを理解できないからダメなんだよ、このポンコツ魔術師が」

「ウッザーーーーー! 超ウザい! 別にクロぽんに裸とか見られても何も思わないから!」

「はぁ……これだから素人は。実際やられたら困ることを自分で言うことで自分の過ちを正当化しようとする。はぁ~あ、全く困っちゃうなぁ、やっぱクリエイターって職業は! 人の気持ちが手に取るようにわかっちゃうからなぁ! 本当、人の気持ちが分かりすぎるってのも、考えもんだわ!」

「じゃあ今ここで服脱ぐから! 全然私何とも思ってないからぁ!」


 エルザは服に手をかけ、脱ぎだした。


「誰かーーーーーーーーー! 誰か助けてくれーーーーー! 襲われる、襲われるーーーーーー!」

「師匠、何事だ⁉」

「いやあああぁぁぁーーーーー!」

 

 扉を開けて、フレディックが入って来た。エルザは即座に服を着なおし、物陰に潜んだ。

 俺は簡潔に、王子に今起こった出来事を話した。


「全く、このおばさんには困ったもんだよな、王子」

「おばさんって言うな!」

「余もそう思う! 全く、人の気持ちを理解できる余たちは人の気持ちも理解出来ないしろーととは相容れないな!」

「おう王子、お前も王子としての風格を備えて来たじゃないか」


 俺はぽん、と王子の頭に手を乗せた。


「余も一流のくりえいたーとして、一流を見るしんびがんを身に着けたからな!」


 えっへん、と王子は胸を張った。


「屈辱なんだけどぉ……」


 エルザは物陰に隠れて呟いていたので黙殺し、早速王子と王宮の探検に出かけた。





厨房に向かえば、


「料理長、この料理はまだ味の深みに欠けてるな。余はこの味にしんえんたる奥深さや繊細さが全く感じられんぞ」

「フレディック様、それはまだ後の工程がございまして……」


 衛士の下へ行っては、


「この陣形は敵の侵攻を食い止めるには不適切だな。もう少し槍衾が出来るような程に集まらないと、連携が取れないぞ!」

「坊ちゃま、王宮に大群が進行してくるときは既にその情報も耳に入っていると思いますので、今は単独犯を想定した陣形を取っているのですが……」


 フレディックの勉学のため講師がやって来ては、


「余は今日は休むぞ」

「そんな、困ります坊ちゃま。坊ちゃま教養を身に着けるよう国王様からも言いつけられておりますので」

「本当に良い物を生み出すには、適度な休養も必要だ。くりえいたーにとって寝不足は大敵ぞ」


 賓客を迎え入れる時には、


「余がお主らの話を聞いてやるぞ! 早く上がれ!」

「えっと……すみません坊ちゃま、国王に直接上申したいことがありまして……」

「苦しうない、王族だからと言って身分の差を気にしてちゃいけない。じゆうかったつに、どんな意見でも自分の想像力を向上させるために取り入れるのが一流、真のくりえいたーというやつだからな!」


 とかく、フレディックは様々な場所に赴いては顔を出し、俺が伝授した数多くのクリエイター魂を助言していった。





「あ……あの~勇者殿?」

「おう、どうした?」


 フレディックが王宮内で面目躍如の大活躍をしている中、俺は国王に召喚された。


「あの~勇者殿……私がフレディックを教育していただきたいと言った手前、大変申し訳ないことではあるのですが~……そろそろ帰って頂けませんか?」

「ん?」


 国王は顔色を悪くして、そう言った。

 なるほどなるほど、さては俺に遠慮してるんだな。一流のこの俺をここまで引き留めてしまっては申し訳ないと、そう考え込んでいるんだろう。

 中々に見上げた心がけだ。だが、乗りかかった船だ。途中で投げ出すのも忍びない。クリエイターとして、一度やり始めたことは結末を見届ける責務がある。

 俺は国王にはにかんだ。


「俺のことなら気にするな、国王。フレディックが王子として一人前になるまでは、俺がきっちり責任を持って見届けてやろう」

「そ…………そんなあ」


 王は顔をゆがませた。

 そこまで喜んでくれるとは、王子の教育もし甲斐があるというものだ。


「おいエルザ、お前も少しは王子の教育手伝えよ! な!」


 俺は隣にいるエルザの背中をばしばしと叩いた。


「いや、クロぽんはもう帰ってよ! どんどん王子の性格悪くなっていってるじゃん! あんなの、王子の権力を持った放縦な子供じゃん!」

「はっはっは! ひがむなひがむな!」


 自分が王子の教育に失敗したからと、エルザは俺に妬み嫉みをぶつけてくる。全く、自分の感情を制御できない素人はこれだから困る。


「ゆ……勇者様、ここはなんとか帰って頂けないでしょうか? フレディックもこのままでは非常によくないので……」


 国王はそれでもなお、俺に頼み込んで来た。中々引き下がらないな。


「い~や、俺はフレディックの面倒を見るぞ」

「そこを何とか」

「断る」

「そこを何とか」


 俺と国王がそんなやり取りを交わしていると、客間に衛士隊長が大慌てで入って来た。


「こ……国王様! 魔物がこの街に大量になだれ込んできました!」

「な……なんだと⁉」

「魔物……⁉」

「嘘……」


 国王は血相を変えて、衛士隊長に追従した。


「こうしちゃおれん!」


 俺とエルザも衛士隊長の後につき、王宮の外に出た。

 王宮を出るまでの途中で、フレディックと出会い、フレディックはこちらに走り寄って来た。


「師匠、この騒ぎはなんだ?」

「おう、フレディック。なんかこの街に大量の魔物が出たとかなんとか」

「魔物が……⁉ 魔王は倒したんじゃなかったのか⁉」

「事態はそう簡単な話ではなさそうだな」


 俺はフレディックをひょい、と肩に乗せ、王宮の外に出た。


 魔王は、確かに討伐した。

 だが、魔王が討伐されたことで魔物が一掃される訳ではない。魔族はあくまで魔王と言う首魁を失っただけであり、むしろそれが原因で魔物は統制も秩序もなく、暴虐の限りを尽くす可能性もある。

 魔王は倒されたが、魔物全てが倒されたわけではない。


 恐らくは、国王のその認識の違いが今のこの状況に至っているという訳だろう。


「師匠、あれ!」

「嘘だろ……」


 フレディックが指さす方向で、既に大量の魔物が街になだれ込んできていた。

 どうやら街の動線に沿って魔物が入って来たらしい。街の入り口を守るはずの衛兵の数を見誤ったのが原因か。

 今にも魔物に押しつぶされそうになっている衛兵が悲鳴を上げて、逃げていた。


「フレディック、一旦降ろすぞ。エルザの……おばさんの近くにいろ」

「し……師匠⁉ 何を……⁉」


 俺はフレディックを肩から降ろすと――


「魔物退治かな」


 地を踏みしめ、魔物の下に驀進した。


「ひっ……誰か、誰か助け――」

「ブオオオオオオオオォォォォォォ!」


 魔物の前足が衛兵の頭を打ち砕こうとした時、


「頭を下げろおおおぉぉ!」

「ひぃっ!」


 俺は魔物に蹴りを喰らわせ、遥か後方に吹き飛ばした。


「え……な……」

 

 衛兵が茫然と俺を見る。俺は手を差し出した。


「大丈夫か?」

「あなた様は……あなた様はもしかして…………」


 わなわなと震えながら、衛兵は俺の手を取り、


「伝説の、伝説の勇者様ですか⁉」


 そう叫んだ。

 どうやら風圧でフードがめくれあがっていたようだ。


「まぁ、そう言われてた時もあったかな。負傷者を大広場に避難させてくれ」

「は……はっ! 承知いたしました! 勇者様、ご武運を祈ります!」


 衛兵は一礼し、駆けて行った。


「国民の皆さん、逃げてください! 早く大広場へ、大広場へ避難してください!」

 

 国王は真っ先に突貫し、大声で叫んだ。多くの国民が逃げる中、国王だけは国民の逃走先とは逆方向に走る。


「皆さん、早く避難してください! 魔物がこの街になだれ込みました! 早く避難を!」


 俺は避難を促す国王を尻目に、魔物を狩り続ける。

 国王は勢いそのまま、場末の路地裏にも入って行った。


「あんの馬鹿国王が……」


 俺は国王の後を追いかけ、路地裏に入って行った。


「皆さん、魔物が襲撃してきました! 早く逃げてください!」

「ま……魔物が⁉ どうして⁉」

「いいから早く避難してください! 街の奥へ、大広場へ逃げてください! ここは狭い、早く!」

「キャ……キャーーーーーーー!」


 路地裏で、女の甲高い悲鳴が響き渡った。


「な……」


 王の後方に、巨大な斧を持ったミノタウロスが迫り、


「皆さん、ここは私が! 早く!」


 国王の頭部をめがけ、斧を振り下ろした。


「グルオオオオオオオオオオォォォ!」


 が、その斧は空を切り、ミノタウロスは地に沈んだ。


「おい国王、生きてるか⁉」

「ゆ……勇者殿⁉」


 俺は軽くいなしたミノタウロスを道端にどけ、国王を立たせた。


「も……申し訳ありません、勇者殿……救って頂きありがとうございます……」

「馬鹿なことしてんじゃねぇぞ。国王は戦えねぇんだから迂闊に戦場に行くな」


 国王を諫めるのもほどほどに、俺も国民に避難の指示を出した。


「クロぽん! 大丈夫⁉」

「師匠!」

 

 ほどなくして、エルザとフレディックがやって来た。


「おいエルザ、繁華街にいた人たちはどうした⁉」

「大丈夫、土壁を生成してひとまず魔物の足止めをしたから! でもあの数じゃそう長くは持たないかも。ここで街の人は全員だから、早く大広場に避難して!」

「そうか、分かった! 皆大広場に避難しろ!」


 合流したエルザ達とともに、揃って広場に走り出した。フレディックを肩に乗せる。


「じ……じじい、なんでこんなところに……」


 フレディックは理解できないという表情で、呟いた。


「フレディック、なんでか分かるか」

「分からないよ……全然」

「一流って言うのはな……」


 俺はフレディックと視線を交差させる。


「周りの環境にも気を遣うものだ」


 フレディックを諭すようにして、そう言った。


「あの場にいた人たちだけじゃなく、魔物の襲撃に気付いていないだろう人たちのことも考えたわけだ。国王は広い見地を持って、国民を出来るだけ救おうとしたんだ」

「じじい……」


 俺たちは大広場に到着した。

 土壁で魔物を足止めしているため、国民は不安を押し殺せていなかった。


「このクソ国王が! どうしてくれるんだ! お前のせいで街が滅茶苦茶になっただろうが!」


 国民の一人が国王に近づき、罵声を浴びせた。


「そ……そうだそうだ、国王のせいだ! お前のせいだ!」


 それに続き、何人かが出て来た。


「そうだそうだ! ふざけんな!」

「魔物に襲われるなんてたまったもんじゃないわよ!」

「ふざけるなこの国王が!」


 悪罵は伝播し、その場の多くの人間が国王に迫って来た。

 途端に大広場は阿鼻叫喚の地獄と化し、泣き叫ぶ女子供や国王に怒りをぶつける国民が続出した。


「どうしてくれるんだこの状況!」

「魔物をどうする気ですか⁉」

「このまま私たち死んじゃうの⁉」

「誰かーーーーー! 誰か助けてくれーーーーー!」

「死んじゃう! 死んじゃうよーーー!」

「まだ死にたくないよーーーーー!」

「いやああああぁぁぁぁぁーーーーーーー!」

「嫌だよおおおおおぉぉぉぉ! まだ死にたくないよおおおおぉぉ!」


 その阿鼻叫喚の中、国王は一歩前に出た。


「落ち着いてください!」


「……」

「……」

「……」


 国王の大喝で、大広場が途端静粛に包まれた。


「お……落ち着いてられるか! お前のせいで俺たちは魔物に襲われたんだぞ、どう責任とってくれるんだ!」

「そ……そうだそうだ! ふざけんな! お前のせいで何もかも滅茶苦茶だ!」

「そうだそうだ!」

「ふざけんなこのクソ野郎が!」


 不安は恐怖に取って代わり、行き場のなくなった混乱は国王を対象にする。

 国王は静かに、頭を下げた。


「大変、申し訳ございませんでした! この度は私の心算が甘いばかりに、このような失態を招いてしまいました! 大量の魔物が街を襲うことはないだろうと高を括り、街の防備を手薄にしまいました! 大変、大変申し訳ございません!」


 ずっと頭を下げたまま、国民の前で謝罪した。


「誤って済むか! この状況をどうするつもりだ!」

「そうだそうだ!」

「そもそも、今魔物はどこにいるの? どこに潜んでるの⁉」

「怖いよママーーーーーーー!」

「泣かないで、なんとかなるから! なんとかしてくれるから!」

「まだ死にたくないよぉーーーー!」

「誰か助けてぇーーー!」


 だが、国民の非難は続いていた。


「じじい……だっせぇよ……」

「そうか?」


 ただただ真摯に頭を下げる国王を見て、フレディックが呟いた。


「フレディック、一流は」


 俺は再度フレディックに言い聞かせるようにして口を開くと、


「自分の過ちを認めることが出来る人間のことだ」


 そう言った。


「…………」


 フレディックは自分を責めるようにして、涙を浮かべた。うるんだ瞳で俺を見る。


「それに、国王の真摯な姿勢は、俺の心も打った」

「師匠…………余は……余は……」


 俺はフレディックの頭をわしゃわしゃと撫でまわした。

 今も尚、謝罪を続ける国王の下に足を進め、俺は国王の背中をぽん、と叩き、前に出ると、


「静かにしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 街全体に響き渡るように絶叫した。

 国民の視線が一斉に、国王から俺に移り変わる。


「え……もしかして……」

「あの顔……もしかして……もしかして……」

「あの伝説の勇者様……?」

「そうだ」


 俺はうなずいた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ勇者様がいらっしゃったぞおおおおおおぉぉぉ!」

「勇者様万歳――――――――――!」

「これで俺たちも死なずに済む!」

「勇者様ありがとうございます!」

「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「「「勇者! 勇者! 勇者! 勇者! 勇者!」」」


 阿鼻叫喚の嵐は途端に歓喜の渦に変わった。


「全く……街の人の人気だけはあるね、クロぽんは」

「いや、もっと色々持ってるわ」


 俺はエルザの軽口をいなした。踵を返し、魔物たちが密集しているであろう場所を目指す。


「あ、フレディック、これ借りてもいいか」

「し……師匠、何を……」


 俺はフレディックが携行している鉄の棒を借りた。


「な、何でこんなものを……」

「そりゃあ戦うためだろ」

「む……無茶だよ! そんなの何の威力もない、全然武器になんてならないただの鉄の棒だから!」

「大丈夫大丈夫」

「嫌だ! 余は師匠が闘うのを認めないぞ! 死んだりしたら絶対に許さない! 行くな!」


 フレディックは俺に抱き着き、必死で止めようとする。


「フレディック……」


 俺はフレディックの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「一流は、物を選ばない。そう言っただろ?」

「師匠…………」


 涙ぐんだ目で、フレディックは俺を見上げた。


「そ……それでも嫌だ! そ、そうだ! 師匠はくりえいたーなんだから、別に支障が闘わなくったって誰かがやってくれる! そうだ! 師匠は別に戦わなくてもいいんだ!」

「そんなわけにはいかねえよ」

「どうして⁉ 嫌だ! 行かないで師匠!」


 俺はフレディックの背中をポンポンと叩きながら、国民を見た。


「俺はな…………クリエイターであるよりも前に、勇者だからな。皆を守って、皆の笑顔を守るのが勇者の、それに、クリエイターの仕事でもあるからな」

「…………師匠」


 フレディックは手を解き、俺を見上げた。


「師匠、絶対に死なないで」

「当り前だ、俺が死ぬわけねえだろ?」


 俺は再度フレディックの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「俺は勇者でクリエイターだ」


 俺はエルザと共に、魔物の密集している場所へと歩き出した。




 勿論、傷一つ負うことなく圧勝し、魔物を制圧した。








 後日、街の周辺にいた魔物を退治し、街に平穏が戻った。

 国王は国民に今回の事態を猛省するとともに、街の防備を強固にすることを誓った。国民も国王のその真摯な姿勢に打たれ、事態は無事に収束した。


 そして、俺とエルザは王宮を出ることになった。

 王宮の正門で、俺は国王とフレディックに見送られていた。


「勇者様、この度は大変な迷惑をかけてしまい、申し訳ございませんでした」

「気にするな、だが国王――」


 俺は国王を一瞥すると、


「俺の本を出版することを、とくと忘れないように!」

「ふふふ……それは分かっておりますとも、勇者様」


 国王に耳打ちした。


「師匠、父上、何をお話しか」

「いやあ、これは大人の問題だ、大人の問題」

「大人大人と、余をのけ者にして……」


 むう、とフレディックは俺をぽかぽかと叩いた。

 俺はあはは、と笑いながらフレディックの相手をする。


「全く、すっかり王子も王子らしくなったね」

「ありがとう、おばさん」

「全然成長してなかった! 嘘でしょ⁉」


 フレディックは、国王が国難を乗り越えたその姿に心を打たれ、何事にも真面目に取り組むようになり、言葉遣いや態度の乱れも減っていった。いやはや、あれもこれもクリエイターたる俺のおかげだな。


「でもフレディック、お前ちゃんと王子として頑張れんのか~?」


 俺はにやにやと薄笑いを浮かべて、フレディックを見る。


「う、うるさいぞ師匠! 余はちゃんと出来る! いつか師匠のような立派な大人になるからな!」


 フレディックは俺をびし、と指さした。

 そこはワシのような、じゃないのね、と少し寂しそうな声で国王が呟いていた。俺の凄さを存分に見せつけすぎたみたいだな。


「それに余はクリエイターだからな、なんでも上手く出来るし、ちけんも深いからな!」


 ふん、と腰に手をやりフレディックは胸を張る。


「それに……」


 フレディックは俺を見上げた。


「余は、クリエイターである前に、王子であるからな! 国民の幸せを願えるような、そんな国王になるぞ!」

「…………そうか」


 立派になったもんだな。


「じゃあな、フレディック、国王、俺は家に帰る。また何かあったらこのおばさんを通して言いつけてくれ」

「ちょっと、私結局最後までおばさんなの⁉」

「師匠、お元気で! 絶対に、絶対にまた遊びに来てくださいねーー!」


 俺はエルザ、フレディック、国王に別れの挨拶をし、帰途に就いた。




 その後、本の出版の締め切りに喘ぎ、もだえ苦しむのはまた別の話。

 


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無職の勇者はクリエイター(かぶれ) 利苗 誓 @rinae

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