4月12日
始業式から数日が経ち、三年生は進路に関する個人面談が始まる日。俺は友人と昼休みの「余裕教室」に屯していた。基本的に空き教室には鍵がかけられているが、真面目な三年生が「静かに勉強をしたい」と言えば、喜んで鍵を貸してくれるらしい。
悪友のKには、とびきり優秀かつ弟思いの姉がいた。
教室中央で机の上に座っていたKは、熱心に一冊のノートを読み耽っている。わずかに血液の付着した、ピンク色のキャンパスノートを。少し離れた窓際には、彼の姉であるMがやはり机の上に腰掛けていて、彼女の方は新品の単語帳をぱらぱらとめくっていた。どうやら手持ち無沙汰なのは俺一人だけらしい。
することが何も思いつかないので、Kと真向かいの席に座っていた俺は、ノートを熟読する変人に向かって時折野次を飛ばしていた。
「悪趣味だよな。そんなの読んで面白いか?」
「逆に聞くけどさ、こんなに面白いものが無料で読めるご時世、出版業界はどうやって生き延びていくんだろうな」
「知らねえよ……」
「いや、これは本当にすげえと思う。お前も読んだ方がいい」
血のついたノートをエンタメとして楽しんでいるクラスメイトを、俺は素直に軽蔑していた。仕方のないこととはいえ、こいつにLのことを話したのは間違いだったとしか思えない。
「もう充分だろ。ノート返せよ」
「いや、まだ半分も読めてないから……」
「K。返して」
Mの一声で、Kはぱたんとノートを閉じた。不承不承、といった表情で俺の方を見ると、「ったく。しょうがねえな」と小声で毒づきながらノートを差し出す。基本的には人を食ったような話し方をするKだが、唯一姉にだけは気味が悪いほどの従順さを見せる。
「ごめんね。あんな事があった直後に、こんな話するべきじゃないのに」
自分が何をした訳でもないのに、Mは顔を上げると俺に向かって謝罪してくる。彼女はKの姉というだけでなく、違う高校に通っているLともなぜか親交があった。実を言うと、俺を家に泊めてくれると言い出したのもKではなくMだったりする。人格破綻者のKとは真逆の、圧倒的なお人よしだった。
「別に、俺は大丈夫ですよ」
「だろうな。本当に話題にしたくなかったら、肌身離さずノートを持ち歩いたりしない」
「お前なぁ」
「素直になれよ。本当は見せたかったんだろ?」
「……まさか、熟読するとは思わなかったから」
「はっ、想像力が足りてねえな」
ノートの内容がよほど刺激的だったらしく、Kは元気よく机から立ち上がると、興奮気味に教室の中を歩き回り始めた。
「妄想の資料集っていうより、物語のプロットみたいな感じなんだ。これから起こる出来事が予言みたいに書かれてる。かいつまんで言うと、どうやらLには本当の母親がいて、半年以内に彼女を見つけなければこの世界が滅ぶらしい」
「うーん」
神妙に首をかしげるMに向かって、Kは「な? すげえだろ?」と自慢げに言う。ついで俺の方に顔を向けると、瞬きをしながら「お前は知ってた?」と訊ねてきた。俺は肩をすくめながら、
「ああ、毎日連呼してたよ。世界が滅んで、みんな死ぬって」
「期限が10月15日だってことは?」
「……そこまで具体的なことは」
Lからノートを受け取ったきり、俺はその中身を何度かぱらぱらめくっただけで、本気で読もうとしたことがなかった。読んだところで、救いようがない。本当の母親なんて所詮はLの妄想に過ぎず、再会なんてできるはずがないのだから。
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