第206話 逃れる邪神と溢れるモンスター

 ペスカの到着で、事態はやや好転した。

 結界の崩壊、冬也の敗北から始まった大陸東部の戦いは、邪神の勢力を増すだけの絶望的な状況であった。

 そこに現れたのは、女神セリュシュオネの眷属として生まれ変わった、クロノス。しかし当のクロノスは、眷属となったばかりで神気を碌に使えない。


 当初クロノスは、冬也の治療を行う時間だけでも、稼げれば良いと考えていた。しかし、ペスカはこの場における状況を利用した。

 そして、クロノスは瞬時にペスカの意図を理解した。


 女神セリュシュオネが、クロノスに持たせた浄化の剣は、急ごしらえで作った簡素なもの。効果が一時間も続けば、良好な程の出来栄えである。

 ペスカが浄化の剣に上乗せしたのは、邪気をマナに変換し大地に戻す効果である。そして術式が完成するまでの間、協力して邪神から注意を引き付ける様な行動を取った。

 結果的に、一時的とは言え、邪神を封じる事に成功した。そして邪神が神々から奪った力は、少しずつ大地に還っていく。


 ペスカとクロノスが行ったのは、邪神攻略への体制が整わない状況での、時間稼ぎだけではない。少しでも邪神の力を削ぎ、攻略の糸口とする為の布石である。

 ただ、そんな時間稼ぎがいつまで続けられるか。絶望の時間は、また直ぐに訪れるだろう。

 その為にも、致命傷を受けた冬也の戦線復帰は、第一に優先される。

 

「許されると思うなよ! 殺す、殺し尽くす。生き物全てを滅ぼし尽くす! 神々もなぁ! 先ずは、貴様らからだ。見せしめだ! 僕に逆らったらどうなるかどうなるか、わからせてやる。貴様らは、二度と転生出来ない様に、神格を砕く。それでお終いだ!」


 邪神は怒りに満ちていた。

 醜悪な容姿は、更に醜さを増す。邪神の怒りに呼応するように、大陸東部から邪気が溢れた。既に大陸東部は邪神の領域、淀みは耐える事はない。

 ペスカの魔法で一時的に浄化された邪神の周囲は、あっという間に悪意に塗れる。


 結界で周囲を囲ったのは、外部に影響を漏らさない為である。内部では、呼吸も困難な程に、濁った大気が満ちている。

 この中では、立っている事が奇跡だと言えよう。正式な神では無く唯の眷属である、クロノスが立っていられるのは、女神セリュシュオネの力に守られているからに相違ない。その絶大な加護が無ければ、消滅しても仕方がない。

 冬也の治療が遅々として進まないのも、周囲に溢れた邪気の影響であろう。


 ペスカとて、大陸北部の大地に神気を注いだばかりで、神気が有り余っている訳ではない。邪神の優勢は、何も変わってはいなかった。

 もしこの場で、モンスターが増殖したら、ペスカでも対処のしようがない。ペスカとクロノスは、最悪の状況を回避する為に、邪神を挑発し続けていた。


「クロノスの役立たず感が半端ない。ほんとに何しに来たわけ?」

「ドラゴンとは、元の種族が違う。普通は、直ぐに神気が使える様にはならん。馬鹿なのか小娘!」

「私は使えましたぁ~! お兄ちゃんもですぅ~! そもそも、神気が使えない事を偉いそうに言う、あんたがばぁ~か!」

「貴様の兄は、女神の血を引いてるからであろうが! 小娘、貴様の場合は偶然使える様になったに過ぎん! 兄の近くに居たから、影響を受けた。所詮はその程度であろうが!」


 邪神など眼中にない。そんなペスカ達の態度は、更に邪神の怒りをかきたてる。

 邪気が広がると共に、邪神の力を魔法陣が吸い、浄化の剣の力を強化する。

 浄化の剣は力に耐えきれず、ミシミシと音を立てる。浄化の剣が作り出す結界も同様に、今にも壊れるかの様に揺らいでいた。

 

 クロノスが展開し、ペスカが上書きした魔法陣は、本来は邪神を拘束するものであり、邪気の浄化は付属的な効果でしかない。

 また、清浄化したマナが大地に戻っても、微々たる量では大地を浄化するには至らない。

 圧倒的不利な攻防が展開される中、ペスカは冬也の回復を待った。


「あんたの力は、所詮借り物なのよ。神々の力を奪った紛い物だよ。知らなかった? 染められた力は元に戻せるし、元も場所に返せるんだよ。残念だったね。あんたが自分の力だと思っているのは、仮初に支配しただけのものだよ。浄化槽をイメージすれば、簡単に分解できるよ!」


 ペスカは、大声で邪神に向かい言い放つ。対して邪神は、怒りを沸騰させ、膨大な邪気を放ち続ける邪神。


 大きすぎる邪神の力を浄化しきれずに、魔法陣は限界を超えようとしている。当然、浄化の剣や結界も、既に限界を迎えている。

 これ以上、邪神を挑発して力を増す事になれば、返って逆効果となり得る。

 ただ、ペスカの言葉に籠められた真意は、邪神に向けてのものではない。そして、その真意を理解した者は、ペスカの後方でゆっくりと立ち上がった。


「ありがとなペスカ、やり方はわかった。もうてめぇには好きにさせねぇぞ、糞野郎!」


 冬也は神剣を取り出すと、力の流れを意識した。神剣に神気を籠めていた、今までとは真逆の方法。神剣から自分の体内を流れて、踏みしめる大地へ。


 それは、ペスカの言葉にあった浄化槽という言葉をヒントに、冬也が思いついた新しい戦い方。神剣で邪気をろ過し、自らの体内を通し不純物を排出する。そして清浄化したマナは、冬也の足から大地に流れていく。

 

 冬也は神剣を空中で振る。

 邪神の異界により、飽和状態になっていた周囲の邪気が消えていく。それはまるで、意趣返しの様な光景であった。

 それでも、起死回生の一手には至らない。歴然とした力の差は、埋まらない。

 浄化の剣にひびが入り、結界が消え失せる。そして魔法陣が消失し、邪神の拘束が解かれた。

 しかし、冬也は動じなかった。

 

 邪神の拘束が解けた瞬間、山の神がクロノスを庇う様に立ち回る。ペスカは、自らの身を守るように、自身に結界を張り巡らせた。


「どいつからだ? 殺して欲しいのは、どいつからだぁ!」

「俺が相手をしてやるよ。糞野郎! かかって来いよ!」

「さっき、あれだけ力の差を見せてやったのに、懲りない奴だ! そんなに早く死にたいなら、貴様から殺してやる!」

 

 邪神は、声を荒げて激しい怒りを表す。

 しかし、先ほど相対した時と、状況は完全に異なる。

 冬也を縛り付けていた邪気は、かなりの量が浄化されて薄らいでいる。また浄化をする際に、自らの神気を回復していた冬也には、力が戻りつつあった


 冬也の神剣は、周囲を浄化しながら邪神へ降り下ろされる。流石の邪神も避けざるを得ない。だが、躱しきれずに邪神の体に、神剣が掠める。

 そして冬也の神剣に、力をごっそりと奪われる感覚を邪神は味わう。


 冬也が神剣を振るう度に、大気や大地が元の姿を取り戻していく。悪臭に塗れた、淀んだ世界を清浄化させていく。


 それでも、自分の有利は変わらない。それでも、自分の勝利は揺るがない。

 邪神は絶対な自信を持っていた。

 しかし、ほんの少し不安が過る、最大の脅威は半神のガキ。邪神は確実に、焦りを感じ始めていた。


「ハハ、ハハハ。面白いよ。最高に面白いよ。せっかくだから、もっと遊んであげる事にしたよ」

「何言ってんの! 上手く言ったつもりだろうけど、お兄ちゃんにビビッて、逃げんのバレバレだよ!」

「何とでも良いなよ。どうせ、生き残れやしないんだ。誰もね」


 邪神は影の中に入る様にして、姿を消す。その一瞬の出来事は、冬也にすら止める事が出来なかった。

 次の瞬間には、大陸東部全体にモンスターが姿を現した。


 見渡す限りのモンスターの渦。見る限り、凶悪さは大陸北部のモンスターとは比較にならない。

 

「おいクロノス。お前、碌に神気が使えねぇなら、早く帰れ!」

 

 流石に手に余る状況を慮り、冬也はクロノスに声をかける。しかし、クロノスは苦笑いを浮かべた。

 

「残念ながら、帰るだけの神気を持ち合わせていなくてね。セリュシオネ様が迎えに来て下さらなければ、帰れないんだよ」

「じゃあ、早く迎えに来て貰えよ!」

「私がそれを言うとでも? 時が来れば、迎えにいらっしゃる。セリュシオネ様が居られないのは、まだ帰るなと言う事だ」

「めんどくせぇ主従だなぁ。もうちっと、何とかなんねぇのかよ!」


 クラウスの答えに、冬也は眉を顰める。

 だが直ぐに、モンスターに囲まれて戦う、山の神とペスカから、避難の声が上がる。


「冬也、言ってる場合か! 早う戦わんか!」

「そうだよ、お兄ちゃん! 流石に呑気にしてる暇ないって!」


 結界が消え、遮るものが無くなったモンスターは、当然の如く大陸全土に溢れていく。大陸東部の戦線は、冬也を始めとした神だけの戦いではなくなった。

 全ての生命を巻き込む、一大戦争へと変わっていく。

 

 逃げた邪神と溢れるモンスター。戦いは、かつてない混乱を呼び寄せる。

 未だ見えない終わりの中で。

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