第366話 テロリスト ~冬也対ロシア特殊部隊~

 事態は一刻を争う。どれだけ、短時間で鎮圧出来るかで、今後の状況に変化を与える。

 港区の現地に向かって、遼太郎は車を飛ばしていた。指定されたのは、芝浦ふ頭付近の倉庫区画。


 指定の現場に到着して、助手席に座る冬也がドアを開けた時の事だった。三か所から同時に、狙撃が行われた。

 一つは、ドアを開けた冬也と運転席の遼太郎が、一直線状に並ぶ瞬間を狙ったもの。もう二つは、全く別方向から、冬也だけを狙ったものである。


 暴力団との抗争時に、冬也は拳銃の銃弾を避けて見せた。冬也が肉眼で捉えられない程に、高速で動けたとしても、それには限りがある。

 冬也が銃弾を避ける事が出来たのは、拳銃の引鉄を引く瞬間を見ていたから。拳銃を引くタイミングと、銃口を向けた方向を見れば、銃弾の軌道を予測して避ける事は可能である。

 だが、見えない位置から狙撃されれば、避ける事は難しいだろう。遠距離故に射撃音は聞こえず、発射時に反応する事は出来ない。しかも、三方向から同時に狙撃されれば、難易度は更に高まる。


 遠距離からの狙撃で、冬也に致命的なダメージを与える。あわよくば、冬也の肉体を突き抜け、遼太郎にも深刻なダメージを与える事が目的である。

 一流の特殊部隊である、目標を外す事はない。車でやって来る事を予測して、待ち構えていたのだ。


 これを避けられる者は、地上には存在しまい。仮に、全身を防弾チョッキの様なもので、守っていれば別であるが。

 しかし、冬也は三方向からの狙撃を、全て打ち落としてみせた。


 冬也は戦いの素人ではない。狙って来ること位は予想し、周囲に意識を向けていた。身体能力を高めていた冬也は、聴覚も強化されている。意識して聞いていたのは、銃弾が風を切る音。それに反応して、冬也は全ての銃弾に対応した。


 人間業ではない。だが、流石に相手はプロなのだ。遠距離の狙撃が通じないとみるや否や、驚く様子も無く直ぐに撤退した。次の作戦に移行したのだろう。冬也が狙撃した辺りの気配を探ると、既に人影は無かった。


「親父。こっちは任せて、厚木に向かえ!」

「あぁ、わかってる。それよりお前、本当に一人で大丈夫なのか?」

「馬鹿か。これでもロイスマリアじゃ、最強って言われたんだ。俺が名乗った訳じゃねぇけどな」

「それでも、無理はするんじゃねぇぞ!」

「親父もな。何なら時間稼ぎして、助っ人が来るのを待っても良いんだぜ」

「それも選択肢の一つだ。お前もいざとなったら、そうしろ!」

「あぁ。わかったよ」


 幾つもの戦場を潜り抜けて来た特殊部隊だから、自信が有ったのだろう。そもそも、銃が通用しない相手である事は、事前情報として仕入れていたのだ。

 それでも、勝算が有ると見て、戦いを仕掛けたのだろう。そうでなければ、もっと回りくどい戦法を取ったに違いないのだ。

 だが、彼らが真の恐怖を味わうのは、これからである。明らかに、挑む相手を間違えたのだ。


 冬也は威嚇の意味を籠めてゆっくりと、指定された引き渡し場所へと歩みを進める。

 戦場を知る者であれば、脅威は伝わるはずなのだ。冬也が纏う、強烈な闘気に。特に死地を潜り抜けて来た者なら尚更だろう。


「へぇ、そりゃそうか。そこらのならず者とは違うよな」


 冬也は歩きながらも、周囲の気配を読み取っていた。間違いなく、彼らは感じている。彼らにとって、今まで味わった事の無い、死の恐怖である。


 特殊部隊に参加出来るのは、数限られた逸材である。そして、過酷な訓練を経て、その一員となれる。更に、過酷な任務を経て、仲間となれる。

 当然、死と隣り合わせの世界で生きて来たのだ。だが冬也の纏う闘気は、過去に感じた事の無い程に強烈である。


 足が竦まないだけましなのだ。引鉄にかけた指が、震えないだけましなのだ。だが焦りは生まれる。それは、歴戦の勇士さえも判断を狂わせる。

  この時、隊長格の男は、最悪の事態にのみ許された兵器の使用を命じた。

 隊員は即座にガスマスクを装着する。そして事前に備え付けておいた、化学兵器のスイッチを押した。


 それは禁じられた兵器である。大気に混じり、呼吸と共に体内に取り込めば、即座に死に至る神経ガス。

 化学兵器禁止条約が有ったとして、馬鹿正直に開発を止める国はあるまい。更に言えば、規制の対象とならない物質を利用していれば、何の問題もない。

 そして、平和維持を目的として使用するなら、条約違反にはならない。何せ、相手はテロリストなのだから。

 例えそれが、関係のない一般市民を巻き込もうとも。


「ったく、馬鹿じゃねぇのか。こんなもんが、俺に効くとでも思ってやがんのか?」


 特殊部隊の面々は、唖然というより言葉を失っていた。不可避かつ、極めて致死性の高い化学兵器なのだ。それが散布された中を、平然と歩けるはずが無い。

 特殊部隊に動揺が広がる。そして、冬也の行動が追い打ちをかけた。


「我が名において命ずる。大地よ我が力となれ。汚された大気を浄化し、元の清浄へと戻せ」


 冬也の体から光が放たれると同時に、アスファルトに覆われた大地が輝く。その輝きは、大気中に混じった化学兵器を浄化していく。

 全て浄化するまで、数秒もかからない。一帯は見る間に、元の状態へと戻っていった。


 冬也は確かに、化学兵器を吸い込んでいた。だがそんな物で、冬也は殺せない。

 かつて邪神ロメリアが支配したメルドマリューネの地では、淀んだ空気を吸い込んだ人間がモンスターと成り果てた。その大地を事もなげに踏みしめて、冬也は邪神ロメリアと戦ったのだ。

 人間がどれだけ知恵を絞って作った兵器であろうが、神にとっては脅威にはならない。


「てめぇらがテロリスト扱いされても、おかしくねぇ状況だぞ。寧ろ、感謝しろよ!」


 だがそんな冬也の呟きも、部隊の連中には届かないだろう。

 人質を取って冬也を呼び出して、挙句の果てに最終兵器を使用して、徒労に終わる。そんな事は、許されるはずが無い。発狂して飛び出して来ないのは、流石と言うべきであろう。 


 次の瞬間に、グレネードランチャーから発射された弾頭が、冬也の歩く周辺のアスファルトに次々と着弾する。煙と眩い光が冬也の視界を奪う。

 間髪置かずに、奪われた視界の先から、銃弾の雨が襲って来る。


 新宿で冬也が戦っている映像は、何度も確認した。目で追う事が出来ない速さで動くのは、確かに脅威である。

 ただ一つだけ確かな事は、得体の知れない外人は銃弾を受けても、びくともしていなかった。しかし、冬也は出来る限り、銃弾を避けている様に見えた。間違いなく、攻撃を予測しスピードを活かした戦い方であろう。

 ここから想定できるのは、この男は銃弾を受ければ致命傷を負わせられるという事だ。


 遠距離からの狙撃は、打ち落とされた。それ自体が人間業ではない。しかし視界を奪った上で、至近距離で数千発の銃弾を浴びせれば、必ず効果は有るはずだ。

 弱った所で、潜ませていた対人戦闘に特化した隊員が、止めを刺せば終わりだ。


 十数名の隊員が分かれて、至る所に隠れている。万が一、冬也がライフルの雨にも対応しても、集中しなければ避ける事は不可能であろう。必ず隙は生まれるはずだ。その隙を狙い、背後からナイフで襲う。

 化学兵器を無効化されたのは、想定外であった。しかし正攻法で戦えば、決して破られる事が無い。


 だがグレネードを使い、冬也の周囲を煙幕で包んだのは、失策だったのかもしれない。視界が奪われた瞬間に、冬也は動いていた。銃弾が降り注ぐ頃には、冬也はそこにはいなかった。


 冬也は、後方で建物の陰に隠れて、隙を狙う連中の所へ素早く近寄っていた。

 止めを刺す為に待機していた。呼吸を止め気配を消していたのだ、見つかるはずがない。だが冬也には、通用しない。


 建物の陰で息を潜ませている者は、振り返る事も許されずに、手刀を受けて意識を奪われる。グレネードの煙は、まだ晴れない。その間に冬也は素早く移動し、五名の隊員を戦闘不能にした。


 ライフルをどれだけ撃っても、煙の中には反応を感じられない。違和感を感じた隊長は、隊員へ無線で連絡を計る。

 何人か反応が返ってこない者がいる。その時点で作戦中止を告げて、近接戦闘で冬也を捉えるのは諦める。


 本意ではないが人質を盾にした方法に、切り替えるしかない。そう判断したのも束の間の事。ライフルを収めて駆けだそうとする特殊部隊の前に、冬也が現れる。

 それは、どれだけの恐怖であったろう。


 絶対に有り得ない事が起きた。それは今まで体験した事がない、未知の恐怖であった。反応が無かったのだ、生きている可能性は高いと思っていた。しかし、無傷で立っているとは思いもよらなかった。

 どれだけの化け物なのだ。本当にこんな化け物を、殺す事が出来るのか。隊長がそう思った瞬間だった。


「取り合えず、ここまでにしとこうや。投降しろよ、悪い事は言わねぇからよ」


 冬也の言葉は日本語の為に、理解が出来ない。だが、言っている意味は伝わった。隊長が一斉射撃の合図をする為に、右手を高らかに上げた瞬間だった。瞬きをする間に、冬也の姿は目の前から消えた。 

 ライフルを構えた、十名の隊員の後方に現れ、振り向く間も無く戦闘不能にさせられた。


 隊員達は、意識を奪われている。隊長も、四肢を折られて動ける状態ではない。そして、隊長の前で膝を折り、冬也は問いかけた。


「人質は何処だ?」


 冬也の言葉は日本語の為、理解が出来ない。しかし通じていても、教える事はしなかっただろう。それは質問をした、当人にもわかっていたはず。


 冬也は立ち上がると、柏手を打ち鳴らす。その音が辺りに響き渡ると、静寂が訪れる。正確には静寂というよりも、完全な無音状態だろう。

 耳が痛くなる程の無音の中で、冬也は呟き始めた。


「我が名において命ずる。捕えた者達の居場所を示せ」


 冬也の言葉が隊長に届くと、折れたはずの腕が勝手に動き出す。そして、人質を監禁している場所を示した。


「何だ。日本語でも、意外に通用するじゃねぇか」


 部隊の人数を把握していない。全てを沈黙させられた訳ではない。だが主力を戦闘不能には出来たはずだ。直ぐには意識を取り戻す事もあるまい。

 ほぼ勝利を手中に収めた冬也は、人質を救出する為に、ゆっくりと歩みを進めた。

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