あんなに優しかったアルバイトがこんな姿に

「どうしたの、高橋くん?」


「いえ、なんだか違和感があるな、って」


「仕事はしてなくてもみんないつもこの辺りには溜まってるからね。寂しいんじゃない?」


「そんな。子どもじゃあるまいし」


 いちいち仕事中に仲間がいないといけないなんてことはない。


「ちなみに……みんなは上ですか?」


「うん、小木曽くんはトレーニングジムがたいそう気に入ったらしい。富良野くんもここの畳より上のソファの方が柔らかいとかで。三ノ丸くんはプールサイドの方が風が冷たくて冷却しやすいんだろうね」


「そうですか」


 俺が覗き込んだ休憩室にはやっぱり店長の姿しかない。いつもならその向かいに富良野さんが座っていて、その側で顔色の悪い小木曽さんが座っている。部屋の隅には大きな段ボール箱が置いてある。ときどきそこに秋乃さんが入っているのだ。


 いつも狭い部屋にいっぱいになっているのに、今日は妙に寒々しく感じた。

 何かがぷちりと弾けた。


「やっぱり、甘やかしちゃダメですよね」


 声に出すのと歩き出したのはどっちが早かっただろうか。


「た、高橋くん?」


「ちょっと休憩行ってきます」


 俺は声の震えている店長を押しのけて階段を駆け上がった。もう疲れているなんていう考えは頭になかった。後ろで店長が慌てているのがわかったけど、でも今はそんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない。

 疲れたなんて言葉は頭から捨てて、二階のベンチに座って汗を拭いていた小木曽さんに一気に近づいた。


「お疲れさまで」


 最後まで言わないうちに小木曽さんの動きが止まった。


「な、なんすか?」


 俺はそんなことに答えている暇はない。うろたえる小木曽さんの首根っこをつかんでそのまま引きずりながらそのまま階段の前まで運んでいく。


「ちょ、ちょっと」


「何か問題でもある?」


 俺の微笑みに小木曽さんの顔が引きつっている。


「いや、ないっす」


「じゃ、せいっ!」


 同意を得たところで俺は階段に向かって小木曽さんを投げ飛ばす。無言のままごろごろと転がり落ちた小木曽さんはそのまま休憩室の方へと逃げていった。さすがゾンビウイルス感染者。丈夫だなぁ。


「よし、次」


 ジムを済ませて今度はホテル風の三階に上がる。相変わらず少しも動いていない富良野さんがエントランスのソファでだらだらと転がっていた。


「あ、要くん。ちょうど良かった。あたし、飲み物が」


「飲み物が?」


 富良野さんの顔が青くなる。寝ころんでいた体を一瞬で起こして、針金が入ったみたいに立ち上がる。


「あー、いや。やっぱり自分で取りに行こうかなぁ。それになんだかちょっと働きたくなってきたかも」


「へぇ、富良野さんにしてはずいぶん珍しいことを言うんだね」


「そ、そんなことないよ。あたしだってたまにはやる気出すことだって。いや、いつもやる気いっぱいです」


 まったく調子のいいことを言って。そのままそろりと忍び足で逃げ出そうとした富良野さんの背中からバイトの制服の襟をつかむ。


「ちょっと要くんってば、こんなところで大胆、じゃなくて!」


 珍しくノリツッコミを入れて場をなごませようとした富良野さんだけど、今の俺にはそんなことまったく通用しない。効かぬ、効かぬのだ。そんな甘いツッコミでは。


「そんなにやる気いっぱいならレジまで連れていってあげようか?」


「いや、自分でいきます。自分でいきますから」


「そう言わずに」


 焦る富良野さんは俺の後ろでわーきゃー騒いでいるけど、今は無視。さっさと階段から転げ落とそう、と運んでいったところで、ちょうど降りてきた秋乃さんとばったり鉢合わせした。


「あ、マ、マスター」


 ロボットのはずの秋乃さんの声が震えている。全身もなにかエラーでも起きているみたいに動きが不自然だ。俺の体を隅々まで眺めていると思ったら、ちょうど富良野さんを持っている左手の辺りで視線が止まった。


「どうしたの、秋乃さん?」


「センサーが危機警告レベル三を感知、ここから退避、ではなく、そろそろお仕事に戻った方がよいかと思いまして」


「そっか。さすが気が利くね」


「褒めていただきありがとうございます。ところでマスター、どうして私の頭をつかんでいるのでしょうか?」


 小柄な秋乃さんの頭を空いている右手でつかんだ。さらさらの髪は完全に人間のものと区別がつかない。プールサイドの風で冷やされた耳の感触が気持ちいい。


「せっかくだから下まで連れていってあげようと思ってね」


「いえ、大丈夫です! 私はちゃんと歩けますから、きゃー!」


「気にしなくてもいいよ。富良野さんを運ぶついでだから」


 右手に秋乃さんを、左手に富良野さんを。それぞれ頭と襟首をつかんで階段を下りていく。後ろではようやく観念したみたいでおとなしくなった二人が小声で何かを話している。


「要くんって怒らせたらダメな人だね」


「はい。最重要データとして登録しておきます」


 引きずられまいと必死についてくる二人の話は俺には丸聞こえだ。店頭では小木曽さんが富良野さんに言われたわけでもないのにレジに立っている。でも何も言わないまま二人を休憩室に放り込んで、俺は今度は店長を指差す。


「店長、ちょっと用意してもらいたいものがあるんですけど」


「はい! なんでしょうか!?」


 びしりと敬礼をして背筋を伸ばしている。ここだけ見るとどっちが店長なのかわからない。放り込んだ二人は入り口から一番遠い部屋の角に身を寄せ合うようにしゃがみこんで、何かを相談しているらしい。


「店長すらビビってる」


「しかし、実際に私のデータにもあんなに怒っているマスターは存在しません。いったい何が原因なのでしょうか?」


「そこ! うるさい!」


「すみません! サー!」


 富良野さんがバネみたいに立ち上がると、そのまま店長のように敬礼。続いてよくわかってないみたいだけど、秋乃さんも真似して敬礼。

 うん。いい反応だ。ちょっと楽しくなってきた。


「それで、何がほしいんだい?」


「それはですね」


――――


「じゃあここで」


「本当にやるのかい? 私の触手はトンカチじゃないんだけど」


 急に現れた二階へ続く階段。そこに木の板を二枚、交差させる。


「無駄口を叩かない。すぐにやる!」


「はい! すみません!」


 トラックも跳ね返す店長の触手が太い釘をコンクリートの壁に難なく打ち込んでいく。


「本当に閉鎖するの? もったいないよ」


「そうです、マスター。考えを改めていただきたいです」


「ちゃんと一生懸命に働くようになったら入れてあげるよ。福利厚生のためだしね」


 俺がにっこりと笑って答えたっていうのに、二人は体を震わせながらただ無言で首を縦に振っているだけだ。

 細い木の板でバツ印に打ち付けただけだから入り込もうと思えば簡単にすり抜けられるだろう。でもどうやらみんなにはそんな気も湧いてこないみたいだ。最後に『立入禁止』と書いた張り紙をつけておく。封印完了。


「実は要くんって人間じゃないんじゃないの?」


「でも、大学通ってる異種族って聞いたことあるかい?」


「あたし、高校行ってるよ」


「しかしマスターはマスターです。私の分析によると、マスターは間違いなく人間と判断されます」


「うーん。どういうことなんだろう?」


 休憩室で顔を合わせて相談している声が聞こえてくる。だから俺は普通の人間だって言ってるのに、どうして信じてもらえないかな。

 隣では小木曽さんが全身を震わせながら、俺の顔色を窺っているし。


「いらっしゃいませー!」


 でもなんとなく気分がよくなってきた。やっぱりこのコンビニはこうでないとな。そう思うと俺は自然と仕事に身が入る気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る