コンビニバイトをはじめたら、まともな人間が俺しかいないんだが!?

神坂 理樹人

一話 百の腕を持つ英雄

コンビ二バイトをはじめよう

 華の大学生。バラ色のキャンパスライフ。オシャレな服を着て、カフェで友人たちと語らいながら講義を待ち、サークルにアルバイトに奔走する。いつしか一人の可愛い女の子とお近づきになって、大人の階段上るシンデレラボーイになったりして。


 あえて言おう。そんなものは幻想ファンタジーであると!


 誰かが脳内で叫ぶのが聞こえる。俺はそんな突きつけられた言葉に奮い立つこともなく、次の講義まで一コマ空いた時間をどう潰すか考えていた。


 一般教養から専門科目まで、とにかく手当たり次第に詰め込んだ時間割はバラバラで忙しい日と暇な日とで分かれてしまっている。本当は先輩たちに聞いてうまい履修選択をするものだと知ったのは講義が始まってからのことだった。


 新入生交流会に風邪をひいて出られなかったのが運の尽き。ようやく遅れてキャンパスに入ったころにはもう友人グループが見事に形成されていて俺の入る隙間は針の穴のように小さかった。大教室の講義も後ろで寝ていたり携帯をいじっている学生を尻目に、俺は最前列でしっかりとノートをとっている。


 大学生活もそうこうしているうちに三週間が経ち、これが現実だ、と自分で受けいれ始めているところだった。


「いや、大学生としては何も間違ってない。間違ってはないんだけど」


 それにしたって想像と全然違う。違い過ぎる。俺がこうしてトボトボと廊下を歩いている間にも校内のカフェテリアで話に花を咲かせている同級生がいると思うと、ぶつけどころのない怒りが少しずつ湧き上がってくる。


「なにか、なにかを始めなきゃ俺の大学生活は灰色、いや真っ黒だ」


 でももう形成されたグループに後から入っていけるほどの勇気もコミュ力もない。ナチュラルボーン文化系の俺にサークルはハードルが高い。大学の文化系サークルはチラシを見ただけでレベルが高そうでにわかにはやっぱりちょっと怖い。


「あぁ、なんで俺はこう間が悪いんだ!」


 空っぽの廊下で控えめに叫ぶ。もっとうまい立ち回り方があっただろう。過去の自分に問い詰めてみても答えが出るわけもない。


 重い足取りで廊下を歩いていると、アルバイト募集の掲示板が目についた。学生アルバイトを探しているならやはり大学で募集するのがてっとり早いので、キャンパス内にこういうフリースペースがいくつかある。家庭教師や引っ越しスタッフ、学生食堂のものもあった。


「バイトか。何か始めてみればそこで友達だって見つかるかもしれない」


 管理が行き届いていないめちゃくちゃに張り出されたチラシに目を通していく。どれもなかなかピンとこなかった。俺は平凡な人間から積極性を奪ったようなものなんだから、自信を持って働ける業種なんて思いつかない。


 その中で一つのチラシが目に入った。その金額にだ。


「コンビニスタッフ。時給、一五〇〇円!?」


 目を擦ってもう一度チラシを見る。確かにそう書いてある。都心ならいざしらず、こんな地方のコンビニでこの時給は破格なんてものじゃない。コンビニなんてどこも最低時給で募集しているのが当たり前で、確か大学から一番近いコンビニも八〇〇円くらいだったはずだ。


「出勤は一日から応相談。試験前シフト変更可。制服貸与。なんだこれ、すごく条件もいいしなんでこの募集残ってるんだろう? えっとお店は、スクウェアM百夜街道沿い店」


 ここから少し距離はあるけど、自転車通学の俺にはほとんどないに等しい。百夜街道は旧県道で今は長距離ドライバーがよく裏道として使っているそこそこの通りだ。コンビニに立ち寄るドライバーが多いなら人手が欲しいのもわからなくはないけど。


「どうしようか。でもこのままじゃ何も変わらない気がするし」


 このままキャンパスライフの暗黒面に堕ちていくのをただ見過ごしたくはない。俺は掲示板からそっとチラシを抜き取ると、肩にかけたメッセンジャーバッグに忍ばせた。


 午後の講義を終えて、俺は百夜街道を愛車に乗って走っていた。田舎の歩道に人が歩いているはずもなく、自転車を全力でこぎながらコンビニに向かってまっすぐ風を切っている。


 昔は農道としても活躍していたらしいけど、国道が整備されてからは商業の中心もそちらに移ってしまって、今は土地もすっかり安くなってしまったと聞いたことがある。ほとんど左右が田んぼしかない道を進んでいると、ランドマークのように伸びる看板が見えた。


 緑色の四角で囲んだMの文字。スクウェアMはコンビニ業界では中堅どころと言われつつも、全国に店舗を持つ有名なコンビニチェーンだ。他のコンビニに押されつつも、突拍子もないでも妙に気になる独自商品を展開していて、一部のコアなファンもいる。


 でもそんなコンビニの中でもこの店は輪をかけて奇妙だった。


「やけに大きいな」


 いくら土地が安いからといっても、普段見るコンビニの二倍以上の建坪がある。平屋建ての平らな店舗は駐車場も十二台分に駐輪スペースには屋根つき。かなりサービスがいい。


 それなのに車は一台も止まっていない。大きなガラス窓越しに見る店内にもお客さんの姿はただの一人も見えなかった。


「ガラガラだなぁ。このチラシ、誰かのいたずらだったんじゃ」


 こんな店じゃわざわざ一五〇〇円の時給を払ってまで人が欲しいようには見えないんだけど。


「よく考えなくてもコンビニじゃあり得ないし、偽物だったらなんて言い訳しようか」


 それでもこの破格の時給には抗えない。欲しいものだって頭にいくらでも浮かんでくる。俺は意を決してコンビニの自動ドアの前に立った。よく聞くメロディが流れて、少し強い冷房の風が頬に当たる。自転車をこいで浮かんだ汗が少しひいていった。


「いらっしゃいませー」


「すみません。バイトのチラシを大学で見てきたんですけど」


「あぁ、そうなのかい? 嬉しいなぁ」


 どうやら偽物じゃなかったみたいだ。ほっとした俺は、レジ奥から小走りに出てきた店長らしい小太りの中年男性の姿を見た。丸眼鏡をかけて短く切り揃えた髪。制服がはち切れそうなほどの丸々と肥えた腹が揺れている。歳は四〇半ばというところだろうか。いろんな意味で脂の乗った年頃だった。


「いやぁ人手がまったく足りてなくてね。猫の手も借りたいところなんだ。もしよかったら今日すぐに入れたりしないかな? もちろんお給料は出すからさ」


「え、面接とかは?」


「あー、じゃあ名前は?」


高橋要たかはしかなめ、ですけど……」


「はい、採用」


「早い早い早い!」


 就職活動とは違うけど、もうちょっと何かあるでしょ。それに人手が足りていないようにはまったく思えない。こうして話している間にも誰もお客さんが来る気配はないし、レジすら誰も立っていなかったんだから。


「働いていたら人となりくらいはわかるさ。それよりも仕事が合うかどうかの方が大事だからね」


「でも履歴書とかは」


「次に来るときにでも持ってきてくれればいいよ」


「は、はい」


 勢いに押されて俺はなんでもないのに声が上ずった。自然に背筋が伸びる。ちょっとさえない中年おじさんにしか見えないのに、この威圧感はなんなんだ。


「それじゃ、この奥にロッカールームがあるから、入ってすぐの右の棚から自分に合う制服を着てきてくれるかな?」


 そう言って店長に背中を押されて店の奥へと強引に押し込まれる。


「なんかヤバいところに来ちゃったんじゃ」


 そう思いながらも、俺は言われた通りに一番奥に見える扉を目指した。その途中にドアの開いた部屋がいくつも見えた。


「これ休憩室? なんか畳敷きだし、こっちはキッチンにシャワールーム? もしかしてあの店長ってここに住んでるのかな?」


 外から見た建物の大きさの割に売り場が狭いとは思ったけど、これだけいろんなものがあるならそりゃ狭くもなる。コンビニチェーンのオーナーは結構大変だって聞くけど、泊まり込みしなくちゃいけないほど多忙なんだろうか。


 ロッカールームを開けて言われた通りにМサイズの制服を選び出す。名札の入っていないロッカーを開けてそこに服と荷物を詰め込んだ。なんだか不安だらけのアルバイトだけど、これは失敗したかもしれない。

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