第187話 ノーヴェの戦い

 大陸北部は、黒いスライムに呑み込まれようとしていた。

 大陸北部から、逃げる事が出来た魔獣は幸運だった。黒いスライムが通った後は何も残らず、また大地に有る全てが食料かの様に、様々なものを食らいつくしエネルギーに変えていく。

 密林の木々や動物も虫、大陸北部から消えていく。


 黒いスライムは増殖を続け、大地を真っ黒に染め上げていく。一歩づつ確実に、大地が死んでいく。そんな中、懸命に抗う者がいた。

 原始のドラゴンとして、神から世界の守護を託させた地上最強の生物。その名もノーヴェ。

 

 ノーヴェは、神の手で最初に生み出された生物として、長い時を生きて来た。

 ロイスマリア最古にして最強の生物は、伊達では無い。地上の生物相手に、本気で戦った事は記憶に無い。そのブレスは、国を一つ簡単に消し去る。そのマナはほとんど尽きる事が無く、魔法は天を割くほどの威力を持つ。


 そう。長い生涯の中で、自分の力が通用しなかった事など、ただの一度として無かった。その強大な力が通用しない相手である事が、大きな問題であるのだ。


 元々スライムは、知能が低く臆病な性格である。それ故に手強い。死の危機に際し分裂をする。それは種を残す為の本能であろう。元来、物理攻撃が通じ辛い生物なのだ。

 だがそれは、普通のスライムを、一般の魔獣が相手にした場合である。


 大陸北部に溢れるスライムは、悪意に染まり魔法の耐性を得た。物理攻撃が効き辛く、魔法の耐性もある。そうなれば、倒す手段は限られる。

 分裂の速度を超える速さで攻撃を加えれば、分裂を止める事も可能であろう。しかし、黒く染まったスライムは、普通のスライムよりも分裂速度が速い。


 ノーヴェのブレスが通用しない訳では無い。ノーヴェのブレスよりも、黒いスライム増殖速度がノーヴェのブレスを超えているのだ。


「くそっ。精々広げない様にするのが精一杯ってか? 冗談じゃねぇぞ! 俺様のブレスが通じないなんてよぅ!」


 悪態をつく様に、ノーヴェは息巻いた。打つ手がない事に苛立っていた。

 自分の眷属は、避難する魔獣達の引率に当たらせている。唯一この場に残るのは、スールの眷属が一体のみ。

 スールの眷属には、神の力を借りる様に命じたが、無理であろう。何せ、神の気配など大陸北部から一切感じないのだから。

 しかし、手を尽くさない訳にはいかない。

 

 守るのだ、この大陸を。何としても、ここから奴らを広げてはならない。


 ノーヴェは、大きく深く息を吸った。そして渾身のブレスを吐く。光り輝くブレスが、大地を埋める黒いスライムに降り注ぐ。

 大気が震える、大地が鳴り響く、まるで大陸が悲鳴を上げている。それは、大地すら破壊しかねない、ノーヴェの本気であった。


 渾身の一撃を受けて、大地は地震が起きた様に大きく揺れている。だが、ノーヴェは悔し気に、顔を歪めた。

 ノーヴェが本気でブレスを放ったのだ。直接大地に当たれば、陥没どころでは済まない。大陸北部を消滅させてもおかしくない程の威力なのだ。

 増殖を続ける黒いスライムは、全てを破壊されるはずだった。しかし大地はただ揺れるだけ、まるで黒いスライムが衝撃を吸収したかの様に。そして、依然として一面が黒いスライムで埋め尽くされている。


 何故、黒いスライムを破壊し尽くす事が出来ない。

 そもそもドラゴンのブレスは、息を吐くという物理現象に、マナを乗せている。所謂、物理攻撃と魔法攻撃の両面を兼ね備えている最強の攻撃手段なのだ。

 如何に魔法の耐性を持とうが、通用しないはずが無い。神でもあるまいし、地上の生物にノーヴェの攻撃を防ぐ事は出来ない。


 だがノーヴェは、心得違いをしていた。スライムは、個にして全、全にして個。そしてスライムは、経験と記憶を共有する。

 故に、ブレスを受け続けて来た黒いスライムは、ブレス攻撃への耐性が強まっていた。


 即ち、物理と魔法、両方の無効化である。そして黒いスライムの進化は、留まる事を知らない。それは、ノーヴェにとって、いや全ての生物にとって悪夢の様な出来事であった。


 ノーヴェは、ある仮設を立てていた。そして、試しに二種類の魔法を唱えた。

 魔法が通じない事は、もうわかっている。ノーヴェが確認したかったのは、黒いスライム達にどんな現象が起きているのか、その一点である。

 攻撃が無効化されているのであれば、攻撃手段を改めなくてはならない。


 最初に放ったのは、魔法を使った間接的な物理攻撃であった。魔法で風を巻き起こす、風によってとばされた瓦礫で、黒いスライムに攻撃をする。

 無数の瓦礫が黒いスライムに飛ぶ、黒いスライムは瓦礫を受けても分裂する事は無く、ゼリー状の体を少し揺らしただけで、ダメージを受けた感じは見られない。


 次にノーヴェが行ったのは、結界の構築。黒いスライムが前進する方角に向けて、結界を張った。万が一、黒いスライムがマナを吸収しているのなら、成す術が無くなる。そして悪夢は的中した。


 黒いスライムは揺れながら体を動かし、結界を飲み込む様に溶かしていく。


 最後にノーヴェは、極力マナを込めずにブレスを放つ。

 ノーヴェは、命中した瞬間を凝視していた。黒いスライムが、結界と同様にブレスの中に含まれるマナを食らう様な動作をしたのを、ノーヴェは見逃さなかった。

  

「面倒だな。こいつ等は普通のスライムと全く違う。物理攻撃を無効化して、マナを吸収するのかよ。倒しようがねぇぞ!」


 ノーヴェは上空高くに上昇する。倒せないなら、せめて足止めをするしかない。俯瞰する様に大陸北部を見渡すと、呪文を唱え始めた。


「大地よ我に力を。汝を汚す罪深き者を閉じ込めよ。女神ミュールよ我に力を。その力で、悪しき者を封じよ」


 ノーヴェのマナが大地を動かす。大陸北部の周辺から、大地が迫り上っていく。山の様に隆起していく大地は、巨大な壁の様に大陸北部を包み込む。


 スライムは、その身を動かしどんな隙間にも入り込む、伝う箇所があれば上下左右構わずに進める。おまけに結界を張っても、黒いスライムを止められない。

 強固な壁を作っても、いずれは乗り越えてしまうだろう。それならば、大地ごとドーム状に包もう。


 大陸北部を包む程の、広大な大地を動かしたのだ。底なしに近いノーヴェのマナは、かなりの量が失われている。しかし、ノーヴェは呪文を止めない。


「動け、動け、己が身を動かせ。封じよ、封じよ、邪悪を封じよ。その身は固く何者にも壊せない。その身は」

 

 だが、突然にノーヴェの呪文が途切れる。意識を集中していた、ノーヴェは後方から現れたそれに、気がつかなかった。


 ノーヴェは、背に鈍痛を感じた。そして黒いブレスが、次々とノーヴェを襲う。ノーヴェが振り向くと、後方には黒いドラゴンが空を埋め尽くしていた。東側の空は真っ黒に染まり、狂気が渦巻いていた。


「くそっ、もう少しだったってのに」


 黒いスライムは、捕食を繰り返し増殖するだけで、攻撃をしてくる事は無かった。しかし、数百では済まないだろう黒いドラゴンは違う。

 明らかに攻撃の意志を持って、ノーヴェに迫る。

 

 自然界に漂うマナを吸収して生きる原初のドラゴン。だが大地に眠るマナは、黒いスライムに吸収しつくされている。回復する手段もままならい状況で、ノーヴェは空を埋め尽くす黒いドラゴンと対峙しなければならない。

 今まさに、ノーヴェは窮地を迎えていた。

 

「流石に、あいつ等もブレスが利かないなんて、堪らねえぞ」


 ノーヴェは、東部の空に向かってブレスを吐く。黒いドラゴンが消滅していく。だが黒いドラゴンは、次々と現れる。

 黒いスライムと異なり、攻撃は通じた。しかし空を埋め尽くす黒いドラゴンは、一向に減る気配が無い。攻撃をすればするほど、マナを失っていく。


 ノーヴェは、徐々に押されていく。少しずつ、黒いドラゴンの攻撃が、ノーヴェの体を傷付けていく。

 痛みに耐えノーヴェは攻撃を繰り返し、群がる黒いドラゴンを消していく。


 地上では黒いスライムが、上空では黒いドラゴン増え続けている。今、奴らを止められるのは自分だけ。

 如何にノーヴェといえど、両方を同時に対処する事は出来ない。


 やがてノーヴェの翼に穴が開く。胴からは血が流れ出す。段々と傷が広がっていく。口からはブレスと共に、血が吐き出される。

 体中に痛みが走る。痛みで気を失いそうになる。苦しい。痛い。だけど・・・。

     

「俺様が倒れる訳にはいかねぇんだよ!」


 ノーヴェは、己を鼓舞する様に声を荒げた。しかし運命は、余りに残酷に嘲笑う。

  

「ドラゴンは美味しいね。やはり食べるならドラゴンが良いな。それで、君はどんな味なのかな」


 禍々しい邪気を纏った何かが、地上から浮かんでくる。それは、ノーヴェがたった一度だけ姿を見た事がある水の女神。

 かつて見た時の柔らかな雰囲気は欠片も無く、歪んだ笑みを湛え、ゆっくりと浮かんでくる。


 女神の神気は、まるで感じられない。ただそこに有るのは、狂気、殺意、悪意。そして、水の女神を模した何かは、狂喜した様に口が裂け、おどろおどろしい声を放つ。

 

「さぁ。君はどんな味がするのかな。あぁ但し、抵抗してくれよ。じゃないとつまらないからね」

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