第238話 神々の救出
神気がかき消された。
奔流の様にぶつかり合う神気によって、神の世界はグラグラと揺れていた。
力の弱い多くの神々が、耐えきれずに消滅する。それがまるで嘘だったかの様に、神の世界には静寂が訪れた。
それは、原初の神々に大きな衝撃を与えた。
何よりもこの事態を引き起こしたのは、一人の半神。つい先頃、アルキエルによって惨殺された冬也である。
ロイスマリアと神の世界が、切り離されるきっかけともなった張本人が、なぜ五体満足で立っている。全ての神が出入り出来ない閉ざされた空間に、なぜ冬也が入る事が出来たのか。
事態が呑み込めずに、多くの神が呆然としていた。
暫しの沈黙の後、ようやく出た言葉は、女神フィアーナの一言であった。
「と、冬也君なの? なんでここに?」
「なんでって、助けに来たぜお袋」
「でもどうやってここに? いや、それより早く逃げなさい!」
「追い詰められて、頭が悪くなったのか? 神の連中が地上に戻らないと、困るんだよ!」
「だからって、どうやってここに来れたの?」
「それは、私から説明してあげるよフィアーナ様」
更には、聞きなれた愛らしくも元気な声が響く。女神フィアーナは、頭を抱える程に混乱した。
そして、冬也は柔らかな笑みを称えて、静かに口を開く。
「ペスカ。無事そうだな」
「ちっとも無事じゃないよ、お兄ちゃん。泣いちゃいそうだったよ」
「そうか。お前を泣かした奴には、お仕置きが必要だな」
見つめ合い、笑みを深める兄妹。だが、その再会を邪魔するかの様に声が響いた。
当然だ、今がどの様な状況だと思っている。世界の終末を賭けた戦の最中なのだ、兄妹が再会を喜ぶ暇など有るまい。
「冬也ぁ~! てめぇを待ってたのに、無視するなんて悲しいじゃねぇかよ! 感動の親子対面と兄妹の再会をさせてやったんだ。今度は俺を相手してくれよなぁ!」
「うるせぇよアルキエル」
「にしてもだ、冬也。てめぇはいつまで、そんな脆い肉体に収まってやがる。いつになったら、本気で俺と戦うんだ、あぁ?」
「わかってねぇなアルキエル。そこがお前の限界だ。神という枠に縛られている時点で、俺には絶対に勝てねぇ!」
「なら証明見せろよ冬也!」
「あぁ。望み通りにしてやるよ」
冬也は神剣を出さずに徒手で構える。
慣れない剣や魔法の戦いに置いてこそ、冬也は敗北を重ねた。しかし幼い頃から鍛え上げられた、素手による戦いこそ冬也本来のスタイルである。
相手を制するならば、殺傷能力は必要ない。相手を打ち倒す事が、重要なのではない。
勝負において、重要なのは己の心に打ち勝つ事である。
人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり。
古の武人が残した言葉の様に。
アルキエルと相対する、冬也の心は凪いでいた。
僅かな波すら起こらず、波紋すら起きず、遥か下の水底まで見える様に透明に透き通り、全てを見通していた。
そして、アルキエルが剛腕を振るう。反フィアーナ派を壊滅させた、暴力的な一撃が冬也を襲う。
しかし、冬也は軽々と往なす。アルキエルがありったけの神気を籠めて、蹴りを放つ。冬也はそれも軽々と往なした。
アルキエルは、強烈な神気を体から放ち続けている。冬也の神気は、アルキエルの神気とぶつかり合う事はない。
柔らかく、冬也はアルキエルの神気を受け流す。
「冬也! てめぇ、何してやがる! 本気で戦えよ! 馬鹿にしてんのか!」
「まだわかんねぇのか、アルキエル。お前の限界はそこだって言ってんだ」
「ふざけんじゃねぇぞ! 俺がどれだけ待ったと思ってんだ! これは殺し合いだろうがぁ!」
尚も、激しく振るわれるアルキエルの拳。何度放とうとも、冬也に当たる事はない。冬也を傷付ける事はない。
アルキエルの苛立ちは増した。
己の存在を賭けて、神々との戦いに挑んだアルキエル。
ロイスマリアとの繋がりが途絶え、消滅すれば復活は望めない状態で、神々を相手取り冬也の復活を待っていた。
足りない。
アルキエルの戦いに対する渇望は満たせない。待ち望んだ冬也との戦いである、それなのになぜ。
怒りに我を忘れて拳を振るうアルキエル。だが、冬也には全てが見えていた。拳や蹴りの軌道、この戦いの結果までもが。
「がぁあああ! くそっくそぉおおお!」
吠えても、叫んでも変わる事の無い結果。冬也はアルキエルを憐れむ様に見据える。
「アルキエル。お前も救ってやるよ」
冬也とアルキエルの激しい戦いが続く中、ペスカは生き残った神々を導こうとしていた。
滅びを覚悟した神々にとって、ペスカの選択は余りにも酷な事だろう。そんな事はペスカとて百も承知である。
しかし世界を守るには、神の存在は不可欠である。
「え~っとさ。ここから、みんなで逃げるんだよ。わかる?」
「ペスカちゃん! あなた、自分の言ってる事がわかってる?」
「わかってるよフィアーナ様。寧ろ現実を直視してないのは、フィアーナ様達じゃない。ロイスマリアとそこで暮らす者達を見捨てて、こんな所で何やってんの?」
ペスカの問に、女神フィアーナはか細く悲し気な声で呟いた。
「そうするしかなかったのよ!」
切実な響きだった。
世界を放棄し生者を見捨てて尚、自らの存在と共に神の世界に全てを封じる。それが女神フィアーナが、悩んだ末に出した答えである。
「簡単に諦めちゃえる程、フィアーナ様達にとって、この世界は軽かったの?」
ペスカの問いかけに、女神フィアーナを始め多くの原初の神々が、唇を噛みしめた。
一から創り上げた世界を、自らの手で崩壊させたくはない。
当たり前の事だ。だが、仕方がない。それしかアルキエルや、反フィアーナ派を止める方法が浮かばない。
誰もが納得して、アルキエルと戦っていた。そして、納得して消滅していった。
「勝手に諦めないでよ、神様のくせにさ。生まれ変わったって、同じ世界は二つも無いんだよ! 私はロイスマリアを守るよ、フィアーナ様達はどうなの?」
「ふざけんじゃないわよ、小娘! 私達がどんな思いでここに居ると思ってるのよ!」
堪らず声を荒げる女神ミュール。しかしその声は、ペスカにとって幼児の癇癪にしか思えなかった。
「ミュール様、そんなスカスカの神気で何か出来ると思ってたの? 他のみんなも同じだよ。思い上がりじゃないの? だから、こんな馬鹿な選択しか出来ないんだよ!」
「言いたい放題言うんじゃないわよ! あんたに何がわかるってのよ!」
「あのさ、ミュール様。怒ってるだけじゃ何も始まらないんだよ。それじゃアルキエルと一緒だよ。ロメリアと何も変わらないよ」
「あんなのと一緒にするな!」
「一緒だよ! 一番大事な物を見失って何がしたいの?」
「ふざけるな! 神にもなれない半端者が!」
「少なくとも私は、ここに居る全員を簡単に倒す自信があるよ。いつまで、自分達が上位の存在だと思ってるの? 傲慢だよミュール様」
激高した女神ミュールは、ペスカに殴りかかろうとする。
その女神ミュールを、女神ラアルフィーネが羽交い絞めにして止めた。
「止めなさいミュール」
「止めるんじゃないわよ、ラアルフィーネ!」
「いいから止めなさい! この子の言う事は間違ってない。責任の取り方を私達は間違えた。そう言いたいのよね、ペスカちゃん」
女神ラアルフィーネは、穏やかな視線をペスカに向けた。
「まぁ概ねって感じかな。取り合えずは神の世界から抜け出して、ロイスマリアに戻ろうよ」
「ペスカちゃん。それよりも、あなたと冬也君はどうやってここに来たの? 神は一切通れないはずなのよ。それだけ強固に空間を閉ざしたのよ!」
「やだな、フィアーナ様。忘れたの? 私は神様じゃなくて人間だよ、お兄ちゃんもね!」
ペスカの言葉に、女神フィアーナは目を丸くした。
簡単な抜け穴である。確かにアルキエルを永遠に封じる為に、神の世界を閉ざし神々の出入りを禁じた。だが人間の体を持つペスカと冬也は、この条件では縛れない。
「はぁ。これ以上、あなた達を巻き込まないつもりだったけど、助けられたのね。ありがとうペスカちゃん」
「それで、ペスカちゃん。どうやってここから出るの。神の世界をロイスマリアと繋げる訳にはいかないわよ」
「ラアルフィーネ様。例えもう一度世界を繋げても、アルキエルはここから出ませんよ。お兄ちゃんが居る限り」
「その為の冬也君って事? 参ったわ」
「そうね、ラアルフィーネ」
女神フィアーナと女神ラアルフィーネが頷き合う。そして、二柱の女神は原初の神々を見渡した。神々も二柱の女神同様に、頷いていた。
ただ、一柱の女神だけが、納得がいかずに憤りを治められずにいた。
「何を言ってるのよ! アルキエルはどうするの? あいつを消滅させない限り、私は納得出来ないわよ!」
怒りが治まらない。女神ミュールからすれば、仕方無い事かもしれない。それだけの事を、アルキエルにされたのだ。
報復したい気持ちは、理解が出来る。ペスカは、ゆっくりと女神ミュールに歩み寄ると、優しく諭す様に話し始めた。
「ミュール様、それじゃあ終わらないんだよ怨嗟はね。タールカールの悲劇から何を学んだの?」
「まさか、アルキエルを許せとでも? あんたはアルキエルにやられてビビってるのかい?」
「違いますよ。アルキエルを倒すなんて、今の私達には造作もないです。だけど、倒したら必ず平和が来ますか? 違います、アルキエルは何度でも蘇りますよ。蘇る度に強くなりますよ。その内、この宇宙を滅ぼす位に強くなっちゃうかもしれませんよ。その時ミュール様は、アルキエルを止められますか? 必要なのは報復じゃないんです。アルキエルもあなた達と同じ神なんです」
「敵わないから許せって?」
「そうじゃないです。認めろって言ってるんです。ドラグスメリアは弱肉強食の大地でした。でもちゃんと守るべき決まりが有って、皆はそれを誇りにしてました。だから、余計な殺生が起こらない。わかりますよね? ミュール様が定めた法ですよ」
「それは・・・」
女神ミュールは、それ以上ペスカに反論が出来なかった。
我儘なのは、わかっている。だけど、抑えきれない、納得がいかない。そして、理解も出来ない。何故、目の前の娘は殺されても尚、相手を許すと言うのか、許す事が出来るのか。
自分には出来ない、この娘には叶わない。
「強いわね、あんた。私もペスカに従うよ」
そして、全ての神がペスカに同意する。女神フィアーナは、残り僅かとなった神気を解放した。
世界が再び繋がる。それは、ロイスマリアの再生の始まりであった。
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