第4話 森からの脱出 その2
ペスカが冬也に施していた、マナを高める訓練の成果が徐々に表れる。冬也は、モンスターが現れると、素早く敵とペスカの間に入り込み魔法を放つ。次々と現れるモンスターを蹴散らしていった。
中には、気配を見せず突然現れ、冬也が先手を取れないモンスターもいた。しかし冬也は、鍛え上げられたその身体能力で、繰り出される攻撃をいなして反撃を行った。引っ切り無しにモンスターから襲われる、冬也の魔法は戦闘を行う度に、精度を上げていった。
地球では有り得ないサイズの昆虫や、獰猛な牙を生やした動物の出現に、流石の冬也もここが異世界なんだと、納得せざるを得なかった。
父親に格闘技を仕込まれた冬也は、戦いの場において立ち回れる、ある程度の実力が有った。しかし、それはあくまでも人を相手にした場合であって、仮に地球上であったとしても、肉食動物と渡り合うものでは無い。生死をかけた戦いの連続は、冬也に過度の緊張を強いる。そして肉体と精神を激しく消耗させていった。
襲い来るモンスターに対し、振るうのは己の拳だけでは無い。未知の力とも言える魔法は、冬也の少年心をくすぐるものでもあった。戦いに慣れ、魔法に慣れる頃には、小型のモンスターは楽々倒せるほどに、冬也は成長していた。
「流石お兄ちゃんだね。やるとは思ってたけど、ここまでやるとはね。恐れ入ったよ」
「あのなぁ、兄ちゃんこれでも、いっぱいいっぱいなんだぞ。まぁ、ちょっとは慣れてきたけどな」
「うんうん。この調子でどんどんいこ~!」
「今の所、小さいのばっかりだから良いけど、デカいの出てきたら流石に無理だぞ」
「お兄ちゃんそれフラグ? まあ、大丈夫だって。そんな大きいのなんて、そうそう出ないよ」
「だから、何でそんな事知ってんだよ」
不安を抱えながらも、ペスカを庇う様に冬也は歩く。やがて少し開けた場所が見えてくる。
「道だよ。お兄ちゃん」
冬也が止める間もなく、ペスカは嬉しそうな声を上げて走り出す。ようやく見つけた森から抜ける手掛かりに、冬也もまた少し浮かれていた。
「あぶねぇぞペスカ。俺から離れんな」
やや跳ねる様なトーンで、冬也はペスカに声をかけると、ペスカの後を追って駈け出した。幼少の頃にサバイバルの経験をした冬也だが、軍人の様な戦闘訓練を積んだ訳では無い。様々な格闘技を叩き込まれたとは言え、一介の高校生である。突然、未知の環境に連れて来られ、緊張の末に見つけた光明である。気を緩めるのも仕方がない事だろう。
「お兄ちゃん、これ道だよ! ちゃんと轍があるよ」
「人が通る道なのか? 轍ってわりに、車にしては随分細いな」
「異世界だよ。車なんて有るわけないでしょ。馬車だよ」
「あ~、つまり、これを辿って行けば、人がいる場所に行けるってことか?」
「そういう事だね。やったねお兄ちゃん!」
「ここまでくれば、先ずは一安心って事か」
やっと一心地ついたと思った矢先の事だった。突然、背後から突風が吹き荒れる。グルァアアア~と低く響く声がする。今までとは明らかに異なる雰囲気を感じ、二人の背中が一気に粟立つ。それは、生死を分かつ警告であったのかもしれない。
振り向くとそこには、冬也の夢に現れたのと酷似した怪物の姿があった。
自分達の身長より、三倍の大きさは有るだろう異形の怪物。赤黒い皮膚に、サソリの様な鋭い尾をしならせ、大きな羽をはためかせていた。そして、ライオンの様な獰猛な歯をむき出しにし、涎をたらしながら、四本脚でこちらへゆっくりと近づいて来る。
今朝見た夢の内容が、冬也の中にフラッシュバックする。そして、冬也の心が警鐘を鳴らす。逃げろ、早く逃げろと。
夢の中で自分達を、死の寸前まで追い込んだ化け物。矮小な人間では、太刀打ちが出来ない凶暴な生物。そんな化け物が、獲物を見る目で自分達を捉えている。
「マンティコア! あんなのが近づいてるのに、私が気が付かないなんて! 不味いよ、お兄ちゃん!」
叫ぶペスカの声が聞こえる。冬也の心臓は早鐘の如く鳴り、足はガタガタと震えて動かない。冬也の心が何度も告げている。
勝てない! 逃げろ! 早く逃げろ! 早く、早く!
冬也は震える足を殴りつけると、ペスカを背中に隠して、マンティコアと向き合った。警告を続ける心の声に背いても、冬也はペスカを守る事を優先した。
もしあの夢が正夢なら、ここで背を向ける訳にはいかない。背を向けた瞬間に、自分達はあの鋭い爪にやられる。今は体を張ってでも、ペスカが逃げる時間を作らなければならない。
相手は、地球に存在しない獰猛な化け物である。少しでも目を逸らせば、次の瞬間には命はない。突然現れた強者を前に否応なく緊張感は高まり、冬也は生き残る手段を懸命に模索した。
命を賭してもペスカを守る。その一心で、冬也はマンティコアに立ち向かった。
マンティコアが翼をはためかせると、激しい突風が吹き荒れる。ペスカと冬也は堪えきれずに、吹き飛ばされて転がる。しかし二人は共に、受け身を取って飛ばされた衝撃を抑えた。
マンティコアは、単に翼をはためかせただけであり、攻撃を仕掛けたのとは程遠い。冬也はマンティコアを見据えた。
あの分厚そうな赤黒い皮膚を、自分の拳で貫けるだろうか。それ以前に、あの暴風を受けた上で、あの鋭い爪を掻い潜り、懐に潜り込めるだろうか。
ただ、一つだけ確実な事があった。力の差は歴然としている、決して逃げ切れない。
やれるかどうかではない! やるしかない! どの道、奴を倒さなければ、ペスカの命はない。
そして冬也は、ペスカに声をかける。
「ペスカ、無事か?」
「大丈夫だよ。パパリンの修行が、こんな所で役立ったよ」
「馬鹿! 呑気な事を言ってねぇで、早く逃げろ!」
「お兄ちゃんは、どうするの? あんなのと戦うの?」
「安心しろ、俺は親父とも互角にやり合える」
「何言ってんのお兄ちゃん。無茶しないで!」
油断をしたつもりは無かった。ほんの一瞬、意識を離した瞬間に、マンティコアは冬也の目の前まで近づき、鋭い爪を振り上げていた。
「危ない、お兄ちゃん!」
ペスカは、悲鳴にも似た叫び声を上げる。冬也は、咄嗟にペスカを突き飛ばす。そして振り下ろされる鋭い爪は、冬也の肩口を引き裂いた。
冬也の肩から吹き飛ぶ様に、血しぶきが溢れ出す。冬也は痛みを堪えて、振り向きざまにマンティコア脇を殴りつける。
一瞬、マンティコアは怯んだものの、再び前足を振り上げる。だが冬也も咄嗟に反応した。振り下ろされる鋭い爪に対し、炎の壁を作り出す。
「喰らわねぇよ、炎の壁だこらぁ」
冬也の前に、ペスカも共に隠せるほど、大きな炎の壁がそびえ立つ。しかしマンティコアは、炎に全く怯える事なく、前足を振り下ろす。炎の壁は、マンティコアの鋭い爪で、あっさりと消し飛ばされた。
見た事も無い大きさ、恐怖を感じさせる獰猛さ。迫る目の前の化け物から、ペスカを守らなければと、冬也はマンティコアに集中する。
決して恐怖を忘れた訳では無い。血が流れ続け、ズキズキとした痛みが自身を苦しめる。しかし竦んだ足は動きを取り戻し、その瞳には闘志が漲っていた。
一方、突き飛ばされ冬也と距離があるペスカは、冬也には聞こえないほど小さな声で呟いた。
「流石お兄ちゃんだね。ほんと凄いね。こんなモンスターに立ち向かえるなんて。だけどね、お兄ちゃん。私だって、お兄ちゃんを守るよ」
振るわれるマンティコアの前足と同時に、冬也から魔法が放たれる。
「炎弾だ、ごらぁ!」
冬也の魔法は、辛うじて前足の勢いを相殺させるが、ダメージを与えた様子は無い。
「切り裂け、風の刃!」
すかさず冬也は次の魔法を放つ。しかし、赤黒い皮膚は傷一つ付かなかった。
魔法という未知の攻撃手段に、冬也が心を躍らせたのは、何も冒険心からだけではない。武術を修めた冬也であれば、瓦の十枚や二十枚は容易く割ってみせる。ただ、魔法は完全に異なる手段の攻撃方法である。イメージを固めるだけで、不可能を可能にする力を発揮させる。
マンティコアと対峙した時に、冬也は自分の拳では相手にダメージを与えられないと判断した。そして、渾身の力で脇腹を殴りつけても、相手は多少怯んだだけであった。
その後に放った二発の魔法も、大したダメージを与えられたと思えない。これが何を意味するのか。戦いの場において、冬也の中に絶望が押し寄せようとしていた。
「効いてねぇのか?」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。私がサポートするから、思いっきり魔法を撃って」
ペスカは冬也に近づくとその背中に手を添える。その手に導かれる様に、急激に冬也の体内でマナが巡りだす。
自分の中には、こんなにも大量のマナが眠っていたのか。冬也は少し驚きながらも、次の魔法を放つ。
「飛べ、風の刃。あいつを切り裂きやがれ!」
言葉を唱えた瞬間、今までよりも大きい力の放出を感じた。空間が裂けるのが視認出来る程に、大きい風の刃が十枚ほど、マンティコアに向かって飛んでいく。
予想外だったのか、獲物が弱者だと油断していたのか、マンティコアの体に魔法が直撃する。直撃した風の刃は、マンティコアの体を抉り血を噴き出させた。
直後マンティコアは、怒りの咆哮を上げた。格下の相手、それも獲物からの反撃を喰らった事で、マンティコアが怒り、体内でマナが膨れ上がる。翼をはためかせると、強風が吹き荒れる。その風には、目で捉えるのが困難な程の薄い刃が混じっていた。
辺りの木々は、尽く切り裂かれる。冬也は咄嗟に土の壁を魔法で作るが、あっさりと壊されペスカと共に吹き飛ばされた。
ペスカを庇う様に抱きしめて、冬也は大地を転がる。冬也には沢山の切り傷がつき、更に大量の血が流れ出す。それでも冬也は痛みを堪えて、再び立ち上がる。
すかさずマンティコアは、土を撒き散らしながら冬也に走り寄る。しかし冬也は、背の痛みのせいで集中出来ず、振るわれる爪を魔法で相殺出来ない。冬也は咄嗟にペスカを抱えて、横に飛んで爪を躱す。
躱した先には、倒れた木々が立ち塞がる。そして冬也は、やっと気がついた。倒木に囲まれ逃げ場が無い。自分達は、追い込まれていたのだと。
目の前からは、マンティコアがじりじりと迫る。それはまごう事なき命の危機であり、死が二人に迫っていた。
絶望が冬也を覆い隠そうとした、その時であった。ペスカの優しい声が、冬也の耳に届いた。
「お兄ちゃん、大丈夫だよ。私が守るから」
冬也は背中に温かい熱を感じた。次の瞬間には痛みが引き、血が止まるのがわかった。
ペスカの力だろうか。ふと、冬也はペスカの言葉を思い出していた。魔法はイメージの具現化であると。
俺の魔法は、必ずあいつに通じる。ちゃんとあの化け物を、倒す手段はあるはずだ。どうすれば良い? 何を具現化すれば、あの化け物をたおせる? 考えろ。じゃないとペスカを守れねぇ。
冬也は日本に居ながら化学の知識に疎い。だが身の回りには、技術の進歩により発達した便利な道具が溢れていた。足りない知識を繋ぎ合わせ、冬也はイメージを重ねる。
先ず、冬也は倒木を風で動かし、マンティコアにぶつけた。それと同時にあるイメージを、脳内で展開していた。くっ付いたら離れない、木工ボンドより遥かに強力な粘着剤。そのイメージが功を奏し、大量の倒木を身に着けたマンティコアは、動き辛そうに体を震わせた。
更に冬也は魔法を放つ。イメージするのは着火剤。ガソリンでは、爆発で自分達にも危険が及ぶ。揮発性が低く、かつ粘度が高い物質を冬也はイメージした。
「タールみたいなやつだ! 燃えるスライム、出て来い!」
ねっとりとしたスライム状の物体が、暴れるマンティコアに纏わりつく。
「炎弾だ、焼き尽くせ!」
冬也から、炎の塊が飛び出す。炎の塊は、マンティコアに纏わりつくスライム状の物質に当り、くっ付いた倒木を巻き込み業火を上げる。
冬也が放つ単発の炎でダメージを与えられないなら、焚火の様に燃やしてやればいい。身を包む業火を、マンティコアは容易に取り払う事が出来ない。低い叫び声を上げて、体を焦がす炎を消そうと、マンティコアは大地を転がる。次第に辺りの木々に火が飛び移り、炎は森に広がっていった。
「ペスカ、今のうちに逃げるぞ」
冬也は叫びながら、ペスカの手を強く引き走り始める。一刻も早く此処から逃げ出さないと、火と煙に囲まれ死を迎える事になる。倒木を乗り越えて、二人は息を切らせて走った。
どれだけ走ったか、やがて道の先に光が見え始める。振り向いても、マンティコアが追って来る気配は無い。ようやく二人は、走りを緩めて息を整える事が出来た。
「ペスカ怪我は無いか? 出口だぞ。もう一息だ」
「大丈夫だよお兄ちゃん。やったね! 凄いよお兄ちゃん! 神だよ!」
「何とか助かったな」
「お兄ちゃん、それより怪我。早く手当しよ」
「それよりペスカ、森を抜けたら、色々聞かせてくれるんだろうな」
流石の冬也でも、数々のおかしなペスカの言動を、見逃す気は無くなっていた。
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