第188話 ノーヴェを救え

「不味い、スール! 直ぐに引き返せ! 俺を連れて行け!」


 突然、冬也が声を荒げた。

 その声色には、激しい焦燥感が色濃く浮かんでいる。未だ作戦会議の最中に発せられた声は、皆を驚かせた。


「お兄ちゃん? まさか!」

「お前の嫌な予感が当たったみてぇだ! 北のドラゴンが余計な事をしやがった」


 ペスカと風の女神は神気を高め、大陸北部を探る。

 

「どうやら大地を弄り過ぎた様だね。それで、カーラの結界が弱まったのかい。どの道、スライムが大地のマナを食らい尽くしてるなら、時間の問題だったね」

「姐さん、言ってる場合? ノーヴェがヤバイんだよ!」

「ペスカ、お前は予定通りに行動しろ! あの馬鹿なドラゴンと水の女神は、俺に任せておけ」

「まさか、一人で行くの? 無茶しないで、お兄ちゃん!」

「一人じゃねぇだろ、スールが一緒だ」


 そう言うと、冬也はペスカの頭を優しく撫でた。そして間髪入れずに、暴風が吹き荒れる。

 スールが勢いを碌に止める余裕も無く、焦って着地をしたのだ。到着と同時にスールは慌てて声をかける。


「主!」

「わかってる、行くぞ!」

 

 スールの声と共に、冬也はスールの背に飛び乗った。豪風を巻き上げ、スールは飛び立つ。バタバタと暴れる髪を抑えながら、ペスカは冬也を見送る。

 スールは、猛スピードで空を駆ける。そして神気で繋がる冬也とスールは、パスを通じて言葉を交わした。


「申し訳ありません主。同胞のせいで、予定が狂うとは」

「気にすんなスール。最良の方法とは言えねぇが、仕方ねぇだろ。それよりお前は、馬鹿ドラゴンを確保したら、直ぐに離脱しろ。そんで、ペスカと合流するんだ。馬鹿ドラゴンの治療は、風の姐さんに頼め」

「主はどうなさるので?」

「お前のおかげで、空を飛ぶコツみたいなのを理解したんだよ。浮かぶくらいなら出来るだろうよ」

「畏まりました」

「ただなぁスール。お前の眷属は」

「仕方ありません。邪神と共に浄化して頂ければと」


 直ぐに会話が終わりを告げる。

 そして大陸北部の空に、禍々しい気配を纏った黒い影が見える。目を凝らすと禍々しい影は、美しい女神を成している。

 しかし、かつての美しい女神は、禍々しい笑みを浮かべて、神気の欠片も感じない。大気は邪気で満ち溢れ、淀んだように重い。

 空を覆い尽くす黒いドラゴンの群れは、数を増し続ける。黒いドラゴンから放たれる、黒いブレスはノーヴェに数多の傷を付ける。

 体中から血を流し、口から血を吐き、既にノーヴェは飛ぶ事さえ困難な様に見えた。


「スール。ブレスで牽制しろ!」


 冬也の合図で、スールはブレスを放つ。神気を纏ったスールのブレスは、原初のドラゴンとは一線を画す。

 邪神の鼻先を掠め、淀んだ大気を消し飛ばした。


「今だスール!」

「主、ご無事で!」


 冬也はスールから飛び降りる。そして空中で浮かんだまま、姿勢を保った。


「案外やれるもんだな」


 独り言ちると、冬也は神剣を取り出した。そして冬也は神気を高める。その高めた神気で、邪神の視線を引き付けた。


「おい! かかって来いよ糞野郎の偽物! そんな雑魚じゃなくて、俺が相手してやるよ」


 冬也の挑発に、邪神は女神の顔を歪ませる。邪神の視線が冬也に向いた瞬間に、スールが素早い動きでノーヴェを捕まえる。


「ス、スールか? お前」

「喋るなノーヴェ。傷が広がるぞ。後は儂らに任せておけ」


 血だらけで、意識を何とか保っていたノーヴェは、スールに抱えられた瞬間に意識を失う。スールはノーヴェを抱えて、大陸西部に向い飛び去った。

 

 不意を突かれた邪神は、怒りの形相を浮かべ、スールを追いかけようと飛ぶ。しかし、それは冬也が許さない。神剣から放たれる光刃が、邪神の行く手を塞いだ。

 獲物を奪われ、邪神は更に顔を歪める。女神の体から澱みが溢れる。澱みに惹かれる様に、黒いドラゴンが集まった。


 大陸北部の空を埋め尽くさんとする黒いドラゴンは、光を遮り暗闇を作り出す。ノーヴェすら及ばなかった大軍、その圧倒的な戦力差を前にしても、冬也には一切の動揺が無い。


 冬也は神剣を横薙ぎに振るう。だが、先の様に光刃が飛ばない。その代わりに、黒いドラゴン達の胴がずれた。

 真一文字に降られた神剣の切先、その延長線上にいた黒いドラゴンの大軍が、横一線に斬られたのだ。


 黒いドラゴンの大軍は、斬られた事を気が付かないのだろうか。冬也に向おうと試みる。しかし動く事は叶わない。黒いドラゴン達の胴体がゆっくりと二つに割れていく。

 一瞬、そしてただの一振り。東の空を真っ黒に染めていた黒いドラゴンは、瞬く間に消滅していった。

    

「あの雑魚と同じにすんな! 数を揃えれば、勝てると思うんじゃねぇよ。今度はてめえがかかって来いよ、偽物野郎!」

「何度目だ、何度目だぁ! 僕の邪魔をするのは、何度目だぁ! お前はいつも僕の食事を邪魔する! 許さんぞ~!」

「へぇ、記憶を共有でもしてんのか? なぁもっと教えてくれよ、色々とさぁ」

「調子に乗るな混血風情が! 僕は一にして全、お前の様な半端者とは違うのだ!」

「調子に乗ってんのは、てめぇだろうが! ただの分体を神に引っ付けただけの分際で、偉そうな事をほざいてんじゃねぇ! ぐだぐだ言わねぇで、かかって来いよ!」

 

 ☆ ☆ ☆  


 冬也が邪神と相対している間、スールは高速で空を駆けていた。


 マナが枯渇しかけているスールは、神気を使い空を飛ぶ。

 ようやく神気をコントロール出来る様になったスールは、冬也やペスカの様に他者に分け与える程の神気を持っていない。

 風の女神が行った様な、生物に神の影響を与えない様な治療も、出来るはずが無い。今のスールには、ノーヴェを風の女神に託すしかない。

 気を失ったノーヴェをいち早く治療させる。その為に、全力で飛んでいた。

    

「大丈夫じゃ、直ぐに治療をしてやる。まだ逝くなノーヴェ!」


 ノーヴェを励ましながら、行きよりも早い速度で大陸西部に辿り着く。そして静かに降下し、ノーヴェを大地にそっと下ろした。

 そしてスールは、焦った表情で口を開く。しかしスールが言葉を発する前に、待ち構えていた様にペスカが声を上げた。 


「姐さん、ごー!」

「ごーじゃないわよ、あんた! なめてんのかい?」

「もぅ、わがまま言わないで早く回復! ミュール様の手下がピンチだよ!」

「チッ、仕方ないね」


 風の女神が神気を高めると共に、ノーヴェの傷が癒えていく。

 外傷が癒えたとて、致命傷を受けたのだ。失った意識は、暫く戻る事は無いだろう。ひとまずノーヴェの治療を終えた風の女神は、ペスカに視線を送った。


「あんたも、神気で治療するくらい出来る様になりなさいよ! この未熟者!」

「だって神気に目覚めたのは、ついこの間なんだもん」

「だったら、覚えな小娘!」

「うん。見てて何と無くわかったから、今度は私がやるよ」


 ペスカの返しに、風の女神は少しギョットした表情を浮かべた。


 冬也がスールを治療した際は、体を神気で染め上げて自己治癒能力を高め、回復を促した。その結果、治癒された者がどうなるか。答えは簡単である、神の眷属となるのだ。

 それは、他者に流し込むだけの神気を保有する、冬也だから可能だった強引な回復方法である。


 神の力は強大故に、扱いが難しい。その力で地上の生物に干渉すれば、少なからず地上の生物に影響を及ぼす。

 神気が芽生えたばかりの未熟者なら、上手く扱えないのも無理はない。影響を与えない様に干渉するのは、相当な慣れが必要になる。

 それをただ見ただけで真似るなど、原初の神でも難しいと言えよう。

 

 ペスカは、紛う事なく天才である。それは人間の身で、邪神ロメリアを倒した事で証明されている。もしかすると、現存する全ての神を超える存在になるかも知れない。

 風の女神には、そんな予感が過っていた。

 

 そんな風の女神を気にも留めず、ペスカはスールに視線を向ける。


「スール。悪いんだけど、直ぐにお兄ちゃんのサポートに戻って」

「そのつもりです、ペスカ様」

「何だか嫌な予感がするんだよ」

「同感ですペスカ様。儂にもです」


 予想を上回る事態に、ペスカとスールは警戒を強める。そして戦いの場は、冬也のいる大陸北部へ移る。

 試練の時は続き、未だ終わりの鐘は鳴らない。邪神と対峙する冬也は、その妄執と残酷さを知る。

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