第414話 挨拶
ペスカの用事が終わり、ロイスマリアに帰る時期が近付いている。
この日、営業時間が終了し暖簾を外す。そして、片付けが終わり着替えると、冬也は世話になった親方と兄弟子の政に挨拶をした。
「そういやぁ、今日が最後だったな」
「はい、親方。短い間でしたけど、お世話になりました」
「結局、今回も俺は、てめぇを一人前にしてやる事は出来なかった」
「すみません、親方。ご厚意に甘えるだけで」
「そんなこたぁねぇ。てめぇは、よく頑張った。だがな、職人の修行は一生なんだ。しかも半人前のてめぇを、世に送り出さなきゃならねぇ。俺はそれが悔しいんだ」
「親方の教え、絶対に忘れません。修行も怠りません」
「ったりめぇだ馬鹿野郎! いいか冬也! 次、こっちに来た時、てめぇの腕が鈍ってやがったら、直ぐにや帰れねぇと思いやがれ!」
「はい。ありがとうございます、親方」
冬也は深々と頭を下げる。それを見た瞬間、親方は手拭いで目元を拭う様な仕草をし、奥の厨房へと引っ込んでしまう。
「冬也。親方が、発破かけてくれた事、ぜってぇに忘れんなよ」
「政さん。ありがとうございます」
「俺も親方も、お前の事情は聞かねぇよ。でも、お前がガキの頃からの付き合いだ。俺達は、家族みてぇなもんだし、お前の事を本当の弟の様に思ってる」
「俺もです。兄貴の様に思ってました」
「ガキのお前は、ここいらでも有名だったからな。でもお前は、てめぇの為には喧嘩をしなかった。それに、ここへ来てからのお前は、すげぇ真剣に修行をした。親方は厳しいからな、三日で逃げ出すどころか、一時間で放り出された奴もいた。だけどお前は違った。どんなに厳しくても、ついて来た。親方は、そんなお前を買ってたんだぜ。ぜってぇ、お前を一人前の職人にするって、言ってたんだ。親方は、俺に後を継がせると言ってくれてる。だけどお前には、暖簾分けして店を持たせる。そんな事も話してくれたんだ。感謝しろよ、冬也」
「はい。絶対に忘れません。親方の教え、政さんの教え、叩き込まれた事全部、絶対に忘れません。ありがとうございます」
冬也は、再び深々と頭を下げる。そして、政の瞳に涙が堪り、溢れそうになる。
政の言葉が詰まる。かけてやりたい言葉は、沢山ある。しかし、上手く言葉が出てこない。
冬也がこの店を最初に訪れたのは、まだ中学生の頃だった。学校には内緒にして欲しい、金が要るから働かせて欲しい。土下座をして頼み込む冬也を、親方は二つ返事で雇い入れた。
冬也の自宅と、店は離れた距離にある。それでも、冬也の悪評は鳴り響いていた。それにも関わらず、法に触れる事も承知の上、親方は冬也に修行をさせた。
教えれば教える程、冬也は真綿の様に吸収していく。期待が膨らんだ。だから、より厳しくしごいた。それでも冬也は、食らいついて来た。
冬也が、家事全般を行っているのは、所作を見れば直ぐにわかる。学生ならば、学業を優先すべきでもある。そんな中で、冬也は修行に励んだ。
親方と政は、冬也に何等かの事情が有る事はわかっていた。だから、突然店に来なくなった時は、怒るどころか心配をし、方々に聞きまわった。
そして、再び顔を見せた冬也に、安堵した。
大きな戦争が起きた。そして、冬也の父である遼太郎が、TVで騒がれている。間違いなく、冬也も関係しているのだろう。
心配で夜も眠れない、しかし戦争は唐突に終わりを告げる。そんな時にひょっこりと冬也が顔を出し、修行をさせて欲しいと頼んで来たのだ。
事情は敢えて聞かない。ただ短い時間であるとは、端から聞かされていた。時間が限られているなら、その時間でありったけの事を詰め込んでやろう。
親方と政は、そう考えた。
しかし、いざ別れの時が来れば、様々な思い出が蘇ってくる。政からすれば冬也は、可愛い弟分であると同時に、後ろから猛烈な速度で追いかけて来る、怖い存在でも有った。
冬也に触発されて、更に修行に精を出した。
寿司職人は、ただ寿司を握り、料理を提供すれば、済むのではない。
カウンター越しに、お客様と対話するのが、仕事の一つである。ならば当然、世事に疎くては、会話にならない。
単に会話を目的として、職人が話しかけるのではない。お客様の顔色や恰好で凡そを察し、また会話の中でさり気なく好みを聞き出す。
それができなければ、お客様を満足させる料理は、提供出来ない。幾ら、寿司の腕が良くても、それでは半人前と一緒である。
冬也に負けたくない一心で頑張った。その結果、政は親方に一人前だと認められた。だからこそ政は、言いたかった。次はお前の番だと。
でも、政の口からその言葉は出ない。言える訳が無い。詮索しないと決めたのだ。
冬也には理由が有る、恐らく自分達とは違う道を歩む。だが・・・。
「げんきで、やでよ」
多くの言葉を呑み込んで、ようやく出たのは、涙声であった。その言葉につられ、冬也の瞳も潤む。
これ以上話すと、涙が止まらなくなる。そんな事を互いに思い、口を噤む。そして、しばしの沈黙が訪れた。
その沈黙の中、目を赤くした親方が、奥の厨房から戻って来る。親方は、右手に細長い箱を持っていた。そして、冬也の眼前まで近づくと、その箱を差し出す。
「餞別だ」
たった一言告げて、親方が渡した物は、柳葉包丁であった。
「親方。これ」
「俺は、てめぇを一人前として、認めちゃいねぇ。だから次に来た時、その包丁に見合う腕になってろ」
親方が政を一人前と認めた時に、送った包丁。それと同一の物を、親方は用意していた。
その瞬間、冬也の瞳から涙が零れた。
「あでぃがどうございばず」
「冬也。いや、元気でやれよ」
「ばい」
親方は、薄々状況を察していた。
恐らく冬也は、日本には居なくなる。もしかしたら、地球というより、もっと遠くの場所に行くんじゃないか。
荒唐無稽な考えかもしれない。しかし、再会する可能性が無い事も含め、親方は餞別の包丁を渡したのだ。
冬也に店を持たせる、そんな期待までかけていたのだ、別れが惜しい。だが、大切な弟子が、大切な息子が、自分の決めた道を歩む。それをどうして止められようか。
親方は、口にしかけた言葉を呑み込み、たった一言だけ告げた。
それから数十分は経過しただろう、他愛もない昔話に花を咲かせた。互いに別れが惜しいのだ。
やがて冬也は戸を潜り、最後に深く頭を下げて、去っていった。
「あいづ、ぶちゃするから。元気でいるど、いいっずね」
「ばさ、てめぇ、いつまで泣いてやがる」
「ぞれは、おやがだもじゃないっずが」
親方と政の涙は、暫く止まる事は無かった。その涙は、愛情の深さ故であろう。
またひょっこりとふてぶてしい面で、冬也が暖簾を潜る日を信じて。
☆ ☆ ☆
冬也が目を腫らして帰ったその日、皆が冬也にかけた言葉は、お帰りやお疲れ様の挨拶程度であった。
どれだけ一生懸命だったか、皆は傍から見ていたのだ。
労いや慰めは不要であろう。いの一番に茶化しそうなアルキエルでさえ、何も言わず目も合わせなかった。
翌日、いつもの朝を過ごした冬也は、帰国したばかりのペスカを連れて外出した。無論、移動手段は公用車、運転は翔一である。
ただ出発直前になり、何かを感じ取ったのか、アルキエルが助手席に乗り込んで来た。
目的地は、一つだけではない。
最初に着いたのは、近所の神社である。そこで、土地神を呼び出し、ロイスマリアに帰る事を告げた。
「そうか、ようやく帰るか。居なくなると、それはそれで、寂しくなるのぅ」
「また来るよ、お爺ちゃん」
「来る時は、先に連絡を寄越せ。そうすれば、慌てんで済む」
「わかった。じゃあ、またね」
近所の神社を離れた後は、現在復興作業中の旧高尾山に向かった。
陰陽師部隊を筆頭に、多くの職人が復興作業に精を出している。彼らの邪魔にならない様に車を停め、飯縄権現を呼び出した。
「そうか、帰るか。そなた達には世話になってばかりだ。何も恩を返せておらん。せめて、預かった魂魄は、我が責任を持って輪廻に戻そう」
「お願いします、飯縄様」
「様は要らぬよ。また来る時は、寄るがいい。その頃には、社殿も建っておるだろう。盛大に持て成すぞ」
「ふふっ。期待してるね」
それから暫く他愛もない話をし、挨拶をして一行は車に乗り込む。飯縄権現は深く頭を下げて、一行を送る。飯縄権現は、車が見えなくなるまで、頭を上げなかった。
そして、最後に一行が訪れたのは、冬也が修行をしていた寿司屋の近く。そう、シグルドの転生体である新藤勇大と出会った、駅前にあるショッピングエリアである。
車をパーキングに停め、一行は勇大と会った場所に赴いた。偶然が二度も重なる訳が無い。だが、一行は待った。
「お兄ちゃん、本当に来ると思う?」
「来るさ。あいつなら必ず。そもそも、来ようって言ったのは、お前だろ?」
「そうだぜ、縁てのが繋がってれば、会えんだよ。それは偶然じゃなくて、必然って言うんだ」
「なんか、アルキエルが言うと、胡散臭いね」
「なんだと、てめぇ!」
そんな会話をし始めた時であった、遠くから聞き覚えの有る声がし、段々と近づいて来る。
「やっぱり! あなた達だったのね。この子が凄く泣くから、連れて来たのよ。ほんと、連れて来て良かった。ほら、もう泣き止んでる。あなた達は、本当に不思議な縁で繋がってるのね」
ベビーカーの中を覗き込むと、雄大が小さな手をいっぱいに伸ばし、口をもごもごさせているのが見える。
「あら、またお姉さんに抱っこされたいの? 仕方ないわね、いいかしら?」
「えぇ。構いません」
ペスカは、優し気な表情を浮かべて、母親に向かい頷く。そして、ベビーカーの中でジタバタと手足を動かし要求する勇大を、そっと抱き抱えた。
「甘えん坊さんかな? 勇者さんは」
ペスカの腕の中で、勇大は満面の笑みを浮かべる。天使の微笑みと言っても、過言ではなかろう。
そしてペスカは、優しくあやしながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あのね、私達は、もうすぐ、帰るからね。あなたが、昔に居た、ロイスマリアって場所だよ」
ペスカの言葉を聞くや否や、勇大から笑みが消え、今にも泣きそうな表情になる。しかし、勇大からは泣き声が聞こえない。泣きそうな表情でも、しっかりとペスカの目を見つめていた。
そして何かを伝えたいのか、口をもごもごと動かし、手足をバタバタとさせた。
「大丈夫。また会えるよ。あなたが、あなたらしくいる限り、私達はまた会える。だって今日は、見送りに、来てくれたんでしょ?」
優しく諭す様に、ペスカは言葉を紡ぐ。その言葉に安心したのか、勇大に再び笑みが戻った。
そして冬也が近づき、ペスカの腕の中にいる勇大の頭をそっと撫でる。
「シグルド。いや、勇大だったな。また会いに来る。いや、今度はお前が会いに来い。その時まで、俺は腕を磨いて待ってる。次は、俺が勝つからな。そのつもりで、かかって来いよ」
「いや、勝負をつけるのは、俺が先だぁ。シグルドぉ、てめぇがその輝きを失わねぇ限り、行く先には俺が立ちはだかってやる! わかってんだろうな、シグルドぉ!」
赤ん坊に言う言葉ではない。アルキエルに至っては、容赦なく威嚇している。しかし、勇大は微動だにせず、両者の顔を見つめた。
本能的に理解したのか、魂魄に刻まれた記憶がそうさせたのか。どちらかはわからない。しかし二柱の挑戦を、勇大が受け取ったのは間違いなかろう。
「ほんと、不思議な子よね。そうそう、聞いてくれる? 洗脳が有ったって日、あの日は夫が休みだったの。二人でテレビを見てたのね。だけど、急にこの子が泣き出したの。多分、この子が助けてくれたのよ。その後、近所の人達は変だったもの。私達は、なんともなかったのによ。何か不思議な力が、あるのかしら?」
勇大の母、新藤美郷は、暢気な笑顔を浮かべて、話し出した。自分の子が、二柱の神に威嚇されているにも関わらず。
恐らく、冬也達が語る内容を、全く理解をしていないはず。しかし、確信めいたものがあるのだろう、息子を傷つける男達ではないと。
ある意味では、肝が据わっているとも言えよう。そんな女性だから、シグルドの母体に選ばれたのだろう。
「美郷さん。この子は、剣を学びたいと言うでしょう。でも、安心して下さい。この子が身に付けるのは、人を守る為の力です。決して、損得で力は振るいません。勇大君は、神に愛された子です。成長すれば、この世界には収まらなくなるでしょう。その時は、旅立出せて下さい」
「ペスカさんと仰ったわよね? 何となく、前にもそんな事を聞いた気がするわ。大丈夫、私は信じてるもの。この子と、この子のお友達をね」
美郷は、ペスカに笑顔で言葉を返した。
夕闇が迫る頃、未だ赤ん坊の勇大は、ペスカの腕の中で眠りにつく。ペスカは、勇大をそっとベビーカーの中に戻し、美郷に別れを告げる。
出会いと別れは、繰り返されるもの。互いに歩む道が違えども、縁が繋がっているならば、再び交差する時は訪れる。
別れは一時、再会は必然。再び会えるなら、その時は笑顔で。
しばし、さらば。
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