第272話 ラーメンを作ろう

 荒廃したタールカール大陸の再生を、ペスカと冬也に依頼した女神フィアーナは、「住む場所が無くちゃ困るでしょ」と、半ば強引にエルラフィア王国にある都市マーレに有るペスカの屋敷を、使用人ごと移動した。

 当然、問題は大有りである。

 タールカール大陸は、未だ何も無い荒野同然。

 使用人達はそんな荒野で暮らせるはずも無い。急遽ペスカと冬也は、屋敷付近のライフライン整備に着手せざるを得なくなった。

 土地に神気を注ぎ、屋敷周辺数キロ程度の緑を活性化させ、井戸を掘り水を汲んだ。

 更に湧き水から川へと、水源の確保を充実させた。


 ペスカの屋敷は、海辺に近い小高い丘に移された為、漁を行えば魚には困る事は無いだろう。

 しかしペスカと冬也は、ブルに屋敷の周囲を開拓する様に頼んだ。

 ブルは、快く引き受け屋敷の周囲に農地を作り上げ、幾つかの作物も植えていった。

 それでも、生活には足りない物ばかり。

 のんびりと、時間をかけて行うつもりだったタールカール大陸の再生は、急ピッチで進めなくてはならなくなった。


「これってフィアーナ様の作戦じゃない?」

「まったくだ。ちっとお仕置きしなきゃな」

「お兄ちゃん。かなり痛めの、デコピンね」

「わかってるぜ、ペスカ。でこが凹むくらいのやつをお見舞いしてやる」


 転移の魔法が使えるペスカ達は、寝場所に困る事は無い。

 そもそも、ドラグスメリア大陸での生活に慣れていたペスカ達は、野宿を苦痛にしていない。にも関わらず強引に屋敷を移動させた件は、使用人だけの問題に留まらなかった。

 英雄ペスカの屋敷が有る事で、観光客が途絶える事が無かったマーレは、有名な観光スポットを失っただけでなく、大きな財源も失った。

 著しい問題が、一都市に降り注ごうとしている中、一部のマーレ市民達からは、ペスカと共に自分達も移住しようという声が上がり始めた。

 マーレには、エルラフィア王国の中で、一番の漁獲量を誇る漁港が有る。

 そこから、多くの人が移住すれば、問題は一都市だけに収まらない。 

 そしてペスカと共にという声は、あっという間に国中へ広がる。

 騒動は一時、エルラフィア王国の基盤を揺るがしかねないほど、大きく広がっていった。


 改めてペスカの影響力を知った女神フィアーナ。しかしそれは、後の祭りである。

 問題は、早急にロイスマリアの世界議会で審議にかけられた。

 国民の流出は、財源確保に大きな影響を与える。

 だが、世論の力を無視すれば、暴動に繋がり兼ねない。

 とは言え、タールカール大陸は未開の土地に近い。

 議会は特別措置として、マーレ市民を含む一部のエルラフィア王国民、約百名を開拓者として、タールカール大陸に移住させる事を決めた。


 自分達の知らない所で、大きくなる騒ぎに、ペスカと冬也が閉口するのは無理も無い事だろう。

 ペスカの屋敷を中心に町が作られていく。

 漁船の建造や船着き場の整備、住宅の建築に水道工事と、日々を忙しく過ごすペスカと冬也は、とても疲れていた。

 そして、忙しい時にこそ、事故は起こる。

 冬也が大地に神気を強く流し過ぎた結果、作物の異常繁殖が発生した。

 それを知らない住民が、冬也の神気が多く含まれる作物を、養豚用の飼料に混ぜてしまう。

 その結果、神気を吸収した豚のマナが、異常活性しオークとなった。


 オークは直ぐに冬也の手で退治され事なきを得る。

 しかしその事故を誰が責めよう。


「みんな、本当にごめん。俺の不注意だった」

「いや、気にしないで下さい冬也様」

「そうだよ、冬也様。飼料に混ぜちまった、俺達の不注意でも有るんだ、お互い様だよ」

「冬也様は、直ぐにモンスターを倒して下さったじゃないか。ありがとう、冬也様」

「気にしちゃ駄目ですよ、冬也様」

「そうさ。みんなで、町を良くしていくんです。お二方だけに負担をかけちゃいけない。私達にも頑張らせて下さい」


 頭を下げて回る冬也に向かい、住民達はただ笑って答えた。

 少ししょげている冬也に向かい、口々に告げられる励ましの言葉。それは冬也の心を温めた。

 だからこそ、冬也の中に申し訳ない気持ちが増していた。

 

「でもなぁ、せっかくの豚なのに。豚達にも可哀想な事をしちまった」


 確かに豚がモンスター化し、オークとなれば肉は脂っこくて食べられたものではない。冬也の言葉に、住民達の表情が曇り始める。

 しかし、ペスカがその状況を覆す様に、あっけらかんと言い放つ。


「なら、オークを使ってお料理大会だね。前に作ってくれたあれ。豚骨ラーメンが食べたいな、お兄ちゃん」


 聞きなれないラーメンという言葉に、住民達は不思議そうな表情で首を傾げる。

 しかし数時間後、未知との出会いが住民達の顔を笑顔に変える。


 オークの解体から始まり、肉の下茹でやスープ作り。冬也が忙しなく手を動かし、ペスカ屋敷の使用人達が手伝い始める。

 最初こそオークのゆで汁から放たれる強烈な匂いに鼻をつまみ、物珍しそうに遠目から眺めていた女衆が、自分達もと手伝い始めた。

 さながら、料理教室の様相を呈し、盛り上がりをみせていく。


「野菜を丸ごと入れるんですか?」

「あぁ。ただでさえ、オークは普通の豚よりも油が強いし、匂いもきつい。だから、しっかりと下茹でするのと、たっぷり野菜を入れる事が大事なんだ。こまめに灰汁を取るのも、忘れんなよ」


 熱心に冬也の説明を聞き、手を動かす使用人や女衆。

 作業はスープ作りから始まり、麺作りやチャーシュー作りに移っていく。

 手分けをしながら、次々と仕込みを続ける一同。


 ただ冬也は、前回作った豚骨ラーメンとは、違うものを作ろうとしていた。

 何故なら、何日か前に完成した、干し貝柱や昆布等が目の前に有る。

 最上の出汁作りにもってこいの食材を、使わない手はない。

 目指すは、豚骨と魚介系を合わせたダブルスープ。


 冬也は魚介の扱いに慣れたマーレ出身の女衆に、魚介出汁を作る様に指示をする。続いて冬也は、男衆を集めて豚肉の燻製作りを教え始めた。

 貴重な保存食になる事を教えられ、燻製作りの講座も好評を博した。

 元より何日もかかる燻製作りである。ラーメンと一緒に食す事は出来ないが、誰もが深刻な飢えを乗り越えて来た者達である。その目は真剣そのものであった。


 仕込みが終わる頃には、日はとっぷりと暮れていた。

 男衆の手でテーブルや椅子が運ばれ、フードコートの様な光景が作られる。

 辺りには芳醇な匂いが立ち込め、人々の鼻孔をくすぐる。

 誰もが腹を鳴らし、自然と涎が溢れていた。


 塩だれに二つのスープを合わせると、湯切りした麺を滑らせる。

 そして、薄くスライスしたチャーシューとネギをを乗せ、特製ラーメンは完成に至った。

 

 最初に味わうのは、ペスカである。

 注目が集まる中、ペスカは器を覗き込む様に、香りを堪能する。

 そして徐に匙で掬ったスープを、舌でじっくりと味わう。

 続いてはラーメンの醍醐味である麺、ややちぢれた麺を啜ると、濃厚なスープが麺に絡み、口の中いっぱいに小麦の味とスープの香りが広がる。

 更には油が多めの部位と、食感の良い部位の二種類を使ったチャーシューが、最高のアクセントとなり舌を喜ばせる。

 

「サイコーだよ! お兄ちゃん、超おいしーよ!」


 ペスカの言葉に、周囲には歓声が上がる。

 こぞって冬也の周りに集まる住民達に、冬也はひたすらラーメンを提供し続けた。

 冬也は一杯ずつ丁寧に、ラーメンを仕上げていく。

 口にした者は、次々に感嘆の声を漏らした。


「最初は独特の匂いで、どうなる事かと思ったけど、美味しいわね」

「癖になる味だ。オークがこんなに美味しいく食べられるとは、思わなかった」

「味が深い。貝の出汁だけでは、こんな強い味にはならないな」

 

 ロイスマリアに、麺料理が無かった訳では無い。

 今日ここに新たな麺料理、ラーメンがタールカール大陸で周知される。そして各家庭で改良され、様々な味のラーメンが作られる事になる。

 

 最後の一杯となったラーメンを啜り、冬也は呟いた。


「何だか久しぶりだな」


 ほっとした様に、姿勢を崩す冬也。

 その隣には、ちょこんとペスカが腰を下ろす。 


「あの時は、空ちゃん達が居たからね」

「あぁ。そういや元気にしてるかな」

「空ちゃん?」

「いや、ウィルだよ」


 冬也の意外な回答に、ペスカは目を見開く。

 

「えっ! そっち? まぁでも、ウィル君か。懐かしいね」

「そうだ。あいつにもラーメン食わせてやろうぜ!」


 良い事を思いついたとばかりに、冬也は勢いよく立ち上がる。

 その姿に、ペスカは少し溜息をついた。


「まあいいけど。流石に空ちゃんが不憫になってきたよ」

「ペスカ、何か言ったか?」

「気のせいだよ。おにいちゃんの鈍感バカ」


 少し剥れるペスカの意図を、知る由もない冬也は、さっそく次の仕込みに取り掛かる。

 未だ果たされていない約束、それは流石のペスカも、無二の親友でありライバルでもある空に対し、同情を禁じ得なかった。

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