第255話 エルフ達の暴走

 世界から悪意が消えたその日、急に静けさを取り戻す世界。それに違和感を覚えた者は、少なくなかった。

 しかし世界中に激震が走り、肌を粟立たせる悍ましい悪意が広がる。それは、マナの扱いに長けていない者でも感じ取れる、心の底から迫る恐怖感であった。

 

 全てが、ペスカの手によって、浄化されている訳では無い。僅かでは有るが結界を掻い潜り、地上に生きる者を蝕もうと、侵食をしている。

 しかし、各大陸の英雄の意思を継ぐ者は、闇に落ち行く仲間達を救おうと、懸命に抗っていた。


「意識をしっかり持て! 我らが隊長から教えられたのは、チンケな悪意に屈する事であったか! ペスカ殿と冬也殿が、身を持って示してくれたのは、圧倒的な力にも抗う勇気であったはずだ!」


 ズマは声を大にして、仲間達を鼓舞した。そして、魔獣達もそれに応えた。

 エレナに教わったのは、戦う術だけではない。生き抜く方法と、戦う覚悟である。

 ペスカと冬也に学んだのは、立ちはだかる困難にも折れる事無く立ち向かう、強い信念であった。

 

 争う事が全てではない。

 仲間を助け、仲間から助けられ、共に手を取り歩む。仲間と共に、壊れ行く大陸で生き足掻いた数か月は、伊達ではない。

 悍ましい邪神の手は、魔獣達には届かなかった。 

 

「皆、英雄の言葉を思い出せ! 怒りに呑まれるな! 憎しみに身を委ねるな! 英雄は諦めるなと言っていただろ! 生きろと言ったろ! ここで我らは終わらない! 抗え! 我が愛するエルラフィアの民達よ!」


 心の弱い者は、悪意に取り込まれる。それは、伝染病の様に広がっていく。

 止めねばならない。今が、人類存亡の戦いである。

 人々よ立ち上げれ! 英雄だけに戦わせるな!

 エルラフィア王は、国民に呼びかけ続けた。

 

 シルビアは、領民達を励まし続けた。

 屈するな、心を強く持て、明るい未来を一緒に目指そう! 領民一人一人の手を握り、想いを伝えていった。

 自分に出来る事など、ほんの僅か。ならば、ペスカに託された領地と、領民は必ず守って見せる。

 シルビアは、前線で戦い続けていた。 


 シリウスは、貴族達を鼓舞した。

 民を導くのが、貴族であろう。膝を屈する事は許されない、悪意に頭を垂れる事が有ってはならない。その身を犠牲にしても民を守れ、義務を果たせ、今ここは戦場だ!


 弱さは誰にもある、地位に関わらず。だけど、それに甘んじてはいけない。民あってこその国、民あってこその領地。領地を守る貴族が、先に屈する訳にはいかない。

 シリウスもまた、人々を守る為に戦っていた。


 東ではモーリス、ケーリア、サムウェルが人々に喝を入れていた。

 全て、英雄の意思を継ぐ者達であった。ペスカの植えた種が、彼らの手によって花開く。

 人々が、悪意に屈する事は無かった。


 ただ、亜人の大陸は様相が異なる。

 つい先日まで戦いつづけていた兵達は、疲労を重ねとても動ける状態では無かった。やせ細った体で、戦い続けていた理由は、極限に追い込まれた故の暴走であろう。

 その暴走を食い止めたミューモの存在は、亜人達に強烈な印象を付けた。


 頑丈な鱗に包まれた体躯は、刃を通さないだろう。巨大なマナ量を持って、簡単に魔法を打ち消すだろう。

 圧倒的な力量差を持つ畏怖の対象。それが、ミューモであり、スールであった。

 

 そのミューモが語る言葉に、耳を背ける事など出来ようか?

 真に恐ろしいのは、頭の中に語り掛けてくる、邪な声などではない。鋭い目の奥にある、強者の意思。戦いを続けていた亜人達は、全てミューモに従い、悪意に呑まれる事は無かった。


 そしてミノタウロスも、悪意には染まらなかった。ミノタウロス達は、既にエレナの指導下にあった。

 僅かな期間で何が変わるのか? 否! 最弱のゴブリンはたった数日で、鋼の精神を身に着けた戦士に変わった。

 僅かな期間で、ドラグスメリア大陸に名を馳せる、最強の種族へと登りつめた。

 

 エレナは、ただ罵声を浴びせ、相手を奮起させはしない。

 自らも共に立ち、皆を鼓舞し続ける。自らが先頭に立ち、道を示し続ける。だからこそ、皆がついて来る。だからこそ、誰も挫けない。

 ミノタウロスは、ただ温厚なだけの種族から、優しさを兼ね備えた強靭な戦士に生まれ変わっていた。 

 

 それでも各所で、小さな諍いは起こった。しかし、ただ一つの種族を除いて、大きな問題は生じなかった。

 

 女神ラアルフィーネにマナを封じられた上、転生する機会を奪われた種族であるエルフ。

 自らが崇める女神によって断罪された事実は、エルフ達に深い傷を残した。高すぎる自尊心は粉々に砕かれ、強い憎しみを抱くのは、あっという間であった。

 その憎しみは、アルドメスクの悪意に取り込まれた。


 エルフ達は反転すると、ドワーフの国へ進軍を開始した。瞳を狂気に染め、禍々しい邪気を放ち、エルフ達はより強い力に飲み込まれていく。

 魔法を使えば命を失う。女神がかけた制約を恐れる事なく、エルフ達は進んでいった。


 禁じられた魔法を放ち、大地を壊していく。エルフは一人、また一人と倒れ、魂魄を消滅させていく。

 解けない制約と、身を縛り付ける悪意。理性を失い意思を奪われ、エルフ達は暴走を始めた。

 

 多種族に対し、極めて冷徹なエルフであるが、同胞に対しても同様に苛烈ではない。家族に傷はつけない、そんな一面も持つエルフである。

 しかしこのまま進めば、種の絶滅が訪れる。そんな簡単な事さえも、理解出来ないままにエルフ達は進んだ。


 そして、この事態に際し、危機感を覚える種族がいた。実直なドワーフ達は、ミューモの言葉を真摯に受け止めていた。

 隣人に手を差し伸べろ! 命を軽んじるな!

 ミューモに感銘を受けたドワーフ達は、拳を高らかに掲げた。


 ミューモの命で、一旦は国へ引き返したドワーフ達。しかし、エルフ達の警戒は怠っていなかった。

 どの種族よりも、エルフ達の事を知るドワーフ達は、この事態を予期していたのだろう。そして、ドワーフ達は憎むべき隣人を救う為に、立ち上がろうとしていた。


 無謀だろう、それがどうした。我らは誰よりも高潔であろう。

 ホビットを滅ぼした罪は、許される事ではない。しかし、我らは誰よりも寛容であろう。

 誰かが許さねば、エルフ達は救われない。

 

 暴走するエルフ達は、アルドメラクの洗脳により力を増し、進軍をしている。狂乱したエルフを抑える術を、ドワーフ達は持ち合わせていない。

 例えドワーフが剛腕であっても、エルフの大魔法にかかれば一溜りも無ない。エルフとドワーフがぶつかれば、ドワーフは消滅し、エルフは自壊するだろう。


 二つの種族が、消滅の危機を迎える。

 失敗したかと思われたアルドメラクの目論見は、図らずとも好転の機会を得る。再びアンドロケイン大陸に緊張が走る。

 しかし進軍を始めたドワーフ達の前に、ミューモが降り立った。


「ドワーフよ! お前達の相手は、エルフではない。いずれ災厄が訪れる。その時まで力を蓄えよ!」


 ミューモの声が雄々しく響く。

 もし、隣人に手を差し伸べるなら、俺がお前達を守ろう! その言葉通りに、ミューモはドワーフ達の前に現れた。

 その姿は、王者の風格を備えていた。

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