第2話 最初のバトル
見たこともない非日常に遭遇した時、人はどんな行動を取るのだろう。
まさか、これが異世界! よっしゃー! これからチート能力でやりたい放題だぜ! と意気揚々に探索を始めるのだろうか。
それとも、慌ててスマホを取り出し、電波が通じるか確認をするのだろうか。
それとも、只々呆然とし、現実逃避をするのだろうか。
冬也は、突然の事態を理解出来ずに、唖然とし佇んでいた。
玄関を開けると突然に風景が変わった。見慣れた住宅街では無い、そこは鬱蒼とした森の中。勿論、自宅が辺鄙な場所に有るわけではない。一応は東京都で、閑静な住宅街に存在する普通の家だ。自宅を出たら森の中なんて、あり得る訳がない。
何度も瞬きしても、目の前の風景は変わらない。そのあり得ない事態は、冬也のキャパシティーを超えていた。
VRなら可能だろうか。もしかすると、ペスカがいたずらを仕掛けたのか?
いや、それなら気が付いてもいい。ペスカが自分に気が付かれずに、VRゴーグルを嵌められるはずがない。
それとも、夢か? それなら、早く起きて朝の支度をしなければ。茫然としながらも、脳の一部は危険を察知し、異常な程に回転を行う。
「・・・ちゃん、・・いちゃん、・にいちゃんってば」
五分位は経っていただろうか。棒立ちの冬也の耳に声が届く。声が聞こえると共に、段々と冬也の意識がはっきりとしてくる。
「お~い! おに~ちゃん~! おにいちゃんや~い。聞こえてますか~?」
「あ、あ、あぁ! ペスカか? ちゃんと居るのか?」
「居るよお兄ちゃん。さっきからず~と呼んでるのに」
冬也は未だ身に降りかかった異常事態を、整理しきれていなかった。妹の呼びかけには答えていたが、心は現実を拒否していた。
いくら知識の無い冬也でも、イチョウや楓くらいは見た事が有る。光がほとんど差し込まない森の中には、見た事の無い毒々しい色の実を付けた木々が生えている。周囲を飾る花々は、まるで牙でも生えているかの様に、花弁を開いている。
夢なのか?
でも、この生暖かく頬を撫でる風が、夢だとは思えない。
現実か?
現実に、こんな事が起こってたまるか!
すこしずつ冬也は現実に引き戻されていく。そして、覚醒した冬也の脳裏に過るのは、ペスカの安否であった。
明るい声は聞こえていた、だから安全だろう。しかし、この異常事態の中で何が起こっているかわからない。
冬也はいったん落ち着こうと、深呼吸をする。そして、無事を確認する為に、ペスカの方へと顔を向けた。それでも動揺しているのか、冬也の声はやや上ずっていた。
「ぺ、ペスカ! 痛い所無いか? 苦しいところは? 頭とか大丈夫か?」
「平気だよ。ってゆうか平気じゃないの、お兄ちゃんでしょ? 何度呼んでも無視するし」
冬也はその時、先の出来事を思い出す。玄関を開けたら光が差した。そうだ、玄関はどうした?
冬也が慌てて振り向いても、有るはずの玄関は消えている。その時やっと、冬也は見知らぬ場所に取り残されている事を自覚した。
「なぁペスカ、玄関無くなってねえか? ってかここ何処だ?」
「う~ん。異世界?」
「はぁ? 何言ってんだペスカ! 異世界なんて有るわけ無いだろ!」
「じゃあ、お兄ちゃんは何処だと思うのよ」
「アマゾンとかアフリカの奥地とか?」
「馬鹿だな~、お兄ちゃんは。こんな変な植物が、地球に生えてる訳無いじゃない!」
ペスカが指を指した先には、冬也も見た人食い植物に似た異様な植物。だが、呆れるほど呑気なペスカの態度に、冬也は些か疑問を感じた。
「ペスカお前、なんか冷静だな」
「う~ん。お兄ちゃんが役立たずだしね」
「何か隠してるのか? 怒らないから、全部話してみろ」
「あはは、やだな。お兄ちゃんってば、アハハ」
「話す気はねぇのか? でも、場所がわからないなら、帰れないぞ」
「だから、異世界って言ってるじゃない。信じてないお兄ちゃんが悪いんだよ」
ペスカの言っている事が、冬也には全く理解出来ない。異世界なんて有るはずが無い。もしかすると、玄関を出る前に感じていた胸騒ぎは、これの事だったのか?
薄々とではあるが、冬也はこの場所から、容易に帰る事が出来ないと感じていた。
「まあ、此処にいても仕方ないし、取り合えず森を出るか! そうすれば帰る方法も見つかるかも知れないしな」
「そうだね、お兄ちゃん。レッツ異世界!」
「元気だなペスカ。隠し事は今の内に話せよ。そうじゃ無いと、すげぇ痛いお仕置きするからな!」
そうは言っても、どちらに進めば良いのだろう。冬也が周囲を見回していると、不意にガサガサと音がして、木々の間から何かが飛び出してきた。
その容姿は地球に存在している物と似ているが、明らかに違う生物だった。グルゥ~と低い声を上げて、鋭い歯をむき出しにしている。頭部には、刺されば致命傷確定と思える程、尖った角が生えている。そして、いつでも飛び掛かって来そうな態勢で、こちらを見つめている。
「わぁ! な、なんだあれ! ウサギか? いや、ちげぇな」
「お兄ちゃん、ビックリし過ぎ。ウサギだよ、ウサギ」
「ウサギには角なんてねぇよ!」
「じゃあ、角ウサギ? でも、ウサギさんこっちガン見してるね」
冬也はペスカを背に庇う様に位置取りする。そして角ウサギは、今にも飛び掛かろうと姿勢を低くし、じりじりと距離を詰めてくる。
「ペスカ、絶対に俺の後ろから出るなよ。あの角は危ねぇぞ」
「お兄ちゃんどうするの? やっつけるの?」
「無茶言うな。あんな訳のわかんねぇのと戦わねぇよ! 隙を見て逃げるんだよ!」
「え~! 異世界での最初のバトルなのに?」
「馬鹿な事、言ってんじゃねぇよ! ゲームじゃねぇんだぞ!」
冬也がペスカを叱る為に、角ウサギから視線を外した一瞬だった。角ウサギは、頭の鋭い角を真っすぐに冬也に向け、飛ぶようにジャンプする。冬也はペスカを背に庇い、左手で払い除ける様に角をいなす。
最初の一撃を避けられたものの、角ウサギはグルゥゥと引く声で鳴き、威嚇をしながら距離を詰める。すこしずつ、角ウサギと冬也の間合いが詰まっていく。
角ウサギと対峙した瞬間に、野生の獣と相対した時の緊張感を感じた。これは本物の命のやり取りだと、冬也は確信した。
父に格闘技を仕込まれていた冬也は、暴漢からペスカや友人を守る為に、喧嘩をする事が多かった。負けた事は一度たりとも無い。
だがそれだけに、人間と違い本能で襲い掛かる怪物に対し、緊張を覚えていた。
再び角ウサギが、飛ぶようにジャンプする。先ほどと同様に、左手で角を往なしすと、冬也は右の拳で横腹を突く。角ウサギは、ギャンと鳴いて吹き飛ばされ、森の中を転がった。
やや、角ウサギとの距離が離れた瞬間、冬也はペスカの手を引き、この場を去ろうとした。しかし、ペスカは動こうとしない。
「ペスカ、逃げるんだよ。何してんだ!」
角ウサギがふらつきながらも起き上り、態勢を立て直そうとしている。野生の動物であれば、当然であろう。敗北は、死と同義なのだから。
時間をかけて、角ウサギは態勢を立て直す。そして、再び姿勢を低くする。唯一の技なのだろう。自分の角を活かした攻撃で、冬也に致命傷を与えようと鋭い目を輝かせる。
その時だった。背中越しのペスカから、囁く様に声がかかる。
「お兄ちゃん集中して! 火の玉をイメージするの」
「火の玉? 何言ってんだペスカ!」
「良いから、言う事聞いて。私を信じて! 火の玉を具体的にイメージするの」
ペスカの意図が、全く理解出来ない。だが冬也はペスカに言われた通り、頭の中で炎の塊をイメージする。不思議な事に冬也は、自分の体に不思議な力が流ているのを感じた。
「イメージ出来たら、それを思いっきりあいつにぶつけるの」
頭で中でイメージした炎の塊を、ボールを投げる様に意識して、冬也は腕を振るう。自分の中に流れる力が集まり、炎の塊が具現化される。そして、炎の塊は角ウサギに飛んでいく。
突撃の姿勢を取っていた角ウサギは、避ける手段を持ち合わせていない。足に激突しギャンと叫び、角ウサギは二人との距離を取った。
確実に角ウサギは警戒をしている。これまでと違い、後方へとじわじわ下がっていく。そんな角ウサギに対し、冬也は驚きの声を上げていた。
「なぁペスカ。なんか出た。なんか出たよペスカ」
「魔法だよお兄ちゃん。やっぱりやれば出来るじゃない」
「魔法ってお前。いや今は、これを乗り切るのが先決か」
「集中してもう一発だよ。それと魔法を放つ時は、名前を叫ぶと上手くいくよ。頑張れお兄ちゃん」
冬也は未だに状況を理解出来ないでいたが、やるべき事ははっきりとしている。冬也は、再び角ウサギに向けて魔法を放つ。今度は角ウサギと距離が有り、魔法は角ウサギの手前の地面へ激突し地面を抉った。一方の角ウサギは逃げる機会を伺い、冬也の魔法を大きく避ける様に動く。
無我夢中の冬也から、幾度も炎の塊が放たれる。その内、一つか二つの塊が角ウサギの体を掠めて、火傷を負わせる。
角ウサギは必死に動きながら、二人との距離を広げていく。そして隠れる様に、茂みの中へ消えていった。
野生の獣との戦いは、緊張を強いられる。相手は、人間より遥かに身体能力が高いのだから。角ウサギが茂みに消え去ると、冬也は深いため息を着いて地面にへたり込んだ。
「お疲れ~、お兄ちゃん。やっぱりやる子だね、お兄ちゃんは」
「あぁ、ありがとうペスカ。怪我は無いか?」
「お兄ちゃんが守ってくれたし大丈夫」
冬也はペスカに危険が及ばなかった事に安堵していた。だがここは見知らぬ森、自分達を襲って来る脅威は一匹とは限らない。やや怠さが残る体を奮い起こす様に、冬也は立ち上がった。
だがこの事態は、おかしい。日本では見た事も無い植物、角の生えたウサギ、自らが放った炎の塊。
現実で有る事は間違いないが、何か妙な事が起きている。それはいったい何だ。ペスカは何を隠してる。冬也の中で疑問が膨れ上がり、ペスカに問いかける。
「わかったペスカ。これ昨日の夜にやったゲームだろ。お前に付き合わされたVRゲーム。良く出来てるな~。兄ちゃん引っ掛かっちゃたよ、ビックリ大成功だな」
「お兄ちゃん、馬鹿なの? 一緒に玄関から外に出たでしょ!」
「いい加減にしないと、兄ちゃんだって怒るぞ。夕飯はお前の嫌いな、ネバネバ尽くしにするからな」
「ネバネバ嫌いはお兄ちゃんも一緒じゃない。馬鹿なの?」
「じゃあ何なんだよこの状況! お前なにか知ってんだろ?」
冬也は思わず怒鳴り散らしていた。ペスカと暮らし始めて十年間、叱る事はあっても、ここまで激しく怒鳴った事は無い。激しい口調で問い詰められ、ペスカは瞳に涙をいっぱい浮かべ俯く。
やがてペスカの瞳から、大粒の涙がポロポロと零れだした。
「ばか~! お兄ちゃんのばか~! そんなに怒鳴る事ないじゃない! 嫌い~! お兄ちゃん嫌い~!」
「ご、ごめんペスカ。兄ちゃんが悪かったごめん」
ペスカが泣き止み機嫌が収まるまで、あれやこれや色んな手で、冬也は宥めすかす。ペスカが落ち着くのを見計らうと、今度は優しく話しかける。
「なぁペスカ。知ってる事があったら、兄ちゃんに教えてくれないか?」
「ぐすっ。良いよ。ぐすっ。何が聞きたいの?」
「ここは何処だ?」
「異世界。ぐすっ」
「それじゃ話になんね~よ。そう言えば旅行、駄目になっちゃったな」
「大丈夫。ぐすっ。目的地ここだから」
「はぁ? 何言ってんだお前」
「だから、目的地はここって言ったの」
冬也は、やはりペスカの言葉の意味を、理解が出来なかった。これは唯の始まりに過ぎない事を、冬也は知らない。そしてペスカでさえも、待ち受ける困難を想像しきれていない。
やがて二人は、世界を揺るがす大波乱に巻き込まれていく。これは、兄妹の冒険の始まりであった。
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