第409話 神の試合

 東郷邸の地下は、訓練所になっている。

 まだ日の登らぬ時間から、汗を流すのが冬也の日課である。戦争が終わってからほぼ毎日の様に、早朝の訓練を終えて皆の朝食を作ると、冬也は出かけてしまう。

 

 そんな冬也と、拳を交える時間は、限られている。アルキエルが、冬也の早朝訓練に付き合うのは、当然とも言えるだろう。


 ただ、冬也の早朝訓練に付き合うのは、アルキエルだけではない。ブルもまた、訓練に付き合った後、家庭菜園の世話を行うのだ。

 そうなれば、レイピア、ソニア、ゼルの三名が、勇んで参加するのも、ごく自然な光景だと言える。


 冬也の訓練は、型の稽古から始まる。

 冬也が行う型は、空手や他の格闘技の型とは完全に異なる。様々な格闘技を学んだ遼太郎が、独自に編み出した型に、冬也が改良を加えている。

 

 通常、格闘技の型には、動きの基礎が多分に含まれる。故に、型の稽古だけを行っても、他者を相手に組手をしなければ、強くはなれない。


 冬也の行う型は、通常格闘技で用いられる型とは異なる。動きの基礎よりも、相手を制する事、相手の攻撃を防ぐ事、大きくこの二つを重視した型となっている。

 端的に言えば、型通りの動きをするだけで、相手を殺す事は造作もない。


 例えば現代の剣道では、面、小手、胴の部位に、適切な形で竹刀を当てれば、有効打と認められる。これを気剣体の一致と言い、剣道で重視される精神の一つである。

 逆に、どんな事をしても勝つ等、清廉な精神が伴わない行為は、反則と見なされる。意味もなく長い鍔迫り合い、相手の竹刀を掴んで止める、足を引掛ける等の行為は、その典型とも言えよう。

 

 他にも、武道で多く用いられる言葉の中に、心技体というものがある。即ち、技を磨く事だけでなく、精神と身体を鍛えるのが、武道の目的となっている。


 戦が無くなった江戸時代で、殺す事から鍛える事に目的が変化した様に、現代の武道は鍛練の意味合いが強い。

 また、ボクシングや総合格闘技での金的を禁じる様に、武道でなくとも反則行為は存在する。技を競う為に行われるスポーツとして、ルールを定めるのは至極当然の事だろう。


 しかし冬也が行うのは、スポーツとは異なり、相手を制する若しくは殺す事を目的としている。それが、遼太郎が生み出し、冬也が改良を加えた訓練方法なのである。

 モンスターが平然と闊歩する中、己の身一つで生き抜かねばならない世界に、冬也は向かう事を定められていた。そんな訓練方法も仕方ないと言えよう。


 ただし、いとも簡単に身体を破壊する技術を持った冬也が、いたずらに他者を嬲り、また殺める事が有っただろうか。

 少なくとも冬也は、己の欲を満たす為だけに、拳を振るう事はない。

 例え、殺める事を目的に作られた兵器であっても、使う側次第で結果は変わる。それと同じ事だ。


 戦いを嫌うブルが、型の稽古だけに参加するのも、それが大きな要因となっている。

 ブルは幼くして、過酷な戦いに身を投じて来た。持って生まれた腕力だけでは、大切な仲間を守れない事は、嫌という程に体験してきた。

 だからこそ、冬也に習い技術を身に着けた。大切な仲間を守る為、自分と共に笑顔で働く者達を守る為に。


 ブルは決して武に生きる者ではない。

 しかし幼くして才能を開花させた、天才だと言えよう。ミューモをして、傷つける事が至難の業だと、言わしめる程に。

 そんなブルを見て、同じ場で訓練をしているアルキエルが、興味を持たないはずがない。


 そしてこの日は、ブルにとって、非常にタイミングが悪かった。

 連日に渡って行われて来た社会見学に、アルキエルが飽きて来た。だからといって、冬也は多忙であり、相手になってくれる時間が少ない。

 稽古相手と言えば、レイピア達である。エレナやモーリス達を通して、育てる喜びをアルキエルは知った。しかし、それだけでは物足りなさが残る。

 そんな時に、アルキエルが目をつけたのは、成長著しいブルであった。


 それは丁度、型の訓練が終わり、ブルが家庭菜園に向かおうとした時に起こった。


「ブル、もう少し付き合え」

「嫌なんだな」


 ここまでなら、いつもの会話であり、アルキエルも素直に引き下がる。しかし、この日は頑として引かなかった。


「いいから付き合え」

「アルは、痛くするから嫌なんだな」


 出来るだけ対等に近い相手と勝負がしたいアルキエル。戦う事を嫌い、組手を避けたがるブル。両者の意見が交わる事は無い。

 だが冬也の一言で、状況は一変した。


「わりぃなブル。たまには、相手をしてやってくれ。神気は使わない。有効打が入ったら、そこで勝負あり。それでどうだ?」

「俺はそれで、構わねぇ」

「仕方ないんだな」

 

 冬也が頭を下げるなら、断る訳にはいかない。ブルは、渋々といった表情で頷いた。

 ただし、勝負といっても、アルキエルとブルでは対格差が違い過ぎる。誰が見ても、幼児と同じ体格のブルを、不利だと感じるだろう。


「冬也様。不躾ではございますが、ブル様は幼く。せめて、元の姿に」

「大丈夫だレイピア。お前らは、黙って見てろ。ブルの戦い方は、お前らにも参考になるはずだ」


 ブルの事を思って口にしたレイピアの言葉を、冬也は遮る様に言い放つ。


 レイピア達は、知らないのだ。

 先の大会には、冬也とアルキエルだけでなく、眷属までが出場を禁じられた。眷属と言っても、スールとミューモの様に、元がエンシェントドラゴンであれば、他の種族との力の差は歴然であろう。


 だがブルは、ただの巨人族で有り、まだ幼い。それにも拘わらず出場を禁じられた。

 何も女神ミュールは、一律に冬也の眷属達の出場を禁じた訳ではない。そして、その理由は直ぐに明らかになる。

 

 アルキエルとブルは、向き合って互いに構える。一見する限りでは、アルキエルの迫力に、小さな体のブルが吹き飛ばされそうにも感じる。

 しかし、床をしっかりと踏みしめて、ゆったりと構えている。

 

 構えが冬也と似ているのは、冬也に習っているからだろう。よく目を凝らせば、冬也が構えた時の迫力と比べても、何ら見劣りしない。


「痛い事したら、倍にして返すんだな」

「望むところだぁ、ブルぅ! てめぇの本気を見せてみろやぁ!」


 声を荒げるも、アルキエルは冷静である。

 暫く両者は動かず、睨みあったままの状態が続く。流石のアルキエルも、ブルを警戒しているのだろう。

 そして最初に動いたのは、アルキエルであった。

 

 ブルは眷属の中でも、動きの速度は一番遅い。自分の速さについて来れないと踏んだアルキエルは、一瞬でブルの後方に回り込むと、勢いよく拳を振り下ろした。

 ブルは、アルキエルの動きを目で追えていない。冬也以外の者は、これで勝負が決まったと確信した。


 しかし、振り下ろされたアルキエルの拳を、ブルは後方を見る事なく両手で掴む。そして勢いを利用し、背負い投げの要領で、床に叩きつける様に投げた。

 小さい体になっても、持ち前の腕力は健在である。アルキエルは、掴まれた腕を解けない。だが、そのまま床に叩きつけられるアルキエルではない。もう片方の腕でブルの頭を掴むと、そこを支点に強引に体を捩じって着地する。


 アルキエルが着地した瞬間を狙って、ブルは低い姿勢から、重心を崩す様に足払いを行う。アルキエルは着地の瞬間、素早く後方に飛んでブルの足払いを避ける。

 しかし、その動きにブルが追いすがる。まだ着地出来ず、空中にいるアルキエルに、ブルは跳躍しながら拳を振るう。


 ブルが放つ渾身の一撃を、踏ん張りの利かない空中で、耐えきる事は出来ない。アルキエルは、ブルの拳を受け止めるも、そのまま吹き飛ばされた。

 勢いよく飛ばされ壁に激突するかと思われた瞬間に、アルキエルは空中で体勢を立て直して激突を防ぐ。流石のアルキエルも、吹き飛ばされた勢いそのまま壁にぶつかれば、多少のダメージを受けただろう。


「見たか、お前等。後の先ってのは、なにも応じ技だけじゃねぇんだ。真髄は先の先と同じ、相手の隙を作る事に有る。勿論、応じ技だけで勝負がつけば、それに越した事はねぇ。だけど攻撃を捌く事で、相手の体制や攻撃リズムなんかを崩す事が出来る、それが大きな隙になる。後は、自分が戦い易い状態で、勝負を決めればいい。流石に今の攻防は、アルキエルが一枚上手だったがな」

 

 アルキエルの攻撃を利用し、投げ技を繰り出す。更に足技で体勢を崩す。そこに生まれた隙を狙い、渾身の一撃を放つ。しかし、アルキエルは後方に飛びながらも、着地し易い様に上手く衝撃を外に逃がした。 

 一瞬の攻防で、これだけの事をやってのけだのだ。両者共に見事としか言いようがない。


「しかしわかりません。ブル様は、アルキエル様の初動が見えていなかったはず。しかも、死角からの攻撃を受け止めずに利用した」

「レイピア、視線だよ。ブルは、視線や僅かな体の動きで、アルキエルの攻撃を予想したんだ」

「ですが、アルキエル様が攻撃方法を変えたとしたら?」 

「いいや、しねぇよ。それが絶対強者故の弱点だ」


 総合的な実力であれば、冬也よりアルキエルの方が数段上回っている。技術、神気、全てにおいてアルキエルに劣る冬也が、常に勝ち続けるのは、挑戦者故の工夫に因る所が大きい。

 対してアルキエルは、誰よりも強く、圧倒的な力で勝利を重ねて来た。それが体に染み込んでいる。故に、回避不可能な一撃で相手を沈める。


 それさえ理解していれば、躱す事は出来る。これから腹を力いっぱい殴ると、宣言しているようなものだ。ただし、アルキエルの速度について行ければの話だが。

 もし、アルキエルの攻撃に対応出来る力が有れば、それは大きな弱点となる。現に、ロメリアから致命的な一撃を受けている。


「見てろ。面白れぇのは、これからだ」


 冬也の言葉通りであった。

 壁に着地した後、床に降りて体勢を立て直したアルキエルの瞳は、試合前のそれとは明らかに違った。ブルを格下ではなく、同等若しくはそれ以上だと判断したのだ。


「面白れぇな。いいぜブル、楽しくなって来やがった」

「今更、本気を出しても、遅いんだな」


 冬也が敢えてブルに頭を下げたのは、この試合を通して、アルキエルの成長を望んだからである。


 自分より弱いと判断すれば、自ずと弱点は露呈する。

 冬也は、初めて対峙した時から、アルキエルに勝利している。言わば、アルキエルにとって、最大の強者は冬也なのだ。

 冬也との手合わせでは、アルキエルとて工夫を重ねる。ただ、冬也の工夫が上回るだけ。冬也と幾ら手合わせしても、その弱点を体で理解させる事は出来ない。

 

 声を荒げた後、飛び出したアルキエルのスピードは、最初の攻撃よりも数段早い。最初の攻撃は、レイピア達でも目で追う事が出来た。しかし、今のアルキエルのスピードは、レイピア達では目で追う事は出来ない。

 それは当然、ブルもである。


 アルキエルは、死角に回り込むと、敢えて殺気を放つ。ブルが、それに反応する事を見越して。そして、すかさず殺気を消し、ブルの死角からも姿を消す。

 視界ではなく、気配を頼るしかないブルは、振り向かざるを得ない。その瞬間、背後に回ったアルキエルの拳が、ブルに降り注ぐ。


 だがその拳は、ブルの手のひらで往なされ、床へと一直線に進む。完全に体勢が崩れたアルキエルに、ブルの拳が再び襲う。しかし、床に向かった拳の勢いを利用して、アルキエルが体を回転させ、ブルの拳を躱しつつ、踵落としを放つ。

 

 ブルは、踵落としを避ける様に、後方へ下がり間合いを取る。しかしそれは、悪手だと言えよう。対格差が違うなら、リーチも異なるはずである。

 遠間から攻撃出来るアルキエルに対し、ブルは近間でしか勝負が出来ない。


 この瞬間、互角とも思えた攻防は、アルキエルに形勢が傾く。拳や蹴りだけでなく、アルキエルは素早い動きで翻弄する。そして、ブルに考える暇を与えない、連続攻撃を続ける。


 四方八方から飛んでくるアルキエルの攻撃を、躱し続けるブルは流石だと言える。しかし、反撃する機会は見つからない。仮に僅かな隙が有ったとしても、ブルではそれを突く事は出来ない。それ程に、アルキエルの攻撃は、止まる事無く続けられた。


 ただしブルは、そんな事で屈しない。反撃の糸口を見つける為、ギリギリで攻撃を躱し続ける。

 攻勢に転じながらも、決定的な一撃を繰り出せないアルキエル。防御だけに止まり、反撃の機会を見いだせないブル。試合が膠着状態に入り、一時間が経過しようとしていた。

 その時、地下への扉が開き、階段を下りてくる音が聞こえた。


「あんた達、いつまでやってんの? お兄ちゃんも早く出かけないと、もう時間だよ!」


 涼やかな声が響き渡り、アルキエルとブルは動きを止める。そして、冬也は慌てた様に立ち上がる。


「わりぃ、みんな。朝飯を作ってる時間がなさそうだ。ペスカ、後は頼む」

「無理だよ、私も出掛ける時間だもん。朝ごはん抜きになっちゃったよ」

「悪かった、明日は気を付ける。みんな、朝飯は誰かに頼んでくれ。じゃあな」


 冬也は、取る物も取り敢えず、訓練着のまま家から出る。その後に続く様に、ペスカも外出する。

 水を差された形になり、試合は中止、そのまま訓練はお開きとなった。


「仕方ねぇ、勝負はまたにするか」

「もう、嫌なんだな」

「はぁ? ふざけんじゃねぇぞ、ブル!」

「アルは、そろそろ学習するんだな。おではアルに勝てないけど、アルもおでに勝てない。疲れるだけなんだな」

「言ってくれるじゃねぇかよ。ならもう一度勝負して、決着つけようじゃねぇか」

「だから、嫌だって言ってるんだな。おでは、作物の世話が有るんだな。忙しいんだな」

「おい、こらぁ! ブル! 待ちやがれ! ブル!」 

「うるさくしたら、近所迷惑なんだな。ゲームなら、相手をしてやるんだな」

「それじゃ、勝負にならねぇだろうが!」

「アルは、直ぐに熱くなるから負けるんだな。弱っちいんだな」


 余程、ブルとの試合が楽しかったのだろう。家庭菜園に向かうブルを、アルキエルは執拗に追いかける。

 そして、取り残されたレイピア達は、圧倒されたまま暫く動く事は出来なかった。 

 

 ただ、彼らは知らない。

 いつもなら冬也は、朝食の準備をしてから出掛ける。その冬也が出発時間のギリギリまで、地下の訓練所に居た。

 では、誰が朝食の準備をしているのか。それは、気が回る翔一である。


 しかし、如何に器用な翔一でも、料理は不慣れである。たどたどしい手付きで作られた料理は、冬也のとは比べるまでもない。


「おい、翔一。昼は、少しマシな飯を食うぞ」

「そうだね。ごめん、みんな」


 アルキエルに、翔一を責める気持ちは全く無い。苦い顔で食べ進めているが、皆も同様である。

 そして、珍しく全員が一緒に行動する事になった社会見学ツアーで、昼食が豪華になったのは言うまでもない。

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