第294話 ロイスマリア武闘会 ~Cat in the rain~

 本格的な治療の為に、ケーリアとグラウが試合会場から連れ出される。二人の健闘を褒め称え、観客席からは拍手が贈られる。

 そして、瞳に闘志を宿したエレナとヒュドラが、試合会場に姿を現した。


 その瞬間、観客席からは悲鳴の様な歓声が上がった。歓声の中にエレナを呼ぶ声が多い、それはまるでアイドルの登場に興奮するファンの様だった。そしてエレナは気が付く、設置された横断幕と書かれている文字を。そこには全て、エレナを応援する文字が綴られており、途端にエレナは赤面した。


「ニ゛ャ!」

「エレナ殿、流石の人気ですね」

「聞いてないニャ! 知らないニャ!」

「何を仰る。魔獣の応援席ですら、私よりもエレナ殿を応援する声が多いというのに」

「おかしいと思っちゃニャ。どうりで最近、街中でよく声をかけりゃれりゅのニャ!」

「やっと世間があなたの魅力に気が付いたんでしょう」

「変な事を言っちゃ駄目ニャ!」


 最弱のゴブリン達を戦闘集団に育て上げ、現在のドラグスメリアにある国の根幹を造り上げたのは、まごう事無くエレナである。魔獣達からは、尊敬の対象となっている。それとは別に、世界議会の議員となり世間への露出が増えたエレナは、かなり知名度が高くなっている。それは皆がエレナという存在を認識する事と同義である。兵士としての折り紙付きの強さは無論の事、愛らしい容姿に加えて、エレナはよく驚き、泣き、笑う。コロコロと表情を変える姿は、とても身近な存在に感じられた。

 亜人達の中だけでは納まらず、人間達の中にもエレナに好感を持つ者は多い。一部にはエレナを応援する団体が出来上がり、既にアイドル的な人気を誇っていた。


 ただし、当のエレナはその事実に気が付いてない。それどころか、幼い頃から身近に居たのは父であり、成長してからは軍に身を置いて来たエレナは、自分の容姿を評された記憶どころか、男女間における好意を向けられた事すらない。だからこそ浮かべる事が出来る、子供の様に純粋な笑顔なのだろうが、本人はその魅力に気が付いてない。

 思わぬ好感を示されて動揺するエレナを横目に、冬也は笑いを堪えていた。その姿はしっかりとエレナの目に映り、顔を更に赤く染めさせた。


「冬也をいつかぶっ飛ばすニャ!」


 恥ずかし気に俯きながら、エレナは呟く。そんなエレナの姿を、アルキエルは呆れた様な表情で見つめていた。


「エレナ殿、そろそろ試合の開始です。私があなたにとって、相性が悪い事をお忘れめさるな」

「わかってるニャ、お前は強いニャ。でも、勝つのは私ニャ」

「ならば、対策が有るとでも?」

「ふふん、見るといいニャ!」


 エレナは服飾に興味を持っていない。いつも身に着けているのは、礼装を重んじた軍服よりも、動きやすいつなぎに近い服装を好む。そのエレナが、見るからに仕立てたばかりと思わせる服を、ヒュドラへ見せつける様にその場でくるり回った。

 しかしヒュドラには、いつもの服装と何が違うのか、さっぱりわからない。


「何か変わった所でも?」

「この服はペスカに作って貰ったニャ。お前と戦えば、服がボロボロになるのは決まってるニャ」

「はぁ。そうですか」


 ヒュドラは、エレナの軽い口調に首を傾げた。例え服装を変えても、自分の攻撃を跳ね除ける事は出来まい。そう確信していた。

 数多の首を持つ伝説の大蛇と言えば、想像がつくだろうか。ヒュドラの身体は、蛇そのものである。しかし、蛇と同様に相手を締め上げるだけなら、エレナの敵にはならない、その鋭い牙でさえも。ヒュドラの脅威は、そこには無い。


「穏やかなベヒモスは、戦いに向きません。だが、私は違う」


 戦いを起こさせずに相手を始末するヒュドラは、サムウェルとは別の意味で狡猾と言えよう。四大魔獣の中で一番残忍と評される戦術は、ヒュドラの能力に起因する。かつてミューモを苦しめたその能力は、空を飛べない者には不可避である。だがエレナはヒュドラの能力に、大した対策を講じずに胸を張る。まるで格が違うと言わんばかりに。


 両者は会場中心まで歩みを進めて向かい合う。登場時の動揺が嘘の様に、戦いに集中するエレナ。闘志を燃やすヒュドラ。両者の視線が火花を散らし、試合開始の合図が告げられる。


 瞬時にヒュドラはブレスを吐いた。ブレスは霧の様に広がり、視界を奪う。浴びれば皮膚の上からでも、身体を侵食していく毒のブレス。息をすれば、体内は爛れ即座に死へ至る。毒は試合会場の一面に広がった。

 もし相手がペスカなら、勝負にすらならない。ペスカであれば、防御結界で毒を防ぎ、大出力の魔法で簡単にヒュドラを沈めただろう。

 ヒュドラが思う相性の悪さ、それはエレナが魔法を不得手としているからである。エレナは、単純な身体強化の魔法しか使えない。言い換えれば、エレナには毒を防ぐ手段が無いはず。仮に空を高く飛べるなら、話は別だろう。試合会場に広がった毒は、地を駆ける者にとって、最悪の殺傷武器となる。更に、一メートル先も見えない濃密な毒の霧は、目で相手を確認する事を不可能にさせる。ベヒモスの様に、マナで周囲が感知出来るなら別であるが、エレナにその技術は無いはずである。

 

 開始早々に、試合はヒュドラの有利な展開となる。だが、ヒュドラは次の策へと移る。相手がこの程度で屈すると、考えてはいないから。

 ヒュドラは上空に向かい、ブレスを吐く。ブレスは試合会場を、雲の様に包む。地上では毒の霧、空へと上がれば、待ち受けるのは謎の雲。ヒュドラは逃げ道を塞いだ。だがヒュドラの策は、それだけでは終わらない。雲から降り注ぐ酸の雨、それは土砂降りと言ってもいい。毒に加えて強力な酸が試合会場に充満する。


 誰が見ても勝敗は決していた。誰もがエレナの死を予感した。観客席からヒュドラに浴びせられる罵声と、エレナを案ずる悲鳴からも明らかであろう。しかし、冬也の口からは勝敗の合図は告げられていない。それは、エレナが無事であるという証拠。そして、ヒュドラは更に次の策へと移ろうとした。


 一つの首は、毒の霧を吐き続ける。一つの首は、酸の雲を作り続ける。残る複数の首で相手を視認し、かつ直接攻撃を行う。

 視界を封じ、周囲を毒と酸で満たす。それでも怯まぬ相手には、強靭な顎でかみ砕く。ヒュドラにとって、これが最強の連続技である。


 だがここに、一つの誤算が有った。ヒュドラはエレナを過小評価していた。

 ただの亜人では、既に酸の雨で溶けている。それ以前に、毒の霧を浴びて身体の内外から腐らされている。

 しかし、如何にヒュドラの吐く毒が強力でも、神を死に至らしめる事は出来ない。現に審判として、試合会場にいる冬也とアルキエルからは、苦しむ様子が伺えない。そして、エレナは最も神に近い存在の一人。ヒュドラとエレナではマナの総量が違う。ヒュドラの毒や酸で、エレナの肌を溶かす事はなかった。


 そもそも格が違うのか? 否、ヒュドラの戦術自体が間違いなのである。ヒュドラが吐いたブレスは、己のマナを毒や酸に変えただけである。マナの総量で勝るエレナの身体強化を、綻びさせる威力は無い。

 もし、ヒュドラが毒や酸を物理現象として召喚していたのであれば、少し結果は異なっただろう。確かにエレナには、毒や酸を防ぐ手段は無い。そしてペスカが作った服は、戦闘中に肌が露わになるのを防ぐ為、単に腐食耐性を高めただけでであるのだから。


 一瞬の出来事である。エレナはマナを爆発させる様に、対外へと放出する。会場の中央から暴風が巻き起こり、毒の霧と酸の雨を降らせていた雲を消し飛ばす。

 複数の首で、エレナを視認していたはずのヒュドラは、暴風と共にエレナを見失う。気が付いた時にはエレナに懐へ入られ、掌底を打たれると全身に強烈な振動が伝わった。次の瞬間にはヒュドラは意識を失い倒れていた。そして、冬也の口からエレナの勝利が告げられた。


「ペスカのおかげで、すっぽんぽんにならなかったニャ。助かったニャ」


 エレナはフルルっと体を振い、体についた酸の雨を払う様にして呟く。まるで四大魔獣すら相手にはならない、優勝するのは自分だと、疑いさえしていない自信の現われだったのかもしれない。 


 降り注ぐ酸の雨の中、誰もがエレナの死を予感させた。だが会場の中央には、試合前と変わらずに元気な様子で立つ笑顔の少女がいた。雲が消え晴れ渡る会場の空と同じように、観客席は一変する。青ざめた表情から、歓喜の表情へ。罵倒から歓声へ。エレナを呼ぶ声が観客席に反響する。


 エレナは観客席へ応える様に、手を振りながら会場を後にし控室へと戻る。そして熱気が観客席に渦を巻く中、倒れ伏してたヒュドラが意識を取り戻す。ヒュドラは周囲をゆっくりと見渡し、現状を理解した。


「負けたのか・・・」

「そうね。エレナちゃんの方が強かったね」


 ヒュドラの隣には、優しく微笑む女神カーラの姿があった。微笑みながらも、女神カーラは労いの言葉をかけたりはしない。ヒュドラは、成長の只中に有る。まだまだ、先の未来が有る。そんな者に甘い言葉をかけたりはしない。


「まだまだ、精度も威力も足りないね」

「はい」

「それに手札も少ない。あの子が居る場所に届くには、もっと頑張らなきゃね」

「はい」

「うちの子が一番弱いなんて、絶対言わせちゃ駄目だからね」

「勿論です。次は必ず勝って見せます!」


 自分は執念深い魔獣だ、この敗北を布石にのし上がって見せる。ヒュドラは、込み上げる悔しさを呑み込んだ。狡猾、残忍、どんな呼ばれ方をされようと、純粋で真っ直ぐな瞳は、未来を見据えていた。

 

 ヒュドラの様子を見届けた冬也は、控室の隅で佇む赤い髪のエルフへ意識を向ける。この姉妹に直接関わる気は無い、救おうとも思わない。それは自分の役目ではない。ただ、ここには大切な仲間が居る、控室には出番を待つ父が居る。万が一の時には容赦はしない、例え私闘と呼ばれても。

 そして狂気は静かに牙を研ぐ、得物を狙う獣の様に。

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