第403話 深山の決意

 三島と会話をした後、遼太郎はゆっくりと体を起こす。その様子を見て、直ぐに三島は声をかけた。


「起きて大丈夫なのか?」

「あぁ。いつまでも寝てらんねぇよ。やる事は山積みだしな。そうだろ?」

「確かにな。だが、それよりもお前」

「あぁ? 俺がどうした?」

「お前の身体だ。わかってるんだろ?」

「あぁ。だけど、今は深山を優先してやってくれ」

「それで、お前は何を語る? 自分の事はさておいて」

「仕方ねぇんだよ、こればっかりはな。幾ら健兄さんでも、聞けねぇよ」

「確かにお前の言う通りだ。神というのは、とかく頑固なものだ」

「うるせぇよ。そろそろ、こいつも起こしてやらねぇとな」

「いや、起きてますよ先輩。あれだけでかい声で叫ばれたら、目を覚ますってもんでしょ? 寝起きは最悪だ」


 遼太郎が深山に目をやる。そこには、少し寝ぼけ眼になった深山が、気だるそうにしていた。覚醒に近づいた頃、タイミングよく三島が叫んだのだろう。深山は少し前に、目を覚ましていた。

 

 未だ十全に体は動かせない。しかし首を少し傾ければ、遼太郎と三島が目の前にいる。それだけで、計画が失敗した事だけは、理解が出来た。


 今すぐに、問いただしたい疑問が有る。

 少し首を動かすと、ここが何処かの屋敷である事は理解が出来る。しかし、自分は新たな拠点の一室で、眠りについたはず。それがどうして、こんな見知らぬ場所に寝かされていたのか。

 葛西と山岡は、今どうしているのか。彼らも同じ様に、この屋敷内に囚われているのか。

 深山が口を開くのを制する様に、遼太郎が声をかけた。


「あのな、深山。色々と説明しなきゃいけねぇ事が有る。だけど、俺は途中で意識を失ってたから、全て理解してるわけじゃねぇんだ」

「それに関しては、ある御方が説明して下さる」


 遼太郎の言葉を補足する様に、三島が口を開く。そして三島は、管狐に目配せをした。管狐は、襖を通り抜けると、部屋から去っていった。


 深山は敢えて口を噤んだ。

 状況がわからないのだ。計画が失敗して、囚われているなら、葛西と山岡の身も危ういだろう。

 遼太郎と三島の口調から察するに、害意は無いと思われる。だが念の為に、大人しくしていた方が無難であろう。

 

 そもそも、この場からは不可思議な感覚を覚える。現実とは思えない、奇妙な感覚だ。

 襖を開けずに通り抜けた、宙に浮かぶ妙な生き物。この世に存在しない物が、見える位だ。余計に、慎重を期さなければなるまい。


 深山が暫く様子を見ていると、襖がゆっくりと開く。そして、天狗の顔をした得体の知れない者が、部屋の中に入って来た。

 

 その瞬間、深山は目を見開いた。あの妙な生き物よりも、遥かに異形の存在が、目の前にいるのだ。

 不思議と怖さを感じない。だがそんな事は、問題にもなりはしない。

 いったい、ここは何処なのか? 自分は、どうなった? 葛西達は無事でいるのか?

 三島が、身体を優しく支えて、起こしたのも気が付かない程に、深山の頭には疑問が駆け巡っていた。


「驚かせたかの。我は飯縄権現、平たく言えば神だな」


 天狗面の者は、己を神と呼ぶ。それは、深山を更に混乱させた。

 

 自分は夢でも見ているのか? そうでなくては、説明がつかない。目を覚ませば、あの部屋の中だ。恐らく自分は、未だに期待しているのだ。あの二人と争わずに済む事を。だから、夢の中に現れたのだ。

 天狗面は、何かの暗示だろう。夢というのは、そんなものだ。これが吉夢になるか否か。いずれにしても能力を制御しなければ、話しにならない。


 そうだ、目を覚まさなければ。やり遂げねば。

 決して戦争など、起こしてはならない!


 この身がどうなっても構わない。鵜飼は優秀な男だ。必ず、俺の意図に気が付く。そして、俺の意志を継いでくれる。

 葛西と山岡がいる。あいつらは、鵜飼をサポートしてくれる。イゴールもだ。

 イゴールが、意識を取り戻すのは、時間がかかるかも知れない。だけど、きっと治療は上手く行く。助かるはずだ。


 そうだ、俺が体を張れば、全てが上手く行く。きっと先輩もわかってくれる。

 創るんだ。ミストルティンから解放された、新しい世界を。

 創るんだ。誰もが笑顔で暮らせる世の中を。


 深山の思考が、伝わっているのだろう。飯縄権現は、酷く悲し気な表情を浮かべて、深山を見つめた。長い付き合いである遼太郎も、同じ様に悲し気な表情を浮かべる。


 深山の時間は、止まっているのだ。

 多くの人間を洗脳し、全ての悪意が流れ込んで来た時、それに耐えきれず精神が崩壊を始めた時に、深山という存在は活動を止めたのだ。それは、深山の心を守る為の、本能的な行動だったのだろう。

 しかし、敢えて汚名を被る覚悟を決めていた深山を、誰が責められよう。


 深山は、世界を陰から支配する組織と、勇敢に戦っていたのだ。

 世界中の誰にも理解されなくていい。自分は、人々を扇動した、史上最悪の犯罪者と罵られてもいい。罰を受ける事になっても構わない。

 誰もが平和を享受する世界が創れるなら、それでいい。意思は仲間達が継いでくれる。そう信じて戦ってきたのだ。


 その真っ直ぐな想いを、ミストルティンに利用された。そんな汚れた英雄に、どうやって事実を伝えたらいい。傷付けずに、事実を伝える方法などない。

 深山が望まない結果になったのだから。


 三島は無論の事、子細の説明を買って出た飯縄権現でさえ、深山に声をかけられずにいた。神でさえも躊躇する中、口を開いたのは遼太郎だった。

 遼太郎は、深山の瞳をじっと見つめると、静かに語りかける。

 

「違う。違うんだ、深山。もう・・・終わったんだ」

「はぁ? 何がです? まぁ仕方ないですよね、俺は犯罪者なんだし。でも、幾ら夢の中だって、世界が終わったみたいに、悲しい顔しないで下さいよ」 

「そうじゃねぇ、全部終わったんだ。お前が寝ている間に、全てが終わったんだ」

「はぁ? 意味がわからないですよ先輩。あんた、IQが高い癖に馬鹿な所は、夢の中でも変わらないんだな」 

「そろそろ、理解しろ。ここは、黄泉比良坂だ。そこにいるのは、飯縄権現って神様だ。昔、お前と高尾山に登っただろ? そん時、薬王院でお参りしたろ? 覚えてねぇか? そこに祀られてる神様だよ」 

「はぁ? えっ? なんなんです? 何が言いたいです? 何が終わったって?」


 深山の反応は、ごく普通であろう。神だと言われて、信じる者がどれだけ存在するだろうか。とある宗教の敬虔な信者でさえ、突然目の前に神が現れれば、疑ってかかるだろう。

 それが当たり前なのだ。


 三島は、邪神をその目で見ている。飯縄権現の力で、黄泉平坂を訪れた事も、実体験として理解している。だが、深山は違う。

 拠点で力尽きる様に眠りに付いてから、つい先ほどまで意識を失ったままだった。非現実的な光景を信じろという方が、無茶であろう。


「はぁ。どうやら、言葉だけで理解させるのは、無理らしいの」


 溜息交じりに飯縄権現は呟くと、深山に近づく。そして、深山の額に手を当てた。


「辛かろうが、我慢せいよ」


 それは以前、遼太郎がレイピアの記憶を呼び覚ました方法と似ている。だが今回は、少し異なる。飯縄権現が見て来た記憶を、深山に与えるのだ。


 辛かろうが、伝えなければならない。

 事実を受け止め、前に進む事が出来なければ、葛西と山岡が命を対価に捧げ、遼太郎が命を賭けて救った甲斐が無い。


 飯縄権現が全てを伝える中、深山は滂沱の涙を流していた。

 茫然自失と言うのが正確だろう。頭の中を流れる映像を受け止めきれずに、だらしなく口を開き、唯々涙を流していた。

 全ての記憶を流し終わると、飯縄権現は深山から背を向ける。だが次の瞬間、深山は舌を噛み切ろうと大きく口を開いた。


 計画が破綻し、戦争を止める事が出来なかった。多くの人々が犠牲となった。何よりも、葛西と山岡が米軍の手で惨殺された事は、深山の心に深い傷を作った。

 ましてや、自らの能力が暴走した事が、邪神を誕生させた遠因となった。世界を崩壊に導いた。

 それは深山にとって、絶望以外の何物でもあるまい。


 深山の自傷を察し、遼太郎は勢いよく飛びかかる。そして深山の口を押えながら、頭を布団に押し付ける。そのまま遼太郎は、深山に馬乗りで跨り、激しい口調で怒鳴りつけた。


「深山てめぇ! 自分が何をしようとしたか、わかってんのか!」

「なんで、なんで、殺して、殺してくれなかった。なんで、あのまま殺してくれなかった。なんで、なんで、なんで俺なんかを助けた」

「てめぇ、いい加減にしろよ!」

「あいつらが、なんで死ななきゃならない。俺が死ぬべきだったのに」

「そうじゃねぇだろ! 誰も死んで良い理由にはならねぇ!」


 深山は泣きながら、喚き散らす。その言葉は、段々とヒートアップしていく。痛嘆の想いを、遼太郎にぶつける様に。例えそれが、筋違いであったとしても。


 同時にそれは、遼太郎流の優しさなのだ。

 深山が沈鬱の果てに、心を閉ざしてしまわない様に。遼太郎は、激しく深山の心を、揺り動かそうとしているのだ。


「なら、何であいつらを殺したんだ! どうしてだ! どうしてだよ! 最悪の事態を阻止する為に、悪名を背負って来たんだ。あいつらは、関係ないだろ! 俺を殺せよ! 殺せよ!」

「ふざけんじゃねぇ! 本気でそんな事を言ってんのか? お前の能力が暴走したんだ。そうじゃなきゃ、米国はてめぇらを見限らなかっただろうよ」 

「うるさい! そんな事はわかってる! 全部、俺の責任だ! あいつらを殺したのは俺だ! なんで、死なせてくれない! なんでだ! なんでだ! それがあんたの優しさとでもいうのか! 冗談じゃない! それなら、なんでもっと早く助けてくれなかった! なんでだ! なんでだよ! 今更、手を差し伸べるなよ! 遅いんだよ!」


 深山の発する言葉は、理にかなってない。子供の喚きと、然程の変わりが無い。しかし、その気持ちは痛い程に理解出来る。

 その溢れ出す悲憤は、真っ直ぐな想いを利用した三島の心を抉る。


 そして深山の悲痛な叫びは続く。どれだけ喚いても、心は晴れないだろう。

 ぶつける相手が違う。そんな事は、充分理解している。遼太郎は、常に手を差し伸べてくれていた。その手を払い除けて、自分の道を進んだ。

 今更なのは、自分の方なのだ。


 遼太郎を責めてはいけない。でも、ぶつけるしか出来ない。甘えるしか出来ない。やるせない感情を整理する術がわからない。 


 深山自身が、気付いてない。

 未だ痛み続ける心とは裏腹に、遼太郎に吐き出す事で、深山の頭がクリアになっていく。

 そして深山は今、まともに動かせない体を、少しずつ動かし始めていた。指から手、手から腕へと動かして、遼太郎の拘束を解こうと、抵抗を始めていた。

 それこそが、遼太郎によって呼び覚まされた、生き抜こうとする意志の力である。


 一方、黙って見つめていただけの三島が口を開こうと、姿勢を少し前のめりにする。


 遼太郎は、命を賭けてお前を助けたんだ深山。


 口から飛び出しかけたその言葉を、三島は敢えて呑み込んだ。何故なら、飯縄権現は全てを伝えたはずだから。今更それを自分が言った所で、くどいだけであろう。

 

 そんな三島の様子を、遼太郎は横目で見遣ると少し頷く。そして喚き散らし、抵抗し続ける深山に対し、落ち着かせる様な静かな口調で語った。 

 

「お前は、手段を間違えた。お前を止める事が出来なかった俺も同罪だ。だから全部、一緒に背負ってやる。生きて罪を償え」


 その瞬間、深山は喚く事、そして体を動かし抵抗する事を止めた。ボロボロと涙をながし、子供の様に声を上げて泣いた。

 

 遼太郎は、深山の上から退き、畳の上で胡坐をかく。そして三島は、遼太郎の隣に移動する。両名は、深山が落ち着くのを待った。


 深山は、何時間にも渡って泣き続けた。涙が枯れ果てた頃、深山は少しずつ冷静さを取り戻していく。

 深山が落ち着いた頃を見計らい、三島が語り始める。 


「責められるのは、私だ。私に全ての責任が有る。そして私も、君と一緒だ。死ぬ事は出来なかった。死んで楽になるなんて、許さないと言われたよ。だから、私は生きて償う。君が持つ本当の能力は、異能の力じゃない。君の能力は、これからの世界に欠かせない。だから、協力してくれないか。この世界が、真の平和になる為に。君の理想を叶える為に」

 

 深山は、直ぐに答えを返す事は出来なかった。そして己の中で、語られた事実を反芻し続けた。


 冷静になればわかる。遼太郎と三島の語る事は、尤もなのだ。

 道を間違え、大切な仲間を殺した。自分の行動が、世界に危機を齎せた。

 

 悔恨の念は尽きない。

 先程の様に当たり散らせば、少しは軽くなる。しかし、そんな簡単な方法では、この痛みは決して消えてくれない。向き合わなければいけない。背負わなければいけない。償わなければいけない。

 全て理解している。しかし、理屈ではないのだ。


 真っ直ぐであるが故に、深山は受け止めきれないでいる。

 そして遼太郎と三島は、飯縄権現に促され、深山を一人にする為に席を立った。


 ここは、飯縄権現の領域である。そして飯縄権現は、三人が現世での感覚が狂わない様、領域内へ昼と夜を作っていた。

 

 その夜、深山は一睡もせずに葛藤を続けた。

 そして、一つ一つ整理する様に、全ての事柄を思い返していた。

 

 何が間違いだったのか? 

 支配出来る能力を使った事から、間違いであった。

 人の心を縛り、己の目的を達成する事は、ミストルティンと何が違う? 同じだろう。


 間違いを犯していた。それしか方法が無いと思い込んでいた。

 差し伸べられた手を、取れば良かった。そうすれば大切な仲間を失わずに済んだ。多くの人を犠牲にしなくて済んだ、世界中に悲しみを植え付けずにすんだ。

 

 そしてようやく整理が出来た頃、深山を見守っていた飯縄権現が、静かに語り出した。


「誰もが道を間違えるのだ。神でさえも道を間違える。それなのに、人間だけを責められようか。なぁ、彼らは、もう一度そなたに手を差し伸べている。そなたは、再びその手を払うのか?」


 深山は顔を上げ、飯縄権現の目をじっと見つめる。

 その瞳は、言葉以上に雄弁であった。


 間違えたのなら、正せばいい。やり直せない事など、この世界には存在しない。そなたには、償える機会が与えられたのだ。それが、真っ直ぐに平和を求めた、そなたへの褒美だ。だから、受け取れ。そして、差し伸べられた手は、二度と離すな。

 彼らと共に、もう一度やり直せ。それが亡き友への、手向けになろう。


 飯縄権現に向かい、深山は黙って頷いた。


 翌朝、深山が籠っていた一室に、遼太郎と三島が訪れる。二人は深山の変化に、直ぐ気が付いた。失っていた光が、深山の瞳に戻っていたのだ。

 そして深山は、再び世界の為に尽くす決意を述べた。


「先輩。三島さん。俺はもう一度、やってみます。自分の中から、能力が消えた今ならわかります。能力なんかに頼って、世界を正そうとしても、いずれ破綻する。それは皆が望む世界ではなく、俺が強引に創り上げた世界だから。次は間違えない様に、正しい方法で」

「あぁ。今度は一緒に戦ってやる」

「心強いです、先輩」

「私もだ。深山君」

「三島さん。よろしくお願いします」


 それは、汚れた英雄が、真の道へと進む瞬間であった。


 程なくして、衆議院解散による選挙が行われ、深山が出馬する。

 そして深山は当選し、一年目にして入閣する。外交経験を活かし、外務大臣として活躍する事になる。

 

 一方、国連が解体された後に、新たな国際的な組織が誕生する。

 新たな組織のアドバイザーとして、三島が就任する事になる。


 世界は、新たな一歩を踏み出そうとしていた。

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