第402話 三島の葛藤

 遼太郎達を連れ去った後、飯縄権現は戦いに関わった者すべての痕跡を追い、東京の至る所を巡っていた。

 時折、記憶を読み取る様に大地に触れる。そして特霊局の行動、深山達の行動、三島の行動、ペスカ達の行動、その行動に秘められた意図を理解する。


 能力者の発生から、数々の事件、そして邪神の誕生に至るまで。事件の全容を理解した飯縄権現は姿を消す。

 未だ社殿の建立が始まっていない高尾の地が、行く先ではない。飯縄権現は、遼太郎達が滞在している黄泉比良坂、死者と生者の世界を繋ぐ空間へと向かった。


 そこには常世へ向かう道と、現世に向かう道、二つの道が有るだけ。死者が行き交うその空間に、大きな屋敷がぽつりと存在していた。


 豪奢な門を潜ると、中は情緒に溢れる風景が広がっている。道沿いには美しく整えられた木々が並び、目を癒してくれる。耳を澄ませば、せせらぎの音が心に染み渡る。

 歩みを進めるだけで、心が癒されていく。そんな風景を超えると、平屋建ての日本家屋が鎮座していた。

 そこは黄泉比良坂に、飯縄権現が用意した屋敷である。その屋敷内で、遼太郎達は治療をうけていた。


 飯縄権現が屋敷の戸を潜ると、管狐達が出迎える。そして静かに廊下を歩き、庭に面した部屋へと向かう。襖を開けると、優しい光が差す部屋の中央には、眠りにつく遼太郎と深山、その傍には三島の姿が有った。

 飯縄権現の姿に気付くと、三島は畳に頭を擦り付ける。


「頭を下げんでもよい。それで、容体は?」

「遼太郎は、先程まで目を覚まし、食事を摂っておりました。深山は未だに目を覚ましません」

「そうか。だが案ずるな。深山なる者も、程なく目を覚ますだろう」

「所で、遼太郎の事ですが。いや、私が踏み込む権利は」

「それは違う。そなたが、こ奴をどう思っているのかによる。思い切り案じてやれ、それは必ずこ奴にも届くはずだ。しかしながら今回ばかりは、こ奴の意志を曲げる事は出来んだろうな」

「それは、遼太郎の子供達でもでしょうか?」

「恐らくな。我にはわかるのだ。同じ戦神として、どの様な選択をするのか。殊に口惜しいことだがな」


 三島は、飯縄権現の言葉に少し寂しそうな表情を浮かべると、遼太郎に視線を落とす。そんな三島に対し、飯縄権現は優しく語りかけた。


「そなたは、未だ迷いの最中に見える。ここは、現世とは時間の流れが違う。迷いながら道を選ぶのが人間だ。そなたはようやく人間に戻ったのだ。ゆっくりと考えるといい。こ奴らが目を覚ましたら、呼ぶがよい。全てを語ってやろう」


 そして、飯縄権現は一体の管狐を残して、部屋を去った。飯縄権現が姿を消すと、三島は目を閉じ思考の海に浸る。

 奇しくも、ミストルティンが思い描く結果になった。だがその結果は、受け入れられ難いものであった。なぜ、そう感じるのか。どうあるべきであったのか。

 考えても答えが出ない、正解など存在しない。それでも三島自身が、一歩を踏み出す為に、思考を続けた。


 邪神の禍々しい姿を見て、恐れたのか?


 確かにそうだ。あれは恐ろしい等と言う言葉で、簡単に片付けられる存在ではない。


 助かるはずだった命を失ったのが、悲しいのか?


 そうだ。設楽雄二と山中美咲の両名は、死ぬ必要が無かった。彼らを殺したのは私だ。そもそも、家族だけ守ろうとしたから、そんな自己の都合だけを優先した罰なのだ。

 自分より、もっと辛い思いをしている者は、世界中にごまんと存在している。その者達に苦しみを与え、自分だけ助かろうとした罰なのだ。


 彼らの幸せと未来を奪って、多くの者達から幸せと未来を奪って、それで苦しいだけで済まされるのか?


 そんな事は思っていない。あの禍々しい姿は、私の鏡映しだ。あれこそが、ミストルティンなのだ。

 私は、誰よりも傲慢であった。有り得ない手段を使って人の心を縛り、行動を抑制し、世界を導いている気になっていた。

 私の罪は、この戦争で多くの者を殺しただけではない。流れる歴史の中で、延々と罪を重ねて来た。


 全てが間違いであったのか? この世界の歴史を、全て否定するのか? 歴史を作ったのは、お前ではあるまい。多くの血を流して、人間達が築き上げた世界であろう? それを否定する事は、流した血を否定する事だ。悲しみを乗り越えた者達を、否定する事だ。それこそ傲慢だとは思わないのか?


 そうだ。歴史を作ったのは、人間達だ。私の様な化け物ではない。だが、人間を操ったのは、この化け物だ。化け物の力だ。

 血を流さないでも済む、そんな選択肢が有った。しかし、私はそれを見て見ぬ振りをした。より良い選択肢を見つけもせずに、簡単な方法を選び続けた。それを強要し続けた。それが罪なのだ。


 いつからだ? いつから間違えていた?

 

 巨大な力を持った時から。

 原始の世界で、残された数多の技術を、破壊する事は出来なかった。だから、上手く使う事を選択した。本当は、破壊すべきだった。破壊出来ないのなら、破壊できるその時まで、使用を禁じるべきだった。


 そんな事が可能か? 例え地下深くに封じても、いずれ誰かが掘り返す。そして、それを悪用する。

 その繰り返しではないのか? だから、浅ましい人間を滅ぼそうと考えたのだろう?


 そうだ。しかし、信じるべきであった。

 いつの時代も、深山君の様に真っ直ぐな目をした者がいた。彼らは、過ちを正そうと抗った。しかし、それをいとも簡単に潰したのは私だ。

 私は彼らの意見に耳を傾けるべきだった。そうすれば、もっと良い世界になっていたかもしれない。


 それは、欺瞞だろ?

 お前達が誘導したから、間違った歴史になった。本当にそう思うのか?

 人間は醜い。他者を騙し、陥れる。それが人間だ。衣食足りて礼節を知る、それはまやかしだ。満ち足りても、更に求めるのが人間なのだ。

 より良い世界なんて、人間には作れない。だからお前達が必要だったのだろ?

 実際に、平等である社会は崩壊した。お前達の実験は、失敗したんだ。その代わり、競わせる社会は成功した。食らい合い、奪い合う社会が人間には合っている。

 強欲故に、人間は進歩をしようとする。それは、自然界の進化とは異なるんだ。


 確かに人間の欲には際限がない。しかし欲と進歩は、切り離して考えるべきなのだ。だから間違える。

 少なくとも、現代科学は命を奪うだけではない。命を救う技術も発展している。


 それは、お前達に隷属するモノ達を、長生きさせたいだけであろう。

 命を救う技術が有りながら、なぜ一部の人間しかその恩恵を受けられない。生まれながらにして飢餓の中に有り、成長する事も無く消えていく命が有る。

 なぜ、お前達はそれを見捨てる? なぜ、一部の人間だけが富を独占する? お前達も人間も、矛盾だらけだ!


 病める者、飢える者を救おうと、奮闘する者が居る。その行為を否定してはいけない。

 我々が力を貸せば、もっとよく。


 だから、欺瞞だと言ってる!


 何が欺瞞だ! 信じる事が出来なくて、何が始まる! もう終わりにするんだ!


 そうやって、今度は世界を見放すのか? 今まで好き勝手にやって来て、利用価値が無くなれば捨てるんだな?

 

「違う! そうじゃない! 私は見捨てない! 私は二度と間違えない! 善意を信じろ! 悪意だけに目を向けるな! 忘れるな! あの悍ましい姿は、お前自身なんだ! あれが世界中から悪意を集めた物だとしたら、誰だってあの悍ましい姿に成り得るんだ! だから、善意を信じなくてはならないんだ! あれに恐れる事無く立ち向かう勇気、それこそが今は必要なんだ! 違うか、三島健三!」


 気が付いた時には、三島は声を荒げていた。興奮して立ち上がり、強く握りしめた拳を、振り上げていた。

 遼太郎と戦った時でさえ、三島は声を荒げなかった。終始、冷静であり続けた。それは、管理者として君臨して来た故の余裕だったのだろう。しかし、今の三島にはその余裕がない。

 長い生の中で、徐々に歪んでいった己に、初めて向き合ったのだ。否定と肯定を繰り返し、何度も何度も問いかける。それでもやはり、答えなど出る訳が無いのだ。

 

「うるせぇよ、健兄さん。んで、悩み事は解決したのか?」

「あ、あぁ、いや。済まない、遼太郎」

「構わねぇよ」


 三島の声で起こされた遼太郎の目は、開き切っていない。頭もはっきりとしていまい。しかし、遼太郎は優しい笑みを浮かべると、静かに語り始めた。


「なぁ健兄さん、人も神も同じだ。不器用で、不自由で、おまけに頑固で馬鹿だ。だから、間違えて当然だよ。俺が昔に暮していた世界ではな、神が猛喧嘩した挙句に大陸一つ、ぶっ壊しやがった。この世界の神話に有るだろ? ラグナロクってやつがよぉ。あれと似たようなもんだぜ。神が馬鹿みてぇな事をするんだ。人間が神より優秀であって堪るかよ」

「遼太郎。それは、慰めているのか?」

「ちげぇよ。だって、自分で言ってたじゃねぇか。あんたは、陰で世界を動かして来たのかもしれねぇ。その選択を間違えたって思うなら、あんたの言葉通りに、二度と間違えなきゃいい。それだけだ。迷う必要はねぇよ」

「ははっ。そうかもしれないな」


 三島は遼太郎の言葉に、少し笑いを浮かべて同意した。しかし、迷い続ける事は、簡単に予想が出来た。何故なら、長い時間をかけて、間違え続けたのだから。

 だがもし叶うなら、贖い続けなければなるまい。


 迷って答えを出し、間違えてまた迷う。結局、その繰り返しなのだろう。だが積み重ねた経験と知識は、必ずこれからの世界に役立つはずだ。

 

「俺は、前に進むよ。遼太郎」

「あぁ。だけど、深山も連れてってやってくれ」

「当然だ」


 静かに語る三島の瞳には、歩みを止める事無く前に進む、覚悟が宿っていた。

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