第312話 インビジブルサイト その5

  少し重くなった空気を変化させたのは、やはりペスカであった。


「インビジブルサイトってのと、一度も遭遇してないの?」

「いや、俺が一度だけ現場に居合わせたらしい」

「その時、どんな感じだった?」

「何も見えなかったし、わからなかった。現場に居合わせた事を知ったのも、被害報告を受けてからだ」

「その時の気配とかは? パパリンって、霊視出来たよね」

「特に違和感を感じなかったと思う」

「その時、翔一君は居たの?」

「いや、別行動だった」

「犯行現場って、駅からどの位かかる?」

「五分から十分って所だな」

「そっか」


 ペスカは少し考えを纏める様に、人差し指で自分のこめかみをぐりぐりとした。ペスカに視線が集まる。そして、ペスカは徐に口を開いた。


「多分さ、インビジブルサイトって、物理的に姿を消せるんじゃ無いと思うよ」


 その言葉に、遼太郎と佐藤の目が見開かれる。唖然とし言葉が出ない両名に対し、ペスカは言葉を続けた。


「もう少し言うと、インビジブルサイトは引き籠りの少年だね。それとあんまり能力を使いこなせてないと思うよ」

「ちょっと待てペスカ。どうして姿を消せるんじゃ無いってわかる?」

「パパリン、光学迷彩や視認阻害と一緒だよ。姿を見せない技術は有っても、存在は消せないの。気配がしないって事は、認識阻害じゃないよ。そしたら、出来る事は一つだけ」


 ペスカは人差し指を立てる。まるで唾を呑む音が聞こえるかの様に、遼太郎と佐藤の視線がペスカの人差し指に集まる。


「多次元の空間へ、一時的に自分を避難させられる。だから、視認が出来ないし、気配も感じない」

「まてまて、ペスカ。俺達は認識違いをしてたって事か?」

「認識違いって程でも無いと思うけどな。プロファイリングは間違いではないと思うし。強いて言えば、インビジブルサイトってよりもゲートオブバビ、おっとこれはゲームの技か」


 ペスカは腕で額の汗を拭い、少し呼吸を整えると言葉を続けた。


「えっとね、多次元の空間を使って移動が出来る所までは良いとして、問題は継続時間だね。理解出来ると思うけど、この能力はチャチな軽犯罪に使うのは勿体ないよ。強くなれば一瞬で、行きたい所へ簡単に行ける。ワープみたいな感じでね」


 佐藤は完全に唖然としていた。内包する危険性も含め、状況を理解したのだろう遼太郎は、その表情を一気に青ざめていく。


「一番の問題は、暴走の可能性! 引き籠りの少年が、いきなり沢山の警官に囲まれたとしたら、どうなると思う?」

 

 ペスカの言葉が放たれると同時に、遼太郎は立ち上がる。放り出された丸椅子は、ガタガタと音を立てて転がった。


「佐藤! 作戦を中止させろ! あいつらがやべぇ!」

「東郷さん、無茶言わないで下さい! それに君、君が言ってるのは荒唐無稽じゃないか?」


 胸倉を掴む勢いで迫る遼太郎の手を払い、佐藤はペスカに視線を向けた。ペスカは少し口角を上げると、佐藤に視線を送る。その瞳は、挑戦的な意志を湛えていた。


「試してみます?」


 佐藤は、ペスカが何を言わんとしているのか、理解が出来なかった。しかし、次の瞬間に驚愕する事になる。


「これ、な~んだ?」


 机の向こうではペスカが笑みを浮かべている。その手に持ち、ひらひらと振っているのは、自分の胸ポケットに入っていたはずの長財布であった。

 キャリア組とは言え、佐藤とて長年警察官として働いてきた。だから知っている。どんなスリ技術を持ってしても、机を挟んだ手の届かない状態で、自分の懐から財布を抜くなど不可能であるのだ、それも瞬きをする一瞬の間で。


「どうやって・・・・・」

「どうも何も、ちょっとした応用だよ。詳しい説明は割愛するね。ざっくり言うと、三次元のA地点とB地点を、多次元の空間を利用して繋げるのが、この能力の鍵だね。たださ、一時的にとは言え多次元の空間を利用するんだから、制御が大変なんだよ」

「もし、制御に失敗したら?」

「ましなのは、使用者本人が多次元の空間に閉じ込められる事かな。最悪は、多次元の空間と三次元の空間が完全に繋がっちゃう事だね」

「繋がったらどうなる?」

「さあ? 繋がってみないとわかんないよ。もしかしたら、ブラックホールみたいに色々と吸い込んじゃうかもね」

  

 ペスカは財布を返しながら、佐藤の質問に答える。

 ペスカが行ったのは、転移の魔法の応用である。人体をデータ化し、一定地点の行き来をする方法とは異なり、転移の魔法は物理的な空間歪曲による長距離移動方法。これは、神々が行う異次元空間の作成を元にした技術の応用である。

 その手段を知るからこそペスカは、目に見えないだけと思われていた、インビジブルサイトの能力を断定した。その危険性についても。ペスカの説明を聞く度に、佐藤の表情はどんどんと青ざめていった。


「私の言葉が信じられないなら、翔一君に聞いてみればいいよ」

「翔一? そうか探知か? あいつなら、相手の正体もわかるな!」

「そういう事! ついでにパパリン、第三者の可能性って言ったよね。出来れば、翔一君には現場の作戦よりも、周囲の探知に当たらせた方が良いと思うよ。何時に作戦開始か知らないけど、ここに着いてから、結構な時間が経ってるし、早くした方が良いと思うけど」

「そうだな、佐藤。電話借りるぞ」


 遼太郎は勢いよくパーテーションを出て、事務机の上にある受話器を取る。残されたペスカは、少し目付きを鋭くし、未だ青い顔をしている佐藤に問いかけた。


「ねぇ、佐藤さんは呑気にしていて良いの?」

「え?」

「だって、警察側の関係者なんでしょ? しかも地位は結構上だよね。間違いなくトラブルは起きるよ。そのトラブルを止められるのは、ここに居る私達だけ。今パトカーで急げば、間に合うと思うけど」


 失敗の責任を取らされたくなければ、自分達を現場に連れて行け。ペスカの言葉の意味を理解した佐藤は、パーテーションから飛び出していった。

 そしてペスカは、未だに首を捻っている冬也と、キョロキョロとしているアルキエルに対して声を掛けた。

 

「ねぇ。お兄ちゃんはともかく、アルキエルは理解出来たよね? 私の推測で間違いないよね?」

「ペスカ。お前は、どこの言葉を喋ってるんだ? ここの現地言語か? この建物に入ってから、ミスラの言葉もわからなくなった。騒いでた事は、理解出来たけどな」

「アルキエル、何言ってんだ? ペスカは普通に日本語を」

「あ~! アルキエルに魔法をかけ忘れた!」

「ペスカァ! ギャースカ、喚くんじゃねぇ! 何言ってるか、わかんねぇって言ってんだ!」


 アルキエルの予想外の反応に、ペスカは冬也の言葉を遮ると、両側のこめかみをぐりぐりと押さえた。佐藤と会話をする為、ペスカは自然と日本語を話していた。冬也は元々日本人であり、言語通訳の魔法でロイスマリアの言語を理解している。

 それに対しアルキエルは、ロイスマリアの言語しか知らない。そう考えれば、アルキエルの態度も理解が出来る。長い時間、知らない言語で説明を聞かされたのでは飽きもするだろう。

 すっとペスカは立ち上がり、アルキエルの額に両手を添える。そして重むろに呪文を唱え始めた。


「この者に伝えよ。我が有する言語の全てを、この者に与えよ!」


 ペスカの両手が光り出すと、光はアルキエルの頭の中に消えていく。


「せっかく連れて来たのに。アルキエルが役立たずになる所だったよ。わかるよね、日本語」

「あぁ。この間抜け! 糞退屈だったぜ。お前らに気を使ったんだ、感謝しろよ」


 アルキエルが暴れずに、椅子に座っている事は奇跡の様にも感じる。フッとペスカは笑みを浮かべ、事態が理解出来ない冬也は、依然として首を傾げていた。

 丁度、言語通訳の魔法をかけ終わった頃、遼太郎が戻って来る。


「安西に繋がらねぇ。リンリンは、もう作戦に入ってるだろって言ってやがった」

「他に連絡方法は無いの?」

「無いこともねぇが、現地に急ぐのが先決だ! それで、佐藤はどこ行った?」

「多分、パトカーを用意してくれてると思うよ」


 この時、佐藤は能力者確保の緊急対応として、刑事課二名を運転手として指名し、二台のパトカーを使用出来る承認を貰う為、警察署内を走り回り配車の手続きを行っていた。

 短時間で手続きを終えたのは、佐藤が警察内部でもある程度の地位だからであろう。


 そして、一台目には佐藤を助手席に、遼太郎とアルキエルが搭乗する。二台目は、ペスカと冬也が搭乗すことになり、現場へ向かい出発した。

 この時点で昼はとうに過ぎ、夕方へと差し掛かっている。走るパトカー内では、無線から次々と悪い報告が流れていた。


 ペスカが予想した通り、通称インビジブルサイトは少年であった。現場近くに現れた少年を翔一の能力で探知出来た所までは良かった。

 余程、慎重なのかそれとも臆病なのか、少年は影に潜んで隠れていた数名の警察官を見つけてしまう。警察官に囲まれた少年は、能力を発動させて逃げようと企む。そこから暴走するのは、あっという間であった。


 警察無線を通した遼太郎の指示は、最前線にいる安西へと届く事は無かった。一気に現場は混乱へと陥り、応援に駆け付けた警官達も民間人の避難誘導で手一杯である。事務所に残り、ネットや無線傍受の対策をしている林も、作業に追われている。

 未曾有の災害が起こる中で、現場に居る者達はその場の判断で最善の手を尽くそうとしている。ただ、それだけではいけないのだ。現場指揮官の不在が、連絡系統の不備へと繋がる。自分がそこに居ればと、遼太郎はパトカーの中で歯噛んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る