第246話 英雄ペスカ その3

「皆さん、聞こえていますか? 私の名前はペスカです。かつて、エルラフィアで生を受けた、皆さんと同じ人間です」


 優しく語り掛ける様な口調。ペスカの声が、大陸中に届いていく。

 声だけで、その主に気付ける者がいた。


 執務中のシルビアは、両手で顔を覆い声を出して泣いていた。

 スールから訃報を聞いた、モーリスやケリーアにサムウェル達、東国の者達も涙を流していた。

 

 飢えに苦しみ仰向けとなり、呆然と空を見るしか出来ない者達の耳にも、ペスカの声は届く。病に倒れ唸る者達の耳にも、ペスカの声は届く。

 ペスカは、全ての人に語り掛けた。


「あなたは今、何を思っていますか? 子供の事ですか? 両親の事ですか? 明日の食事の事ですか?」


 ゆっくりと静かに、ペスカの声は響いた。

 しかし、耳に入るのと聞くのは大きく異なる。多くの人々は、拡声器から流れるペスカの声を、ただ聞き流すだけだった。

 例え英雄の言葉でも、聞く余裕などは無かった。


「作物が枯れた大地、乾いた川、全てが壊れていき、誰もが飢えています。多くの人が病に倒れてます。大地と共に人の心も乾いていきます。あなたは今、何を考えていますか?」


 ペスカはゆっくりと問いかける。だが、今にも死にゆく者達の心には、何も響かない。


 既に大陸には、憎しみが蔓延し始めている。この惨状を、多くの人達が呪い始めている。

 憎んでも何も変わらない、呪っても何も得られない。


 ペスカは届けたかった、憎む事では得られない物を。

 ペスカは伝えたかった、抗わなければ得られない物を。

 

「神の恩恵を失った大地で、生きるのは辛いでしょう。あなたは自分達を見捨てた神を、憎みますか? それとも他人を羨み、奪うのですか? 子供の為と涙を流し、他人を殺すのですか? 死を受け入れ、ただ漠然とその時を待つのですか? 漫然と時を過ごし、ただ不幸を呪うのですか?」


 仕方ないじゃないか!

 誰も助けてくれない!

 子供を助けなくちゃいけない、しょうがない!

 両親が病気で倒れている、誰が救ってくれる!


 ペスカの言葉は、人々の心に少しずつ怒りを灯す。どれだけ言葉を重ねても、所詮は綺麗事なのだ。

 言葉で腹は膨らまない。言葉で病気は癒せない。


 特に投げやりになった人々には、受け入れ難い事実であった。各地で罵声が上がり始める。野次の様な声は、連鎖的に広がっていく。

 悪意は、未だ消えない。

 

 そして、ただ茫然としていた人々に、怒りが生まれた。ただ死を待つだけの、生ける屍の瞳に、炎が灯り始めた。


「私の両親は、二十年前の騒乱で命を落としました。兄妹も同様です。養子として育ててくれた義父も、義兄も戦いで命を落としました。エルラフィアで家族と呼べる存在は、もう一人しか残されていません。私は病の中で、家族を助ける事は出来ませんでした」


 一部の者しか知らない、思い出したくもない辛い過去を、ペスカは語って聞かせた。


「私はこの世界で、様々な物を生み出しました。けどそれは、家族の支えがあったからこそです。私を温かく受け入れてくれた家族を、離れても私の身を案じ続けてくれた家族を、私は守れなかった。悔しかった、何も出来ない自分が恨めしかった!」


 ペスカの口調は、徐々に強くなっていった。

 思い出す度に、悲しくなる。堪えられない憤りが蘇る。それでもペスカは語った。

 

 野次の声は未だ止まない。

 しかし知られざる英雄の過去を知り、拡声器から流れる声に耳を傾ける者は、増えていった。

 

「私は無力でした。そして、直ぐに命を落としました。女神の力で、異界で転生しました。ですが異界の地でも、私は無力でした。何も出来ない私は、守ってもらうだけでした。何も知らない異界で、守ってくれたのは、血の繋がらない兄でした。どんな時も兄は守ってくれました、真剣に叱ってくれました、優しく慰めてくれました。私は兄に家族の大切さを、改めて教えて貰いました」


 ペスカは想いを籠めて語った。

 人は誰もが、守り守られる。その事を忘れて欲しくない。

 大切なものを守りたい。それは、尊い想いなのだから。


 ペスカの声に耳を傾ける者は、更に増していった。

 誰にもある温かい心。ある者は子を想い、ある者は恋人を想った。

 

「あなたには大切な人が居ますか? 大切な人の為に、他人の大切な人を傷つける。それは本当に正しい事ですか?」


 心の底に押し込めた罪悪感が顔を出し、多くの人がペスカの声に俯いた。

 

「私は兄を尊敬しています。守ってくれた分、恩返しがしたいと思っています。しかし、どんな手段を使っても良いなんて事は有りません。他人を陥れても、兄は感謝してくれません。もし、そんな事をすれば、兄は二度と私に笑顔を向けてくれないでしょう。私は他人を陥れたいのではありません。私はただ、兄の笑顔が見たいのです!」


 痛かった。ただ、ただ、痛かった。耳を塞ぎたかった。だけど蘇って来るのは、暗い過去。

 人を殺して良いはずがない。それを正義にして、良いはずがない。

 愛する者を救う為にした事で、他人の愛する者を奪う。それを許されてはいけない。

 

 ペスカの言葉に、涙を流し頭を地に擦り付ける者が現れた。

 謝罪しても、償えるはずがない。しかし溢れた涙は、止められなかった。

 次第に罵声が止んでいく。


「私が病んだ時は、兄は懸命に看病してくれました。助けようと必死になってくれました。兄の想いを感じたから、私は生きたいと願いました。かつての私は、絶望していました。だから、病魔には勝てなかった! 決して諦めてはいけなかった!」


 絶望し、死を受け入れる者は多い。

 どうせ救われないのだからと、生きる気力を無くし、朽ちるのを待つ。

 しかしペスカの言葉は、そんな者達の心にも響いた。そして、誰もが拡声器に耳を傾けていく。


「神の恩恵が無くても、抗っている人達がいます。あなたの為に、手を差し伸べようとしている人達がいます。諦めてない人たちがいます。どうか、あなたも諦めないで!」


 ペスカは声を荒げた。今までで一番強く。

 そしてペスカは、大きく息を吸い、呼吸を整える。


「あなたの目の前には、誰が居ますか? 愛しい人ですか? 家族ですか? 愛しい人の為に、手を汚してはいけない! 悲しみを連鎖させてはいけない。先の戦いで、多くの人が亡くなりました。邪悪な神に惑わされ、我々は人間同士で争いました。邪悪な神は、異形の怪物を生み出しました。人の死体も操りました。邪悪な神はなぜ生まれるかわかりますか?」


 問われてもわかるはずがない。人々が首を傾げる中で、ペスカは言葉を続けた。


「怒り、憎しみ、嫉妬、恨み、そんな人の悪感情が、邪悪な神を生み出すのです。わかりますか? あの大量の死者を出した邪悪な神、それを生み出したのは人間です!」


 耳を傾けていた人々は、肌を粟立てた。

 感情が人を殺す邪悪な神を生む。それを恐怖しない者は、存在しないだろう。

 そして人々は困惑した。だがペスカは、言葉を止めなかった。


「あなたに守りたい人がいますか? ならば、その人を抱きしめて下さい! もし離れているなら、大切な人の無事を祈って下さい。あなたに守りたい人がいる様に、あなたを守りたい人がいるはずです。そしてあなたは、守られなくてはならない! 決して諦めてはならない! 生きろ! 生きろ! 生きろぉ!」


 ペスカは、喉を枯らすほどに叫んでいた。


「人は愛されて生まれる。あなたは愛の結晶! 決して投げ出して良い命など無い! 決して奪って良い命など無い!」


 ペスカの声は、大陸中に響き渡り、人々の心に深く突き刺さる。


「ここは意思の世界ロイスマリア! 悪意が悪意で返って来る様に、善意もまた善意で返ってきます。私は見たい、もう二度と邪悪な神の生まれない世界を! 立ち上がれ、人間達よ!」 


 弱った足で、震える足で人々が立ち上がり始める。勇気の灯が、人々の心に灯り始める。

 

「いずれ神は、この世界に戻ります。しかし、神の恩恵に甘んじるだけでは、何も変わらない! だから皆で戦おう! 愛する人を守る為、皆が幸せに暮らせる世界を作る為! 我々が暮らす世界は、我々で作らなければならない! 皆で作ろう! だから、立ち上がれ!」


 少し前は、何の反応も無かった。それが罵声に変わった。そして今、歓声が各地で起きている。

 世界はこの瞬間、確実に再生を始めた。

 人間達は神の手を離れ、自らの足で歩み始めた。

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