第18章 銀色の罠 2


「アマリア! 手綱を頼む」


 俺は放り出すように手綱をアマリアに預けると、のろのろと進む馬車から飛び降りた。手近にいた見知らぬ軍団兵に駆け寄る。


「突然、すまない! あんたは第二アディウトリクス軍団の軍団兵で、間違いないか?」


「なんだ、お前は?」

 軍団兵は急に話しかけてきた俺に、不審そうに眉をひそめる。


「親父がアクインクムの第一アディウトリクス軍団に所属してたんだ。補助兵で、もう何年も前に戦死したんだが……」


「そうか。俺は確かに、第二アディウトリクス軍団に所属しているが、それがどうした?」

 軍人は、相手も仲間だと知ると、途端に気安くなる性質がある。軍団兵は打って変わって親しげな笑みを浮かべると、俺に聞き返した。


「教えてほしいことがあるんだ。今月の給料は、もう受け取ったか?」

「あ、ああ。今朝、受け取ったばかりだが……」


 突然、給料について尋ねられ、軍団兵の顔に再び警戒心が覗く。構わず俺は、問を続けた。


「今回の給料で、変な事態はなかったか? 例えば」

 緊張に喉が渇く。一度、言葉を切り、唾液を飲み込むと、俺はついさっき雷光のように閃いた推測を軍団兵にぶつけた。


「給料の銀貨が全部、セウェルス帝と女神ローマを刻んだ真っさらな銀貨だったとか?」


 軍団兵が、俺の真意を探るように、俺の顔を見つめる。


 俺は軍団兵の腰に下がった財布を奪い取って、中の銀貨を確認したい衝動を抑えて、相手の返事を待った。ここで余計な騒ぎを起こして、軍団兵の疑念を掻き立たせたくない。それこそ、アルビヌス帝の思うつぼだ。


 軍団兵は、俺の質問に答えたところで、特に害はないという結論に至ったらしい。鷹揚おうように頷く。


「そうだ。あんたの言う通りだ。アルビヌス帝との決戦が近いからな。軍団兵の士気を高めようって作戦だろうな」


「俺の親父は、最期までダヌビウス川防衛線を守る一員として戦い、戦死した。ダヌビウス川防衛線に勝利の女神が微笑むと信じているよ」


 俺は口先のお世辞を言うと、軍団兵と別れ、馬車に戻ろうとした。が、それよりも早く軍団兵が口を開く。


「セウェルス帝は、もう明日にでも、カルヌントゥムに到着するそうだ。視察という名目だが、ガリアへ進軍する兵を選別するためだろうな。アルビヌス帝は、ブリタニアから手勢の三個軍団を呼び寄せたらしいが、ローマ帝国の平和と安全を長年、守ってきたのは、俺達ダヌビウス川防衛線の軍団なんだ。辺境の蛮族ばかり相手にしてきたブリタニア軍団になんか、負けるものか」


 軍団兵の言葉に、俺はくさびを打ち込まれたように身体が強張るのを感じた。セウェルス帝が近くまで来ているのなら、もう、猶予ゆうよはない。


「主人を放っておいて、何の無駄話をしているの!」


 突然、真後ろでアマリアの叱責しっせきが響いたかと思うと、背中に鈍い痛みが走る。

 アマリアがつねり上げたようだが、厚い外套と重ね着したテュニカのおかげで大した痛みじゃない。むしろ、身体の強張りがほどけたくらいだ。


「早くいらっしゃい! 全く、私に迎えに来させるなんて、傲慢ごうまんもいいところだわ!」


 軍団兵がアマリアの美貌に見惚れてぼんやりしている隙に、アマリアは俺の腕を引っ張って馬車へと連れていこうとする。


悪戯いたずらをして、母親の大目玉を食らう子供じゃないんだ。放せ」


 俺はアマリアの手を振り払うと、馬車へ駆け寄った。アマリアが放り出した手綱は、今はクレメテスが握っている。


「アルビヌス帝の企みが、わかったぞ!」

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