第124話 世界を救う小さな勇気 その1

 邪神ロメリアが神気を開放し、自分の神域を消し飛ばした。

 そもそもこの神域は、クロノスが邪神ロメリアを匿う為に、地上とは空間を隔て作り上げたものである。当初は何も無い空間であった、そこに邪気が溜まり神域へと昇華した。


 隔てられた空間を繋ぐのは、意図的にゲートを開くしか方法は無い。しかし、解放された邪神ロメリアの神気は、隔てられた空間の壁を捻じ曲げ、地上に多大なる影響を及ぼした。

 旧メルドマリューネの首都は、この瞬間に崩壊した。数キロに渡り瓦礫の山が広がり、首都の中心である城も、当然の様に消し飛んでいた。


 瓦礫の山に立つのは、禍々しい瘴気を身に纏った一柱の神だけ。顔を歪め、割けた様な口で高笑いをしていた。


「ほら、やっぱり。やっぱりだよ。僕は間違ってない。間違ってないよ。ハハ、ハハハ、ハハハハハ、ハハハハハハハ。死んだ! 死んだよ、やっと殺した。忌々しいクソガキなんか、僕の力があれば、ゴミ屑同然なんだ。フィアーナ! お前の希望は潰えたぞ!」


 邪神ロメリアは、瓦礫の山を見渡すと手を翳す。


「我が元へ還れ、愛しい忌み子達よ」

   

 瓦礫の山に埋もれていたモンスター達が、肉体を失い邪気に変わる。そして、吸い込まれる様に、邪神ロメリアの中に入っていった。

 邪神ロメリアを包む瘴気は、邪気を吸い込み益々膨れ上がっていった。

 

 邪神ロメリアは、ゆっくりと歩き出す。浄化された大地を再び、邪気で埋め尽くす為に。

 残された足跡は一瞬にして腐り、きつい臭気を漂わせる。邪神から溢れ出る瘴気に触れると、周囲の空気は加速的に禍々しさを取り戻す。


 邪神ロメリアが歩みを進める毎に、世界が壊れていく。大地が、大気が、空が、侵食されていく。

 狂気的な笑みは、更に深みを増す。


 自分の楽しみを尽く潰していった、憎いガキ共をようやく殺したのだ。神々が作り上げた世界が壊れていく事は、この上もない喜びである。

 邪神ロメリアの高揚感は、最高潮に達している。待ち望んでいた瞬間が、今ここにある。踏み出す一歩に、最高の喜びを感じていた。


「あは、あはヒャヒャ! あ゛~、あ゛~。ざいごぅおうだぁ。イャグゥギャハュハハはは」

 

 その口から放たれる言葉は、既に呂律を失くす。邪神ロメリアは、思考を放棄して、愉悦に浸っていた。恍惚の表情を浮かべながら、邪神ロメリアは嚙みしめる様に、歩みを進める。


 足跡を見れば確信に変わる、もう世界は自分の物だと。

 原初の神すら、もう自分には敵わない。もう敵はいない。自分を止める事は、誰にも出来ない。


 だが、邪神ロメリアは、気が付くべきだった。

 自分が誤解をしている事に、自分が見落としている事に。勝利への道を確実にする為には、思考し続けるべきだった。その慢心が、己の足元を揺るがす事に、気が付くべきだった。


 盲目的に信じた勝利の確信を、揺るがそうとする者が、まだそこには残っていた。

  

「止まりなさい! それ以上は行かせない!」


 瓦礫と化した首都に、澄んだ綺麗な声が響き渡る。邪神ロメリアに取って、耳障りでしか無い。その声を追い振り返ると、一人の少女が立っている。


 見た事が有るガキだ。ぼんやりと記憶の片隅に有る少女を思い出そうと、邪神ロメリアは頭を動かす。ようとして頭が働かず、記憶が蘇らない。

 どうでも良い、邪魔をするなら消し去るのみ。

 邪神ロメリアは、本能的に手を翳し、少女に邪気をぶつける。だが、少女が纏う壁に阻まれて、消し去るどころか、傷一つ負わせる事が出来なかった。


 単なる偶然だ。若しくは外しただけだ。

 邪神ロメリアは、働かない頭でそう考え、再び少女に向かい邪気を飛ばす。しかし二度目の攻撃も、少女には届かない。少女を包む壁に届くと同時に、自分の力が打ち消される。


 その時にふと、片隅で埋もれていた記憶が蘇った。

 あれは異界の地で、クソガキ共に紛れていた一人だ。何故ここにいる。いや、それ以前に何故、生きている人間がいる。まぁ良い、消えろ。

 邪神ロメリアは、再び思考を放棄し、少女に向かって己の神気をぶつける様に飛ばす。

 

「あ゛ぁぁぁぁぁぁ~!」


 少女は雄叫びを上げ、邪神ロメリアの神気を打ち消した。それは、邪神ロメリアを驚かせるのに充分であった。

 今なら、大地母神すら簡単に消滅させる自信が有る。何せ、二匹のガキ共を消し飛ばしたのだから。モンスター化した生物達を、尽く取り込んだのだから。

 今はガキ共を消し飛ばした時よりも、力が強まっている。負けるはずが無い。人間一人如きを殺せぬはずが無い。

 

 あれは見た限り、ただの人間だ。あのクソガキ共と違い、特別な才を持たぬ人間のはずだ。なのに何故、自分の神気が打ち消される。何故だ、何故だ、何故だ。


 邪神ロメリアは気がついていない。かつてそれは、自分の神気を回復させる為に、自分が与えた力であった。しかし、同時に異端も生まれていた。少女は、悪意に呑み込まれる事は無かった。そして邪神の支配から離れ、力を己の物とした。


 たまたま起こった偶然かもしれない。取るに足らない事かもしれない。その異端の力は、土地神の神気によって強化され、試練を乗り越える度に高まり、神に対抗する力を持つまでに至っていた。

 その力は、自分に牙を剥けた。


 ☆ ☆ ☆


 異変に気が付いたのは、翔一だった。

 翔一は、車から出していた体の半分を引っ込め、ハッチを閉じると、空に向かって叫ぶ。


「空ちゃん、急いで結界強化!」


 咄嗟に空は、翔一の顔を見た。血相を変えた焦りの表情に、すぐさまオートキャンセルを強化して、衝撃に耐える。


 変化は直ぐに現れる。城が吹き飛び、衝撃で車が吹き飛ばされる。転がり続ける車内で、翔一は空を庇う様に抱き、空は更に結界を強めた。

 衝撃が収まった時には、車は瓦礫に埋もれており、車内は物が散乱していた。戦いで疲れ切っていたクラウスは、咄嗟の状況に対応できず、車内のあちこちに体をぶつけ、気を失っていた。

 

「何か来る。間違いない、これはロメリアだ」

「ペスカちゃんと冬也さんは?」

「ロメリアの瘴気が濃すぎて、わからないんだ」


 空を庇った事で、体のあちこちに打撲を受けた翔一は、痛みを堪えて周囲を探知していた。

 邪神ロメリアの名を聞いた瞬間、空の中に東京での恐怖がまざまざと蘇る。表情はかつてない程に強張り、足はガクガク震え肌は粟立つ。


 空の心の中で、激しい葛藤が起きていた。

 怖い、とっても怖い。嫌だ、逃げたい。でも、守ると決めたんだ。抗う覚悟を決めたんだ。

 

 動け、動け、私の体、うごけ~!

 

 空は、両腿を何度も叩く。鈍い音が、何度も車内に響き渡る。やがて、ゆっくりと空は立ち上がり、翔一に告げる。

  

「工藤先輩、ペスカちゃん達が負けるはず無いんです。あいつは、私が止めます」

「無茶だ、空ちゃん!」

「無茶でもやらなくて、誰があいつを止めるんです? 世界が終わっちゃいますよ! もし、ペスカちゃん達が動けない状況なら、私が足止めしないと。希望は私が繋ぎます」


 翔一は、少し間を置いてから、怒鳴る様に空へ言い放つ。


「僕も闘う。僕にだって、まだやれる事は有る」


 翔一とて、空と同様に恐怖を感じていた。簡単に恐怖を克服する事は、出来なかった。今は、命が助かっただけでも、奇跡の様な状況だろう。


 だが、やらねばならない。その想いが翔一の心を突き動かす。空の言葉が、翔一に勇気を与える。


 日本で暮らしていた時の翔一なら、考えもしなかった。恐らく、助けを待つだけで、抗う事すらしなかっただろう。翔一も空と同様に、立ち上がった。


 ほんの小さな勇気。その勇気こそが、世界を救う架け橋となる。


「工藤先輩は、瓦礫をどけて下さい」

「わかった。空ちゃんは? ってそれ以上は野暮か」

「そうですよ、乙女の覚悟を見せてやります。工藤先輩は、探知を忘れないで下さいね。ペスカちゃん達が困ってるなら、助けてあげないと」

「わかってるよ。やれる事は全部やる。生き残るよ、空ちゃん」


 翔一は横転した車のドアをスライドさせ、掘削機をイメージして、車に覆う瓦礫を取り除いていく。

 そして、地上に顔を出した二人が見たものは、禍々しい瘴気を身に纏った、おどろおどろしい神の姿。その姿を見て、二人の恐怖は更に強まる。

 足の震えは治まらない。一歩を踏み出す事すら、怖くて堪らない。それでも空は、敢然と立ち向かう。そして邪神ロメリアの攻撃を何度も打ち消す。


 完全な計算外が起きている事に気が付いていれば、手の打ちようもあっただろう。

 邪神ロメリアは気が付いていない。自分と空の相性の悪さを。全ての力を打ち消す能力は、邪悪な意思をも通さない。それが、例え神であろうとも。

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