第15章 放たれた矢 1


 石畳で舗装された表通りと異なり、路地は土の道だ。インスラの住人が捨てたのだろう、ブーツの底がしなびた野菜のくずを踏んで滑る。


 人通りのない裏路地は、通行人や商店でにぎやかな表通りとは打って変わって、しんと静まり返っている。温度すら、下がったようだ。吐く息が白い。


 俺は神経をとがらせ、足早に路地を進んだ。アマリアと男の姿は、まだ見えない。


 苛立ちと焦りが募る。既にアマリアがどこかの建物に連れ込まれていたら、探し出すのは困難だ。まあ、アマリアが大人しく連れ込まれる性格とは思えないが。


 俺の推測通り、少し先から、苛立った男の声が聞こえてきた。


「おいおい、お嬢ちゃん。ここまでいてきておいて、帰るなんて、なしだぜ。お楽しみは、もうすぐなんだからよ」


 上階の住人手製のベランダが崩れてきそうなインスラの角を曲がると、狭い路地の真ん中で、逃すまいとアマリアの右手を掴んだ男の背中と、男に相対して、俺のほうに顔を向けたアマリアの姿が目に入る。


 アマリアも、後を追ってきた俺に気づいたらしい。土産みやげ玩具おもちゃを待ち構えていた子供のように、明るい茶色の瞳を輝かせた。


「汚い手を放しなさい! 不埒者ふらちもの!」


 アマリアは、やおら男の手を振り払うと、自由になった右手を振り上げる。突然のアマリアの豹変ひょうへんに、咄嗟とっさに対応できなかった男の左頬に、アマリアの平手打ちが炸裂さくれつした。

 乾いた小気味よい音が、静かな裏路地に響き渡る。


「何しやがる! このアマ!」


 激昂げっこうして掴みかかろうとする男の手を、アマリアはひらりと軽やかに避ける。


「くそっ!」

 反射的に、男がグラディウスの柄に手を掛ける。


 男の後ろに素早く走り寄った俺は、グラディウスを抜き放った男の右手首を掴むと、走り寄った勢いのまま、男をインスラの壁に押しつけた。


 流石に軍人だけあって、不意を突かれても、武器は放さない。俺は背中から男を壁に押しつけたまま、男の右手を何度もざらざらしたインスラの壁に打ちつけた。 たえかねた男の手から抜けたグラディウスが、地面に落ちて重い音を立てる。


「てめえ! 何者だ? 何しやがる!」

 わめく男を無視して、俺は地面の剣を遠くへ蹴り飛ばすと、アマリアに顔を向けた。

 今の俺の顔を鏡で見れば、苦虫を噛み潰したような顔をしているに違いない。


「お嬢さん。冒険も結構だが、冒険には危険がつきものなんだぜ。危険を軽んじて行動するのは、勇気じゃなくて、無謀ってんだ」


 しかし、アマリアは俺の言葉に反省するどころか、反発するように、胸を反らせた。


「危険を軽んじてなんか、いないわ。私は、必要だと思えば、危険を承知で行動するだけよ」


 確かに、すんなり男を捕えられたのは、アマリアのおかげだ。それは認める。しかし、感情は不満を訴えている。

 ところが、アマリアは悪戯っぽく微笑んだ。


「それに、私を危険から守るために、あなたがいるんでしょう?」


「その通りだ。だが、護衛対象に自ら危険に飛び込まれちゃ、守ろうにも、守れない」

 俺が苦々しい気持ちを隠さず答えると、アマリアは高慢そうに鼻を鳴らした。


「なぜ、私が、あなた相手にそこまで気を遣わなくてはならないの。それは、あなたの仕事でしょう」


「あんたが、お嬢ちゃんの見張り役だったのか。俺は、お嬢ちゃんに何もしちゃいない。ちょっと道案内をしてやろうと思っただけなんだ。放してくれよ」


 俺とアマリアのやり取りを聞いていた男が、俺の手から逃れようと、身をよじりながら、哀れっぽい声を出す。先ほど、アマリアが男に話した内容を、まだ信じているらしい。


「残念だが、あんたには、たっぷり用があるんだ。お付き合い願うぜ」


 俺は、これ以上、男が暴れないように男の右腕を後ろ手に回して関節を極めた。

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