第274話 アルキエルの一日

 夜は寝るもんだ。

 相変わらず、冬也は無茶を言いやがる。

 寝るなんてのは、真っ当な生き物のする事だ。俺には関係ねぇだろ。

 ペスカの奴は、自分の屋敷に俺の部屋を用意しやがった。

 冗談じゃねぇ、そんな所に籠っていたら、夜の良さが味わえねぇだろ。

 だから俺は大抵、屋敷の屋上で夜を過ごす。

 

 暗闇の中で耳を澄ませば、潮騒の音が聞こえる。

 真っ黒に染まった海を眺めると、幾つかの光が見える。

 確か冬也が言ってた、夜の海で灯りを焚いて漁をするんだってな。

 遠く果てまで続く漆黒の海、そこから続くのは空に瞬く小さな光の群れ。

 仰ぎ見れば、天に広がる数多の星々。漆黒の空にちりばめられた光に少しばかり心を奪われる。

 

 何よりも夜の良さは、この静寂だ。

 昼間の喧騒は何処へ行ったのかと思える程に静まり返り、潮騒の音だけが心地よく耳へ届く。

 俺はこの静寂の中で、深く、深く、瞑想する。


 未だに冬也に勝つ事は出来ねぇ。

 冬也の苦手な槍や剣を使った勝負であれば、何本か取れるんだ。

 そりゃあそうだろうよ、俺は戦いの神だ。技の上で遥かに勝って当然だ。

 だが、それで冬也に勝ったとは、到底思えねぇ。

 だから、己を研ぎ澄ませる様に、瞑想するんだ。

 数えきれねぇ程やった冬也との勝負は、体が覚えている。

 余計な雑念を払い落していくと、まるで冬也と戦っているかの様な感覚になっていく。

 爪の先まで神経を張り詰めると、自然と闘気が満ちていく。幾多の経験が、俺を高めていく。

 この瞬間は、何よりも代えがたい大切な時間だ。

 

 それにしても、夜は一瞬で終わっちまう。

 水平線に赤い日が顔を出せば、夜の終わりだ。

 日が昇り赤が薄れていくと共に、空は黒から青へと少しずつ変わっていく。

 海原の煌めき、空の移り変わり。俺らしくもねぇ、この光景を美しいと思っちまう。

 原初の連中をぶち殺さねぇで良かったと、心から思うぜ。


 日が完全に顔を出せば、一日の始まりだ。

 そして、俺は転移する。

 一々国の名前は覚えちゃいねぇが、転移した先には当然の様にモーリスが待っている。


「師匠。今日も、よろしくお願いいたします」


 俺が現れると、モーリスは決まって深々と頭を下げる。

 この男を一言で表すなら、愚直だろうな。

 良いも悪いも真っ直ぐな男だ。

 だからこその、強さなのかもな。


 俺が訓練用に作った空間への入り口を開けると、モーリスは「お先に失礼します」と言って、空間へ入っていく。

 モーリスが空間へ消えたのを見届けると入り口を閉じ、俺は次の場所へ転移する。

 次の場所で待っているのは、ケーリアだ。

 

「今日こそ、師匠から一本を取って見せます」


 何が師匠だ、馬鹿野郎共が。

 モーリスよりは融通が利く奴だが、生真面目な男だ。

 大剣を使う事から、戦い方は俺に似ている。

 こいつも、人間離れした強さを持っている。不思議だ、こんな奴らが同じ時代に存在するなんてな。

 これも、原初の連中が企んだ事か? いや、そんな事はどうでも良い。

 俺にとって、楽しみが増えてるんだからな。

 

 ケーリアを、空間に入れると更に転移する。

 槍を携え怠そうにしているのが、サムウェルだ。

 一見すると軽薄に映るが、こいつの中には熱い魂が燃え盛ってやがる。

 そして天才とは、こいつの事を言うのだろう。

 だがこいつは、色々な事が見えすぎだ。そこそこ頭が切れる故だろうか、勿体ない男だ。

 もし、槍にのみ一心に鍛えていたら、今頃は俺にも届いていただろう。

  

 サムウェルを空間に入れると、次は魔獣の大陸だ。

 魔獣の中には、人間より遥かに強力な力を持つ者が多い。

 だが、目の前にいる男は違う。

 いかにもちっぽけな存在。だが、こいつは魔獣の大陸で長になった。


「アルキエル殿。御指南、よろしくお願いします」

「ズマ、お前は師匠と違って真面目だな」

「教官は、お忙しいのでしょう。ご容赦頂きたい」


 皮肉を言ったつもりなんだが、真面目に返しやがる。

 こんな所が、こいつの良さなのかも知れねぇな。


 あぁ。ここまではいつも順調なんだ。ここまではな。

 最後の一匹が問題だ。

 最近は忙しと抜かしやがって、いつまでも寝てやがる。

 ちっと有名になったからって、屋敷を持つ様になった馬鹿猫だ。

 

 俺はエレナの屋敷前に転移する。

 他の奴らと違って、案の定エレナは居ねぇ。

 俺は強引に屋敷の入り口をこじ開ける、何故なら生意気にも結界を張る様になったからだ。

 どうせ、ラアルフィーネにでも頼んだんだろうよ。

 頼む先が違うんだ。ラアルフィーネが張った糞の役にも立たねぇ結界が、俺を阻めるはずがねぇ。

 どうせならペスカにでも頼めばいい。そうすりゃ、ちっとは時間稼ぎも出来ただろうによ。


 結界を破壊した所で、屋敷中に警戒音が鳴り響いてやがる。

 使用人達が慌てふためいて、右往左往しているの見える。

 この状況でも寝てやがったら、返って大したもんだぜ。


 そもそも俺は戦いの神だぜ。他の神とは違うんだ。

 冬也に神気を抑え込まれてるし、俺も普通の奴らを極力ビビらせない様にしてるつもりだ。

 それでも、大抵の奴は俺に近寄って来ねぇ。

 エレナの奴は、平和ボケでもしてやがんのか?

 広間で待っていると、寝ぼけ眼のエレナがゆっくりと階段を下りてくる。

 少し威圧する様に睨むと、面倒そうに欠伸をしやがった。


「アル、そんなに睨んじゃ駄目ニャ。忙しいのニャ。疲れてるのニャ」

「気が抜けてるだけだろうが」

「そんな事ないニャ。毎朝ちゃんと付き合ってるんだから、文句言っちゃ駄目ニャ」


 口の減らねぇ奴だ。俺はエレナの首根っこを掴むと、空間に放り込んでやった。

 悲鳴が聞こえたが、気にするこたぁねぇ。

 これでやっと稽古の開始だ。

 俺が空間に入ると、モーリスとケーリアは既に剣を交えてやがる。

 ズマの奴は、あんな小さい体でサムウェルと渡り合ってやがる。

 どいつもこいつも、面白れぇ奴らだ。

 

 こいつらは揃いも揃って、俺の一挙手一投足を見逃さねぇ。

 一対一で相手をしてやると、必ず俺の技を見て真似る。

 俺の技を自分のものにして、強くなっていく姿を見るのは、悪くねぇ気分だ。

 こいつらの相手を始めて、もう一年が過ぎようとしている。

 奴らは、明らかに強くなっている。だからこそ、惜しいと思う。


 モーリス達は、四十に近い歳だろう。

 人間は四十を超えれば、生涯を終えてもおかしくねぇ。ゴブリンは、更に寿命が短い。

 だからこそ、惜しいと思う。

 奴らにもっと時間があれば、エルフの様にとは言わない、せめて百年。それだけあれば、俺は奴らをもっと強くしてやれる。奴らの技は、間違いなく俺に届く。


 向上心と言うのか? 奴らは常に高みを目指し、己を鍛え続ける。

 欠伸をしてやがったエレナだって同じだ。

 奴らは生涯変わらないだろう。

 俺は、奴らの生涯を見届けるつもりだ。最後の瞬間までな。

 輪廻の輪に戻った時は、セリュシオネを脅してでも、長命種に生まれ変わらせてやる。

 まぁ、奴らがそれを望まなければ、仕方ねぇがな。

 

 奴らとの時間は、心が躍る。

 そんな時間ほど、過ぎるのは早いもんだ。

 それぞれに役目がある。俺は皆を送り届けると、ペスカの屋敷に転移した。

 ただなぁ。奴らの頑張りを見てるからか、ちっとばかり腹が立つってもんだ。

 冬也とペスカは、のんびりと飯を食ってやがる。


「冬也! 腑抜けてんじゃねぇ! 勝負しやがれ!」

「うるせぇよアルキエル。少しは落ち着け」


 落ち着けだと、俺の滾った心はどうしろって言うんだ。

 

「お前の分も有るから食え。そろそろ箸を使える様になっただろ?」

「そうだよ、一日の始まりは朝食からだよ。お兄ちゃんのご飯は美味しいんだから」


 呑気な奴らだ。まぁ確かに冬也の料理は旨いがな。

 食うと、何故だか力が満ちてくる感じがする。

 不思議だ、何処にでもありそうな感じなのにな。

 俺は試しに、近くの町に出来た食堂に行った事が有る。

 正直、旨くねぇ。何かが違う、何かが足りねぇ気がする。

 冬也の料理は、何て言えばいいか、あったかくなる感じがするんだ。

 

 冬也達といい、モーリス達といい、一緒に居ると理解の出来ねぇ感覚が、俺を襲いやがる。

 柄にもねぇ、失いたくないと思っちまうんだ。


「それが愛おしいって事だ、アルキエル」

「愛おしい? 馬鹿な事を言うんじゃねぇよ」

「理解が出来ねぇか? かつてのお前には無かったもんだからな」 

 

 冬也の言っている意味がわからねぇ。俺にそんな感情が芽生える訳がねぇ。


「アルキエル。人間の一生は短い、だからこそ懸命に生涯を過ごす。永遠の時間なんて、地獄以外の何物でもねぇからな。時間が限られているから、想いも籠る。だから別れが惜しくなる。大切な存在が出来たなら、大事にしろよアルキエル。その感情は、お前に本物の強さを与えるはずだ」


 何と言われようと、理解出来ねぇ。

 だが、理解をしようと思う。

 何故なら、冬也の強さは技の果てに有るものだから。

 

 朝食を終えると、俺は冬也を修行に突き合わせる。

 ペスカと違って、冬也は暇だからな。

 タールカールに居るだけで、冬也から大地に神気が流れていく。言っちまえば、それ以外に取り立ててやる事がねぇって訳だ。

 冬也と修行を続けると、あっという間に日暮れが訪れる。


 空を茜に染め、日が地平の向こうへ降りていく。

 朝に昇った空から順に、暗がりが広がる。

 この風景も悪くはねぇ。

 

「冬也。飯を作れ! 早く屋敷に戻んぞ」

「仕方ねぇ奴だな、お前は」


 以前の俺なら、こんな理解の出来ない感情は、とっくに切り捨てていたろうよ。

 だが、今の俺には捨てる事は出来ねぇ。

 悪くねぇ。あぁ、悪くねぇんだ。

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