第415話 別れ

 この日、東郷邸は久しぶりに雑然としていた。

 ここ最近、東郷邸で暮らしている者達は、異世界からの訪問者と、外務大臣令で接待を命じられた翔一、エリーである。それだけでも、そこそこの数になる。

 それが、この日に限っては、遼太郎を始めとした旧特霊局府中事務所の面々が、顔を揃えていた。

 理由は一つ、ロイスマリアに帰還する、ペスカ達を見送る為である。


 帰還にあたり、荷物の整理をする必要が有る。

 何故なら、翔一とエリーが尽力した社会見学ツアーで、参加者達は様々な物を購入した。

 塩、醤油、味噌等の調味料を始め、日本酒、焼酎、ビール等の酒類。缶詰、レトルト食品、カップラーメン等の保存食。テレビ、冷蔵庫、電子レンジ等の家電製品。果てや数種のゲーム機とゲームソフトに至るまで。


 単なる土産ではなく、資料の意味も含めている、その為、一つ一つの品が数十個にも及ぶ。

 そしてこれらの購入代金は、外務省特別補佐局の経費から捻出されたのではなく、冬也が長年に渡って少しずつ行った貯金や、ペスカが株等で儲けた収入で全て賄われた。


 冬也曰く、ロイスマリアに持ってく物を、日本の税金で買う訳にはいかねぇ。その意見に、ペスカも賛同した。当然ながら、今後ロイスマリアに拠点を置く事になる二柱が、日本の通貨を所持し続けても使用する機会は少ない。

 二柱は、貯金を全て取り崩し、レイピアとソニアに管理を任せた。そして、必要と思われる物は、複数量購入する様に指示をしていた。

 その結果、東郷邸の庭に設置されていた大型の物置が、満杯になる事態となった。


 その荷物を、冬也とゼルが汗を流して、所定の場所に運ぶ。そして、お人好しの翔一と安西がそれを手伝う。東郷邸では、朝からそんな光景が繰り広げられていた。


「わりぃな、ゼル。結局、荷物の整理から運ぶ所までやらせちまって」

「いえ、俺は戦う事しか出来ませんから。せめて、この位は役に立たせて下さい」


 そう言いつつも、空や美咲が居なくなった東郷邸を掃除し、清潔に保っていたのはゼルである。またゼルは掃除だけでなく、洗濯機の使用方法も学び、料理以外の家事を全て行っていた。

 レイピアとソニアは、報告書をまとめる為に時間を費やしている。自分は何も出来ないから、家事を教えて欲しいと頼み込み、自ら率先して行動した。ゼルもまた、この地で多くの事を学んだ一人であろう。


「安西さんは、休んでてくれよ。あんたは客だろ? 翔一もだ。忙しかったんだし、俺らが居なくなったら、親父にこき使われるんだ。休める時に休まないと、体壊すぞ!」

「そういう訳には行くか! お前らが汗を流してる所を、のんびり見てられるのは、先輩だけだ」

「そうだよ冬也。僕はこれでも、君と東郷さんに鍛えられたんだ。体力には自信が有るよ」

「ったく、お人好しな連中だ」

「それは、お前に言われたないぞ冬也」

「そうだよ。君ほどじゃない」


 ☆ ☆ ☆


 ブルと言えば、家庭菜園に一時的に植えた、スパイスの元となる数十種類の苗、大豆の苗等、ロイスマリアで新たに栽培する予定の苗を運ぶ準備をしていた。

 そして、残していく野菜等は、管理方法をクラウスに教えていた。


「理解しました。単に水をやるだけでは、駄目なんですね」

「そうなんだな。後は植え替えの時の注意なんだな。一緒に植えたら駄目なやつが有るだな。それと連作障害を防ぐ為に、植える野菜も考えなきゃ駄目なんだな」

「畏まりましたブル様」

「堆肥作りから、一緒に植えて大丈夫なのと駄目なの、輪作の仕方、色々とまとめておいたから、後で読むと良いんだな」

「ありがとうございます、ブル様。この世界の人間は、こんな工夫をしていたんですね。勉強不足でした」

「仕方ないんだな。クラウスは、貴族で統治するのが、仕事だったんだな」

「しかし、ロイスマリアでは考えられない工夫ですね。これが行われれば、神々の負担も減るでしょう」


 ロイスマリアでは、大地母神が大地を潤す為、連作障害や不作を気にする必要はない。この世界に来てブルは、神の力に頼らず、土地を豊かにする方法を知った。そして、ロイスマリアでの手法に、疑問を持ち始めていたのだ。


「たかが、家庭菜園なんだな。失敗しても、大きな影響は無いんだな。だから気楽に、色々と挑戦して、学ぶと良いんだな」

「はい。いつか、私の手で育てた野菜を、ロイスマリアにお送りします」

「嬉しいんだな。待ってるんだな」


 ブルの笑顔は、人の心を和らげる力を持っているのだろう。心なしか、クラウスの表情が綻んでいた。


 ☆ ☆ ☆


 一方その頃、ペスカ、レイピア、ソニアは、魔法陣の最終確認を行っていた。

 

 ゲートの魔法は、異空間を繋ぐ大魔法である。その為、膨大な神気を必要とする。

 行先で同様の魔法を使用すれば、多少は神気の消費を軽減させる事が出来る。また、目的地の特定も可能になる。


 ただ、従来の方法は、非効率的である。両側に、ゲートの魔法を使用出来る術者の存在が有っても、非効率である事は否めない。それでも、改良が行われなかったのは、行き来が少ないからであろう。


 そして、クラウスが地球を離れたら、地球側の術者が不在となる。その為ペスカが考案し、女神フィアーナが改良を加えたのが、新たなゲート魔法の術式である。

 

「神気やマナの軽減化と共に、位置指定の意味も含まれていると。流石です、ペスカ様」

「姉さん、それだけでは無いですよ。この魔法陣は、フィアーナ様が権限者になってます。フィアーナ様の許可が無ければ、幾ら神気やマナを注ごうとも、魔法陣が発動する事は有りません」

「流石に二人は、理解が早いね。パパリンがこの家を売らない限り、ロイスマリアから来る時は、ここに繋がるよ。ロイスマリア側の魔法陣は、議事堂前に設置して貰ったよ」

「こちらの方々は、それで了承なさったのですか?」

「まあね。パパリンと三島のおじさんが、駄目って言う訳無いし。深山さんからもオッケー貰ったよ」

「フィアーナ様から、周知されているとは思いますが、師匠にも報告致します。ロイスマリアと地球で、正式に行き来を可能にする為には、乗り越える壁が多いですから」

「うん。まぁエレナだけじゃ頼りないから、二人が支えてあげてね。特に知恵の部分はさ」

「畏まりましたペスカ様」

「確かに師匠は、冬也様と似ている所がございます。承りましたペスカ様」

「こら、ソニア! そんな言い方は、師匠と冬也様に失礼ですよ! お二方とも、大変ご立派な方です!」

「レイピア、叱らないであげて。ソニアの言う事は、尤もだもん。だって脳筋仲間だし」


 ペスカの言葉に、二人は笑顔を見せた。

 話しながらも、確認作業は進む。そし冬也達が、荷物を魔法陣の上に積んでいく。後は、皆が魔法陣の中に集まり、ゲートの魔法を発動させるだけとなった。


 ☆ ☆ ☆


 異世界からの訪問者達が、作業をしている間、その手伝いをしていない者が何名か存在する。

 エリーは、林が既製品を改良したお掃除ロボットを複数台設置していた。そして林は、室内外に複数の監視カメラを設置していた。


「リンリン。起動は確認シタヨ。問題なく動いテルネ」

「助かりましたぞ、エリー殿。では、こちらを手伝って下され」

「リンリンは、何をシテルノ?」

「防犯カメラの設置でござるよ。映像は、東郷殿とクラウス殿のスマホに、飛ぶ仕組みになってるでござる」

「Is it necessary for set up Security cameras?」

「なんて言ってるか、わからんでござる。エリーは、日本語をもっと勉強するでござるよ」

「My bad. この家は、セキュリティーがシッカリシテルよ。その上、カメラが必要ナノ?」

「念の為でござる」

「掃除ロボットのリユーは?」

「家は手入れするから、長持ちするでござる」


 林が改良した掃除ロボットは、単に床を這いずり回るだけの代物ではない。

 天井等の埃を払い、集めた塵をまとめて袋に詰め、指定日に集積場に持っていく。それぞれの機能が、各機械に独立して備わっている。権利を売るだけで、一財産にはなるだろう。

 それを惜しみなく設置するのは、再び異邦人達がこの家に滞在する光景を見たいからである。


 そして、皆が忙しなく動き回る中、遼太郎とアルキエルは、酒を酌み交わしていた。


「ミスラぁ、寂しいんだろ? だから、昼間から飲んだくれてやがんだ」

「そうじゃねぇよ。まぁ、ペスカに会えなくなるのは、寂しいけどな」

「にしても、大層なモンを作りやがったな」

「リンリンには、すげぇ感謝してるぜ。でも仕方ねぇんだよ、フィアーナが庭にゲートを作っちまったからな。売り払う訳にはいかねぇ」

「お前の家だろ? お前が住めよ」

「職場が、遠くなっちまったんだ。帰るのがめんどくせぇ。それにこの家は、ペスカが来るから建てたんだ。俺と冬也だけなら、家は要らなかったんだよ。あいつは野宿だろうが生きてける。そう育てた」

「冬也はぜってぇに言わねぇだろうから、俺が言ってやる。今度は、お前らがロイスマリアに遊びに来い。もう、お前の知ってるロイスマリアじゃねぇ。色んなモンが変わってる、これからも変わる。特にタールカールはな。冬也が頑張ってやがる。ペスカは面白れぇ事を考えやがる。あそこは、俺達の遊び場に丁度いい場所だ。お前等も気に入るはずだぜ」

「暇が出来たらな」

「ミスラぁ。寂しいからって、泣くなよ」

「泣くか馬鹿野郎!」


 わかっているのだ。

 義理とは言え、大事な娘が旅立つ。常に暴言を吐こうとも、実の息子が旅立つ。それが、単なる旅行ではない事も。

 一時的に帰省する事は有るかもしれない、しかし生活の場を移すのだ。そうそう会えはしない。

 寂しいと思わないはずがない。旅立ちを笑顔で見送る気にはなれない。それでも、送り出さなければならない。

 

 仕事に没頭していれば、気も紛れただろう。しかし、自分の目の前から姿を消す。その準備を進めている。到底、手伝う気にはなれない。

 やるせない気持ちを紛らわせる為には、酒を浴びるしかない。


 やがて準備が整い、遼太郎とアルキエルを呼ぶ声が、庭の方から聞こえてくる。

 立ちたくない。でも、立つしかない。

 アルキエルに急かされ、遼太郎はビールの缶をテーブルに置いて、立ち上がった。


 庭に刻まれた魔法陣が光っている。

 魔法陣の上に置かれた、大量の荷物が光と共に消える。


「ミスラ様、皆様。大変お世話になりました」

「皆様、またお会い出来る日を、楽しみにしております」

「御恩は忘れません。皆様に顔向け出来る様、これからも精進してまいります。ありがとうございました」


 深く頭を下げた後、レイピアとソニア、そしてゼルが魔法陣の中に入り姿を消す。

 

「みんな、ありがとうなんだな。じいじ、ありがとうなんだな。また来るんだな。お前たちも、こっちに遊びに来るといいんだな。歓迎するんだな」

「てめぇらはどいつもこいつも、人間にしとくのは惜しい野郎共だ。ブルの言う通り、遊びに来やがれ。てめぇらが、した事ねぇ体験をさせてやる」


 そうして、ブルとアルキエルが魔法陣の中へ消えていく。

 

 既に別れは済ませたのだろう。冬也は魔法陣の近くで立つ。そして、ペスカは遼太郎に近づいていった。

 ペスカは遼太郎に抱き着く。そんなペスカを、遼太郎は優しく撫でた。

 何も言わない。何も言えない。何も言わずとも、心は伝わる。


 離れ難い。このまま、永遠の別れになる可能性だってある。絶対に会える保障など無い。不慮の事故に会うかもしれない。治療が施せない難病を患うかもしれない。突然倒れて、そのまま目を覚まさない可能性もある。


 何故なら、遼太郎には神気が無いのだから。神気を失った神格は、いつ消滅してもおかしくない。

 ペスカは遼太郎の無事を願い、魂魄に混じった神格へと神気を注ぐ。


 女神フィアーナは、人の一生に固執しない。人は輪廻を重ねるのだ、神として大局を見ている。何故なら、存在した瞬間から神であったのだから。

 だがペスカは違う。魂魄が自壊しない様に、遼太郎が今生を全う出来る様に、祈りを籠めた。


 神気を注ぎ終わると、ペスカは遼太郎からゆっくりと離れる。

 今にも零れそうな涙を堪え、真っすぐに遼太郎を見つめる。

 

「パパリン。元気でね」


 恐らく口を開けば、涙が溢れて止まらない。今、自分が泣けば、ペスカは別れ辛くなる。優しい子なのだ。そんな想いはさせたくない。

 遼太郎は、精一杯の笑顔を浮かべて、只々頷いた。


「親父。俺は、てめぇがどうなろうと、知ったこっちゃねぇ。だけど、ペスカは違うんだ。お袋との約束を忘れんなよ。ペスカを泣かせる様な真似したら、ぶっ飛ばす所じゃ済まさねぇからな」

「うるせぇんだよ、クソガキ! てめぇは早く行っちまえ!」

 

 遼太郎は涙を堪え、最後まで冬也への態度は崩さなかった。


 大事な息子と娘だ。強く有れと育てた。だから、自分はそれより強くなければならない。

 息子と娘に、追い抜かれる訳にはいかない。いつまでも、追いかけさせなければならない。そして、最大の壁となって、立ちはだからなければならない。

 それが父の誇り、遼太郎の矜持なのだ。


 最後まで己を律し、雄々しく立つ。


「ペスカ、元気でな。つれぇ時は、いつでも帰って来い。冬也、てめぇは未熟だ。修行を忘れるな。またな」


 ペスカはボロボロと涙を流しながら、魔法陣へ向かう。冬也は少し振り向くと、遼太郎を少し睨め付ける様にし、ゆっくりと頭を縦に動かした。

 涙を流しながら、ペスカは見送りに来てくれたみんなに向かって、大きく手を振る。冬也は、一人一人の顔を見つめ視線を交わした。そして、光と共に旅立つ。


 魔法陣から光が消えた後、遼太郎は皆を帰し、自分は家の中へと戻っていく。クラウスを含め、皆は遼太郎の事を慮り、黙って東郷邸を後にした。


「馬鹿野郎。お前ら。俺には勿体な過ぎる子供だ。父親を追い越してくんじゃねぇよ、馬鹿野郎。元気でな、元気でいろよ。冬也ぁ。ペスカぁ」


 もう、涙を堪える事は出来ない。誰も見てはいない。

 独り玄関で、遼太郎は泣き崩れた。

 愛しい息子と娘を想って、その旅に幸せが有る事を願って。

 遼太郎の涙は、止まる事は無かった。

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